伊藤みどり
もうすぐ冬季オリンピックが始まる。(申し訳ないけれど都知事選より興味がある)
ソチオリンピック出場選手の選考会にもなった去年12月の全日本選手権、女子フィギュアのフリーをみた(といってもテレビ録画観戦
そう、フィギュアスケートと言えば思い出すのはほかでもない、伊藤みどり選手。ジュニアの頃から頭角を現し有名だったが、1980年代後半から1992年アルベールオリンピックにかけては彼女の全盛期だったはずだ。彼女のジャンプとスピートのあるエネルギッシュなパフォーマンスには、スケートやスポーツとは無縁の人々でも魅せられた。かくいう私も、彼女のファンを名乗る資格も知識もないが、伊藤みどり以外のフィギュア選手をほとんど覚えていない。当時の女子フィギュアは今と違って目立った日本人選手が何人もいなかったし、おそらく世界を見渡しても選手層がそれほど厚くもなかった。それでも、みどりの印象が強すぎたのだろう。彼女以外の選手についてはがんばって思い出してもスイスのデニス・ビールマン(ビールマンスピンで有名)と東独(当時)のカタリ―ナ・ビット(バレエ的な美しい演技をする長身の選手)の両選手くらいしか思い浮かばない。それほど伊藤みどりはまさに「記憶に残る選手」であり、「世界のみどり」だった。
今、You Tube をみてみると、改めて彼女のすごさを感じる。一言でいえばスケールが違うのだ。特に、スピードとジャンプの高さは別格。ジャンプは高さがあるだけでなく2回目のジャンプがより高くなるし、演技中もスピードはまったく衰えない。だからだろうか、彼女の演技をみているとリンクが小さく見えてしまう。また彼女を形容して、「100年にひとりの逸材」「フィギュアスケートを初めて演技からスポーツに変えた選手」「伊藤みどりが男子でなくてよかったと男子選手は語る」などとも言われていた。それだけに、フィギュアファンの間では伊藤みどり後の喪失感は大きかったと聞く。私自身、彼女が引退してからほとんどフィギュアを見なくなったが、もしかしたら伊藤みどりのスケートを見た人は、同じ思いでみどり二世の再来を待ち望んでいたのかもしれない。
伊藤みどりは高度な技術もさることながら、観客に見せるスケートを意識していたし観客も魅せられた。彼女がリンクに登場するとその高揚感、期待感、場の支配感はすごかった。スケートはまさにスポーツの力強さとバレエ的美しさの両方の要素が組み合わさって、観客の心を揺さぶるものだと思う。伊藤選手は当時あった規定を苦手としていたようだが、それをも吹き飛ばすほどのジャンプだった。逆に、ほかの選手がどんなに流れるように美しい演技をしてもジャンプが低かったり動きが鈍く見えてどこか物足りなく感じることがよくあった。女子フィギュアに対して美しさよりパワーを求める気持ちがどこか勝っていたと思う。
全日本選手権でも伺えるように、当時に比べて日本のフィギュア選手は男女とも明らかにレベルアップしている。今の選手はスタイルのよさはもちろんのこと、表現力にも磨きがかかっており、演技の内容や曲目の選択にも幅がある。それだけ高いレベルの技術をもち幅広い演技ができるということだ。ただスピードとジャンプをみると、つくづくファンとは勝手なもので、やはりみどりレベルを懐かしく追い求めてしまう。もし同じリンクで競技することができるとしたら、伊藤みどりは今でも間違いなく通じるに違いない―そんな思いすらある。
学生時代に家庭教師をしていた。教えていた中学生の女の子がスケートをしており、お母様からよくスケート界の話を聞かされたものだ。ある時、軽い気持ちで同意を求めるかのようにこう言われた。
「伊藤みどりはジャンプだけでしょ」
ジャンプより芸術性―もしかしたらスケートをしている人たちの共通の思いだったのかもしれない。しかし、素人の一ファンが見たいのは、ジャンプとスピードの支えられたみどりの演技だった。やはり、カタリ―ナ・ビッドより伊藤みどりの滑りなのだ。
もう一つ思い出すこと。ちょうどカルガリーオリンピックの頃、学生だった私は友達数人と連れ立って米国横断旅行をしていた。ロスを起点にグレイハウンドバスで東へ進むルートを二ヶ月かけて動くプログラムで、ニューヨーク州のオルバニーだっただろうか、2,3日ホームステイでお世話になった時のこと。滞在中にあるお宅に呼ばれてお邪魔した。夕食後、その家のおじさんに「カルガリーのみどりは素晴らしかった。あれは見たか」と興奮気味に聞かれる。ニュースで聞いたがもちろんオンタイムではみていない。みたくてもバス旅行中なので何かと移動時間も長くホテルも安宿でテレビもないことが多かった。するとそのおじさん曰く、「あれは是が非でもみなければ」と必死になってビデオを探し始めた。すぐには見つかりそうになかったので、「もういいですよ、またどこかで見ますから」と言ってはみたものの、気が収まらないらしく探し続けること小一時間。ようやく見つかり、一同、ワインカラーのコスチュームに身を包んだ我らがみどりの滑りを見ることができた。米国では特に、伊藤みどりは愛されキャラだったと思う。一同のみどりの演技への歓声も、今だったらすぐにYou Tube で見れるものを当時ガチャガチャビデオを入れては再生、早送り、を繰り返しては探す作業をしてくれた親切なおじさんも、今となっては懐かしい思い出だ。
あの頃、「世界のみどり」と言われる二人の女性がいた。伊藤みどり選手とバイオリニストの五嶋みどりさん。この二人にちなんで、その昔、娘の名前をみどりにしようと考えていたことがある。考えていただけのはずがそれを聞いた或る方より、娘の1才の誕生日を前に「みどり」にちなんで緑色のワンピース服を贈られて驚いた。同じく「みどり」という名前の娘さんがおられることもあってかよく覚えてくれていた。今さら違う名前にしたと言うのにどのように伝えたのかは覚えていない。ただその服はあまりに素敵だったので今でも手放せず家の片隅に眠っている。