佐村河内守
佐村河内 守 | |
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基本情報 | |
出生 | 1963年9月21日(50歳) |
学歴 | 崇徳高等学校卒業 |
出身地 | |
ジャンル | クラシック |
担当楽器 | プロデュース(かつては作曲とされていた) |
共同作業者 | 新垣隆 |
佐村河内 守(さむらごうち まもる、1963年9月21日[1] - )は、かつて作曲家を自称していた日本の人物。広島県出身。
聴覚障害を持ちながら「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などを作曲したとして脚光を浴びたが、2014年2月5日、自作としていた曲がゴーストライターの代作によるものと発覚[2](「ゴーストライター問題」の項を参照)。聴覚障害の程度についても疑義を持たれている[3]。
目次
経歴
1963年9月21日、被爆手帳を有する両親の元に生まれた[4]。
1988年2月、佐村河内は「津軽恋女」(新沼謙治)などで知られる作曲家で音楽プロデューサー大倉百人(おおくら もんど)[5]にデモテープを渡した。佐村河内は当時派手なアクションでオリジナル曲を歌っていた。大倉は「声はいいものがある」と評価、「第2の矢沢永吉」とのキャッチフレーズで、5月30日にはデビューに先立ち、レコード会社9社を集めて“競り”と称したファーストライブを行わせた。大倉はその後2 - 3社に契約を持ちかけたが、ちょうどその頃、佐村河内の弟が事故死したことや、大倉自身が佐村河内の「虚言癖」に気づいたこともあり、同年夏頃には大倉のほうから接触を断った。1988年5月31日のサンケイスポーツ紙面には、佐村河内の「国内では目標にする人はいません。いまの日本のロックにないパワーを見せたい」という言葉が掲載されている[6][7]。この年、佐村河内は結婚し、広島から横浜へと転居している[8]が渡された[9]
1994年、自伝によればこの頃、左耳の聴力を失う。
1996年、新垣隆(にいがき たかし)が佐村河内のゴーストライターとして曲を作り始める。新垣は「佐村河内の曲は全て自分が担当したと認識している」と述べている[11]。ただし、佐村河内は新垣隆と出会う前にNHK「山河憧憬」(1994年放送)の音楽を担当した過去がある [10]。
出会いは当時、シンセサイザーを使って簡単な作曲をしていた佐村河内が、映画『秋桜』の音楽の仕事を依頼されたことに始まる。1996年夏、アシスタントを探していた佐村河内は、自身がシンセサイザーで作った「短いテーマ曲」を新垣に渡して、「これをあなたにオーケストラ用の楽曲として仕上げてほしい。私は楽譜に強くないので」と頼んだ。佐村河内は「この作品はぼくの名前で発表したい。君の名前は演奏家としてクレジットするし、将来必ず引き上げるから、しばらく協力してほしい」と言ったという。この曲は「佐村河内が制作予算を無視して約二百万円もの自腹を切り」、「大学で集めた学生オーケストラに演奏させて録音」させた。「一つの作品ができると、それを持って別の映画会社、ゲーム会社、テレビ局等に売り込む。取ってくる仕事は、確実にレベルアップしたものになって」いったという[10]。
1997年5月、映画『秋桜』公開。
1999年1月、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」の担当が決定。自伝によれば、この年の2月に「全聾」となる。
2001年1月、ゲーム『鬼武者』と、「交響組曲ライジング・サン」を含むサウンドトラックが発売される。聴覚障害をはじめ、抑鬱神経症、不安神経症、頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎など、自らの障害や持病について公表。頭鳴症については「常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない」としていた。長らく聴覚障害を隠していた理由については「耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。それだけはどうしても避けたかったのです」「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」[12]と説明した。9月、アメリカの雑誌『TIME』に「現代のベートーベン」と紹介される。
2002年1月21日、横浜市から身体障害者手帳(第1種2級)の交付を受ける[13]。
2003年秋、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』が完成。佐村河内は新垣に200万円の報酬を支払う。しかし、曲が長すぎたために長い間、どこにも発表されなかった[10]。また、当時は「HIROSHIMA」の副題はなく、この副題は2011年のCD発売の際につけられたものである[14]。
2005年8月、『交響曲第2番』が完成。
2007年11月、自伝『交響曲第1番』(講談社)が発売。
2008年9月1日、広島市の広島厚生年金会館ホールで行なわれた「G8議長サミット記念コンサート〜ヒロシマのメッセージを世界に〜」にて交響曲第1番の第1楽章と第3楽章が広島交響楽団により世界初演される。同年、広島市民表彰(市民賞)を受賞(ゴーストライター問題発覚後取り消された)[15]。TVディレクターの古河淳也が取材を行い、『筑紫哲也 NEWS23』(TBS)で紹介される。
2009年、交響曲第1番は芥川作曲賞の選考過程で審査員である三枝成彰が推すも最終候補とならなかった。
2010年4月4日、大友直人指揮の東京交響楽団により、交響曲第1番《HIROSHIMA》(広島初演版による改訂版)の第1楽章と第3楽章が東京芸術劇場で演奏された。
2010年8月14日、秋山和慶指揮の京都市交響楽団により、交響曲第1番全曲版が京都コンサートホールで演奏された。
2011年4月11-12日、交響曲第1番全曲の録音をパルテノン多摩で行う。曲が複雑なため、録音にあたってはライブ録音ではなくセッション録音を選択。クラシックでは近年、コストの少ないライブ録音が主となっており、日本コロムビアのクラシック録音としてはこの10年かけたことのない金額が必要だったという。録音初日の2011年4月11日には東日本大震災の最大級の余震が発生[16]。7月にCD「交響曲第1番HIROSHIMA」が日本コロムビアより発売。
2011年、映画『桜、ふたたびの加奈子』の音楽を「佐村河内守」名義で担当することが決定[17][18]。
2012年1月、CD「シャコンヌ〜佐村河内守弦楽作品集」が日本コロムビアより発売。6月25日、ヴァイオリニストの大谷康子らが「無伴奏バイオリンのためのシャコンヌ」を演奏する[19]。
2013年3月10日、石巻市立湊小学校の体育館で「ピアノのためのレクイエム」を初披露[20]。自身の弟子で「義手のヴァイオリニスト」として知られる“みっくん”に「ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調」を提供[21]。
2013年3月31日、佐村河内守を特集したNHKスペシャル『魂の旋律 〜音を失った作曲家〜[22][23]』が放送される。2008年以来の仲であるディレクター古河淳也の企画である。番組では『交響曲第1番』の成功、聴力を失った「苦悩」(のちに詐称問題へ発展[24])、東日本大震災の被災者へ向けたピアノ曲「レクイエム」制作に至る経緯などが紹介された。この番組が反響を呼び、交響曲第1番のCD売上がオリコン週間総合チャートで2位を獲得[25]。
2013年4月26日、『中居正広の金曜日のスマたちへ』で佐村河内守特集が放送される[26]。CDは売上を伸ばし続け、2013年5月時点で10万枚を記録するヒット作となった[27]。
2013年6月15日から、「交響曲第1番HIROSHIMA」全国ツアーが開始。
2013年8月17日、大友直人指揮の東京交響楽団による演奏会で、交響曲第1番に先立ち「弦楽のためのレクイエム・ヒロシマ」(合唱版を編曲したもの)が世界初演された。10月、CD「佐村河内守:鎮魂のソナタ」が日本コロムビアより発売。
2013年10月、雑誌『新潮45』に、佐村河内は本当に全聾なのかと疑問を呈する記事が掲載される。
2014年2月5日、『週刊文春』の暴露記事を送られた佐村河内守が弁護士を通じて関係各所に謝罪したことから、ゴーストライター問題が発覚。2月6日、『週刊文春』発売。
人物
外出時に「光を避けるため」としてつばの広い帽子とサングラスを着用していた。ポップ・ミュージックに対して否定的ながら、ドアーズは例外としている[28]。
プロダクションでのプロフィールは次のようになっていたが、信憑性は極めて低い。「ゴーストライター問題」の項を参照。
- 4歳で母親からのピアノの英才教育が始まり、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなして「もう教えることはない」と言われた。以後は作曲家を志望。中高生時代は楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳で原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高校卒業後は現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学んだ[29]。
ゴーストライター問題
新潮45に全聾への疑惑が掲載
2013年10月、新潮社発行の月刊誌『新潮45』11月号において、「佐村河内は耳が聞こえているのではないか」という疑惑が出た[30]。ゴーストライターとして佐村河内作品の作曲を行っていた新垣隆(にいがき たかし)は、これを機に佐村河内との関係解消を申し入れた。佐村河内からは「夫婦で自害しお詫びしようと思います」と電子メールが来た。佐村河内は自殺をほのめかしつつ作曲の継続を訴えたが、新垣は最終的に事実を公表することにした[31]。フィギュアスケート選手の髙橋大輔がソチオリンピックのショートプログラムで、自作の楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用することを知り、「このままでは高橋選手までもが佐村河内の嘘を強化する材料になってしまう」と懸念したからである[32]。
週刊文春で作曲者・新垣隆が告白
2014年2月2日頃、新垣隆が佐村河内との関係を告白した文藝春秋発行の週刊誌『週刊文春』の記事が、佐村河内に送られた[33]。2月6日、「全聾の作曲家佐村河内守はペテン師だった!」という記事を載せた『週刊文春』が発売された[10]。これに先立ち2月5日、佐村河内は「交響曲第1番《HIROSHIMA》」や「ヴァイオリンのためのソナチネ」などの主要な楽曲が、別の作曲家によって作られたものだと代理人の弁護士を通じて明かした[34]。佐村河内自身は実際の作曲者が誰なのかを明らかにせず、「(実際に作曲した)人物の側にも作曲者として表に出づらい事情がある」としていた[35]。しかしこれは虚偽で、翌日会見を開いた新垣は「(そのような事情は)特段ありません」と語った[36]。佐村河内は2月5日NHKの取材に対し、「1996年ごろ初めて映画音楽の作曲依頼を受けたが、耳の状態が悪くなり、半分以上を別の作曲家に作ってもらったのがきっかけ」と語っていた[37]。これについても新垣は、「佐村河内は普通に会話ができ、譜面についてはそもそも書けない」と証言する。
作曲者・新垣隆の記者会見
2014年2月6日午後、新垣隆(当時桐朋学園大学非常勤講師)は記者会見を開いた[38][32][11]。新垣は佐村河内の代作を18年間行っていたことを明らかにした。
以下はその要旨。
- 佐村河内の曲は全て自分が担当したと認識している。他にゴーストライターはいないと思っている。
- 佐村河内の耳は聞こえており、通常の会話で自分の要求を新垣に伝えていた。ときには新垣が作曲し録音したものを佐村河内に聴かせ、やり取りをしていた。
- 杖は使っていないときもあった。
- CDの解説にある佐村河内との出会いのエピソードはほとんどが嘘である。
- 佐村河内のピアノは非常に初歩的なレベル。楽譜も全く書けない。
- 佐村河内は図表[11]や言葉で曲のイメージを伝えてきた。図表などの指示がない場合もあった。
- 後にこの図表については、佐村河内の妻の母が「あれは娘の字です」と証言したが、佐村河内は自分の書いたものであると謝罪文の中で強調した。
- 佐村河内はプロデューサーのような立場だった。佐村河内のアイディアを新垣が曲にして、佐村河内は自分のキャラクターを作って世に出した。
- 報酬は18年間で20曲以上作って720万円であった。
- 「交響曲第1番《HIROSHIMA》」は、最初「現代典礼」というタイトルで作曲者が書いたものを、数年後に佐村河内が「HIROSHIMA」と名づけた。
- 「佐村河内の愛弟子」とされる先天性四肢障害の少女“みっくん”がマスコミでクローズアップされていたが、少女の家族は佐村河内の虚偽を知らなかった。
- この少女と新垣は、少女が4歳の時から知り合いだった。少女が「佐村河内の愛弟子」としてテレビに出たあと、少女の家族は佐村河内から無理難題を言われるようになった。このことを少女の両親が新垣に相談したことも、新垣が告発するきっかけになった[39]。
- 少女の父親が託したコメントによると、ここ1年ほど少女の家族は、佐村河内から「絶対服従」を前提とした従いがたい要求を出されるようになっていた。2013年11月「服従できぬ」と答えたところ激怒され、絶縁状態になった[40]。
佐村河内側からの反論
新垣の会見後、佐村河内の代理人弁護士は、「佐村河内が聴覚障害2級の身体障害者手帳を持っていることを確認した」「新垣の話す内容は唇の動きを見て理解していた」と話し、耳が聞こえているという新垣の証言を否定した。佐村河内本人の会見については、「憔悴しきっていて応じられる状態ではない」とした[41]。
佐村河内が直筆の謝罪文を公表
2014年2月12日未明、佐村河内は代理人の弁護士を通じて、マスコミ各社に直筆の謝罪文を送った[42]。以下はその要旨。
- 家族、新垣ら関係者やファンに向けての謝罪。
- 3年ほど前から体調によっては周囲の声や音をある程度聴きとれる。
- 聴覚障害については再判定を受け、場合によっては手帳の返納も考えている。
- 作曲の指示書については佐村河内の直筆であり、「娘(佐村河内の妻)の字」は義母の誤解。
- 佐村河内の両親は本当に被爆者であり、被爆者健康手帳を持っている。
- 代作についてはあくまで新垣との間の秘密で妻にも明かしていなかった。
- 新垣隆は週刊文春の記事中で「もしこのことが明らかになると私たち夫婦は死にます」という趣旨の手紙が「明らかに奥さんの筆跡」で、「奥さんも全てのからくりをわかっていた」と語っている。
- 妻が望むなら離婚に応じる。
- 弁護士にも真実を明かせず、決断に時間がかかり、謝罪が遅れた。
- 近いうちに公の場で謝罪する。
代理人の弁護士は、2月7日に佐村河内から「実は聴力が回復している」と打ち明けられたという。代理人が医師に見解を求めたところ、「限定的とはいえ、言葉が聞き分けられるまで回復する可能性は低いのではないか。原因が精神的なショックによるものであれば、そういう可能性もあるかもしれない」との説明を受けた[43]。
関係者の証言
佐村河内の妻の母は、『日刊スポーツ』などの取材に対し、16年間佐村河内夫妻と音信不通であることを明かした上で、交響曲第1番の指示書について「あれは娘の字です」と語った。また、「佐村河内は高校時代、娘の弟の友人を騙って娘に近づいた」「(佐村河内は1988年ごろ)通勤途中に自分の不注意でジーパンが破れたのに、会社にお金と代わりのジーパンを請求していたみたい。やはりあの子(佐村河内)はおかしいと思った」「15年前、(自分の)知人から『佐村河内は今、耳が聞こえない』と聞いた時、また嘘をつき人をだまそうとしているんだと直感した」「佐村河内の家にはピアノがなく、曲を作れる子でもなかった」「違う人が作っていると確信していた。いつかバレると思っていた」と語った。娘(佐村河内の妻)に対しては「早く離婚して広島に戻ってきてほしい」、ゴーストライターであることを告白した新垣隆に対しては「感謝しています。勇気のいることだったと思う。会ってお礼を言いたい」と述べた[44]。佐村河内の妻は、幼少期からピアノを弾いていたいう[45]。
週刊誌『AERA』は、2013年6月にインタビューの掲載を見送った経緯を明らかにした。インタビュー取材終了後、帰りのタクシーが到着してインターホンが鳴った際に即座に立ち上がって「来ましたよ」と言うなどの振る舞いがあったため、取材後に複数の関係者に確認したところ作曲能力や聴覚障害への疑念が生じ、掲載を見送ったという[46]。
音楽評論家の鈴木淳史は問題発覚直後の2014年2月6日に、新垣隆が作曲していたことを「ある時期から知ってました」[47]と表明し、交響曲第1番を賞賛していた許光俊には「2年くらい前に簡単に伝えました。彼は『作品自体を評価すればそれでいいのだから』というスタンスなので、そういった情報に格別に動揺もなかったようでしたが」[48]と述べた。
影響
この問題が発覚したのち、予定されていたコンサートは全て中止[49]、インタビュー記事を掲載した月刊誌「家庭画報」最新号が新規出荷を停止[2]、レコード会社の日本コロムビアがCDの出荷やインターネット配信を停止[50]、自伝『交響曲第一番 闇の中の小さな光』も絶版となる[51]など各方面が対応に追われた。
また、前述のように髙橋が「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用していた問題では、オリンピック開幕の約1週間前に対応に追われる事態となったが、髙橋サイドは「ショートプログラムの曲は変更せず、そのまま使用する」ことを決断し、関西大学オフィシャルサイトを通じて明らかにした[52][53]。なお、この件に関して日本スケート連盟が国際スケート連盟に対して「ヴァイオリンのためのソナチネ」作曲者の氏名を削除する手続きを取ったことを公表している[54]。国際スケート連盟は、「(選手使用曲の)作曲者の氏名を明示しなければならないというルールはない」として、「ヴァイオリンのためのソナチネ」をオリンピックにて使用することは問題ないとしている[55]。
同月6日、広島市が2008年に授与した「広島市民賞」を返上する意向が佐村河内の代理人の弁護士を通し伝えられ、同日、賞の取消が決定された[56]。翌日、公告が掲示され、表彰状の返還を求める通知文が送付された[57]。
福島県本宮市では、佐村河内に市民の歌「みずいろのまち」の作曲を依頼し、2014年1月中旬に作品を受け取っており、東日本大震災3年の追悼式典で発表される予定だったが、この問題により曲を破棄することとなった(ただし、この曲については代作であるかどうかは確認されていない)。作曲の報酬200万円は予算として計上されているが、支払われない方針である。なお、歌詞については一般公募であるため、別の作曲家に新たな曲を依頼することが検討されている[58][59]。
日本レコード協会は2月7日までに「佐村河内守」名義でヒットしたCD「交響曲第1番 HIROSHIMA」について、発売元である日本コロムビアからの申し入れを受け、出荷枚数10万枚を超える作品に与えられる「ゴールドディスク」認定を取り消した。過去に遡っても殆ど前例が無く、日本コロムビアは「CDを出荷停止していることに加え、社会的影響の大きさを考慮した」と辞退申し入れに至った理由を説明している[60]。この曲を初演した広島交響楽団は、2014年5月に予定されていた山口での演奏を中止することを決定し、同楽団の関係者は「もう演奏できない曲になってしまった」と遺憾の意を表明した[56]。
「佐村河内守」名義の作品
佐村河内のゴーストライターであった新垣隆は、1996年頃から佐村河内の代作を始め、「佐村河内の曲は全て自分が担当したと認識している」と述べている[11]。
2014年2月5日、日本音楽著作権協会(JASRAC)が「権利の帰属が明確になるまで作品の利用許諾を保留」したため、これが解決するまでJASRAC管理作品については演奏や放送ができない[61]。
- 鬼武者《交響組曲ライジング・サン》献呈=横山勝也
- 中村鶴城・琵琶リサイタル委託作《詩曲 天の川 琵琶歌と十七弦箏のための》(10分)
- 二胡と管弦楽による《劇音楽のための主題曲と変奏曲》(17分)
- 《子供のためのピアノ小品》(25分)献呈=某障害児施設
- 《交響曲第1番》(74分)献呈= しおり
- 《ヴァイオリンのためのソナチネ嬰ハ短調》
- ピアノ幻想曲《ジ・エターナル》(27分)
- 《ピアノ・ソナタ第1番》(36分)献呈= 持田正樹
- オルガン組曲《アシュリー》(14分)献呈= アシュリー・ヘギ
- 和楽と管弦楽のための《死霊I - IX》(全270分)
- 《交響曲第2番》(110分)
- ピアノのための《死霊・第1章》(13分)
- 《無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ 》
- 《弦楽四重奏第1番》(32分)
- 《弦楽四重奏第2番》
- NHK『五木寛之 21世紀・仏教への旅』献呈=五木寛之
- 二管編成の音楽《ヒロシマ》(22分)献呈=原爆被爆者
- 《交響曲第3番》2007年当時制作中
- 《CRASH MIND TOWER》
- 《左手のためのピアノ小品〈MIKU(1)〉》
映画音楽
- 『秋桜(cosmos)』 - (1997年、監督:すずきじゅんいち)
- 『六悪党』 - (1997年、監督:ラサール石井)
- 『桜、ふたたびの加奈子』 - (2013年4月、監督:栗村実)
ゲーム音楽
テレビ音楽
- NHK『山河憧憬』(チベットゴングと尺八のための幻想組曲Op.75)
吹奏楽
ディスコグラフィー
CD
- 『バイオハザード・シンフォニー』(セルピュータ、1998年8月21日発売)
- 『「鬼武者」 オリジナル・サウンドトラック / 交響組曲「ライジング・サン」』(指揮:新垣隆、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団他)(セルピュータ、2001年1月11日発売)
- 『交響詩「ローマの祭」』(「吹奏楽のための小品」を収録)(指揮:小澤俊朗、演奏:神奈川大学吹奏楽部)(CAFUAレコード、2007年5月23日発売)
- 『饗宴XI』(「吹奏楽のための小品」を収録)(指揮:小澤俊朗他、演奏:神奈川大学吹奏楽部他)(ブレーン、2008年5月20日発売)
- 『交響曲第1番《HIROSHIMA》』(指揮:大友直人、演奏:東京交響楽団)(日本コロムビア、2011年7月20日発売)
- 『シャコンヌ~佐村河内守 弦楽作品集』(演奏:大谷康子、藤井一興、大谷康子弦楽四重奏団)(日本コロムビア、2012年1月18日発売)
- 『「火の鳥」 東京佼成ウインド・オーケストラ・ライヴ』(「祈り」を収録)(指揮:飯盛範親、演奏:東京佼成ウインド・オーケストラ)(日本コロムビア、2013年5月22日発売)
- 『REQUIEM“HIROSHIMA” 4声ポリフォニー合唱曲(CD付き)』(指揮:栗山文昭、合唱:合唱団 響)(全音楽譜出版社、2013年10月13日発売)
- 『鎮魂のソナタ』(演奏:ソン・ヨルム)(日本コロムビア、2013年10月23日発売)
- 『氷上のクラシック』(「ヴァイオリンのためのソナチネ」を収録)(演奏:大谷康子、藤井一興)(日本コロムビア、2013年10月23日発売)
DVD
- 『佐村河内守:魂の旋律〜HIROSHIMA×レクイエム』2013年8月 (「交響曲第一番」、「ピアノのためのレクイエム」収録)
著書
- 『交響曲第一番』 講談社、2007年10月31日。ISBN 978-4-06-213935-9。[62]
- 『交響曲第一番 闇の中の小さな光』 幻冬舎〈幻冬舎文庫 さ-35-1〉、2013年6月3日。ISBN 978-4-344-42042-7。 - 佐村河内 (2007)の再刊[63]。
- 『REQUIEM"HIROSHIMA" 4声ポリフォニー合唱曲』 佐村河内守 作曲、松居弘道 英訳、全音楽譜出版社、2013年10月。ISBN 978-4-11-734001-3。 - 付属資料:9頁、28cm+録音ディスク(1枚 12cm)。
メディア出演
- NHKスペシャル 魂の旋律 〜音を失った作曲家〜 [22](2013年3月31日、NHK)
- めざましテレビ(2013年4月11日、フジテレビ)
- 中居正広の金曜日のスマたちへ(2013年4月26日、TBS)
NHKスペシャル 魂の旋律 〜音を失った作曲家〜
- 2013年3月31日、NHKによるこの放送がブームの火付け役となった。企画は2012年ごろ、フリーのテレビディレクター古賀淳也によりNHKへ持ち込まれた[64]。番組中では作品の構想が浮かばず苦悩する佐村河内の姿や障害者や東北大震災の被災者と佐村河内の交流などが描かれ、薬の飲み過ぎで立つことすらできずに床を這いまわるシーン、あるいは東日本大震災の被災者名簿を見たあと深夜の公園で一人苦悩し風速10m、零下2℃の海辺に6時間佇み、さらに2日間全く寝ずに闇の中からやっとつかみ取った旋律が「ピアノのためのレクイエム」になったなどと紹介された[22]。
- 2014年2月2日、代作との情報が寄せられ、NHKが4日に本人に確認したところ、事実を認めたため、NHKは2月5日のニュース番組中で「取材や制作の過程で、本人が作曲していないことに気づくことができませんでした」と謝罪した[23][64]。これに伴い、NHKオンデマンドでの配信も停止された。
関連文献
- 佐村河内守「〈インタビュー〉(株)カプコンの新作ゲームソフト「鬼武者(仮)」における交響組曲「RISING-SUN」のxrcdマスタリングについて」、『放送技術』第52巻第8号(通号 627)、兼六館出版、1999年8月、 976-980頁、 ISSN 0287-8658。
- 「【インタビュー/全聾の作曲家に聞く】 我が人生の挑戦」、『月刊致知』2008年11月号、致知出版社、2008年10月。
- 「シリーズ人間 聴覚なき作曲家・佐村河内守 轟音の彼方に光の音が聞こえる──」、『女性自身』2010年8月10日号、光文社、2010年8月。
- 林田直樹「[佐村河内守インタビュー「音楽との対峙に求めるもの」「僕にとってはベートーヴェンが心の師です」」、『intoxicate』第93号、タワーレコード株式会社、2011年8月20日。
- 「闇から紡ぎ出す“真実の音” 佐村河内 守さん」、『やくしん』2011年10月号、校成出版社、2011年10月。
- 佐村河内守「インタヴュー 佐村河内守(作曲)」、『レコード芸術』第60巻第11号(通号 734)、音楽之友社、2011年11月、 79-82頁、 ISSN 0289-3614。
- 佐村河内守「独占インタビュー 聴力を失った孤高の作曲家 佐村河内守 「運命」「絶望」そして「祈り」の鐘が鳴る」、『サンデー毎日』第92巻第27号、毎日新聞社、2013年7月7日、 159-161頁、 ISSN 0039-5234。
- 佐村河内守「インタビュー 聴力を失った「現代のベートーヴェン」 轟音の耳鳴りのなか、真実の音をみつけだす」、『婦人公論』第98巻第26号、中央公論新社、2013年12月7日、 52-55頁。
- 古賀淳也 『魂の旋律 佐村河内守』 NHK出版、2013年10月29日。ISBN 978-4-14-081613-4。
関連項目
- アレクサンドル・アニシモフ - 交響曲第1番《HIROSHIMA》全国ツアーの指揮者[65]。
- 大友直人 - 交響曲第1番《HIROSHIMA》のCD盤の指揮者。NHKでも演奏会の模様が放送された[66]。
- 折本和司 - ゴースト問題に関する顧問弁護士。
- 金聖響 - 交響曲第1番《HIROSHIMA》全国ツアーの指揮者[67]。
- ソン・ヨルム - ピアノソナタ第1番・第2番の全国ツアーのピアニスト[68]。
- 東京佼成ウインド・オーケストラ - 「祈り」の作曲を委嘱し演奏。CD化もされた[69]。
脚注
- ^ “日本コロムビア 佐村河内守”. 日本コロムビア. 2014年2月12日閲覧。
- ^ a b “ゴーストライターは桐朋講師 佐村河内さんの全公演中止”. 共同通信 (47NEWS). (2014年2月5日). オリジナルの2014年2月11日時点によるアーカイブ。 2014年2月5日閲覧。
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- ^ “佐村河内氏弁護士 聴力確認不足を謝罪”. デイリースポーツ. (2014年2月12日). オリジナルの2014年2月12日時点によるアーカイブ。 2014年2月12日閲覧。
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- ^ アーティスト紹介 アレクサンドル・アニシモフ サモンプロモーション
- ^ 佐村河内守〈交響曲第1番 HIROSHIMA〉演奏会をNHKで全編TV放送! 〈金スマ〉にも出演 TOWER RECORDS ONLINE
- ^ アーティスト紹介 金聖響 サモンプロモーション
- ^ アーティスト紹介 ソン・ヨルム サモンプロモーション
- ^ 東京佼成ウインドオーケストラ / 火の鳥 日本コロムビア
外部リンク
- 佐村河内 守 サモンプロモーション
- “佐村河内 守|日本コロムビア”. 日本コロムビア (2013年11月27日). 2013年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。
- “Mamoru Samuragoch Official Web Site”. AOL (2007年1月28日). 2007年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月11日閲覧。
- 『交響曲第一番』-佐村河内守さんの音楽と人生-(広報紙「ひろしま市民と市政」2007年12月15日号)[リンク切れ]
- 「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」2007年11月6日 (火) 連載 許光俊の言いたい放題 第128回
- TIME.com "Songs of Silence: Video-game music maestro Samuragoch can't hear his own work" BY TIM LARIMER/YOKOHAMA
- TIME.com "Postcard from Japan: Video-game music maestro Samuragoch training the next corps of musicians"BY TIM LARIMER/YOKOHAMA(左記オリジナルURLの2001.6.11時点のアーカイブ)