過去問が解けても仕事はできない
中高大と、ずっと受験勉強に追われ、ずっと与えられた過去問題を解くだけで、自分のやりたいこともできず、見つける時間もなかった子が、いざ社会に出たときに自分でやりたいことを見つけることは難しい。
与えられた課題を効率よく処理することはできるようになるかもしれないが、自分で課題を見つけたり、提案したり、企画を立て、人を動かし実行する力は育たないだろう。
実際、有名大学を出たエリートのはずなのに、会社に入るとまるで役に立たないという人の話はよく聞く。わたしの知っている出版社のベテラン編集者も、「学歴はきらびやかだが、企画を考える力のない人が多い」と嘆いている。一般の企業でも同じだろう。
子ども時代に何かに熱中したり、遊んだりした経験がないと、自発的に関心や興味を抱いて、実行する力が育ちにくい。親がいくら「職業の選択肢を広げる」ことを金科玉条のごとく考えても、当事者に選択の動機がなければ猫に小判だ。
昨年の話でこういう例がある。小学校6年生の子が博物館で開催されているインカ・マヤ・アステカ文明展を見に行きたいと言ったが、親は「そんな時間があるなら、過去問をやりなさい」と行かせなかったそうだ。
もし、展覧会に行っていたら、その子は古代文明への関心を自分の中で大きく育てていくことができただろう。もちろん、その分野の研究者になるとは限らないが、一時期でも自分が熱中した経験はその子の中に宝として残る。何かに熱中して自分で深めることのおもしろさを味わい、その方法も身に付けるだろう。
このような自ら伸びる芽をつみ取り続け、小中高大学というように子どものころから受験受験で追いまくり、やりたいこともやらせずに育て続けて、成長した暁に「なんでもやれるよ。何を選んでもいいんだよ」と言っても、もう遅い。
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