第一章 魔女見習いジル[11歳]
私の選択と秘密の特訓
朝起きると、すでにエイルマー氏の姿はなく、クリスティ女史だけが2~3日滞在して、師匠と旧交を温め合う――その割にはお互いに「行かず後家!」「へそ曲がりの石頭!」と怒鳴りあっている姿しか見ていませんが――ことになりました。
昨夜の争論の終着点が気になるところですが、取りあえずレジーナの庵には穏やかな日常が戻って来たのです。
ただこの日は、私が起きるよりも早く、珍しくレジーナが起きて暖炉の前で安楽椅子に座っていました。
「――ふん。いつもの間抜け面だね」
驚いて戸口の処で立ち竦む起き抜けの私の顔をじろじろ眺め、胡乱げに口の端を曲げたレジーナが、朝の挨拶代わりに辛辣な感想を口に出しました。
「お、おはようございます。珍しいですね師匠、なにかご用でしょうか?」
前日の件――当然、救出されたというシルティアーナに絡んだ話だろうと見当をつけて、私は不安に高鳴る胸を押さえて、レジーナの顔色を窺いました。
エイルマー氏の話が事実であるのならば、現在オーランシュ領には『シルティアーナ』が保護され、なおかつ父親である辺境伯(記憶が曖昧なので、あまり肉親と言う感慨はないですね。もともとあまり領地にいませんでしたし)の強い希望で、婚約の話まで出ている。それは、取りも直さずシルティアーナの身柄の安全と将来の保証がなされているという意味に捉えられます。
ならば「実はわたくしこそが本物です」と名乗りを上げ、認められれば問題ない――元の鞘というお話なのですよね。
まあ、逆に偽物扱いされて処刑される可能性もあるでしょうけれど、その辺りは前もってエイルマー氏に事情を打ち明けて、保険になってもらえれば問題はないでしょう。
ですので、レジーナが私という居候の弟子を邪魔に思うのでしたら、近いうちに別れを切り出される可能性が高いのでは? と昨夜はまんじりともせずベッドの中で考えていたわけですが、さすがは師匠、気持ちの整理をする暇もなく、いきなり待ち構えているとは……。
「こう寒くちゃ、年寄りには辛いんだよ。まったく……いっそ雪が降る前に南国にでも旅に出るかね」
「旅、ですか」
私は首を捻りました。てっきり今後の私の出処進退についての話があり、わざわざこんな早朝から起き出したのかと思ったのですが、妙な角度からお話が始まったものです。
「そうさ。結構この辺も雪が積もるし、辛気臭く冬の間閉じ篭っているよか、暖かい南方の海にでも行って羽を伸ばした方が万倍もマシだからね」
レジーナの言葉に同意するように、足元に居た使い魔の〈黒暴猫〉マーヤが、大きく欠伸をしました。
「海……」
「そうさ――うん? ジル、あんた内陸育ちだと思ってたけど、海を見たことがあるのかい?」
「え!? ええ……と、見たことはないですわ(この世界の海は)」
「ふむ。その割には妙に懐かしそうな顔をしてたけどねえ。――で、あんたはどうするんだい?」
なにげない問い掛けに、私の心臓が一つ大きく跳ね上がります。
これは、今後の私の去就を問う『どうする?』ですよね。
私はひとつ息を吸って、昨夜から考えていたそれを口にしました。
「……一緒に付いて行ってはご迷惑でしょうか?」
「迷惑だねっ!」
間髪居れずに斬って捨てられました。
思わず唇を噛んで俯いたところへ、「だけど」とレジーナの胴間声が続きます。
「居れば荷物持ちと救急箱くらいにゃ使えるか。ま、迷子にならないよう、勝手に付いてくるがいいさ」
「………」
いつもの嫌味満載の婉曲な表現ですけれど、これはつまり……今後もここに居て良いということでよろしいのでしょうね?
「――あ、ありがとうございます、師匠! 今後はもっとしっかり精進いたしまし!」
あっ、興奮し過ぎて噛みましたわ。
「ふん。当たり前さ」
暖炉の火を見て嘯くレジーナへ、私は再度、深々と頭を下げました。
「……物好きだね、まったく」
ぽつりと悪態を付け加えるレジーナを前に、思わず苦笑が浮かんでしまいます。
確かに物好きなのでしょう。進んでこんな偏屈な魔女に弟子入りして、魔界みたいなこの『闇の森』で暮らす道を選んだのですから。とはいえ……。
「まあ、でも貴族とか蝶よ花よのお姫様は、私のガラではないので、雑草は雑草らしく、地面に根を張って目立たなく生きる方が余程気楽ですわ」
振り返ったレジーナは、なぜか不可解なモノを見るような目で、私の頭の先から足の先まで睨め回し、それから片手でこめかみの辺りを押さえ、もう片手をこちらへ差し出してきました。
「……ジル。確かあんた、首飾りを持っていたね。ちょっと貸してみな」
「はあ……?」
言われるまま、私は自室へ戻って、仕舞っておいた実母の形見の首飾りを持って戻り、レジーナへ手渡しました。
「ふん。親指大の魔輝石を中心に、金剛石と黒真珠とで装飾、とどめにオリハルコンの土台とチェーン……軍用魔導帆船がダース単位で買えるね。――まあ、いい。これなら触媒にするには充分ってもんさ」
渡された首飾りをためつすがめつ確認して、軽く鼻を鳴らしたレジーナは、面倒臭げに私の方を向いて言葉を重ねます。
「これはしばらく預かっておくよ。ちょいと目眩ましの魔術効果を付けとくからね」
「はあ? そうですか……」
「じゃあ、さっさと仕事に行きな! しばらく無駄飯喰らいが一人増えるんだからね!」
いまひとつ要領を得ない顔で頷いたところで、私はレジーナに追い立てられるようにして、いつもの日課へ戻ったのでした。
◆◇◆◇
「“我は癒す、汝が傷痕を”」
私の手から放たれた淡い金色の光が、折れた木の枝にまとわり付きます。
「“治癒”」
その途端、全身に気だるい倦怠感が襲ってくるのと同時に、折れた部分から若葉が芽吹きました。
そのまま枝に成長するのかと思って観察しましたが、それ以上は変化はないようです。
「う~~ん、案外使い勝手が悪いわね、治癒術って」
私の呟きを耳にして、少し離れたところで様子を窺っていたバルトロメイが、首を傾げながら近寄ってきました。
「そうであるか? 充分な効果があるように見受けられるが」
「確かに動物、植物に限らず効果はあるみたいだけれど」
私は瑞々しい若葉を確認して苦笑しました。
「効果が限定されて、勝手に魔力だか生命力だかが一定量自動的に消耗されて、なおかつコントロールが利かないのが、どうにも歯がゆいわ」
いま私たちがいるのは、小屋から森の中へ15分ほど入ったところにある広場です。
いつもの薬草や木の実、毒草などを採取し終えた私は、空いた時間で魔術と治癒術の訓練を行っているところです。
「ふむ? 魔術とはそういうものだと思うのだが」
まあ一般的な認識はそうでしょうね。
呪文を唱えて魔力を放ては結果が出る。数字を入力してスイッチを押せば、画面に答えが表示されるのと同じです。
ただ私としてはそこに至る計算方法と、できればプログラムを解析してより使い易いように魔改造をしてみたいのですよね。実際、他の魔術とかはかなり応用変化させてますし。
例を挙げるなら、以前に廃墟で悪霊相手に使った『火弾』の魔術。あれって実は単なる〈火〉魔術ではなくて、〈火〉+〈水〉の複合魔術なのです。普通に酸素を燃やしてるわけではなくて、水素ガスを燃やしてます。結果、人間に当たれば一発で炭化・蒸発するほどの熱量を持ってたりするのでした。
で、治癒術を覚えてから、何度か試行錯誤を繰り返してみたのですが、どうやらこれは“術”と名前はついているものの、ほぼコントロール不能のある意味『超能力』に近い、文字通り『入力=結果』のON/OFFのみの解析不能技術らしいです。
現在、私が使えるのは怪我を治す『治癒』と、体調を治す『回復』の二つだけですが、『治癒』はあくまで外傷を治すだけで、大規模な怪我――四肢の欠損や大きな臓器の損傷――や、失われた体力の回復、また流れた血の補填などはできません。
『回復』に関しても同様で、風邪や二日酔い程度は治せますが、致死性の毒物や重篤な患者に対しては焼け石に水です。
そして、特に問題なのはこれらの効果に、まったく私の匙加減が利かないという一点です。
例えば「10センチメルトの傷を2センチメルトだけ残して、治癒する」とか「通常の3倍の魔力を注入して、片脚を再生する」などという微調整や応用は一切できないのです。
「“治癒”」と唱えた瞬間に、私のコントロールを離れて、勝手に傷を癒して、私の魔力と体力を消耗します。この消費する量も勝手に決められるようで、必要な魔力や体力がない場合は、術自体が発動しません。
「う~~ん。治癒術に関しては独力では無理があるかも知れないわね」
私の嘆き節にバルトロメイが重々しく同意しました。
「うむ。自己鍛錬も大切であるが、より良い師について教えを請う事こそが、何よりの上達への王道なのである。そもそも偉大な師というのはそびえる大山の如しといい、両手を広げたところで山をすべて覆い隠すことができないように、弟子が師を独占することはできず、そのあり方を尊敬と憧れをもって眺めるべきものである。かように考えれば、我が師であり騎士団長の――」
と、その長広舌を聞き流していた私の魔力探知に、こちらに近づいて来る人影が反応しました。ここ一両日ですっかり慣れた魔力波動――クリスティ女史のものです。
取りあえず改めて周囲を精査して、特に危険がないことを確認した私は、当然のような顔で隣に立つ、身長2メルトを越える死霊騎士――レジーナに確認したところ、等級的には災害級を越える戦略級魔獣に匹敵するとか――を見上げました。
「と、クリスティ女史がこちらに来るようなので、隠れてもらえる?」
「別にそれがしが居ても問題はないと思われるが?」
いや、大問題です。闇の森の中で、予備知識なしにバルトロメイと遭遇したら、下手をすればショック死しますよ。魔術関係者ならなおさらです。
「紹介は折りを見て改めて行いますので、取りあえずいまは姿を消していて」
「ふむ。……まあ、確かに女人相手に我が風貌はいささか刺激が強すぎるか」
自覚があったようで、意外と配慮の利いた言葉を残して、バルトロメイは音もなく私の影の中へと消えていきました。
「フィーア」
私の呼びかけに応えて、何か魔物を捕まえてポリポリとオヤツ代わりに食べていた――でっかい蜘蛛の脚みたいなのが見えた気もしますけど、気のせいでしょう――使い魔のフィーアが、一声啼いて私の足元へと駆け寄ってきます。
その喉元を掻いてあげていると、下草と落ち葉を踏み締める足音が背後からして、広場の入り口のところで足音が止まりました。
「――あら、クリスティ様、どうかされましたか? このような場所へ足を運ばれるなんて」
さもいま気が付いた、という口調で声をかけると、クリスティ女史はちょっと驚いた顔で私の方を向いて、それから慎重に広場全体へと魔力探知を伸ばしてきました。
「いや、散歩中になにか途轍もない魔力波動を感じた……ような気がしたので、気になって来てみたんだけれど。……なにもなかったかい?」
さすがに相手も魔女ですね。バルトロメイの魔力を感じて、異変に気が付いたのでしょう。
さて、どうしたものでしょうね。良い機会なので紹介してしまったほうがいいような気がします。
「まあ、半分勘みたいなものだからね。なにもなかったんならいいんだけれど」
どうしたものかと思案しているうちに、あっさりと結論を出すクリスティ女史。タイプは違いますが、この自己中――いえ、我が道を行く感じはさすがは師匠のお弟子さんだけのことはあります。
まあ、私は別ですけれど。
「ジルは薬草摘みかい。大変だね、あの偏屈な師匠の下で」
しみじみと同情され、私としては肯定も否定も出来ずに「あはははっ」と笑って誤魔化すしかありませんでした。
「クリスティ様こそ、これから大変でしょう。――そういえば、昨夜のエイルマー様とのお話し合いの結果はどうなったのでしょうか?」
ふと気になって、私はそれとなく水を向けてました。
「ああ、まあ……もの別れかね。で…エイルマー様もよくよく考えてのことだからね。顔見知りとはいえ、部外者が口を挟める話でもないし」
どことなく焦れた態度で、森の彼方の空――多分、帝都の方角でしょう――を見て、ため息をつかれるクリスティ女史。
「クリスティ様はエイルマー様とは以前からのお知り合いだったのですか?」
「まあ、ね。本来はあたしなんかが親しく出来る立場じゃないんだけれど、師匠との関連とルーク坊やの家庭教師をしていた関係もあってね。だから……まあ、あたしとしては、甥っ子の婚姻話みたいで、どうにもやり切れないというか……ああ、すまないね。愚痴を聞かせて」
「いえ、私もルークのことは心配ですので、できれば意に沿わない婚約や結婚は反対したい立場ですっ」
そう力を込めて同意した私の顔を、じっと見詰めて……なぜか全てを理解した、というような生温かい眼差しを向けてくるクリスティ女史。
「なるほど。わかった、あたしもできる限り反対するとしよう。お互いにルークの為にね」
「ええ、そうですね。ルークの為にも」
自然に頷き合って、私たちは握手をしました。同盟締結の瞬間です。
「それはそうと、これから近くの開拓村まで視察に行きたいんだけれど、案内を頼めるかいジル。師匠には許可を貰っているんで」
「そうですか。では、準備をしてから森の外までご案内いたします」
「ああ、頼むよ。ここの森の魔物の密度はとんでもないからね。昨日はマーヤが迎えに来てくれたので助かったけれど。――と、そういえば、この辺りは魔物が少ないね。この天狼のお陰かね?」
そう口に出しながらも、クリスティ女史はいまひとつ納得できないという顔で、まだまだ子供なフィーアの顔と森の様子を見比べます。
「ああ、それは、その……フィーアのお陰もありますが、多分、もう1体の方の影響かと……」
「もう1体? 2匹目の使い魔がいるのかい?」
「いえ、使い魔というか、守護霊というか、魔物そのモノというか……」
怪訝な表情で眉根を寄せるクリスティ女史に向かって、私はため息とともに思い切って切り出しました。
「実際にお見せした方が早いかと思いますが、その……見た目こそ恐ろしげですけれども、できればあまり驚かないでいただけると助かりますわ」
「ふむ。使役する魔物の類いかい?」
「ええ、そうです」
「興味深いね。見せてもらえるかな?」
「……わかりました。バルトロメイさん」
『応ッ!!』
その瞬間、私の影の中から分厚い黒の超重量級甲冑を纏い、巨大な戦斧を携えた青白い鬼火が燈る目をした骸骨――死霊騎士が、クリスティ女史の目前へと勇躍躍り出て、いつもの口上を始めました。
「我こそは敬愛する麗しき主君の勅命によりこの地に来りし、永遠なる魔光あまねく真紅帝国の栄光ある宮殿騎士、音に聞こえしバルトロメイである!!」
……悲鳴は意外と可愛らしかったと言い添えておきます。
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