そうしなければ食べて行けなくなるから、自分の気持ちを殺して、日々の生活に忙殺される。
現代人は忙しい。過去を振り返るヒマもなければ、自分の人生の余韻に浸る余裕すらない。インターネット時代になってからは特にそうだ。
人々は情報に追われて、同じところに立ち止まることが許されなくなってしまった。まるで家畜のように、ムチで追いやられているようにさえ見える。
忙殺されるというのはどういうことだろうか。
「忙」というのは「心を亡くす」と書く。忙殺されるというのは、心を亡くすということなのだ。心を失って殺される。それが忙殺されるという意味だ。
忙殺の中で生きていると、やがて自分を見失う。日常を生きていても、上の空になる。
自分が何者なのか分からなくなってしまう
自分を見失うというのは、自分が何者なのか分からなくなってしまうということでもある。
なぜ、自分はこんなことをしているのか、なぜ、こんなところにいるのか、分からなくなってしまう。
忙しさの中で身も心も疲れ果ててベッドに潜り込んだとき、どうして自分の人生はこうなってしまったのかと呆然とする日もあるはずだ。
自分を見失うというのは、そういうことである。誰かがあなたを忙しくさせるというのは、あなたを考えさせないということである。
さらに、自分を見失う原因がもうひとつある。
人は本来の自分の姿とは別に、社会的な仮面を付けて生きている。自分を手入れして、見栄えが良いように装い、笑顔の仮面などを付けて、演技しながら生きている。
だから、そんな仮面と演技の時間が長くなって、そこに忙殺されると、やがては自分が何者か、自分でも分からなくなってしまうのである。
自分を見失う……。
自分が何者か分からなくなる……。
自分が何をしたいのか分からない……。
そう思うようになると、心が壊れる一歩手前まで来ているということだ。
多くの人は何とか心のバランスを取り戻そうとして立ち止まるが、立ち止まる前に、忽然と心が壊れてしまう人もいる。限界を超えて、心身が破壊されてしまう。
自分を取り戻すには、忙殺から逃れることが重要だ
人は必ずしも今やっている仕事が、本当に自分のやりたいことではないことも多い。
生活の糧のために、仕方がなく今の仕事をしているという人が大半を占める。生きるとは、自分の思い通りにいかないことなのだから、まずはそこから人生が始まる。
そして、それに忙殺されると自分の心が壊れて行く。
心が衰弱してしまうと満たされない思いが募り、ひとりになって泣いてしまう人もいる。そんなときは、無理しないで、立ち止まらなければならないのである。誰かが止めて上げなければならないのだ。
それでも、忙殺というストレスを与え続けると、場合によっては心が壊れてしまう。そんなところにまで、自分を追い込んでしまってはいけない。手遅れになってしまう。
自分を取り戻すには、忙殺から逃れることが重要だ。どのみち、心が壊れたら否が応でも寝たきりになってしまう。
鬱病の人は部屋に引きこもってずっと横になっていることが多い。もう、精神疲労で何をする気も起きなくなって、横になっているしかなくなる。
だから、忙殺され、心が亡くなって手遅れになる前に、私たちは立ち止まらなければならないのだ。立ち止まるというのは、不要な時間ではない。重要な時間だ。
誰にも干渉されないひとりの時間を持たなければならない。本当に有能は人は、きちんとそんな時間を確保している。そうしないと心が壊れることを知っているのだ。
そして、ひとりになったら自分を取り戻すために何をしなければならないのか……。
追憶することによって、本来の自分を取り戻せる
自分を取り戻すというのは、自分の人生を改めて思い出すということである。つまり、自分の人生を追憶することによって、やっと本来の自分を取り戻せる。
なぜなら、過去こそが自分の原点だからである。
過去に戻って、自分の生きて来た軌跡を振り返る。子供の頃の躍動感を思い出す。若かった父や母を思い出し、子供だった自分の冒険を思い出す。
あの頃の人、あの頃のことを振り返り、「良い想い出」にどっぷりと浸らなければならない。
それが遠い過去なのか、近い過去なのかは、自分しか分からない。12歳が幸せが詰まった時代なのか、20歳の頃が幸せの時代だったのか、自分にしか分からない。
たくさんの想い出があるはずだ。好きだったテレビ、好きだったマンガ、好きだった音楽、好きだった小説を思い出さなければならない。
それが好きだったということは、それがあなたの原点なのだ。それによって、あなたは人格を形成していったのだから、それらはあなたの人生の欠片(かけら)なのである。
時代は変わり、人や街の光景も変わる。あの頃はもう戻らない。しかし、あなたの原点は「あの頃」にしかない。それを忘れてしまったら、それは永遠に消えてしまう。
それは、どんなに他愛のないものであっても、自分にとっては宝物のように大切なものであるはずだ。そして、その中に自分の本当の姿が隠されている。
その宝物はとても脆弱なので、忙殺された日々を送っていると、すぐに消えてなくなってしまう。
自分を見失ったと思ったら、思う存分、昔の楽しかった頃を掘り起こして、自分の内面に潜り込んで欲しい。
あるいは、自分の人生で一番楽しかったときに、自分が一番好きだった音楽を聴いたり、映画を観たり、小説を読んだり、マンガを読んだりしてみて欲しい。
見失った昔の自分が、きっとあどけない姿のまま、そこで待ってくれているはずだ。「待ってたよ」と、過去の自分が、今の自分に語りかけてくれる。過去の自分に会いに行って、手をつないで欲しい。
懐かしさでいっぱいになったとき、自分の原点を思い出す。そして、見失った自分はきっと取り戻せる。
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