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エレンに続いての主要キャラ登場です。
第一章 魔女見習いジル[11歳]
白竜の王子様と卵担ぎの少女
「――あふ」
 思わず口元に手をやり、漏れた欠伸を噛み殺しながら、私は軒下から朝靄の立ち込める、早朝の庭へと軋む階段を降りて行きました。

 長らく降り続いていた雨は、昨日の午前中に小降りになり、午後には上がって薄日が差してきましたので、そのまま様子見がてらレジーナとマーヤの2人と1匹で久々に森へ出かけ、生えたばかりのキノコと不足してきた薬草類を採り、夕方に戻ってきてからそのまま夜半過ぎまで精製、調合を行いました。お陰ですっかり寝不足です。

「あたしゃ午前中寝てるけど、あんたはサボるんじゃないよ、ジルっ!」

 レジーナの方はさすがに寄る年波には勝てなかったのか、堂々と惰眠を貪る宣言をしてベッドに入って行きました。そんなわけで、午前中は眠い目をこすりながら、日課の通り溜まっていた洗濯や掃除、薬草摘みと大忙しの予定です。

「でも、やっぱりお日様が出ていると気持ちが良いわね~っ!」

 久々の晴れ間に、私は大きく深呼吸と伸びをしました。
 たっぷりの水分を含んだ清涼な大気が胸一杯に充填されます。

 空気と森全体が濡れているせいでしょうか。『水』の属性を持つ私の魔力感知の範囲が、いまもの凄くクリアで拡大している気がします。ついつい思いつきで、感知のチャンネルを『水』に合わせて意識を向けたところ――。

「きゃっ!? なにこれ凄いっ!!」

 その瞬間、桁外れの情報が一気に押し寄せてきて、一瞬、頭がパンクしそうになり、無意識のうちにペタリと濡れた青葉の地面にへたり込んでいました。

 なんといいますかしら……普段の私の魔力感知の範囲(魔力圏)は半径20~25メルトが限界で、さすがに地下深くまでは感知できませんが、それ以外はほぼ球形の範囲内で魔力を認識・操作しています。
 勿論、その範囲内にある事象の全てを常に把握しているわけではなく、恣意的に特定の魔力だけ(わかりやすく『波動』と呼びます)選別して、他はある程度排除しているわけです。もっとも完全に遮断するわけではなく、言うなればスピーカーから流れる音だけに集中して、他の雑音を聞き流している状態ですね。

 ところがいま試しに『水』という対象に意識を向けて、波動を受け止めようとしたところ、通常の魔力圏で感じられる球形で均等な領域ではなく、ほぼ水平方向に、そして水滴や水溜りのある場所を点として、網の目のように――それも最縁部でざっと半径300メルトはあるでしょう――知覚が拡大した感じです。

「うううっ……頭がくらくらする……」

 通常とはまったく違う魔力圏と膨大な情報量を受け――いわば無防備な状態でいきなり大音響のオーケストラの演奏を聴いたようなものです――私は咄嗟に、普段から調息で丹田に溜め込んでいた魔力を解放して、これを遮断しました。

 言うなれば音の洪水に対抗して、こちらも爆竹を鳴らし、音波と音波のぶつかり合いで中和させたようなものです。

 それでどうにか体勢を立て直せた私は、魔力探知の範囲を絞って――言うなれば音量調節ですね――魔力圏の大きさを無理のないレベルに落とし、我に返ってその場から立ち上がりました。

「う~~っ、なんかお尻のあたりが冷たい……」

 情けない気持ちでお尻のところの泥と汚れを拭き取った瞬間、
「なに朝っぱらから、馬鹿みたいな魔力を爆発させてるんだい、このブタクサっ!!」
 小屋全体を揺るがす怒鳴り声とともに、飛んできたレジーナが操るホウキが、私のお尻を思いっ切り引っぱたいたのでした。



 ◆◇◆◇



「はふぅ……ひどい目に遭いました」

 私の魔力爆発で安眠を妨害されたレジーナは烈火の如く怒りまくり、結局、罰として村のお祭りの日までに作る霊薬(アムリタ)の数をもう1種類増やされたのでした。
 そんな私の頭をレジーナの使い魔のマーヤが、肩から生えた触手でポンポンと叩いて慰めてくれます。

「ありがとうマーヤ。それじゃあ、これ以上怒られないよう、仕事を始めないとね!」

 気持ちを切り替えて私はいつものように髪を縛り、野暮なワンピースのまま準備運動――もともとは武術のウォームアップをしていましたけれど、男女だと骨格も筋肉も違うため、成長期に変な筋肉がついてブタクサが余計不細工にならないように、最近はバレエのエクササイズをしています――をして、日課の素振りや型の訓練を終えた後、エプロンを付けて準備完了。

 ……と言いたい所ですが、最近はもう一つ、さらに背中に飾り気のない古びたリュックサックを背負うという作業が加わりました。

 リュックの中身は、いうまでもなくあの行商人から貰った、古代従魔『天狼(シリウス)』の卵です。
 本当か嘘かはわかりませんけれど――ま、実際に孵ってみたら、どこにでもいる『騎鳥(エミュー)』でした、というオチなのでは?といまだに半信半疑ですけれども――孵化させるのには、持ち主が絶えず魔力を当てていないといけないとのことですので、こうして四六時中手元に置いているのです。

 さすがに手に持ったり、エプロンのポケットに入れて歩くのは邪魔だし――というか、初日にへっぴり腰で抱えて作業しているのを見かねたレジーナが、どこからかこれを引っ張り出してきました。
 ありがたく使わせていただくことにして、中にボロ布や干草を敷き詰め緩衝材にして、その中に卵を入れて常時背負う形で日常を過ごしています。

「……なんかまた重くなったみたいな」
 手に持つとずっしり来る重さに眉をしかめリュックの中を見てみれば、いただいた時はガチョウの卵より一回り大きい位でしたのに、それよりさらに一回り大きくなっています。あともう一息でダチョウの卵と同程度でしょう。

「――いえ、ダチョウの卵の大きさで終わる保証もないですね」

 さらに成長してリュックに収まらないくらい大きくなったら……などと、あれこれ思い悩みながらそれを背負いました。
 そしていつものように水汲み、洗濯、掃除――その合間に簡単にスープを温めて朝食としました――を終えて、休む間もなく薬草類を採るために森へ入る準備です。今更ですが、はたして私は魔女の弟子になったのでしょうか? それとも無償の家政婦をやっているのでしょうか?

 ちなみに卵へは特に意図的には魔力を与えてはおりません。レジーナ曰く、私は普通の魔術師に比べて、常時身体から放出する魔力の量と密度が多いので、ここまで密着させれば問題ないそうです。

 ま、私の魔力が多いというよりも、一般的な魔術師というのは経験則を元に魔法理論や技術を確立してますけれど、どうも一番肝心な魔力の蓄積や圧縮という概念がない――あってもかなり疎かというか、散漫な印象があります――ので、その違いではないかと思うのですが。

 私の場合、前世で習い覚えた調息と整念によって、外部から取り入れた限られた魔力を収束して、常時ある程度体内に蓄えていて、それを必要に応じて小分けに使うのですが――例えるなら、気体である魔力を固体化してコンパクトにまとめ、使う時に気体に戻すようなもの――一般的な魔術師は必要な魔力を、まずは外部から集めて、魔術として行使したらそれっきり。一発打つたびに魔力をチャージをする必要があるので、非効率的だと思うのですよね(まあ、その補助として“魔石”を触媒に使っているのでしょうけれど)。

 ――と、言うような事を前に師匠(レジーナ)に話したところ、なぜか深い深ーいため息と共に強い口調で駄目出しをされました。

「間違ってもあたし以外の魔女や魔術師には言うんじゃないよ! 魔術関係者ってのはどいつもこいつも偏屈な石頭ばかりなんだ、そんないままでの魔術の根底を否定するようなことが知れたら、卒倒するか、激怒するか、それともあんたを拉致してでも解明するか……まっ、碌な結果にはならないだろうね」

 不愉快そうに眉根に皺を寄せたレジーナの助言に従いまして――なにしろ魔術関係者が『偏屈な石頭』って実例が目の前にありますからね――これに関しては今後も秘匿して独学でなんとかすることにしました。

 そんなわけで、魔法の発動を補助する魔法杖(スタッフ)(「子供の練習用」)を片手に、もう片手に採取した薬草・毒草を入れる籠と鎌を持って、私は森へ続く小道へと足を運びました。

「――どうかしたのマーヤ?」

 なぜか途中まで一緒について来たマーヤが、立ち止まって木々の梢の間から見える空を見上げていました。ピンと耳を立てた顔つきは、明らかに何かを警戒しています。

 思わず私も立ち止まり、眉の上に掌を当てて空を見上げました。
 雨上がりの朝の空気は透き通っていて、どこまでも抜けるような青空が広がっているだけです。

 それでも警戒の姿勢を緩めることのないマーヤ――ここ闇の森(テネブラエ・ネムス)の食物連鎖でも上位に位置する、人類にとって災害級と言わしめる魔獣――の放つ緊張感に、私も念のため手にした籠を地面に置いて、魔法杖(スタッフ)を構えて体内の魔力を練り上げました。

 背中の卵はどうしようかと思ったのですが、置いていくのも可哀想なので、この際一蓮托生でそのままにすることにしました。

 と――。
 上空の一点を凝視していたマーヤが鋭い咆哮を放ちました――その瞬間、風もないのに木々の梢が一斉に揺れ、不意に私の周囲の陽が翳り、真っ黒な影に包まれました。

 そして、風を切る羽ばたきの音と共に巨大な鳥? 蝙蝠? 翼竜? いえ、この世界を考えるならもっと適切な単語がありますね。前足が翼になったドラゴン――ファンタジーの定番『飛竜(ワイバーン)』――が、頭の上を旋回していたのでした。

「すごいっ! 本物のドラゴンだわ。綺麗……!」

 ドラゴンというのは緑色とか暗褐色とか、そういう地味な色合いかと思っていたのですが、この飛竜(ワイバーン)は全身が雪のように真っ白です。

 良く見ればその背中には丈夫そうな鞍と何本かの投げ槍(ジャベリン)がしっかりと固定され、鞍上には大小二人の姿がありました。

 片方は前方に座りいかにも慣れた様子で騎乗して手綱を握る、乗馬服と軍服の中間のような動きやすそうな恰好をして、腰に剣を佩いた男性――青年は過ぎたけれど中年と呼ぶのも早い年配――の見るからに騎士です。
 もう片方は同じような服ですがもっと簡素で飾り気がなく、帯剣もしていない私とあまり変わらない年頃の少年でした。こちらはいかにも覚束ない手つきで、鞍にしがみ付いている……という感じですね。

 二人は私たち――というか小屋の周りを何度か旋回して、徐々に高度を降ろしてきました。

 と、手綱を握っている騎士風の男性が、呆然と目と口を丸くして仰ぎ見ている私に気付いたようで、にっこりと魅力的な笑顔を向け、軽く手を振ってから、後ろにいる少年になにやら話しかけ――どうやら私の存在を伝えたようです――少年の方も、言われるまま私に視線を落とし、なぜか驚いたような顔で軽く目を瞠った後……ふわりと優しく微笑みました。

 な、なんですか、この天使か王子様のような微笑みは!?

 二人とも淡い金髪に青い瞳、なにより良く似た美貌(まあ、私の基準から見てで、この世界標準とは違うかも知れませんが)ですので、親子なのかも知れませんが、いかにも男臭い大人の男性と違って、無垢な少年の微笑みは破壊力が違います!!

 思わず赤くなった頬を押さえたところで、いまさら気が付きました。普段の外出時とは違って、動きやすいようにローブもフードも被っていないいまの自分の姿に。

「――っっっ!?!」
 いったん上った血が一気に引いて、ただでさえ薄い肌色が蒼白になるのを自覚しました。

 慌てて袖で顔を隠しましたけれど、その時には二人はもうこちらを見ていなくて、見れば小屋の周りや森の外の草原の方を指差しながら、
『この場所では降りるスペースがないな』
『あちらの草原に降りよう』
 いかにもそんな仕草で相談をまとめたようです。

 飛竜(ワイバーン)は、再び高度を上げて頭の上を通過していき、程なく、ばさりと一際大きな羽音が響いたのを最後に、木々を揺らす風音が完全に止みました。

「………」
 私は意図的に『水』の魔力圏を、先ほどのような全方向ではなく細く長く伸ばすように工夫して、彼らが消えた方向を探ってみました。すると案の定、小屋から森を抜け出た当たりに、A~B級魔獣クラスの魔力波動がわだかまっているのを感じました。先ほどの飛竜(ワイバーン)で間違いないでしょう。

 そして人間の方も鞍上から降りると、迷いのない足取りでこちらへと向かって来るのが感知できました。

 どうやら先日の行商人に続いて、二組目のお客様のようです。

「――はあ。仕方がありません、師匠(レジーナ)に知らせましょう」
 またもや寝起きを叩き起こすことになるわけですので、どれだけヘソを曲げて癇癪を起こすか想像も付きません。

「おまけにフードを被らず素顔を見られた……なんて、頓馬な失敗も話さないといけないなんて……」

 心痛でキリキリ痛む胃を押さえながら、私はマーヤを伴って来た道を戻りました。
 気のせいか背負った卵が妙に重く感じます。


 ……まあ、これがルークこと、グラウィオール帝国のルーカス殿下との初対面だったわけですけれど、この時の私には知る由もなかったのでした。
ワイバーンは魔力の大きさ的にはB級魔獣ですが、空を飛び火を吐くと倒しづらいためA級魔獣とされています。

ジルの能力は古武術の呼吸法と瞑想、そして現代知識による体系化によるものですが、もともとの魔術師としての潜在スペックも高い(普通の魔術師は使える属性が1~2個ですが、4属性+治癒能力)お陰です。
このあたりは聖女教団の巫女姫だった母親の遺伝です。
ちなみに母親で『リビティウム皇国のカトレア』と謳われたクララは治癒能力+光+闇+空属性でした。
その美貌と清廉かつ明晰だったクララは教団が信奉する聖女の生まれ変わり(笑)とも、聖女の再来とも言われ、皇国のみならず大陸全土の憧れの的でした。

ちなみに某〈紅〉曰く、「天然を装った養殖モノ」とのことで、その人となりついて死後神聖化もされていますが、生前は一部同性からは毛嫌いされていました。


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