ロシア代表「ビクトール・アン」としてソチ五輪に出場したショートトラックの安賢洙(アン・ヒョンス)選手(28)の活躍を見ていると、以前の安選手の発言が意味深長に思えてきた。昨年、ロシアのメディアとのインタビューでのことだ。「ロシア国籍を取得した後、最もうれしかったことは何か」という記者の質問に対し、安選手はこう答えた。「銅メダルであれ、金メダルであれ、スタッフたちが皆喜んでくれて、仲間の選手たちも皆祝福してくれる。そんな姿がとても心地よい」
韓国はそうではないという趣旨なのだろうか。メダルを取っても、仲間の選手たちが祝福してくれないということなのだろうか。
考えてみれば、思い当たる節は一つや二つではない。大韓スケート連盟が、韓国体育大学出身者とそうでない者の派閥争いで悪名高いことは、つとに知られた事実だ。両派閥に属するコーチや選手たちが別々に練習を行い、食事も別々に取るほどだ。レースではほかの派閥に属する選手が負けるよう、互いにけん制し合うといううわさも絶えない。韓国代表時代の安選手も深い悩みを抱えていたことだろう。2006年の世界選手権直後、安選手は「派閥争いがあまりにも激化し、選手たちが被害に遭っている」と打ち明けた。
安選手の「祖国脱出」を全て派閥争いのせいにすることはできないだろう。一時期けがで苦しんだことや、所属していたチーム(城南市役所)の解散などといった幾つもの複雑な事情があったように思う。だが、スケート界や韓国社会がもっと配慮し、大事に扱っていれば、結果は違っていたかもしれない。安選手の父親は「スケート連盟が(安選手を)引き止めるどころか、盛りの過ぎた選手として切り捨てた」と打ち明けた。その結果、韓国が生んだ傑出した氷上の英雄が、ロシア代表のユニホームに身を包み、祖国の選手とメダル争いをするという、おかしな状況が展開されることになった。
韓国と日本を行き来しながら活動している格闘家の秋山成勲(韓国名:秋成勲〈チュ・ソンフン〉)氏(38)は、父親が立派な人物だったようだ。在日韓国人4世として大阪で生まれ育った秋山氏は、20代半ばまで韓国国籍だった。日本社会で韓国国籍のまま暮らしていくことがどれだけ大変なことか、知る人は少なくない。秋山氏は柔道の師範だった父親の意を受け、韓国代表としての五輪出場を目指した。24歳のとき韓国に来て、釜山市庁柔道部に入り、韓国代表選考会に臨んだ。だが、不可解な判定により、代表に選ばれることはなかった。