第一章 魔女見習いジル[11歳]
先輩弟子の統治官と隣国の噂話
この世界の1年は366日で、13の月があり、週は7日に分かれております。
13の月にはそれぞれ名前がついており、
守護者の月(1月)・堕天使の月(2月)・白猿の月(3月)・巨神の月(4月)・静天使の月(5月)・魔王の月(6月)・獅子の月(7月)・蜘蛛の月(8月)・魔獣の月(9月)・神魚の月(10月)・死神の月(11月)・精霊の月(12月)・鍛冶の月(13月)
と呼ばれています。
そして曜日は、
月眼の日(月曜)・翼虎の日(火曜)・麒麟の日(水曜)・夢食の日(木曜)・天女の日(金曜)・鏡の日(土曜)・祈念の日(日曜)
となり、基本日曜日に当たる祈念の日は、休日となっています(まあ、私にとっては「お休み? ナニソレ美味しいの?」状態ですが)。
ちなみに今日は死神の月(11月)の2巡週の祈念の日(7日)。
シルティアーナがこの世界で死んで、ジルとして再生を果たして8ヶ月が経とうとしていました。
この間に夏は過ぎ、西の開拓村では秋の穫り入れも終了して、てんてこ舞いだった村の仕事もひと段落つきました。
今年は大豊作とは言えないまでも、平年並みの収穫があったそうで、エレンの父親に当たる村長のアロルド氏も、「どうにか冬が越せそうです」と、ずいぶんとほっとした様子でした。
そんな……夏から秋にかけて、思い出すのが村から東方へ1時間ほど行った、もともとは小川が流れる草原だったところに、ある日いきなり白亜の神殿のような――イオニア式なのか、それともドーリア式かコリント式なのかは私の知識では判別できませんが、ああいったギリシア神殿を髣髴とさせる――意匠を凝らした建造物が、予告もなしに本当に一夜にして建立され、近隣の村人の度肝を抜いた事件でしょう。
言うまでもありませんが、これが新たに再建された帝都への直通【転移門】と、それに付随する施設になります。瓦礫の中にあった門しか目にしていない私達にとっても、こうしてきちんと稼動しているものを見るのは初めてで、感慨深いと共に新鮮な驚きでした。
もっとも外観に関してましては、前回のようなことがないように、本体を守る外殻でしかない……と、見学にやってきた近隣の村の野次馬に向かって、腕に『責任者』と書かれた腕章をつけた、やたら頑固そうなドワーフらしい初老の職人が、部下らしい若いドワーフやブラウニーを従えて、自信満々に説明していましたが。
「今度こそ大丈夫だ! 超帝国一番の建設棟梁、この因幡様が造った自信作は、たとえドラゴンのブレスだろうが、巨人の一撃だろうが楽々防ぐ優れものよ!」
大見得を切るドワーフの親方に向かって、興味深そうに建物を見ていた死霊騎士――諸般の都合で、勝手に私に取り憑いていますが、本来はこの【転移門】を警護する責任者である――バルトロメイが、なぜか挑戦者の目付きでもって外殻に向かって、手にした象でも真っ二つにできそうな戦斧を構え、
「ほう、それはぜひ試してみないことにはな」
と言って、本気で壁に亀裂を入れて、親方から大目玉を食ってましたけれど……まあ、見物人からしてみれば、良い余興のようなものでした。
ちなみにバルトロメイも当初こそ気味悪がられていましたが、ブルーノが屈託なく、
「骸骨先生! 今日も剣の稽古をしてくれよ!」
と連日、森(『闇の森』)の入り口までやってきては、近くの野原で一緒になって剣を交えている姿が、しばしば見受けられるようになり――そのうち「腕試しである!」などといって、私やエレンも巻き込んで近隣の小鬼や豚鬼の集落を潰し始める始末――実害もない……どころか益にもなっていることから、なんとなく村人達も「まあ、いいんじゃないか」と、なし崩しに受け入れるようになり、今では「骸骨先生」で通るようになりました。
そのような訳で、予想外の早さで【転移門】が再建され、帝都コンワルリスとこの辺境の地との距離が急激に接近することとなったのです。
なお、直通とはいえ直接帝都市街へ行けるわけではなく、安全性や軍事的な意味合いもあり、帝都から1日の距離に【転移門】の出入り口はあるそうです(これも『責任者』さんのお話です)。
そうして【転移門】を介して、翌日から帝都側の役人や技師、建築家などがこの地を訪れるようになり、近隣の町村長達と協議を行い、宿場町として造られた中央の町を『コンスル』と命名し、この場所にこの辺境区の事務を司る統治官を迎える館を建造する運びとなりました。
幸いどの村も収穫祭も終わり、人手に余力もあり、またとない農閑期の出稼ぎということで、建築現場には各開拓村から男手が動員され、突貫工事で館の建設が着手され、来年の春には統治官を迎えられる準備に掛かったのです。
そんな……季節的には秋も深まり、冬の寒さが身に染みるようになってきたある日、師匠に逢いにお客様がいらしたのでした。
◆◇◆◇
お茶の準備をした私は、トレーを持ったまま扉をノックして、使い魔のフィーアともども居間へと入ります。
「失礼します」
居間に入ると、赤々と燃える暖炉を挟んで座る三人が、私達の方へ視線と顔を向けました。
一人は言うまでもなく安楽椅子に腰掛けたレジーナの仏頂面で、あとの二人はソファーに腰掛けたお客様である男女のものです。
「お茶をお持ちしました」
毎回、どこから引っ張り出してくるのか不思議に思うのですが、朝までなかった応接セットのテーブルに、私は香茶とお茶請けのクッキー(私のお手製)を並べました。
そうしながら、ちらりとフードの隅からお客様の横顔を盗み見ます。
一人は見知った顔です。竜騎士であり、レジーナの玄孫に当たる帝国中央貴族らしい壮年の美形――エイルマー氏。
私の視線に気が付いたのか、にやりと笑ってウインクを寄越しました。
相変わらず無駄に鋭いですわね。
で、もう一人は初めてお会いする方です。
簡素で動きやすそうなドレスを着た、30代後半から40代前半といった処の婦人でしょうか。
顔立ちは整っていますが、長身で切れ長の目に加えて、赤毛を結い上げた髪型とピンと背筋を伸ばした姿勢も相まって、貴婦人というよりも『厳格な学院の院長先生』という印象です。
その彼女がフード越しに私を値踏みするような――どちらかと言えば警戒するような――眼で観察してから、私の背後に付き従う金色の毛並みをした天狼――最近は私を背中に乗せることもできる程大きくなりました――を見て、軽く目を見張りました。
まあ、普通はそうなりますよね。初見で平然としているエイルマー氏の神経の方が変なだけです。
「――それでは、失礼致します」
まあ、今日の私はあくまで給仕役ですので、必要なことだけをして、さっさと退室するつもりです。
ですが、トレーを抱えたまま、一礼して居間から出ようとしたところで、レジーナの声が掛かりました。
「待ちな、ジル。あんたにも紹介しておこう。こっちのすっ呆けた曾孫は、いまさら紹介する必要はないだろうけど、そっちの赤毛はあたしの弟子で今度、統治官として赴任予定のクリスティさ」
女性の方を顎で指す、レジーナの向かい側でエイルマー氏が、やれやれと肩をすくめていました。
それにしても、彼女が噂の統治官で私の兄弟子……いえ、姉弟子ですか。
統治官ともなるとイロイロと今後もお世話になることもあると思いますので、まずはしっかり挨拶をして好印象を与えておかなければなりませんね。
私はトレーを近くにあった長持ちの上に置いて、少し躊躇してからフードに手を掛け――特にレジーナも制止しないで、お茶で喉を湿らせています――そのまま、フードを落として、クリスティ女史へと視線を向けました。
「お初にお目にかかります、クリスティお姉さま。わたくしは魔女レジーナの弟子、ジルと申します。いまだ未熟者ながら、魔術の先達にお会いできたこと、まことに光栄にございます。以後お見知りおきを」
なるべくボロが出ないよう、ローブごとスカートをつまんで、カーテシー(片足を後ろに引きもう片足の膝を曲げて行なう挨拶)を行ないました。
そんな私をまるでバケモノでも見るような顔で、ポカーンと見据えるクリスティ女史。
「………」
「………」
なんとなくお互いに無言での見詰め合いになってしまいました。
「いや、素晴らしい! さすがはジル嬢、どこに出しても恥ずかしくない淑女ですな」
と、その沈黙を破って、喝采と共に軽く手を叩いたエイルマー氏の言葉を受けて、ハッと我に返ったらしいクリスティ女史は、軽く咳払いをするとソファーを立って、非の打ちどころのない返礼を返してくださいました。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。私は帝国魔法学院教授で、皇帝陛下より男爵位を賜るクリスティアーネ・リタ・ブラントミュラーと申します。今回は来年就任予定の統治官として、旧ドミツィアーノ領の領内情勢に関して、レジーナ師にお力添えをお願いに伺った次第です。貴女とは同じ師を頂いた同門。そうであれば姉妹も同じです。こちらこそ、以後お見知りおきを」
ややハスキーながら、よく通る声で薄く微笑みながら――その途端、ずいぶんと砕けた雰囲気に変わり――「あら?」と親しみを覚えました。
が、次の瞬間、彼女は今度は仮面のような無表情になり、ギギギギギと軋むような感じで首を巡らし、冷ややかな目で師匠を睨み据えます。
「……師匠、ついに人攫いに手を染められたのですか。まさに『闇の森の魔女』に相応しい所業ですね」
「どういう意味だい、馬鹿弟子?!」
口を曲げて、不愉快そうにソーサにカップを叩き付けるレジーナ。
「この娘ですよ! こんな出来過ぎな弟子が師匠に育てられるわけがありません。どこから拐かしてきたんですか!?」
「人聞きの悪いこと言うもんじゃないよ! いい年こいて『お姉さま』とか言われて、舞い上がってるんじゃないのかい、この行き遅れ!!」
レジーナの一言にクリスティ女史の額に見事な青筋が立ち、エイルマー氏が「あちゃあ」と香茶の入ったカップとソーサを持ったまま天を仰ぎました。
次の瞬間始まった、師弟による聞くに堪えない罵詈雑言の嵐の中、こっそり席を立ったエイルマー氏が、私の隣までくると壁に背中を預けながら、にこやかに挨拶をしてくださいました。
「やあ、久しぶりだね、ジル。ちょっと見ない間にますます魅力的になって見違えたよ。そちらは君の使い魔かな?」
「ええ、天狼のフィーアです。フィーア、ご挨拶なさい」
促されて一声啼いたフィーアに、「よろしく」と挨拶を返したエイルマー氏は、ついでに持ってきたお茶を飲みながら、意味ありげな視線を私に向けます。
「それと、もう一人の御仁にもご挨拶してもよろしいかな?」
『……ほう』
その途端、私の足元――角燈の灯りに照らされた影の中――から、錆を含んだ声が漏れてきました。
暇つぶしに私に取り憑いているという、(はた迷惑な)自称守護霊の死霊騎士バルトロメイです。
『幽玄の身たる我を見破るとは……一角の武人と見た。我はバルトロメイ。天壌無窮に魔光あまねく真紅帝国の騎士にして、現在はこのジル殿の守護を任ぜられている一介の武人である。できれば、堂々と名乗りをあげたいところであるが……』
「床が抜けるから、やめてくださらないかしら?」
未練たらたらのバルトロメイに向かって、優しく諭す私なのでした。
『……ままならぬ身であるな』
「なるほど。私はグラウィオール帝国所属竜騎士たるエイルマーと申します。お会いできて光栄です」
『うむ』
ひと通り自己紹介が終わったところで、再度エイルマー氏が楽しげに私の顔を見ました。
「いや、ジル嬢には逢うたびに驚かされますね。実に惜しい、シルティアーナ姫との見合いの話さえなければ、多少強引にでもルークの奴に」
「はあ?!」
聞き逃せない単語に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまいました。
レジーナとクリスティ女史も口論を止めて、何事かとこちらを注目しています。
「シルティアーナ……? あの、それって以前、師匠への手紙にも書かれていたルークの縁談の相手ですよね?」
てっきりそれは何かの間違いで――だいたい当人はここにいて、世間的には死んだことになっている筈ですもの――他の異母姉妹との縁組かと思っていたのですが。
「ええ、隣国リビティウム皇国のオーランシュ辺境伯の五女にして、かの名高き麗華『リビティウム皇国の蘭花』と謳われた、聖女教団の巫女クララ姫の遺された一粒種」
朗々と歌うように続けたエイルマー氏は、そこで一旦言葉を切ると、どうにも複雑な笑みを浮かべて付け加えました。
「……世に知られた『リビティウム皇国のブタクサ姫』、その本人との縁談ですよ」
それから呆然としている、私とレジーナの顔を見比べて、遣る瀬無い顔でゆるゆると首を振ります。
「実は本格的な冬が来る前に、当事者同士の顔合わせをしたい、という申し出が辺境伯からありまして。ついてはこちらの【転移門】を使って、ブタク……いえ、シルティアーナ姫を帝都でお迎えする計画を立てているのですよ。
私が今日、同行したのはその打ち合わせの為と、どうにも妙な噂話ばかり聞く件の姫について、比較的近いこの地であればより詳細な情報が聞けるかと思って伺った次第でして」
「まあ、噂なんて面白おかしく脚色されてるんだからね。とはいえ、話半分にしても、帝都で聞くブタクサ姫の噂ってひどいもんだし」
話を聞いていたクリスティ女史が、罵り合いで荒れた喉を潤しながら、眉を寄せて一言言い添えました。
「……えーと、ちなみに、興味本位でお聞きしますけれど、どのような噂なのでしょうか?」
私の質問に、彼女は不謹慎を咎めるような目をしてから、しぶしぶという感じで聞かせてくれました。
「んーっ、私が聞いたのは、生れ落ちたその瞬間、あまりの醜さに侍女が揃って失神したとか。スープの皿に顔を映したら、スープが腐ったとか」
「私が聞いた話では、太りすぎて動けず、常に侍女が背中を支えないと転ぶとか。あとは、歩く度に流れ落ちる汗と脂肪とで、歩いた後がナメクジが這ったような跡になるとかですね」
エイルマー氏も半ばやけっぱち感じで、“ブタクサ姫”の噂話を話してくださいます。
それからも、出るわ出るわ……やれ、風呂桶に挟まって桶を壊すまで出られなかったとか、肖像画を描こうとして画家が失踪したとか。
いえ、二人とも悪意も他意もないことはわかってますし、単に巷間に溢れる伝聞を話しているのは、十二分に理解はしているのですが……。
フィーアが心配そうに、私を見上げて鼻先を擦り付けてきました。
そんな感じで、すっかりお茶も冷めた頃に、お互いに持ちネタを出し尽くしたらしいエイルマー氏が、ふと正気に立ち返って私に聞いてきました。
「実際、どの程度本当なのでしょうね、ブタクサ姫……いえ、シルティアーナ姫の実体は?」
「………」
これ、なんて答えれば良いのでしょうか?
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