無駄なものを完全に省いていったらどうなるのか、真剣に考えてみた - 灰色の棚
こんな、ネタ記事を書いた。
上の記事はネタだが、無駄を切り詰めて切り詰めて、残るものはなんだろうと思う。
何も残らないのではないかな、と思う。
逆に、日常の「無駄に見えるもの」にフォーカスを当ててみたら。
それは、本当に必要のないものだろうか。考えてみたい。
本当に、無駄?
無駄というと、いらないものと捉えられるが、それだけではないかもしれないと思う。
でも、その無駄、本当にいらないものですか?
無駄を切り詰めたがために、余裕がなくなる場合もある。
余裕が無いと、物事を楽しめないのではないかと思う。
無駄だと思うことでも、続けているならば、そこに理由がある場合は多いと思う。
普段見えていなくても、意味が全くないのならば続かないのではないだろうか。
世の中、無駄だと思えばなんだって無駄だ
この世の中で、絶対に無駄でないものはなんだろう。
万人に常に無駄でないもの、あるだろうか?
正直、世の中に絶望していたら、なんだって無駄だ。
自分の人生が無駄だと思ったら、無駄じゃないものは見つからないこともある。
意味を見出すのは、自分自身だと思う。
なんでもかんでも、それは無駄だと決めつけて切り捨てるのは、やめたい。
無駄だったことに、意味をもたせる楽しさ
いらなさそうなことでも、見方を変えれば意味が生まれることもある。
娯楽と呼ばれるものには、そういう面が多い気もする。
小説だって、マンガだって、映画だって、アニメだって、ゲームだって、なんだって。
いらないといえば、いらないのだ。
でも、それに意味がもたせられるかもしれない。
そこに、面白さがあるように思える。
何でもかんでも最初から無駄だと決めつけない
あなたにとっては無駄でも、誰かにとっては意味があるかも知れない。
自分にはいらないと思うのは、別に構わない。
だが、人から取り上げてしまうのは、よくよく考えてからにするべきではないだろうか。
どう考えても無駄なこと、どう考えてもゴミなもの。
それでも、背景があれば。物語があれば。意味がある場合だってある。
初めて作り上げた、完成度も低くて、価値は見出しにくい作品でも。
初めて作ったというだけで、意味があるのかもしれない。
それを、取り上げて捨ててしまったら。大きなダメージを残すかもしれない。
そういうことも、ありうるのです。
無駄を無駄と思うか否か
同じものでも、何を学ぶか、どう意味をもたせるかは人それぞれなはずだ。
それらは押し付けられるものではない。
人から何かを奪う場合は、慎重に。
相手が子どもだったり、自分に逆らいづらい立場な場合は、特に慎重に。
自分に意味が無いものと、他人に意味が無いものを同一視する場合を見かける気がするので、考えてみました。
ちょっと途中で方向がずれた気もするけど。
無駄なものの中に意味を見出したい。
自分にとって無駄でも、他人にとっての意味を尊重したい。