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第一章 魔女見習いジル[11歳]
天狼の仔と偽りのお姫様
 井戸から釣瓶(つるべ)で水を汲み出し、木桶に一杯になるまで――この作業も随分と慣れて、満杯の水を運んでもこぼさなくなりました――入れている最中に、なんの気なし木桶の中を覗き込み、うおっと思いました。

 桜色の金髪を長く伸ばし、透き通るような白い肌をした線の細い女の子が、向こう側からこちらを覗き込んでいます。

 小さな顔には不釣合いな大きな瞳は翡翠色で、やたら長い睫毛(まつげ)はカールしていて――爪楊枝があれば何本乗るかなあ、などと阿呆な感想が浮かびました――口は小さく唇はピンク、眉は細くて鼻筋が通っているため、ちょっと気の強そうな感じもありますけれども、目尻が若干柔らかめなので全体の印象がどこか甘く、(はかな)げな砂糖菓子のような印象の女の子でした。

 しばらくじっとこちらを見ていた彼女は、なぜか腑に落ちないという顔で桶の縁へと消えていきました。後には水が満々と湛えられ、鏡のようになっているそこに、本日の青空と雲とが映っているだけです。

「地球だったら、けっこう可愛い部類だと思うんですけどねー」

 先ほどの少女はもう見えないけれど、私は両手で自分の顔を触って、間違いなく個々のパーツがそこに揃っているのを確認してから、立ち上がって野暮ったいワンピースとエプロンに包まれた肢体を見下ろしました。

 この半年あまりの肉体労働と食生活、トレーニングのお陰で手足はやたらと細くなり、身長もめきめき伸びてたぶん150センチは越えているでしょう。体重の方は体重計がないので不明ですけれど、お腹回りに両手を当てて計った感じだと……ざっと50センチ台かな?
 そういえば平均ってどんなものなんでしょうね。確か前世の高校生だった頃、見ていた雑誌のグラビアアイドルとかのデータが……身長170センチ前後でウエスト58センチとか普通に書いてありましたので、一般に『痩せてる』というのはこの辺りでしょう。
 ならば比率から言えば、まだまだ私はお腹周りが油断しています。もっと頑張らないと!

 闘志も新たに、私は両手を握り締めて空を見上げました。

 実際、改めて水鏡で見てみれば、まだまだ全体的にふっくらしてますし、触ってみると二の腕とかやたら柔らかで、「これちゃんと骨や関節あるの?」というくらい脂肪分たっぷりです。

 結論。現状は変わらずぷにってます。ぽちゃりんです。

「……とは言え、多少は改善された気はするのですけどねー」
 自分に言い聞かせるように独りごちながら、水のたっぷり入った木桶を持ち上げました。実際、そう思わないとこれまで努力した甲斐がありません。

 と、それに同意するかのように、背中の卵が激しく揺れました。
「きゃっ――危ない危ない」

 こぼれそうになった桶を再度地面に置いて、苦労しながらパンパンに膨らんだ背中のリュックを下ろして中を確認してみれば、ダチョウの卵よりさらに巨大化したハンプティ・ダンプティみたいな従魔の卵が、盛んに動いています。

「そういえばあと2~3日で2週間経つわよね。さすがに成長も限界だと思うけど……」
 私の体温よりもやや高めの温度を放つ卵の表面を軽く撫でながら、私はこれをくれた怪しげな行商人の言葉を思い出して首を捻りました。
「あとは……生まれたら名前をつければ、それで使い魔になるって言ってたけれど、でも、そもそもこの子、男の子かしら、女の子かしら?」

 日々の雑務に追われて、名前とか考える暇もありませんでしたけれど、そろそろ考えておいた方が良いでしょうね。

「女の子だったら“シャーリーン”とか……さすがに自虐的過ぎるかしら?」

 どこぞのゴーマー・パイル(ほほえみデブ)な海兵隊員の持つM14小銃ライフルの愛称を呟いて、ポンと卵の頭を叩いた――その瞬間、唐突に固い殻の表面に稲妻のような亀裂が一条入りました。

「………。――ぎゃあああああああっ!?」

 やっちゃった!?! と、なにか取り返しの付かない失敗をした絶望感に、私の頭は真っ白になったのでした。



 ◆◇◆◇



「し、師匠――っ!」
 私が奥の調合部屋に駆け込むと、角燈(ランタン)の薄明かりの下、炉辺に屈み込んで、幾種類かの謎の粉末を投げ込んでは呪文を唱えていた黒いローブの魔女――どこからどう見ても“魔女”以外の何者でもない――師匠、レジーナが鬱陶しげに顔を上げました。

 様々に色彩を変える炎の照り返しが、皺に埋もれたその横顔を一層凄愴な色に変えています。

「仕事の途中でサボりとはいい度胸だね、このブタクサ!! おまけにせっかく興が乗ってきたところだってのに、なんのつもりだい!?」

 普段であればその場で回れ右をしたくなる怒号と射殺せんばかりの眼差しを受けても、今日ばかりは私も必死です。

「た、た、た、ひ、ひ……!」
 ですが、焦りすぎて言いたい言葉が喉から出てきません。

「なんだい……? 普段から締まらない顔を、なおさら壊して見られたもんじゃないね」

 怪訝な表情を浮かべたレジーナの視線が、私が後生大事に抱えているもの――ここに来るまでの間に、さらにヒビが3条に増えている――従魔の卵へと向かいました。

 納得顔で頷くレジーナ。

「ついに食う決心をしたわけかい。で、今日の朝飯は目玉焼きかい、卵焼きかい?」
 真顔で尋ねられて、私は思いっきり首を横に振りました。
「……ふむ。スクランブルエッグは久々だね」
 (くら)い笑顔で舌なめずりをする、レジーナの視線から反射的に卵を守ろうと、両手で抱き寄せたところ、『びしびしびし!!』と腕の中で破滅の足音が轟き渡りました。

「あああああああ――んッ!!?」

 泣き出しそうな私の顔を、数秒間白けた顔で眺めた後、途轍(とてつ)もなく面倒臭げな表情と仕草とで、レジーナが吐き捨てるように付け加えます。

「いい加減気が付かないもんかね。そりゃ壊れたんじゃなくて、孵化しようとしてるだけだろうに」
「ふ、孵化って……まだ早いんじゃ?!」
「あんたの馬鹿魔力(ちから)を毎日浴びてりゃ、成長も早まるってもんさ。負担にならないように、もう少しだけ温めて魔力を与えりゃ、すぐに出てくるさ」

 素っ気無いレジーナの言葉に従いまして、私は慎重に亀裂の入った卵を抱えたまま、火のついた暖炉のある居間へと戻りました。

 薪をくべて火勢を大きくして、その前に卵を抱えたまま座り込んで、軽く両手を当てて少しだけ魔力を流します。
 と、それに呼応して卵のヒビがどんどん広がり、中身の動きもさらに活発になってきました。

「がんばって、もうちょっとよ!……ひっひっふー、ひっひっふー!」
 動きにあわせて一定のリズムで、流し込む魔力を調節します。

「……あんたが産む訳じゃないんだから、別にそこで気張る必要はないんだけどねえ」

 マーヤとともに付いてきたレジーナが、呆れたように肩をすくめますけれど、私にとっては10日以上この身と一体になって大事にしてきた我が子も同じです。

 外野の意見は無視して、「ひっひっふー」を繰り返しながら魔力を注入していましたが、20分ほど経った時でしょうか、全体にヒビ割れが広がったかと思うと、パリンと音を立てて呆気なく卵が弾けました。

「みゅう!」
 中から黄色っぽい毛並みをした毛糸球のような従魔の赤ん坊が顔を覗かせました。

「生まれました!」
「見りゃわかるよ」

 ふわふわの毛、短い四肢に、もこもこの尻尾、申し訳程度についている背中の翼、くりくりの瞳が私の姿を映したかと思うと、
「みゅう、みゅう!」
 元気良く跳ねて、私の膝の上へと飛び込んできました。

 そのまま甘えた様子で、頬ずりしてくる天狼(シリウス)――まあ間違いないでしょうね。見た感じ翼の生えた小犬ですけれど――の仔を、私はそっと抱き寄せます。

「か……可愛いっ! 可愛い過ぎます! なんですかこの仔!?」

 くんくん鳴きながら、ぺろぺろ頬を舐めてくるこの仔の魅力に腰砕けになっている私。
 鼻白んだ様子で安楽椅子に腰を下ろすレジーナ。
 壊れた卵の欠片の匂いを嗅いで、物珍しげに天狼(シリウス)の仔に鼻先を寄せる黒暴猫(クァル)のマーヤ。
 うざったげにそこへ猫パンチならぬ犬パンチをお見舞いする仔。

 若干カオスな状況が続きましたが、ただ独り冷静なままのレジーナが、投げ遣りな口調で一石投下してきました。

「――で、名前の方は決めたのかい? 早めに決めて、お互いの回線(パス)を繋いでおいた方が、なにかと便利なんだけどね」

「………」
 その言葉で僅かばかり私は正気を取り戻しました。
 名前、名前……まあシャーリーンは冗談としても、それらしい名前を……と、そういえばこの子、男の子でしょうか?――ああ、女の子ですね。

 そこで、ふと、いまさらですが家主である師匠(レジーナ)にお伺いを立てました。
「――あの、そもそもこの仔をここで飼ってもよろしいのでしょうか?」
「ふん。いまさら居候が2匹から3匹に増えたところで、たいして変わりゃしないさ」

 苦虫を噛み潰したような顔で、取りあえず了承をいただけました。あと、弟子の単位も『匹』なんですねえ。

「それでは、4番目の家族ですので、この仔の名前は『フィーア』にします」
 そう口にした途端、見えない何かが、パチンと音を立てて私と天狼(シリウス)の仔――フィーアとの間に繋がりました。

「――っ?!」
「ふん。どうやら無事に主従の契約ができたようだね」

 そう言われてみても、特に変わった様子は……って、お待ちください! 腕の中のフィーアから暖かな波のようなモノが感じられます。
 これは――フィーアの感情でしょうか?
 甘えた胸の奥をくすぐられる様なそれが、私に伝ってきました。
 すなわち――

『お腹すいた~っ』

「――っっっ!!! ご飯を! この仔(フィーア)のお食事を準備しないと!! な、なにを食べさせれば?!」
「魔物なんだから小鬼(ゴブリン)でも食べさせときゃいいだろうさ」
「生まれたての赤ちゃんにそんなもの食べさせられません! ッ!? そうです、ミルクです。ミルクを……ああん、ここにはないし。あ、村に牧場がありました! あそこでミルクを分けてもらえるかも知れません。ちょっと行ってきます!」
「あん? 仕事はどうするつもりだい?」

 途端、レジーナの機嫌が見る見る下がりますが、私も譲るわけにはまいりません。

「戻ってきてから行います!」
 そのまま返事も聞かずにフィーアを抱えたまま、小屋を飛び出したところで、私のローブを引っ掴んだマーヤが追い駆けてきました。

 そういえば、急ぐあまりうっかり忘れるところでした。
「ありがとうマーヤ! ごめんね!」

 礼を言ってローブを着込みながら、小走りに先へ進もうとしたところで、マーヤが私の前を塞ぐように先回りをしました。そして、有無を言わせず、触手で私たちを捕まえて自分の背中に乗せると、そのまま疾風(かぜ)のような速さで、開拓村目指して走り出したのです。

 この速さならあっという間に村に着くことでしょう。

「送ってくれるのね! ありがとうっ!!」
 私の感謝の言葉に、一声応えたマーヤはさらに加速しました。

「みゅう!」
 腕の中のフィーアも嬉しげに歓声をあげています。

 こうして新たな家族を得た私は、二つの温もりを感じながら、一体となって駆けていったのでした。



 ◆◇◆◇



 この日、リビティウム皇国のオーランシュ辺境伯領クルトゥーラにある、領主の別邸――本来の居城が交通の便や施設の老朽化により、形骸化しているため実質的にこちらが本拠地とも言える宮殿のような屋敷――において、久々ともいえる“家族”の顔合わせが行われていた。

 ただし家族の団欒と言うには寒々しい、まるで芝居の一場面のような、あるいは人形が踊っているかのような……人間の持つ生の感情と、心安らぐ場としての寛ぎの空間がどこにもない、豪華なだけの舞台装置である。

 これは儀式だ。九死に一生を得た娘と、その家族との感動の再会を模した儀式。

 下座に畏まって控える、クルトゥーラの冒険者ギルド長エグモントは、居並ぶ面々――領主である辺境伯コルラードとその正妻及び二人の側室、そして本日都合が付いてこの場に立ち会っている、その子供達――を密かに値踏みしながら、そう心の中で断定した。

 大仰に涙を流して娘の無事と、その変わり果てた姿――全身に傷を負い、片足が不自由となり車椅子に座る(普通であれば杖を突けば歩くことも可能だが、なにしろ目方が重いために片脚での歩行は困難である)――に苦悩するコルラードも、いかにも痛ましげに視線を逸らす異母兄弟姉妹達も、口々に励ましの言葉を並べる側室達も、悄然と立ち尽くす侍従や衛士その他全員が、薄っぺらい書き割りでしかない。

 まだしも明らかに疑いの目でシルティアーナ姫――実際はエグモントが用意した、どこの誰とも知らぬ馬の骨である――を凝然と睨み付け、時折、自分の方へ挑戦的な視線を投げて寄越す正妻シモネッタの方が、生々しく人間味豊かと言えよう。

(どうやら偽物のお姫様には、他の誰も気が付いていないらしい。まずは成功か)

 この為にわざわざ良く似た特徴(緑の瞳、赤っぽい金髪、色白)の奴隷娘を買い取り、3ヶ月かけて肥え太らせ(魔法も併用したので、今後とも尽きることない食欲に悩まされる可能性が高いが)、顔形を変え、念のために二目と見られない傷まで負わせたのだ。

 実の父親や親族でさえコロリと騙されている事に、内心、失笑を禁じえなかった。
(結局、まともに肉親でさえ差異を見極められるほど触れ合う機会がなかったということか。……逆に殺すほど憎んでいる正妻殿は一発で見抜いたというのに)

 まるで喜劇である。場所が場所でなければ、大笑いをして手叩きをしていたことだろう。

 そんな喜劇はいよいよ真骨頂に陥ったらしく、ひとしきり悲劇を演出していたコルラードは、決然と生還した娘の手を取り、愛しげに頬ずりしながら言い放った。

「可哀想なシルティアーナ。だが、安心おし、たとえどのような姿になろうと、必ずやお前を幸せにしてあげるからね。――そうだ! 許婚(いいなづけ)を探してあげよう。儂の力の限りを尽くして……。
 うむ、そういえば、帝国の現皇帝ジャンルーカ陛下の皇孫であらせられるエイルマー殿下に同い年の御子がおられたな、家柄といい年頃といいこの上ないお相手だ。ひとつ骨を折ってみよう!」

 その言葉に場の空気が凍った。

「か、閣下……さすがにそれは」

 たまらず進言しようとした周囲の面々を見渡し、不快そうに声を荒げるコルラード。

「なにか問題があるか?! 我が領土は元をただせば独立した一国であり、名目上はいまだに儂は国主に準ずる立場を皇国――いや、超帝国の神帝陛下から賜っておる! 皇帝の血筋なれど相手も公爵に過ぎん、ならば立場は同等であろう。第一、可愛い娘の幸せを願わぬ父親がどこにいようか!」

 先ほどまで口々にシルティアーナ姫の不幸に対して、同情を口にしていた面々としては、そういわれれば口ごもるしかなく、困惑した顔で互いに視線を見合わせ……最終的に、周囲の状況を理解しているのか、していないのか。車椅子に座って、虚ろな視線を宙に向けている、シルティアーナの醜い姿に視線を向けて、一斉に眉をしかめた。

 ――相手に失礼だろう。いくらなんでも……。

 全員が喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込む中、コルラードだけは上機嫌で、早速侍従長に命じて手配を始めた。

(これはこれは……。予想外に踊ってくれますね、この道化達は)
 思いがけない展開に、エグモントギルド長はほくそ笑みながら、素早く頭の中で台本の手直しに入ったのだった。
今回のコンセプトは、「58cmなんてありえません、エロイ人にはそれがわからんのですよ」ですね。
やっと間違った男子高校生の知識が基になった勘違いエピソードを入れられました。実際に見て触らないとなかなかわかりませんからね。
あとフィーアはドイツ語の「4」です。
それと小犬(狼?)に与えるには牛のミルクでは栄養不足になるので、卵黄とかゴマ油とか混ぜる必要があります。
ま、従魔なので丈夫だとは思いますけど。

なお、容姿に関しては子供なので、全体的にまだふっくらして完成されていません。
顔立ちはほぼ母親と瓜二つですが、クララは瞳の色がアイスブルーで、若干目が釣り上がり気味でした(雰囲気と表情で柔らかい印象を与えていましたけれど)ので、瞳の色と目元は父親似ですね。
あと胸の大きさは母親を圧倒する予定です(つまり実は良いとこ取り)。

12/12 誤字修正しました。
×けっこう可愛いい部類だと→○けっこう可愛い部類だと


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