寄付や子供の支援団体について調べていたところ、マザーテレサの偽善についての名言として紹介されていた言葉に納得できなすぎて激しい怒りすら湧いてきてしまい、ノーベル平和賞まで取った聖女に一介のキノコが噛み付いて失礼なことを言いまくるという話です。マザーテレサが大好きな人は白目を剥いて気絶する恐れがありますので今すぐこのページを閉じるかハンマーでパソコンを叩き壊して歯みがきしていい子にあったかくしてねんねしてください。おやすみなさい。
マザーテレサの偽善についての名言とされている言葉
自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である。
うるせえババア。苦しんでいる人を助けたいと思うことに自国も他国もあるか、誰かが誰かの力になりたいと思うのことに善も偽善もあるか、クソババア。人はみんな人それぞれでいいんだよ。
自国での政治献金だろうと事故や病気で障害を負った人のための寄付だろうと、外国の戦争で親を亡くした戦災孤児のための寄付だろうと、もっと言えばパチンコだろうと酒だろうと風俗だろうと、誰がどんな考えで自分の金や時間を使ってどう生きようとその人の勝手だろ。
ボランティアで活動できる人もいればできない人もいるし、国内で活動する人もいればわけあって外国でそういう仕事に就くのだって人の勝手だろ。なんでそういう人が「他人によく思われたいだけの偽善者である」なんてそこまで強い断定口調で非難されなきゃいけないんだよ。
問題意識は人それぞれ。自分の国の人のために尽くしたいと思う人はもちろん立派だと思うけど、だからってなんで限りある自分の時間やお金や命を何のために使うかその人なりに真剣に考えた結果、その人の問題意識がたとえばたまたま戦災孤児のことだったとか、ワクチンが買えずに死んでいく子供のことだったから外国のその子たちのために寄付したとか現地に行って働いたとか、そのことで「他人によく思われたいだけの偽善者」とまで言われないといけねえんだよ。
自分がノーベル平和賞取ったからってそういう人たちを偽善者呼ばわりする権利なんてあんのかよバーカバーカ!・・・まあもう死んだ人のことを悪く言ってもしょうがないからこれで最後にするけど、マジでこの件に関してはマザーテレサにはあの世で深く反省してほしい。神様にはマザーテレサのことをキツく叱っといてほしい。
偽善で結構!やらない善よりやる偽善だ!
ノーベル平和賞受賞者のマザーテレサみたいな権威も影響力もある人にこういうことを言われるとショックが大きくてついババアテレサなんて罵ってしまったりもしたけど、でも正直寄付とか募金とかボランティアって言っただけですぐ「偽善者」って言いたがる人たちがクソみたいにたくさんいることは知ってる。
僕はそういう人たちのことは本当に心の底から大嫌いだけど、でも別にそういう人たちのことがなんで嫌いか、自分はなにもしないくせに人のことを偽善者呼ばわりしてさも自分こそは真正の善人であるみたいな面しやがって気に食わないとかそういう話はめんどくさいし気分が悪くなるだけなのでしない。
寄付しようとボランティアで働こうと人の勝手だし、そんなことしないのも興味がないのも人の勝手でそこに善いも悪いもないはずなのに、なんでこういう話になるとすぐにそういう活動をする人たちのことを「偽善」とか「偽善者」とか糾弾して得意になる奴らが出てくるのだろう。お前らのほうがよっぽど偽善者だろうがって思ってしまう。
そいつらの言うこともまったくわからないわけではない。明らかに善人だと思われたいだけ、賞賛されたいだけの人がいることもわかる。もちろん100%善意の塊、世のため人のためみたいな人もいるのかもしれないけど、少なくとも僕は違うし。そもそも最初から善意のつもりもないのに偽善とか言われるとうるせーバーカ黙れカスって思ってしまう。
そもそも善意ってなんだよ。偽善ってなんだよ。我が身を犠牲にして世のため人のためなら善で、結局自分のためだったら偽善だとでも言うつもりなのかな?アホくさい。世のため人のためだって言う人だって自分がそうしたいからそうしてるんだし、それはある意味では自分のためだし、だからって「結局偽善じゃねえか」とか言うアホは落ちてきた隕石にでも当たってくたばりやがればいいと思う。
『鋼の錬金術師』に「偽善で結構!やらない善よりやる偽善だ!」って有名なセリフが出てくるけどこの言葉もそんなに好きではない。「やらない善」なんてものはないと思っているから。でも言いたいことはわかるし、僕もまったくその通りだと思う。
僕自身の個人的な寄付や募金への動機付けは、30%くらいは子供が好きだからなにか少しでもできたらいいなーという個人的な関心だけど、残りの70%は完全に自分のため。自分が少しでも誰かの役に立てたんじゃないかって感じて気持ちよくなりたいだけ。自己肯定感を育みたいだけ。
で、そのことに関してなんら後ろめたさも感じていなければ他人ごときから偽善だのなんだの言われる筋合いもないと思ってる。自己肯定感のために寄付やボランティア活動をしてなにが悪いんだって思うし、もっと極端な話をすれば、これが誰かの役に立ちたいみたいな動機付けは0で、自分の売名行為だとか、自分のお金儲けのために利用することだけしか考えていない人がいたとしても、結果的にいいことしてるのは事実なんだしそれはそれでいいんじゃないのか。
感情的にちょっと嫌だなって思ったり、そういう人は嫌いだと思ってしまうことはあるかもしれないけど(僕にもある)、それでもどんな動機付けであれ結果として誰かの役に立つようなことができたならそれはそれで認められるべきだと思うし、素晴らしいことだと思う。
少なくともてめえはなにもしないくせにそういう人たちのことを「偽善者が」とか言ってみせて自分こそは本物の善人でございみたいな面してやがるクソ野郎どもよりは最低でも百万倍はましだと思う。・・・まあそういう人でもちゃんと税金払ってるなら無職ニート野郎のさらに百万倍はましだと思うけどごにょごにょ・・・(´;ω;`)
みんな人それぞれに自分にできることをやっているだけ
でも誰だって自分なりにできることしかできないし、自分なりにできることをすればいいだけだと思う。そういう意味ではマザーテレサだって本当に立派な人だと思うけど、あの人なりにできることをしただけだし、できることしかできなかったとも言える。神様じゃないんだから当たり前だ。そういう意味では修道女だろうと借金暮らしの無職ニート野郎だろうと変わらないと思うんですよ!(バンバンッ!)
まあそれこそよその国の子供のために寄付なんてしてる余裕があるなら自分の国のために使ったらどうなんだとか、そんなこと考えてる暇があったらさっさと仕事見つけて1円でも2円でも税金払えやこのクソ無職ニート野郎が!と言った罵詈雑言を浴びせかけられて言い返すこともできずに泣き崩れる自分のイメージしかわかないけど、これからがんばって働いてそんな意地悪な奴よりたくさん稼いで税金もたくさん払う予定だもん!(未定)
でもクソみたいなことのためにたくさん無駄にされてる税金は1円でも多く節税してその分1円でも多く自分の納得する使い方をしてやるんだもん!別にそのお金の使い方が国内のことだろうと、国外への支援だろうと、マザーテレサだろうと誰だろうと文句を言われる筋合いなんてねえわ!
寄付や募金じゃなくてもいい、ボランティア活動でもいいし、わざわざそんなことしなくても芸人やタレントとして稼ぎまくって高額納税しているというのも立派な社会貢献だし、そもそもが社会貢献なんてしないのも人の勝手。
他人のために金を使うなんてまっぴらごめんで、そんな金があったら1円でも自分たち家族がうまいものを食うために使うとか、自分が風俗やパチンコに使うとかでも誰に文句を言われることでもないと思う(※パートナーからの文句を除く)。
誰だって自分の好きなように生きるだけだし、当然自分の好きなように時間やお金や労力を使うだけ。その生き方が違うだけ、その使い方が違うだけ。で、たまたま僕は対人恐怖だから風俗こわいとか、引きこもりだからおしゃれな服もいらないとか、舌も貧乏育ちのバカ舌だから食べられればなんでもおいしいとか、遊ぶ友達もいないとか、そういういくつかのかわいそうすぎる個人的理由によって、そんなお金や時間があったら(お金はないんだけど…これからがんばる予定なんだけど…)薬がないとか食べ物がないとか学校がないとかで困ってる子供のために使えたらいいなあと思っているだけ。
もし将来的に本当にそんなふうにお金を使えたとして、「国内にも問題はたくさんあるのに外国のことに金や時間を使うお前は偽善者だ」とか言われたらマジでこめかみと言わず頸動脈ブチ切れるしそいつを絶対血の海に沈めてやる!(僕の血で)
もちろん自分の国だろうと外国だろうと片っ端から無尽蔵の資金を募金や寄付できればいいけどそんな現実味のない話をしても仕方がない。できる範囲のことで自分なりに最大限効果的に生きたいと思っているという意味ではビル・ゲイツだろうとウォーレン・バフェットだろうとマザー・テレサだろうと一文無しのキノコだろうと変わらないはずなんだよ!(最後の奴めっちゃ説得力弱い)
というわけで、いくらマザーテレサが立派な人だろうと偉大な人だろうと、なにを言っても正しいってわけじゃないと思うし、「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」っていうのはいくらなんでも言いすぎだし違うだろ!マザーテレサのバカ!っていう話でした。
マザーテレサはやっぱり愛の名言が一番素敵
※本記事はあくまで多分マザーテレサが一時的にボケるかどうしようもないバカになってしまっている状態で発してしまったのであろう失言を取り上げて激おこぷんぷん丸しただけの内容であり、マザーテレサの偉大性をなんら損なう意図はございませんことを申し上げておきます。
このままだと近代の偉大な聖女をひたすら生意気なクソキノコがババア呼ばわりしただけの目も当てられないことになるので最後に個人的に好きなマザーテレサの言葉をいくつか貼っておきます。
暗いと不平を言うよりも、自ら進んで明かりを灯しなさい。誰かがやるだろうということは、誰もやらないということを知りなさい。
神は読んだ本の数や、立てた手柄の数など問いません。ただ、あなたが天のもとで、自分を精いっぱい生かしたかを問うだけです。
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。
大切なのはどれだけ沢山のことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。
愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです。
今、この瞬間幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
やっぱりマザーテレサは人を断罪するような言葉より愛の言葉のほうが素敵ですね!おしまい。