第一章 魔女見習いジル[11歳]
村のお祭りと白のドレス
『どうしよう。こんなみっともない服で行けやしない。
かわいい木よ、体を揺さぶり、ふるって、
きれいな服を、わたしに投げとくれ』
――『グリム童話集(21話)「灰かぶり」』初版(1812年)――
◆◇◆◇
開拓村に近づくにつれて空気が落ち着きなく、ざわめく気配が濃厚になってまいりました。……というか、明らかに浮かれた雰囲気が、魔力探知を使うまでもなく、離れていても手に取るように感じられます。
「……大抵、こういう無防備な時に、小鬼の集団とか魔物の襲撃とかがあるのが、物語の定番なのよね」
私が心配するのは筋違いだとは思いますけれど、不安になって村の周囲を軽くひと回りして、怪しいところがないか魔力圏を広げて確認をして――いまのところ魔除結界が機能しているようで問題ありません――ついでに杭の形で埋め込んである魔除結界を見回り、ちょっと緩んでいる部分を手直ししたり、結界に穴がある部分には簡易結界を刻みました。
取りあえず見た感じでは差し迫った脅威はなさそうですね。
「お待たせ、フィーア。さあ、エレンが待ってる筈だから、急ぎましょう」
「みゅう、みゅう!」
足元でお座りしていた天狼の仔――私の使い魔のフィーア――が、嬉しげに尻尾と小さな翼をパタパタ振って、足元にじゃれ付いてきました。
すかさず両手で抱き上げた感触に、自然と口元がほころびます。
「一週間でかなり大きくなったかしら? そろそろ離乳食から本格的な固形物に切り替えても問題なさそうね」
見た目はあまり変わっていないようですけれど、腕に掛かる重さは生後すぐよりも倍ぐらいになっている気がします。
現在は六角牛や黒羊のミルクに、卵黄や植物油などを混ぜたものや、クッキー(小麦粉に栄養価の高いチコの実等を混ぜて作ったお手製)を柔らかく煮込んだものを食べさせていますけれど、そろそろ鳥肉辺りのタンパク質を与えても良いかも知れませんね。
ポケットから取り出したクッキーを喜んで食べているフィーアの様子を見て、そんな風に判断をしました。……まあ、私が目を離している隙に、実はこっそりレジーナが謎の生肉を与えている気もしてるんですけどねえ。部屋に戻るとたまに生臭い時があるので、すでに色々と手遅れかも知れません……。
抱っこされたフィーアはここ最近の定位置になりました、私の肩に半分乗る姿勢で、機嫌よく「みゅみゅ」と鳴いています。
私はフィーアが落ちないように注意しながら、ローブのフードを被って、改めて開拓村の正門目指して歩き始めました。
ちなみにレジーナの使い魔のマーヤは森の出口までお見送りしてくれただけで、そのまま森の中へと戻りました。多分ですが、普段の買い物程度ならともかく、村中の人が集まるお祭りの日ですので、自分が行くことで余計な騒ぎが起きるのを懸念して、さりげなく遠慮してくれたのでしょう。
まったく良く出来た使い魔です。使い魔は主人に似るといいますが、あの細やかな心遣いは、どう考えても主人を反面教師にしたものでしょうね……と、ため息をついて、私は自分の肩の上に寝転がって、与えられた餌をひたすら食べている自分の使い魔に視線をやりました。
「………」
思うところがあり、無言のままそっと地面に下ろします。
「みゃう?」
「……野生は大事ですね。歩きましょうフィーア。怠惰は敵ですよ!」
「みゅう、みゅう!」
新しい遊びだと思っているのでしょうか。再び歩き出した私の後を、鞠のように弾む足取りで、フィーアが付いて来ました。
◆◇◆◇
さて、今日は待ちに待った開拓村のお祭りの日です。
正確には13歳になった村の男女が成人を迎える儀式の日ですが、牧場主のダンさんのお話によれば(フィーアのミルクを分けてもらうために、最近は2~3日に1度は訪問しています)、実際にやることといえば、新成人達が村の集会所に集まって、村長さんをはじめ偉い人たちの含蓄のあるお話を聞いて、成人の名簿に名前の記載を行った(戸籍のようなものらしいです)上で決められた儀式を行い、その後は村を上げての宴会へとなだれ込むだけ――とのこと。
大昔はもっと宗教色が強くて、司祭だか神官だかのいる神殿のある場所まで行って、洗礼を受けないといけなかったそうですが、現在の大陸三大宗教――天上紅華教、聖女教団、神獣崇拝――のどれも、教義の強要は行っていないことから、こうした僻地の村では土着の風習に応じてお祝い事をするそうです。
この村の場合は村のしきたりに従って、一人一人、村で収穫された穀物で作られた餅(日本風の搗き餅ではなくて、中華風の粉に湯を加えて練って、蒸しあげた練り餅に近いです)を食べて、同じく自家製のお酒を一口飲んで終了――というなんとも牧歌的な催しとのこと。
その後は、村のご婦人方が腕によりをかけたご馳走が用意され、バイキング形式で大人も子供もこぞって参加する無礼講の会となるそうで、村人にとってはこちらの方がお祭り本番なのかも知れませんね。
なお、13歳からお酒を飲めるとなると、ずいぶんと飲酒年齢が低いように感じられますけれど、考えてみれば地球でもヨーロッパの方では最低飲酒年齢が14~15歳というところがあるのですから、無理をさせない限り問題はないでしょう――けれど、ダンさん曰く「たいてい調子に乗った餓鬼が、青い顔で引っくり返るまで呑むな」――とのことなので、どこの世界でも新成人の節度とか限度とかを要求するのは、無理なのかも知れません。
そして日も沈んで、大いに気炎が上がったところで、年頃の女性が赤い花で作った『赤の花冠』を意中の男性に贈り、相手もそれを受け入れた場合には、その花冠を贈ってくれた女性の頭に乗せる……という、この地方の伝統行事が行われます。
これは独身男女であれば特に誰が誰に渡しても問題ないそうですが、まあ、あぶれた可哀想な男性相手には、「これからもお友達でいましょうね」と白い花冠を渡す(その場合は渡すだけ)、ある意味救済措置がとられるとのことでした。
と言うことで、まだまだ午前中だというのに村全体が、すでにお祭りムード一色に沸き立っていました。
「こんにちは、アンディさん、チャドさん。こんな日まで守衛なんて大変ですね」
案の定、と言いましょうか……門の前に立っていたのは、いつものお馴染みの二人です。ハレの日ということもあって、普段に比べて、こざっぱりとした恰好で身支度を整えていますけれど、なぜかどうにも浮かない顔です。
「――よう、ジル。祭りに来たのか、楽しんでいってくれ……籤で負けて当番に当たった俺たちの分まで」
「やあ、ジルとワンコも元気そうだね。まあ、俺たちも夕方には交代だからね、後から合流するよ。ははは……」
……ああ、まあ、なんとなく状況は理解できました。文字通り貧乏籤を引いてしまったわけですね。
ちなみにダンさんの牧場へミルクをもらいに行った帰りに、一応この二人にはフィーアのことを紹介しています。
「え、ええ。本来、部外者である私が参加するのは少々心苦しいのですが……」
「いやいや、ジルはもう村の子供も同然だよ」
「そうだとも。子供が遠慮なんてするもんじゃねえぞ。食って騒いで楽しめばいいんだ」
思わず言い訳がましい台詞が口からこぼれてしまいましたが、二人とも莞爾と笑って両手を広げ、村へ迎え入れてくださいました。
「さあ、ゆっくり楽しんでおいで」
「酒は飲むなよ! さすがに早いからな」
「ありがとうございます。私は暗くなる前に帰りますけれど、お二人とも夜からが本番でしょうから、『赤の花冠』を楽しんでくださいね」
その途端、独身男性二人の笑みが凍りつきました。
あら? もしかして私はなにかコマンドの入力を間違えたのでしょうか?
「あー……そうだね。今年は貰えるといいねえ……」
「そうだな……赤なんて贅沢は言わんが、せめて白くらい……」
虚ろな笑みを浮かべる二人の背中には、すでに哀愁が漂っています。
この場合、下手な慰めは逆効果です……よね?
「――そ、それでは失礼致します」
首を捻って興味深げに二人の顔を覗き込んでいるフィーアを素早く抱きかかえて、私はそそくさと挨拶を交わしてその場から退散しました。
取りあえずあの二人の先行きについては、哀しい夜にならないよう天上の神帝様にでもお祈りすることにして、後は生温かく見守ることにいたしましょう。
と――。
「ジルちゃん! 本当に来てくれたんだ!」
正門の傍にある詰め所――ただの掘っ立て小屋です――の中から、元気な声と共に栗色の髪を顎の下で切りそろえた小柄な少女が飛び出して来ました。
今日の為に下ろしたのか水玉のワンピースを着ています。
「エレン! 久しぶり~っ。元気だった?」
「元気げんきーっ! ジルはちょっと痩せたんじゃないの?」
「きゃーっ、ホント?! だったら嬉しいっ!」
そんな風に和気藹々と談笑していると、私の腕の中でフィーアがもぞもぞ動いて、エレンの方を興味深げに見詰めます。
「――みゅ?」
「きゃああっ、可愛い! この子がフィーアちゃん? はじめまして、ジルの親友のエレンでちゅよ」
なぜか赤ちゃん言葉で呼びかけながら、エレンは人差し指を伸ばしてフィーアの鼻先へ持って行くと、くるくる回し始めました。
「みゅう」
フィーアは興味を引かれた様子で一声鳴くと、前脚を伸ばしてその指を捕まえようと、ぱたぱたと短い脚を振り回します。
さすがは狩猟動物――魔物ですけど――本能的に目の前で動くものを放置できないようですが、それはそれとして気になったエレンの発言に、私は首を捻りました。
「この仔のことや名前とか、どうしてエレンが知ってるの? あ、アンディさんかチャドさんに聞いたの?」
正直、黙っていて驚かそうと思っていただけに、ちょっとだけ肩透かしをされた気がして拍子抜けです。
「お隣のエミリーおばさんに聞いたから。エミリーおばさんは、斜向かいのイザベルさんに聞いて、イザベルさんは雑貨屋の女将さんに聞いて、女将さんは牧場のジャネットおばさんに聞いたって言ってから、多分、村中で知ってるんじゃないかな?」
フィーアをあやしながら、エレンが当然のような顔で、あっさりと真相を暴露しました。
この仔が生まれてからまだ1週間程度だと言うのに、もう村全体に情報が知れ渡っているとは……おそるべし、おばちゃんネットワーク!!
ちなみにジャネットさんは牧場主のダンさんの奥さんで、ダンさんともども毎回蕩けんばかりの笑顔でフィーアを可愛がってくれる肝っ玉母さんといったところです。……仮にも魔物で狼の仔相手に、それで良いのか牧場経営者?!という気がしないでもありませんが。
「そうそう、大事な用を忘れてた。ジル、ちょっと雑貨屋までついて来て!」
心行くまでフィーアと戯れたエレンが、我に返ったところで、私の手を掴んで村の中心部――と言っても雑貨屋の他に鋳掛屋と薬屋があるだけですが――目指して、足早に歩き始めました。
「雑貨屋って、お買い物?」
「ううん、女将さんがジルに用があるんだって」
「――?」
なんでしょう。レジーナに何かの注文でもあるのでしょうか?
疑問符を浮かべながら私は連行されるように、エレンに連れられて雑貨屋へと向かいました。
◆◇◆◇
追い詰められた私の口から、上ずった悲鳴ともつかない問いが放たれました。
「な、なんですか、これは?!」
「なにってドレスだよ」
スカート部分に若草の刺繍が入った白のドレスを私の胸元に当てて、サイズを確認しながら、見たままを口に出す雑貨屋の女将さん。
「うん、よかった。特に直すようなところもないようだね」
「ドレスはわかります。ですけれど、状況が掴めないのですが!?」
雑貨屋に着いた途端、奥の部屋に拉致されて、「じゃあ、脱いで着替えて」と言って渡されたのが、このシンプルですが高価そうなドレスです。
状況が急転直下で意味不明過ぎます!(ちなみにエレンとフィーアは店番代わりに、店頭で遊んでいます)
「おや、魔女さんから聞いてないのかい? 自分のお古のドレスを祭りに合わせて、ジルのサイズに直しておいてくれって、2週間ばかり前にやってきて、注文と賃金と一緒に置いていったんだけれどね」
首を傾げての女将さんの説明に、私は「なっ……!」と絶句してしまいました。
今日まで霊薬を四種類作らないと祭りになんて行かせられないよ!――って、さんざん人を脅して夜なべさせておいて、裏でこんな準備していたなんて……なんか反則じゃないですか。
「あっ!と――これは内緒にしておくように釘を刺されてたんだっけ……あちゃあ。まいったね、アタシとしたことが」
女将さんが渋い顔をしていますけれど、私としても何かひどい詐欺にかけられた気持ちです。
「まあバレちゃしかたがない。魔女さんには黙っていておくれよ。――兎に角、着替えた着替えた!」
追い立てるように再度、ドレスを私に押し付け、女将さんがローブの袷に手をかけました。
「ちょっ、ちょっと待ってください! えーと……その、魔女の掟で半人前の内は、人前で顔を晒すわけにはいかないのです」
エレンにも説明した言い訳を口に出して、着替えを拒否した私の顔を、怪訝な表情で見詰めていた女将さんでしたが、数秒思案したところで、「――ああ」と納得顔で頷きました。
よかった! 実用的なワンピースならギリギリ許容できましたけれど、ドレスとかさすがに羞恥プレイですからね。
「そういえば、魔女さんから顔を隠すベールも預かってたんだっけか。忘れてたよ」
そう言って取り出したのは、ウェディングベールのような、肩まで隠れる形のベールです。
駄目です! 既に逃げ道は塞がれていました!!
「着替えたら、髪も整えないとね」
櫛を取り出した女将さんが、獲物を前にした捕食型肉食動物のような目で笑います。
「あ、あははは……」
真っ白いドレスを抱えたまま、私は迫る恐怖に引き攣った笑いを漏らすしかありませんでした。
天上の神帝「だが断る!」
12/14 脱字の校正を行いました。
×13歳からお酒を飲めとなると→○13歳からお酒を飲めるとなると
1/16 誤字脱字の訂正しました。
×栄養価の高いチコ実→○栄養価の高いチコの実
×普段の買い物なら程度ならともかく→○普段の買い物程度ならともかく
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