昨今の「偽ベートーベン」騒動について思うことを書いておきます。


ゴーストライターがいることは恥でも何でもない

そもそも前提として、どんな芸術においても「第三者の力を利用する」ことは別段の悪でも善でもないとぼくは考えます。絵を描くときだって、映画を撮るときだって、楽曲をつくるときだって、文章を書くときだって、「独りで制作しなければダメ」なんてルールはありません。

ダ・ヴィンチとかミケランジェロとか、ルネサンス期の絵画作品なんかは共同制作も多いんですよね。歴史的に見れば、むしろ「独りで制作する」という道の方が珍しいのかもしれません。

なので、今回の作曲の件についても、別にゴーストライターを雇うことが悪いわけじゃないのです。音楽の世界に詳しいわけではないですが、第三者の手を借りて作曲することは、そう珍しいことではないのではないでしょうか。


ぼくの本、半分くらい編集者が書いてますよ

第三者の手を借りることは悪でもなんでもないと考えると、別段話は難しい問題ではなく、単純に「他人の手を借りて制作した場合は、そのことを開示する」というルールを遵守すればいいだけです。エンドロールでずらずらと関係者の名前が並ぶ映画やゲームを想像していただけるといいでしょう。

ぼくはかなり積極的に、「自分の本は編集者の手が入っており、作品によっては半分近く編集者が書いている」ということを開示しているつもりです。電子書籍「ブログエイジ」は共著者として編集者をどどーんと掲載しています。

本当は紙の本でもこれをやりたいんですけど、なかなかどうして文化の壁があるようで、実現には至っていません。


共同制作であることを開示するというのは、作品の魅力を高めることにもつながると思うんですよね。「武器としての書く技術」は編集者の藤井さんが半分くらい書いているので、二人分のノウハウが収録されています。ほら、「ぼくが独りで書いた」というよりお得感が増しますよね。

2/18に発売される「なぜ僕は「炎上」を恐れないのか」も、編集集団WawW ! Publishingががっつり手を入れてくださってます。重版率9割を超えるクリエイター集団なので、こちらもまた独特の色に仕上がっています。自分一人では書けなかった作品ですね。ターゲットとなる読者イメージも、ブログとちょっと違います。


いまいち事実関係はよくわかりませんが、今回の騒動についても「この作品は共同制作で、わたしはここまで書いて、彼がここまで書きました。それはよりよい作品をつくるためです」というかたちで発表すれば、問題になることはあり得なかったと思われます。そうできないのは、クリエイターのエゴだったり、業界の文化が背景にあるのでしょうかね…。