ネットに大した意味は無いってわざわざ言わなきゃいけないってことは、ネットの影響力が高まりつつあるって事なのでは

ネットからいなくなっても変わりなく世界は回り続ける - あざなえるなわのごとし
読みました。

ネットにかまけてばかりいる自分には耳が痛い記事だ。仰るとおり、僕がネットから居なくなったとしても、ほとんど変わりなく世界は回り続けるだろう。悲しいなあ。

でも思ったんだけども、それは現実でもほとんど変わらないんじゃないだろうか。一人の人間が急に現実から消えてしまっても、2週間もすればいつもの生活に戻ってしまう。それまでと何も変わらないような生活。その人がいない生活が普通になる。

僕はまだ二十歳だけど、これまでに何度か、今まで普通に居た人が突然居なくなってしまう事があった。亡くなったり、本当に失踪してしまった人も居た。最初は皆おやっと思うし、その人が仕事なんかしていたら大なり小なり影響は出る。だから全く変わらずに世界が回り続けるということはないんだけど、それって程度問題でしかなくて、そのレベルを少し引き下げたぐらいの影響はネットでも出る。匿名掲示板から名無しさんの一人が消えた場合とかは誰も気がつかないだろうけど、Twitterとか個人が明らかなコミュニティでならそれくらいの影響はある。

現実よりもネットの方が影響の度合いが低いのは、ネットが現実の中の一部分に過ぎなくて、割かれるリソースも限られたものでしかないからだ。もしネットが全てという人のコミュニティがあれば、人が居なくなることはネットでも現実と同じだけの影響力を持つだろう。でもそんなことは仕組みとしてありえない。人は現実に生きている。

なんでまあ、誰に言われなくとも、ネットの影響力なんか大したことはない。もともとそういうもんだ。それでもあえて「君がネットから居なくなっても世界は変わらずに回り続けるんだよ」なんて事をいう人がぽつりぽつりと現れる。前々からそういうことをいう人は少なからず居たと思うけど、もしその割合が増えてきているとしたら、それはその分だけネットの持つ影響力も増してきているからなんじゃないだろうか。

そういうことが言われるのは、ネットに没入しすぎるのを牽制するためだ。牽制しなきゃいけないってことは、牽制するためのランナーが塁に居なきゃいけないわけで、その牽制の機会が増えてるってことは、それだけ出塁するランナーの数も増えてるってことになる。その出塁者がどこに走っているかっていうと、ネットの影響力を高める方向だ。んでもって、この場合牽制の成功率はそんなに高くないんじゃないだろうか。よく言われることだけど、大体の警句はそれを必要とする人のところにまで届かない。そうすると、徐々にネットの影響力は高まってくる。

現実を見てみても、10年前と比べれば本当にネットの持つ影響力は高まった。生活を占めるネットの割合が大きく増した。

それでも多分限界はあって、ある程度のところでネットの影響力も頭打ちする。多分その時は「君がネットから居なくなっても世界は変わらずに回り続ける」なんてことはあんまり言われなくなるんじゃないだろうか。この言葉を散見するうちは、その言葉を見る機会が高まるほど、それとは逆の方向に進んでいるんじゃないかなと考えた。

なんかあんまりいい未来が想像出来ないので、明るいSFを見たり読んだりしたいでござる。