満を持したシニアデビュー直後に起きた東日本大震災。
'10年世界ジュニア選手権で優勝すると、翌シーズンはいよいよシニアにデビュー。'11年の四大陸選手権は2位と活躍した。ところがその1カ月後の3月、大好きな仙台の街は、東日本大震災に見舞われる。ホームリンクは営業停止になった。
羽生は再開までの4カ月間、練習場所を求めて30以上のアイスショーを転々とし、ショーの合間に練習をした。不安なジプシー生活ではあったが、逆境をむしろ力に変えた。仙台では常に自分がトップ選手だが、無良や小塚、織田といった世界トップの男子と一緒に練習ができる。無良と4回転のジャンプ競争をしたり、小塚のなめらかなスケーティングを見たりと、羽生はすべてをプラスに捉えた。日本男子の層の厚さが、羽生が立ち直るパワーになった。
勢いづいた'12年3月の世界選手権では、渾身の演技で銅メダルを獲得。その後、より高みを目指そうとトロントへ拠点を移す。海外の選手に視点を向けると更に飛躍的な成長を遂げ、'12年、'13年と全日本選手権の連覇を達成した。
「追い込まれた状況だったからこそ、僕は成長できた」
そして迎えたソチ五輪。日本スケート連盟の強化策が成功し、高橋、町田といったメダル候補とともに出場した。メディアの取材が羽生1人に集中しないため、高橋と町田が記者会見をする裏で、羽生自身は身体のケアをするなど、上手にペースを保つことが出来た。
ショートでは圧巻の演技で101.45点と世界レコードを記録。フリーはトップ選手全員がミスを連発するという展開のなか、ミスを最小限に留めたことで、パトリック・チャン(カナダ)を凌いだ。2月14日、わずか19歳で五輪の金メダルを獲得した羽生は、その勝因をこう振り返った。
「やはり日本男子シングルがものすごくレベルが高くなっていて、どのようにしてまずオリンピックの切符を勝ち取るかという状況でした。自分を高めなければならない状況になった時に、人はやはりすごく練習し努力する。追い込まれた状況だったからこそ、僕は成長できたと思います」
そして、金メダルへの思いをこう語った。
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