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第二章の開始です。
第二章 令嬢ジュリア[12歳]
旅の終わりと帝都の置いてきぼり
 朝起きたら宿屋の同室にいた筈のレジーナが、忽然と消えていました。
 その使い魔(ファミリア)の〈黒暴猫(クァル)〉マーヤや、荷物も一緒です。

「……物取り、とか。拉致、監禁の類いじゃないわよね。毛布もシーツも綺麗に畳まれてるし」

 しっかりと整理された隣の寝台(ベッド)を見て、私は首を捻りました。
 おそらくは自発的に姿を消したのでしょう。でなければマーヤまでいない理由がつきません。

 それにしても、私が同じ部屋に居て、隣で荷物を畳んで、出て行く気配に気付かなかったのは不思議……というか、窓から見える太陽の位置と日差しを見れば、結構寝過ごしたのがわかります。
 おかしいです。どんなに疲れていても、私はだいたい日の出前には起きるのですが、今日に限って一度も目覚めないで、ぐっすり眠りこけているなんて……。

 と思ったところで、昨夜は寝る前にレジーナが用意した林檎(りんご)ジュースを飲んでから、就寝したことに気が付きました。

「ようやく帝都まで戻ってきたね。ここまで来れば【転移門(テレポーター)】まで、もう一息、その後は懐かしの『闇の森(テネブラエ・ネムス)』! 懐かしの我が家ってこった! ちょいと気が早いけど、乾杯と行こうじゃないか!」

 と、朗らかに笑うレジーナ。
 思えば、この時点で怪しいと疑うべきでした。

「……一服盛られたわけね。なに考えてるのかしら、あの師匠は?!」

 私が迂闊だったと言われればそれまでですけれど、それにしたって、普通、弟子を騙す師匠がどこに――と、考えたところで、散々騙された過去が脳裏に甦りました。

『南国で骨休め(バカンス)』という甘い言葉に騙されて、砂漠の中で馬でも一飲みできそうな蠕虫(ワーム)に追い掛けられたり。

 明け方にしか咲かないサボテンの花を求めて、フィーアと二人で氷点下の――ご存知でしょうか? 砂漠って昼夜の寒暖差が激しくて、特に明け方は霜まで立ちます――砂漠で身を寄せ合って夜明かししたり(天使の群れに囲まれて、昇天しかける幻覚を見ましたよ!)。

 獣人族の住む集落までお使いを頼まれて、渡された地図を信用して行ったところ、そこが獣人族の聖地で、聖地を荒らす余所者として、危うく殺されかけたり(神獣である天狼(シリウス)のフィーアを見て、誤解はあっさり解けましたけれど)。

 そのまま、獣人族の集落に足止めされて、ついでに獣人族の巫女達から、2巡週の集中講義で治癒術の手解きを受けさせられ(基本実践で鬼のように厳しかったです)、そこらへん最初からレジーナの思惑通りだったのが、最後に明かされたり。

 どこが骨休め(バカンス)なのよ! やってることは普段と変わらない……どころか、ハードモードじゃない!! と絶叫したくなるような濃密な4ヶ月を過ごして、最終的に魔導帆船という大型船での船旅で、グラウィオール帝国の首都コンワルリスへと帰還したのでした。

 で、レジーナの顔馴染みだという、使い魔も泊まれる宿に宿泊して、一夜明けたらこれです。
 なんなんでしょうね、まるで夜逃げしたみたいに居なくなるなんて。

 そこでふと、レジーナが寝ていた寝台(ベッド)の枕元に、二つ折りにされた紙と封筒が挟まっているのに気が付きました。

『ジルへ』
 紙の方を開けてみると、見覚えのあるレジーナの流麗な文字が踊っていました。

『この手紙を読んでいる頃、あたしは既にこの地にはいないだろう。まだまだお前に教えておきたいことは多々あるが、止むにやまれぬ事情から……まあ、ぶっちゃけ面倒臭いことに巻き込まれそうなので、ほとぼりが冷めるまでトンズラこくことにした。
 帰ってくるのは数ヶ月先か、数年先かはわからないので、たまには庵の掃除をしておくように。
 あたしの居ない間の修行の手解きは、姉弟子のクリスティに任せる。まだ本人に話してないので事後承諾になるけど、一応紹介状を書いておいたから、渡せばなんとかなるだろう。断られたら適当になんとかするように』

 思いっきり自分勝手で他人任せな内容に、がっくりと全身の力が抜けます。

『追伸。旅行中はあたしの連れってことで必要なかったけれど、今後は【身分証】がないと不便だろう。知り合いに頼んでそれらしい名前で作ってもらったので、今後はこれを使うように』

「――って。これ、かしら?」

 クリスティ女史宛の封筒の下に、免許証サイズの金属板(プレート)――緋色の金属で、良く見ると縁のところに精緻な薔薇と蔦のレリーフが施されています――が置いてありました。
取り出すと、さらにその下に小さなメモ書きが挟まれています。

『追伸の追伸。宿代払ってないんで、払っておくように』

 思わず寝台(ベッド)の上に突っ伏しました。

 ちなみに、【身分証】に書かれていた名前は、『ジル』にかけたものらしく、『ジュリア・フォルトゥーナ・グラウィス』でした。『グラウィス』はレジーナの家名らしいです。



 ◆◇◆◇



 さて、レジーナの自分勝手と無茶振りは今に始まった事ではありませけれど、取り急ぎ困った問題は宿代の件です。
 確かこの部屋はもともと魔法使い用の専用部屋で、その上、大型魔獣のマーヤとフィーアも入られる、たっぷりした間取りですので、おそらく料金もかなりのものでしょう。
 そして問題なのは、私は現金の手持ちがほとんどないということです。

 旅行中はレジーナが支払いをしていた上、使い魔(ファミリア)を連れて泊まれる宿がなかった為、基本、野山での野宿や街道にある休憩所での宿泊で凌げていましたし、食料も現地調達で賄うか、辺境の地では物々交換でも問題ありませんでしたので、さほどお金を使う機会もありませんでした。

「困ったわねえ……」

 ただし現金こそありませんが、狩りで捕まえた魔物の素材や魔石、採取した薬草や輝石の類いは『収納(クローズ)』の魔術で、山ほど持っています――旅行に行くと口に出した時に、レジーナが宣言した通り、荷物持ちとして思いっきりこき使われたお陰様で――なので、まるで一文無しという訳ではないのですけれど、田舎と違ってこの帝都で、物々交換が可能かどうか不安です。

「でも、まあ、取りあえず交渉してみましょう」

 ため息ひとつ漏らして気持ちを切り替えると、私は寝巻き代わりのワンピースを脱いで、黒のドレスに着替え直し、同じ色でワンポイント薔薇のコサージュが付いている鍔広の帽子を手に取りました。
 この衣装は、この1年間で身長が10センチメトル以上、それに併せて胸やお尻など、日々成長する衣装の修繕の手間を惜しんで、レジーナが旅行前に用意してくれたものです。
 なんでも素材の段階から魔法がかかっているそうで、体型の変化に合わせて自動で変形する上、多少破れても自然修復するとか……。

「とんでもなく、値段が高いのではないですか?(金貨100枚とか)」
「知人からの貰い物さ。あたしには必要ないし、アレが言うには大した代物じゃないって話だからね(まあ、普通に買えば金貨5000~6000枚はするだろうけどね)」

 と言うことらしいので、遠慮なく使わせていただいて旅の間、随分と重宝いたしました。
 髪を梳かして、身支度を整えて、最後に膝上まである黒のブーツ(これもセットの魔法装備です)を履いて完了。この上に黒のローブをまとって準備万端です。

「さ、行きましょう、フィーア」

 声をかけると、枕元に寝ていたフィーア――私の使い魔(ファミリア)で、現在は牡牛ほどもある体格の〈天狼(シリウス)〉――が、上体を起こして意味ありげに私の胸元を凝視しました。
『わすれものーっ』
 届いてきた思念を受けて、ハッと気が付いて慌てて収納しておいた、母の形見の首飾り(ペンダント)を取り出して身に着けました。この首飾り(ペンダント)には、レジーナの認識阻害の魔術が掛かっていて、誰かが私を見ても『ごく平凡な人間に見える』そうです。

 幻影とかではなく、私自身の姿かたちが変わるわけでもないので、もともと私を知っている人間や、高位の魔術師、注意力のある人間などには効果はないそうですが、いまのところ素顔で外を歩いても、注目されたり問題になったことはありません。

 普段であれば真っ先に身に着ける習慣がありましたのに、やはりレジーナの失踪で相当、動揺しているようです。

「……とは言え、あまり意外に思わないのは、普段が普段だからかしらねえ」

 ついでに愛用の魔法杖(スタッフ)を取り出して手にします。
 白銀の金属製で、柄頭に同じ材質の天使像が飾られたこれは、やはり旅に出る時に「そろそろ練習用から卒業してもいいだろう」と言われて、レジーナから受け取ったものです。

 今度こそ、完全装備に身を固めた私は、起き上がったフィーアを連れて宿の食堂を兼用している、カウンター目指して部屋を出ました。



 ◆◇◆◇



 さて、宿のご主人との交渉の結果――

「……やっぱり現金払いでないと駄目でしたか。まあ、本来一泊銀貨25枚のところを22枚にまけてくれるという提案はありがたいのですけれど」

 30分後、肩を落とした私が、慣れない帝都の表通りをとぼとぼと歩いていました。
 やはりと言うか、案の定と言うか、物々交換は断られたのですが、「レジーナ様とそのお弟子さんのお支払いならば」と、弟子を見捨てる師匠が意外な人徳を発揮しまして、今日一日支払いを待ってもらえることになりました。

 その間に、手持ちの物品を商業ギルド等に売って――直接、商店に持ち込みすると女子供だと、足元を見て買い叩かれる恐れがあるので、多少手数料を差し引かれてもギルドに持ち込みした方が確実だそうです――支払いに充てることを提案されました。

 そんなわけで、整備された石畳の道を、宿のご主人に教えられた案内を頼りに、ギルドを目指してフィーアとともに歩いています。

 通り過ぎる人が、フィーアを見て一瞬ギョッとしますが、使い魔(ファミリア)(あかし)である赤い首輪(街に入るときに登録して渡されます)を見て、すぐに何事もなかったかのように行き過ぎるのは、さすがは帝国の首都だけのことはありますね。
 実際、通り過ぎる人種も、普通の人間族の他、獣人族やエルフ族、ドワーフ族や変り種では魚人族などもちらほら歩いています。

 街を見渡せば、建物も煉瓦造りの瀟洒な3階建て以上の建物が多く、その上、上下水道も整っているようで、あちこちに公園や噴水も見受けられます。少なくとも、これまで見てきた街の中では圧倒的な規模と文明圏と言えるでしょう。

 とは言え、どこか街や人々の雰囲気が重く、暗く感じられるのは、家々の軒先ではためく弔旗に代表される、降って湧いた不幸――長く闘病生活を送っていた現皇帝陛下が、1巡週ほど前に崩御されたという重大事――の影響なのは明らかです。

 そういえば、昨日の夕食時に宿の食堂でその話を聞いたレジーナが、まるで酢でも飲んだような顔をしていましたけれど、今回の失踪に関してなにか関係があるのかも知れません……まあ、いま考えても詮無き事でしょうが。

「ちゃっちゃと支払いと済ませて、クリスティ女史に逢いに行かないと……まだ、赴任してなくて、この街にいらっしゃれば良いけれど」
 最悪、『闇の森(テネブラエ・ネムス)』まで歩いて帰る事を考えて、げんなりしながら私は歩みを進めました。

 そんな私を元気付けるかのように、フィーアが軽く吠えました。
『ますたー、森までふぃーあが乗せていく!』

「ふふふっ。そうね、ありがとうフィーア。早く森に帰りたいわよね」
 大きく頷いて同意するフィーア。

「……まったく。いなくなっても面倒事を残していくんだから。帰ってきたら、充分にお小言を言わないとね」

 脳裏で仏頂面を浮かべる師匠(レジーナ)に向かって、文句を並べながら、私は空を見上げました。
 雲ひとつない、どこまでも澄み切った蒼い空。
 そろそろ春も近いでしょう。

「今日もいい天気ね」

 程なく道の正面に大きな建物が見えてきました。剣と盾、そして『ギルド』と書かれた看板を確認して、私は足を速めました。
ちなみに通常『証明書』は一般市民で『鉄色』、騎士・それに準じる身分で『赤銅色』、貴族で『銀色』、王族で『金色』、皇族で『オリハルコン色』になります。緋色は『超帝国直参』を示します。

それと「グラウィス」は「グラウィオール」の単数形ですので、「レジーナ・グラウィス」=「グラウィオール帝国の孤高の女王」という意味合いです。
「フォルトゥーナ・グラウィス」=「グラウィオール帝国にいる運命の子」といったところです。


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