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クリスティさん視点のお話です。
第一章 魔女見習いジル[11歳]
幕間 統治官クリスティ
「クリスティ女史、戦いで勝つのに必要な要素とは、なにかおわかりでしょうか?」

 帝都コンワルリスから遥かに離れた大陸中央部、人外魔境とも言われる『闇の森(テネブラエ・ネムス)』を直下に見下ろしながら、同行してくれたエイルマー殿下――現皇帝陛下の直系の孫に当たる、数少ない(なぜかグラウィオールの皇族は側室を取りたがらない傾向にある)正統な帝位継承権を持つ皇族――が気さくな調子で、飛竜(ワイバーン)の手綱を握りながら、そんなことを聞いてきた。

 本来であれば、吹き荒ぶ風で会話などできる状態ではないのだが、『風使い』である竜騎士の技能によって、この場所はほとんど無風状態であり、殿下の声もまるで耳元で囁かれたかのように鮮明に聞こえる。

 竜騎士になる必須条件としての技能らしいが、魔力の類いはほとんど感じられない。どちらかといえば精霊魔術に近い能力なのだろう。

 あたしは取りあえず、腰に巻かれた安全帯(ハーネス)が正しく機能していることを確認しながら、鞍の後ろで威儀を正した。
「……彼我の戦力差を把握する事。天候や地形を踏まえて行動する事。指揮系統の統一と、的確に運用できる環境の整備。戦いに必要な武器、食料の確保。それと、なにをもって勝利とするかの勝利条件を明確にする事……こんなところでしょうか殿下?」

「はははっ。さすがはクリスティ女史、お見事です。勝利条件を見落とさないところが特に。ルークにこの間同じ質問をしたのですが、そこら辺が抜けていましたので、今回はその罰という形で帝都に残してきたのですが、置いてきぼりがよほど悔しかったと見えて、随分と悔しげでしたよ」

 まるで悪戯が成功した子供のような顔で、快活に笑う殿下の横顔を見ながら、あたしは見送りに来た際に挨拶をしたルーク公子の沈んだ表情を思い出して、深い同情とともに……僭越ながら一言意見せずにはいられなかった。

「ルーク公子はまだ11歳でしょう。その年代でそこまで言及できるのならば充分に有能だと思いますが」

 この程度のことは軍学では基礎の基礎とはいえ、彼はまだ士官学校にも通っていない未成年である――立場上、通学はせず家庭教師による英才教育を受けている。かくいう私も4年ほど前まで、住み込み女家庭教師(ガヴァネス)として魔法学を中心に講義していた――いきなり畑違いの質問をされ、おそらくは独学での情報と発想でそこまで思い至れるのであれば、決して愚鈍な人間ではない。上出来といえるだろう。

「一介の武人であればそれでも十分なのですが、将来的に将となるべき者の視野としては、残念ながら落第点と言わざるを得ませんね。それに先ほどの答えでもギリギリ及第点というところですね。もっとも基本的な観念が抜けています」

「それはどういう……?」

 と、その瞬間、飛竜(ワイバーン)が怯えるような声を発して、自ら急旋回をして闇の森(テネブラエ・ネムス)から離れる機動を取った。

「おっと、これ以上近寄ると飛竜(こいつ)でも危ないか。――失礼しましたクリスティ女史。ちょっとばかり森へ深入りし過ぎたようです。大事にならない内に、太祖帝様の庵へ向かいます。宜しいでしょうか?」
「宜しいも何も、あたしは荷物みたいに運ばれているだけですからね」

 皮肉っぽく返してやると、エイルマー殿下は飛竜(ワイバーン)の手綱を操作しながら、器用に肩をすくめて見せた。それから、ふと思い出した――という口調で付け加えてきた。
「そうそう。太祖帝様の庵にはお弟子さんが一人いらっしゃるのですが、どうやら太祖帝様は身分を隠していらっしゃるようで……まあ、闇の森(テネブラエ・ネムス)に隠遁した時点で、単なる一個人を貫く決意をされたのでしょうね。ですので、彼女の前では私に対しても皇族ではなく、単なる竜騎士として扱ってください」

 これにはあたしも少々驚いた。
 太祖帝様は帝国の魔術師としては、他に比肩する者のない遣い手として勇名をはせた方だが、その苛烈な性格――若い頃はそれはそれは清楚で奥床しい性格だったそうだが、年を経るに従って偏屈さを増していったらしい。『人間年をとると丸くなる』が大嘘である実例であろう――と、スパルタ教育が災いしてほとんど弟子を取ることなく(弟子が逃げ出す)、また、当人も「才能のない奴に教える気はないよ!」と公言して、ここ30年ほどは誰がどれほど懇願しても、頑なに弟子を取ることを拒絶していたというのに。

「『彼女』ということは女性なのですか?」

「ええ、ルークと同い年の女の子です」
 頷いたエイルマー殿下は、そこでどうにも我慢できないという顔で含み笑いを漏らした。
「まあ、逢えばわかるとは思いますが、ルークの奴が悔しがったのは、私の質問に正解できなかったことよりも、彼女に逢えなくなったせいでしょうね」

「……はあ?」

 相変わらずなにを考えてるのか読めない御仁だな、と思いながらあたしは生返事をした。
 もっとも、その1時間後に「ああ、なるほどねえ」と大いに納得したものだけれど。



 ◆◇◆◇



「クリスティ様、これはお弁当です。邪魔にならないようでしたら、お持ちください」

 ジルから渡された袋を受け取り、そこから漂うコーンとパンプキンの香りを嗅いで、あたしは頬が緩むのを押さえるのに必死になった。

「ありがとうよ。なによりのご馳走だね」

 視察という名目で訪れた師匠――いまはレジーナと名乗っている彼女――の庵に滞在すること1巡週。
 当初の予定を遥かにオーバーした日程を過ごしたのは、それだけ居心地がよかったことと、それに見合う実りがあったこと、そして何より目の前にいる、このとんでもない妹弟子(ジル)の存在が大きかったからだろう。

 本人は無自覚だけれど、これほど規格外の存在にお目にかかったのは、帝国宮廷魔術師であるあたしにとっても初めての事だった。

 まず素顔を隠しての初対面で思ったのは、「これは魔物ではないか?」と思える程の子供とは思えない、濃密な魔力波動(バイブレーション)
 反射的に身構えたあたしの挙動を不審に思ったのか、即座にフードを下ろして屈託なく笑いかけ、非の打ちどころのない――到底、付け焼刃ではない。上級貴族の令嬢でなければ身につかない優麗な動作で――挨拶を寄越した如才のなさ。

 さらには顕わになったその素顔。
 およそ皇族・王族・貴族などという、美男美女を掛け合わせて作られた人種を見慣れているあたしが、我を忘れて絶句するほどの美貌――これまた、絶対に自然発生はしない。赤子の時から純粋培養された環境でしか生み出せない容姿――を前に、思わず「師匠、ついに人攫いに手を染められたのですか」と問い詰めずにはいられなかったものだ。

 どう見ても深窓の姫君である。
 それが、こんな貧相な身形(みなり)で、こんな危険な場所で、こんな怪しげな魔女の弟子をしている。
 才能がありそうな貴族の子女を見つけて、師匠が誘拐に手を染めた……そう考えるのが自然な発想というものだろう。

 その後も彼女――ジルという私にとっては妹弟子に当たる魔女の使い魔(ファミリア)が、伝説に謳われる神獣の『天狼(シリウス)』であったり。

 常に妙な気配を纏いつかせていると思っていたら、守護霊と称して『死霊騎士(デス・ナイト)』――戦略級魔獣とも恐れられ、1体で楽々と国を滅ぼすとも謂われる――を召喚して、あたしの度肝を抜かせたり。

 かと思えば、誰も思いつきもしなかった農地と農産物の改良方法を独自に編み出し、臆することなくその情報と方法論、発想法を開示するなど、11歳とは思えない知性と能力の高さを見せ付けた。

(……これは、師匠が惚れ込むわけだわ)

 口にこそ出さないが、あの気難しくて徹底した能力主義者――帝国学院の教授連中を「既存の学問の上に胡坐をかいて、そこから1ミリも動こうとしない馬鹿」と明言してはばからない――の師匠が、我が子のように可愛がっている(可愛がるの一文の前に「足腰立たなくなるまで」と入るやり方だけれど)のもわかるというもの。

 美貌・才能・運……およそ常人が熱望して止まないものを、有り余るほど授かりながら一切奢ることなく(と言うか、まったく気が付いていない風にも見受けられる)、不断の努力を惜しまず、結果に満足せず更なる進歩を目指す。師としてこれほど楽しみな弟子はいないだろう。

 同じ弟子として羨望を禁じえないが、この年になれば自分の限界は十二分に理解できるので、いまさら嫉妬の感情は起きない。……だが、もしも同年代であったらどうだろうか。おそらくは猛烈な対抗心を燃やし、打ちのめされ、失意に沈んでいたことだろう。
 或いは最初から自分とは別次元の存在として、憧憬もしくは崇拝の対象としたかもしれない。そう、あの村――西の開拓村だったかな?――で、あたしの所へ住み込みで働きたいと言ってきた少女のように。

 そういえば2~3日後にあの村をジルとともに再び通りがかった際に、「ちょっと日課を済ませてきます」と言ったジルの後を、興味本位でついていったところ、同年輩の少年と木剣を使って剣の打ち合いを始めたのには呆れたものだ。

 おまけに素人目に見ても女の子であるジルの方が優勢で、かなり本気で遣り合っている様子に眉をしかめた。
「こんな本気で殴り合って、怪我なんてしないかい?」

 あたしの懸念に対して、審判のように立っていたデカブツ――死霊騎士(デス・ナイト)のバルトなんとかいうの――が、見た目のおぞましさからとは裏腹のあっけらかんとした口調で、
「心配はいらん! 多少の怪我や痛みは技を磨く上での試練である。その痛みが血となり肉となるのだ!」
 と、わかったようなことをほざいた。

 血肉のない奴がなにを勝手なことを……と思ったところで、さんざん男の子を叩きのめしたジルが戻ってきた。
 どうやらあたしらの会話が聞こえていたようで、
「大丈夫ですよ。大怪我をしそうになれば、さすがにバルトロメイさんが止めてくれますし」
 それから、ちょっと声を潜めて付け加えた。
「……それに、実は私はちょっとした治癒術が使えるので、簡単な怪我ならすぐに治せるんです」

 その言葉に、これまでさんざん驚かされてきたあたしの口があんぐりと開いた。
 治癒術の使い手は魔術の使い手に比べて圧倒的に数が少なく、どの国でも優遇されている。
 その希少性と有効性を考えれば当然ともいえるが、国によっては――隣国のリビティウム皇国が典型だけど――“神の寵愛を受けた者”と神聖視する向きまである、一種の特権階級だ。
 まして魔術と併用できる者など、さらに少数だろう。

「師匠からは、口外しないように言われているので、内密にお願いします」

 悪戯っぽく笑うこの少女は、自分がどれだけ稀有な――文字通り“神の寵児”とも言える――存在であるのか理解していないだろう。
 師匠が内密にしろと言ったのも当然だ。この娘の存在が知れたら、大騒ぎ……どころではない。太祖帝様の薫陶を受けた魔術の使い手で、治癒術も使え、ましてやこの美貌となれば、成人前の子供なので養子に欲しい、未婚の女性なので婚約者に欲しい、或いは聖女教団あたりに知られれば、久しく空位になっている『巫女姫』の座に据えるべく、求めてくるかも知れない。

(……うん?)

 そこまで考えたところで、何かがあたしの脳裏を過ぎった。
 ふと、なにか……ひどく単純な事実を見逃しているような気がしたのだ。誰でもわかるような……言われてみれば、当然のようなひどくつまらない事を……。

「なあ、骸骨先生。言われた通りやってるけど、ぜんぜん勝てねーのは変じゃねーの?」
 と、ジルにいいように遊ばれた少年が、口を尖らせて魁偉な死霊騎士(デス・ナイト)に文句を言い始めた。

「いや、これで良いのである! まだまだお主は未熟である。だが、安易に小技に逃げてはならん。まずは基礎を鍛えるべし! そして基礎の段階では全身全霊をもって限界を伸ばすべし!」
「ん~。じゃあせめて、防御とか教えてくれよ」
「がははははははっ! 笑止っ。防御など覚える必要はない。要は相手より先に攻撃すれば良いのである!」

 かなり極端な理論を堂々と教え込んでいる死霊騎士(デス・ナイト)と、言われるままに練習を始めた少年とに呆れた視線を送るあたしの顔を見て、ジルが苦笑を浮かべた。

「まあ言ってることは極端ですけど、体育会系ってどこもあんな感じですし、実際それで強くなってるんですよ」
「ふーん。ところで、あの男の子はジルのボーイフレンドなのかい?」

 冗談めかした問い掛けに、あっさりと首が横に振られた。
「いえ、どちらかと言うと好敵手(ライバル)って感じですね。ブルーノはもともと腕自慢の腕白だったんですけれど、一度鼻っ柱を折ってから、ああして延々勝負を挑んでくるんです」
「なるほどねえ」

 死霊騎士(デス・ナイト)の指導の下、熱心に剣を振る少年(ブルーノ?)を眺めて、あたしは得心の相槌を打った。
 こちらはあの少女と違って、同年輩の好敵手(ライバル)としてムキになっているってところか。
 とは言え『剣』という明確な基準があり、なおかつ異性ということでさほど根の深いものではない……どころか、あたしの見たところジルと『交流』したいがための代償行為も混じっているようで、なかなか微笑ましい。

 良くも悪くも円滑な友人関係を築けているようで、姉弟子としてはほっと一安心といったところだ。


 ちなみに……。
 この段階であたしは先ほどの違和感に関する疑問を忘れ去っていた。もともとがちょっとした思い付きであり、何か明確な証拠がある話でもなかったため、意識の外に締め出されたのだろう。

 結局、
『ひどく単純で、一目瞭然の事実』
 その事を思い知ることになったのは、この数ヵ月後のことであった。



 ◆◇◆◇



「森の入り口までお見送りします」

 と言うジルと、その使い魔(ファミリア)の〈天狼(シリウス)〉フィーア、そして鬱陶しい死霊騎士(デス・ナイト)を引き連れて、あたしたちは森の中の小道を進んでいた。
 出口のところには迎えの馬車が来ているはずだ。

「1巡週も寝食をともにしたせいかお名残惜しいですが、また来年になればお会いできるのですよね。楽しみにしています」
「ありがとう、ジル。良い妹弟子を持ってあたしは幸せだわ。それに引き換え師匠ときたら、見送りにも来ないで……」

 居間での別れの挨拶にも、鼻を鳴らしただけの師匠の素っ気無さを思い出して、若干声に憤りが混じる。

「きっと師匠は、別れが寂しくてああいうぶっきら棒な態度をとったんですよ」
「本当にそう思う? 今朝もあたしの分のおかずを横取りしようとしたあの態度を?」
「あー……えーと……まあ、そういう風に親密な態度がとれるのも、身内だからでは……」

 必死にフォローしようとする妹弟子(ジル)の可愛らしさに――根が素直なのだろう。ちょっと角度を変えてツッコミを入れると、普段の大人びた態度が崩れて、途端に年相応の態度をとる――微笑を浮かべながら、同時に『身内』という言葉に、柄にもなく胸の中が温かくなった。

 そこで、ふと悪戯っ気を出して聞いてみた。
「ねえ、ジル。戦をする上で勝つのに必要な要素ってなんだと思う?」

 唐突な質問に、虚を突かれた表情を浮かべたジルの背後で、やたら陽気なアンデッドが呵呵大笑をする。
「わははははっ! そのようなものは明白である。自軍と敵軍の戦力を十分に把握する事。天・地・人、戦いの環境を考え行動する事。全軍を的確に運用して無駄を減らす事。なにより、殲滅するか牽制するか、何を目的とする戦いかで戦い方は変わるのである!」

 あっさりネタ晴らしをした死霊騎士(デス・ナイト)の前を歩きながら、ジルは首を捻った。

「つまり目的に応じた情報の有効性と、いかに有利に情報を伝えるか。それと人員の即応性の向上ってことよね」
「うむ。まあ、他にも兵站の重要性などもあるが」
「う~~ん、でもそれは戦術レベルの話よね。もっと基本的な問題がある気がするんだけれど」
「ほう。それは?」

 死霊騎士(デス・ナイト)の問い掛けに、あたしも興味深く耳を傾けた。

「誰が味方で誰が敵か、そこをはっきりしないと話にならないんじゃないかしら?」
「ふむ。まあ、そこまで行くと軍人というより、政治家か権力者の範疇であるな」

 そんな遣り取りをあたしは半ば呆然として聞いていた。
 これか。
 エイルマー殿下が言っていた、上に立つものとしての基本的な観念というのは!

 それが自然と考えられる目の前にいる少女に、あたしはこれまで以上の並々ならぬ感心を抱いた。この娘はただ者ではない。

『誰が味方で誰が敵か』
 先ほどの彼女の言葉を思い出して、あたしは密かに誓った『身内』であるあたしは、何があろうとも彼女の味方でいようと、おそらく師匠もそうであろう。

 ふと、気が付くと木立の向こうから明るい光が見えてきた。

「さて、このあたりで十分だよ。それじゃあ、ジル。それと、フィーアとバルト……」
「バルトロメイである!!」
「バルトロメイ殿も元気で」
「はい、クリスティ様もお元気で。あ、エレンのことをよろしくお願いいたします」
「わんっ!」
女男爵(バロネス)殿もご壮健であれ!」
「ああ、また来年会おう。元気で」

 陽気な一団に手を振って、あたしは森の外へ出た。
 待っていた馬車に乗り込もうとしたところで、森の中から一条の赤い煙が立ち昇っているのが見えた。

(まったく、へそ曲がりなんだから)

 苦笑して馬車に乗る。
 さて帝都へ戻って引継ぎの準備をしなくちゃね。
12/26 誤用を修正しました。
×試金石→○試練

1/6 誤字の訂正をしました。
×叩き伸したジル→○叩きのめしたジル


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