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坂本龍馬って人は生前当時は無名だった?
坂本龍馬って人は生前当時は無名だった?
ある番組で見たんですが、坂本龍馬は無名で死後37年ほどたってから名前が売れたとか?(昭憲皇太后の夢話)
歴史上でも28歳以前のことは明らかにされていないと聞いています。
大政奉還や薩長同盟など彼が実際に成し遂げたことなんでしょうか?
坂本龍馬が大好きだったのに、すごくショックです。
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- 質問日時:
- 2011/10/7 11:33:42
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- 解決日時:
- 2011/10/22 03:28:51
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ベストアンサーに選ばれた回答
tsmad_2さん
その「無名」の意味が、坂本龍馬は庶民には知られていなかったということなら、それは当たり前です。
坂本が生きていたころは、新聞も雑誌も、テレビもラジオも、もちろんインターネットもありません。知る手段がないのですから、庶民が知っているわけがありません。
それでも坂本の名前は、当時の日記や手紙によく登場します。大政奉還や薩長同盟に彼が関わったのは紛れもない事実ですし、史料の上からも、その存在がどれほどのものだったかは容易に想像できます。
ただし、ここで誤解していけないのは、幕末の政局は決して坂本龍馬を中心にして動いていたのではないということです。彼は幕末のある時期に大きな役割を果たした傑物ではありましたが、スーパーヒーローではありません。
- 回答日時:2011/10/8 01:06:38
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ベストアンサー以外の回答
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明治維新は人口の7%ほどの支配者階級の揉め事で、庶民のあずかり知らぬところで勝手に行われたものです。
ですから、坂本龍馬は一般に知名度はなかった。ただし、政局では名士の一人だったことは一次史料によって明らかです。
創作によって付与されたイメージを剥ぎ取り、等身大の人物像を浮かび上がらせるという何とかいう番組の趣旨は間違っていませんが、考証が間違ってたら意味なしです。迂闊に鵜呑みにしない方がいいでしょう。
特に明治16年の『汗血千里駒』から昭憲皇太后の「葉山の御夢」(明治37年)までの期間、全く話題にならない人物だったかのような描写は誤りです。
明治の歴史家が坂本を記述するために参照したのは『土藩坂本龍馬伝』という出来の悪い伝記だったと考えられていますので、私も坂本の人物像が正しい姿で広まったとは言いません。ただし、この時期も無名ではなかったことは断言できます。
私は坂本龍馬に関する伝説や誤解が、一般に慶応年間の政局の理解を阻む最大の障壁になっていると思ってます。これ以上誤解を招く安易な説の垂れ流しはやめてほしいですな。
- 回答日時:2011/10/12 13:29:25
「謎解き歴史ミステリー」という番組の話でしょうか。
この番組は『クレオパトラでもジャンヌ・ダルクでも歴史上の英雄のイメージは後世の人の都合によって作られる』という内容だったと思います。『坂本龍馬は元々は英雄ではない=無名』という解釈をするならそれは間違ってません。番組の趣旨は龍馬の役割を否定する事ではなく、後年の創作で被せられたイメージを指摘するものでした。
坂崎紫欄の「汗血千里駒」で自由民権的イメージ+幼少期は愚童であったが云々という大器晩成イメージが創作され、葉山の御夢で海軍の守護神、マルクス主義者だった真山青果の劇で反封建、平等主義者(単に有力者による会議の意であった“公儀”を民主主義的に解釈しアピール)である龍馬のイメージが付与され、司馬遼太郎作品でこれらを総合した印象に加え明治維新の立役者の様なイメージが作られました。しかしこれらは創作です。
要するに龍馬の死後日本に浸透した価値観を、龍馬が生前持っていたかのように考えられているという事です。
坂本龍馬の功績に関しては、維新に貢献した数多くの志士の中の一人だったと表現するのが妥当であると思います。土佐藩の影響力は薩長に劣り、土佐の志士の働きはサポート役が主なものです。大政奉還や薩長同盟なども同様。
龍馬は幕末後半にもなると確かに浪士集団のリーダー、倒幕派の仲介者として政治的には有名だったでしょう。しかし当然、創作に描かれるまでは庶民の間で知名度があったわけではありませんし、英雄でもありませんでした。
ようするにイメージを利用しやすい人物だったんですね。
龍馬は暗殺に参加した記録もあり実際は平和主義でも平等主義でも司馬作品で言う『当時、藩や日本を超え「世界」の視点で物事を考えていた唯一の日本人』でもありません。日本の独立を守るために働く気持ちが本物だったことは事実ですけどね。
- 回答日時:2011/10/12 02:46:43
人の言うことでおたおたせずに、本当に好きだと言うのなら
しっかり史料を中心にした本を読んでみることですね。
それと、テレビの番組を見て、おろおろしないことです。
ほとんどが、きちんとした史料をもとに作っているものでは
なく、数冊のそれも小説や伝記本(講談本)などを基本に
して作られたものが多いです。基本真実ではありません。
小説なども、かの司馬遼太郎の「竜馬がゆく」ですら、真実
ではありません。あくまでフィクションです。
薩長同盟は、筑前勤王党→中岡・土方→龍馬であり、
大政奉還は、横井小楠・松平春嶽・大久保一翁→龍馬→
後藤象二郎→山内容堂です。
けれど、どちらも龍馬の機を見る能力によって動いています。
様々な人の記録にも、龍馬の名が見られますから、当時と
しては名が知られていたと言ってもいいのではありませんか?
- 回答日時:2011/10/9 16:40:27
ica1354さん
そんなにガッカリしないでください(笑)
明治維新は有名無名無数の志士たちの屍の山の上に成し遂げられましたが
彼は幸いにして、その役割を果たせた中の一人だったと思います
慶応2年1月京都二本松薩摩藩邸における薩長の和解および薩長同盟が
維新に大きな影響を与えた事は間違いありませんし、此れに龍馬の力が
あったことも又間違いありません
ただ今に伝わる龍馬像は司馬遼太郎のベストセラー「竜馬がゆく」と戊辰戦争に
生き残った勝海舟の伝聞などが大きく流布されて、龍馬自身も照れくさい思いを
しているのではないかと思います
聖徳太子のイメージと同じく憧憬を持ちやすい素質があるのでしょうね
竜馬の事跡を語るときに影のように纏わりつくのが、慶応3年の暮れに京の
近江屋で彼とともに凶刃に倒れた中岡慎太郎の姿ですが、一度此の人物の
事跡も見てやってください
また新しい龍馬の発見と評価が、キット出来ると思いますよ
- 回答日時:2011/10/7 16:58:16
それはありません。当時を知らない現代人が知ったような事を言ってるだけで、当時関わった多くの人の手紙や日記、回顧録などが坂本龍馬が無名で無かったを証明しています。
「無名だった」と言ってる人は司馬遼太郎が「龍馬は忘れ去られていた」と書いた事を極解しているに過ぎず、他に何の根拠もありません。
司馬さんにしてみれば自分が小説で有名にしたという自負があったのでしょう。 しかしながら坂本龍馬を題材にした小説は日露戦争以前からあります。
昭和に入っては確かに司馬さんの影響は大ですので、司馬さん自身には「龍馬は忘れ去られていた」と言う資格はあっても無知な読者が受け売りで言う事ではありません。
浅知恵袋にも沢山いますが、龍馬は無名だったという輩に根拠を聞いてみなさいな。ありはしませんから。
ファンであるなら平尾道雄氏の「海援隊始末記」は読んでおきましょう。研究本ですが竜馬がゆくよりずっと前に出版されています。
- ケータイからの投稿
- 編集日時:2011/10/7 17:03:00
- 回答日時:2011/10/7 16:42:59