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第一章 魔女見習いジル[11歳]
大人たちの策謀と子供たちの夢
 ふと、気が付くと私は床に両膝と両掌をついていました。いわゆる『orz』の姿勢です。

「どうかされましたか、ジル殿?」

 さすがに目を丸くしているエイルマー氏と、座ったままカップを置いて、怜悧な表情の中に気遣いの色を浮かべるクリスティ女史。そして、レジーナは……吹き出しそうな人の悪い表情で、ぽりぽりとクッキーを頬張っています。
 絶対、この状況を楽しんでますねアレは。

「……いえ、申し訳ございません。いまのお話を聞いて……少々、その…想像を逞しくしてしまい、眩暈を感じたものですから」

 なんか噂話を鵜呑みにするなら、シルティアーナ姫(わたくし)って、人里に出てきたら問答無用で退治されるレベルの存在ですわね。すみません。生まれてきてすいません。

 私の適当な言い訳に、さもありなんという顔で同時に頷くエイルマー氏と、クリスティ女史。
 ……自分で言っておいてなんですけれども、当然のように同意されると、それはそれでまた理不尽な怒りが湧きます。

 見れば、ついに我慢できなくなったらしいレジーナが、背中を向けて「ひひひひひ、ひひひーっ……!」声にならない笑い声をあげて、肩を震わせていました。

「――申し訳ない、確かにレディに聞かせるような話ではありませんでしたな」
 沈痛な表情で頭を下げるエイルマー氏。
 そんな彼に向かって、「ブタクサ姫の噂ってR15だったんですか?! グロテスクな描写や表現が満載なわけなの!?」と思わず絶叫したくなるのを堪えて、私は硬い顔で首を横に振りました。

「師匠、なにかの発作をお持ちでしょうか?」
 お腹を抱えて、安楽椅子の肘掛けをバンバン叩いて大うけしているレジーナを、気持ち悪げに――若干、引いた様子で横目に見ながら、具合を確認するクリスティ女史。
 その問い掛けに対して、なんでもないという風に、レジーナの使い魔(ファミリア)マーヤが、主に代わって足元で首を振っています。

「まあ……そんなわけでして。どれも荒唐無稽な噂だとは思うのですが、父親としてはなにぶん息子の将来に関わることですので、慎重にならざるを得ないのですよ」
「……ええ、まあ気持ちは良くわかりますけれど。――あの、そもそも仄聞(そくぶん)する限りでは、ブタクサ姫は何ヶ月か前に亡くなったと、聞き及んでいますが?」
「――ほう? よくご存知ですね。皇国内で緘口令(かんこうれい)が敷かれていた筈ですが、失礼ながらどこからその情報を?」

 一瞬、ひやりと冷たいものがエイルマー氏の声音(こわね)に混じりました。

「ふん、馬鹿馬鹿しい。この世に守られる秘密なんざありゃしないよ。完全な秘密の保持――んなもんは、単なる妄想さ」
 ようやく笑いの発作を克服したらしいレジーナが、横から口を挟むなり、にべもない口調で言い捨てます。

「………」
 何かを推し量るように私とレジーナとを見比べ……小考したエイルマー氏は、やがて「ふっ」と息を吐いて、普段の気楽な態度で肩をすくめました。

「――確かに。機密なんてものは、『そうであって欲しい』という願望ですね」
 それから、全員の顔を見渡し、僅かに声を潜めて話を続けます。
「これからお話しすることは帝国諜報部が調べ上げた機密……ふふ、まあ、口外されると不利益を被る者がいるので、内密にお願いしたいのですが。――よろしいでしょうか?」

「……なにも聞かずに済ませた方が、心安らかなんだろうけどねえ」

 盛大に顔をしかめたレジーナの意見に、私としましても全面的に同意ですが、事が事だけにさすがに無関係を決め込むわけには参りません。
 真剣な顔で頷いた視界の隅で、クリスティ女史がやや硬い顔で首肯したのが見えました。
 レジーナも嫌々ながら、「勝手に喋りな」と同意し、ついでに私の足元から、『ふん、騎士たるもの、無駄に口を開くことなどないわ!』とバルトロメイが返事をしました。

(いや、バルトロメイ(あなた)普段からペラペラと無駄口叩いてるじゃないの……?)

 寡黙とは言い難い自称守護霊に対して、そう喉元までツッコミが出かかったのですが、エイルマー氏が満足そうに頷いて口を開いたため、幸か不幸か口には出すことはありませんでした。



 ◆◇◆◇



 途中で全員に2度ほど香茶(こうちゃ)のお代わりを注ぎ、私の使い魔(ファミリア)のフィーアが暖炉の前で舟を漕ぎ始めた頃、ようやくエイルマー氏が語る隣国リビティウム皇国で起きた醜聞(スキャンダル)『ブタクサ姫の誘拐・失踪・救出劇』はクライマックスを迎えようとしていました。

「……そうして救助されたシルティアーナ姫は、ご家族と涙ながらに再会されたというわけです」

「ふん。まるで見てきたような話だね」
 胡散臭そうにレジーナが口を挟みます。

「ええ、まあ。実は現場の作業に当たったという冒険者が、偶然帝都方面に流れてきまして、そちらから情報を……多少強引な手段を取りましたが、得ることができました」

 事もなげに口に出しますけれど、そこに至るまでの水面下での策謀や暗躍など、おそらく到底一言で言いあらわせるような簡単な事ではなかったのでしょうね。

 それと、不快げに眉をしかめるクリスティ女史同様、偶然とは言えその事件に関わったがために、国家権力によって『強引な手段』で口を割らされた冒険者のことを想像して、私の胸も痛くなりました。

「どうかされましたか、ジル嬢? なにかご懸念でも?」

「……いえ、その現場に居たという冒険者の処遇ですが、その方々の身はその後ご無事なのでしょうか?」
 考えてみれば『シルティアーナ姫』の恩人ですからね。

 私の質問にエイルマー氏は一瞬虚を突かれたような顔をして……それから、ふわりと無防備な微笑を浮かべられました。
 う~~む、美形はどんな顔をしても様になりますけれど、これはほとんど反則の恰好良さです。

 私もできればこういう恰好いい大人になりたかったものですが……。

「ご安心ください。術者が術をかけて確認しましたが、当人達は酔っ払って悪酔いした程度で自覚もないはずです」
「………」
「それはそれで悪辣な気がしますが、でん…エイルマー様」

 私同様、懊悩の表情を見せながらも、代わって一言抗議してくださるクリスティ女史に対して、エイルマー氏は困ったような顔で、無言のまま肩をすくめました。

 ……無論、私もわかっています。世の中は綺麗ごとだけでは済まないのだと。ですが、できれば自分の知っている人間には、そうした汚い部分に携わって欲しくない。優しい世界にいて欲しい……そう願うのは子供の我儘なのでしょうね。

 そうと知って無言を貫くレジーナの不器用な優しさに、私に代わって意見してくれたクリスティ女史に、そしてこんな子供相手にも馬鹿にせず、真剣にお話してくれたエイルマー氏の誠実さに、私は改めて感謝いたしました。

「……で、その『シルティアーナ姫』と、お前のところのルークとかいった坊主との縁談について、お前はどう考えているんだい?」
 身内のことですのに、まるで明日の天気でも聞くような投げやりな口調で、レジーナがエイルマー氏の目を見て尋ねます。

「そうですね。父親としては、ルークには好きな相手を(めと)って欲しいとは思いますが……」
 そこで、なぜか意味ありげに微笑みかけられました。はて?
「……当家の現当主としては、悪い話ではないと思っております。」

 そうエイルマー氏は気負いのない調子で断言しました。

「「「………」」」

 どうにも否定的な雰囲気で沈黙を守る、私、レジーナ、クリスティ女史の女三人を順々に眺めながら、どことなく自嘲的に続けます。

「ご存知のように現在、我が家の本家において跡目争いが過熱化しております。後継者指名がない現状、私を含めた正妻の嫡流4~5人が実質、後継者と見なされている状況でして、遠からず好むと好まざるとに関わらず骨肉の争いへと発展するでしょう」

「その為の後ろ盾という意味ですね?」

 方程式を解くようなクリスティ女史の鋭い言葉に対して、肯定とも否定ともとれる曖昧な表情で笑うエイルマー氏。

「ふん、それなら国内の有力者を味方につければ良い事さね。わざわざ隣国の、それも辺境伯と(よしみ)を結ぼうってんだから、他の目的があるんだろうさ」

 憎々しげに吐き捨てるレジーナに、エイルマー氏はにこやかに笑いかけました。

「さすがは太祖様。ええ、私の目的は跡目争いに勝つことではありません。もともと御輿の座など興味はありませんからね。
 できれば、いまの気楽な生活……領地も徴税権もない代わりに、名目だけの爵位を元に月々の生活費を国からいただく立場が気楽なのですけれど、残念ながら、今後はそうはいかないでしょう。ですから、私が考えているのは、いかに有利な条件で負ける(、、、)かです」

「その為の必要な条件が『ルークとブタクサ姫との婚姻』なのですか?」

 私の問い掛けに、エイルマー氏は僅かに躊躇してから頷きました。
「必ずしも絶対条件ではありませんが、現状では最善の方法かと。
 なぜなら私の目的は帝都中央から合法的に身を引くことであり、そして現在空位となっているこの地の領主になり、その発展に尽力することですからね。そのための下準備として、隣接するオーランシュ領と関税を撤廃した自由貿易を行うことを水面下で交渉中です」

「結局、なんだかんだいって女はその交渉の為の口実――道具ですか」

 憮然とした口調で、クリスティ女史がエイルマー氏を睨み付けました。



 ◆◇◆◇



「“光よ我が(かいな)を照らせ”」
 私は魔法杖(スタッフ)の先端に灯した“光芒(ライト)”の明かりを頼りに、脱いだローブを畳んで枕元に置きます。

 居間での話し合いは夕食を挟んで続き、いまだに三人で何やら活発に議論を交わしております。
 と言っても、基本レジーナは我関せずで、主にクリスティ女史がエイルマー氏へ噛み付いている形ですが。

 夜も更けてきたということで、部屋に戻された私はベッドに横になったまま、グルグルと色々な事を考えました。

 一番に気になるのは、やはりいま現在オーランシュ領クルトゥーラに居るという『シルティアーナ』のことですね。
 彼女は何者でしょうか?

 考えられるのは、報奨金目当てで私を騙った偽物。
 あるいは有力貴族の子女が行方不明になった事実を隠す為、オーランシュ家で作り上げた替玉。
 まあ、単なる人違いということもあるかも知れませんが。

 どれにしても、ここに本物の『シルティアーナ』が居るのですから、今後面倒なことになるかも知れません……と考えたところで、ふと別な疑問が湧きました。
 そもそもここにいる私も、本当の意味での『シルティアーナ』と言えるのでしょうか?

 一度死んで、中身が入れ替わったようなものですし、いまでは外見も大きく変わっていることでしょう。つまり、本当の意味での『シルティアーナ』は、もうどこにもいないのではないでしょうか?
 そんな私が、いまさら本物面をしてしゃしゃり出る権利があるとは思えません。

 では、どうするべきなのでしょうか。
 この先、やりたいことや夢はあるのでしょうか。

 そう自問してから、私はその問い掛けを以前――レジーナに拾われた日に――口に出したことを思い出しました。
「……結局、私は8ヶ月前にレジーナに“しばらく置いてやるから、その間に身の振り方を考えるんだね”と言われたあの時から進歩してないのね」

 そして、ルーク当人を無視して推し進められている婚約のお話……。

 ふと思い立って、私は以前ルークから送られた手紙(実はその後、2回ほど手紙の遣り取りはしているのですが、いま手に取ったのは、最初に送られてきたものです)を取り出して、光芒(ライト)の光の下で、ベッドに横になりながら、改めて文面を目で追ってみました。

『拝啓、お元気ですかジル』
 几帳面そうな性格が、文字からも伝わってきます。


 この手紙がジルの手元に届くのがいつになるのかはわかりませんが、あの日、勝負に負けて帝都に戻ってから、すぐにこの手紙を書いています。

 その後、おかわりありませんか? 
闇の森(テネブラエ・ネムス)』は危険なところだと、あの日、訪れた時もジルと高祖母様の使い魔がいなければ、危ないところだったと後になってから父上に聞かせられました。

 そんなこともわからなかった自分の未熟さと、またそんな処で暮らす高祖母様とジルのことがとても心配です。できればお二人には、僕らの近くで暮らして欲しいのですが、そうもいかないのでしょうね。
 本当はあの日、父上は同居の件で高祖母様のもとを訪問されたのですが、けんもほろろに断られたと帰ってから愚痴をこぼしていました。

 それならいっそ、こちらから闇の森(テネブラエ・ネムス)の近くで暮らせば良いかとも思いますが、竜騎士というお役目がある以上、僕達家族は帝都を離れるわけにはいきません。
 竜騎士が駆る飛竜(ワイバーン)は、うちの『吹雪(フブキ)』も含めて、個人所有ではなく名目上は国家の資産であり、委託され飼育している形となっているため、基本的に仕事以外で帝都を離れるわけにはいきませんから。ですので、この間の訪問は、吹雪が国に正式に登録される前の馴らし飛行という形になっています。

 父上は竜騎士としての職務に誇りを持っていますし、僕も将来は尊敬する父のような竜騎士になるのが夢ですので、残念ですけれども帝都を離れることはないと思います。

 そういえば父はその昔、怯える母をなだめて飛竜(ワイバーン)の背中に乗せ、その上でプロポーズをされたとか。少々憧れてしまいます。
 僕もいつか運命の相手をそんな風に飛竜(ワイバーン)の上で、できれば……ああ、その前にまずは竜騎士にならないことには始まりませんね。

 それでは、ご迷惑でなければまたお手紙を出します。お元気で。

 追伸:必ずいつか僕が自分で手綱を握る飛竜(ワイバーン)で、ジルのもとへお伺いします。

『貴女の友人、ルークより』


 元気に再戦を誓って別れた彼。
 将来の夢――エイルマー氏のような立派な竜騎士になること――が書かれていた手紙の内容。
 このままでは到底、彼の夢がかなうとは思えません。

「……すべてが丸く収まるような魔法でもあればいいのに」

 ないものねだりを口に出しながら、私はゆっくりと目をつぶり、眠気がやって来るのを待ちました。
12/23 ルークの手紙を追加しました。

同 脱字脱字の修正をおこないました。

×尽力すこと→○尽力すること
×綺麗ごとだけでは澄まないのだと→○綺麗ごとだけでは済まないのだと


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