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問題の作曲者詐称の人物、佐村河内守氏のドキュメンタリーを制作したのはNHKである。そのディレクター古賀淳也氏とNHK取材班による取材の記録をした本がこのNHK出版の『魂の旋律-佐村河内守』である。

この本を読むに連れ、私はこの本が震災によるPTSDを抱えた少女を作曲という虚構を背景に虐待とも言える行為を行った恐るべき記録であることを感じずにいられない。

これは人間の尊厳に対する冒涜である。

テレビ番組『NHKスペシャル・魂の旋律~音を失った作曲家』でも見られたが、佐村河内守氏は被災者のためのレクイエムを作曲するために被災者とコンタクトすることを想起し、3.11で母親を亡くした少女を見つけ、彼女に震災の話を聞くことにする。
佐村河内氏はNHKのスタッフと共に宮城県石巻市に向かう。
そこで彼らは少女が被災した現場へ連れてゆき、母の思い出を語らせるという行為に及ぶ。
もちろん、もうお分かりだと思うが作曲など行っていない佐村河内守氏にとってこれは全く意味のない行為である。

本書から引用してみよう。

辛い経験をした場所に子どもを連れて行き、話を聞くことに疑問を持たれる方もいると思います。後日、私も佐村河内さんにこの点について、ためらいはないのかと聞いたことがあります。佐村河内さんの答えは次のようなものでした。

「ためらいはないですね。話を聞かなかったとしても母親の希久美さんが帰ってくるわけではありません。その場所に行き、当時を思い出すことはとても苦しい ことだと思うし、残酷なことだと思いますけど、逆にちゃんと話を聞いてあげないといけない。僕は逃げることなく彼女の闇に向き合い一緒に背負いたい。その 覚悟があったから、彼女の気持ちを思うと辛かったですけど、迷わず聞くことができました。」
(古賀淳也『魂の旋律-佐村河内守』NHK出版、2013年、p81)

佐村河内守氏も古賀淳也氏もこの行動が「残酷」な行為だと理解している。にもかかわらず、レクイエムの「作曲」のためにその行動を正当化し、少女に被災地で亡くなった母親について語らせるという行為をさせるのである。
少女は子供である。
大人ではないのでこの大人たちを信じて促された行動へ素直に応じる。
彼女は判断能力が大人と同等ではない子供なのだ。

さらに本を読み進めると番組には出てこなかった件が出てくる。
石巻から自宅へ帰った佐村河内守氏は作曲に行き詰まり、もっとこの少女から話を聞く必要があると言い、彼女を再度連れ出して、今度は母親が亡くなった現場で話を聞き出そうとする。
古賀純也氏ははっきりとこの本に書いている。

私は真奈美ちゃんの身に起きるかもしれない、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のことも考え、母親が亡くなった場所に真奈美ちゃんを連れて行くことに戸 惑いを覚えました。しかし、私も、既に真奈美ちゃんは佐村河内さんに心を開いていると感じていましたし、佐村河内さんは真奈美ちゃんの思いを一切逃げるこ となく受け止めてきました。(中略)私は成り行きを見守ろうと思いました。
(前掲書p139-p140)

古賀氏ははっきりとこの行動が少女に精神的負担を与えることを認識しているのである。
仮に佐村河内守氏が本当に作曲を自身で行う芸術家であったとしてもこうした行為は許されるのであろうか。
私は激しい怒りを感じるのである。

結果として佐村河内守氏の作曲は別人が行っていた事が露見した。
彼は作曲のために苦悩などしていなかったのである。
にもかかわらず二度にわたって少女に対するこの無意味な行為を行った。
これは許されることではない。
もちろん、同行した古賀淳也氏もNHKスタッフにも重い責任があるのではないか。

少女はあるいは今回の騒動を知っているかもしれない。
テレビ番組で晒され、本で晒され、トラウマを抑えて亡くなった母の思い出を語らされたこの少女が今回の虚偽騒動を知れば更にトラウマを抱えるのではないか。

この本の持つ罪の大きさを私は考えて止まない。

この罪は、音楽家や企業、消費者を欺いた行為よりも重いのではないか。
被害者はトラウマを抱えた子供達なのである。

私はこの本を読むことで激しい怒りを感じた。
恐ろしい虐待の記録である。

佐村河内守氏はもちろんのこと、古賀淳也氏やNHKはこの問題についてはっきりと説明するべきであり、NHKは加担した行為について番組や本で欺かれた子供達やその家族に謝罪すべきである。

私のこの記述を読んだ方々もこの問題について是非、考えていただきたいと思う。

執筆:永田喜嗣