第一章 魔女見習いジル[11歳]
親友の手紙と従魔の卵
私は小屋の奥にある調合部屋へと飛び込むと、
「“光よ我が腕を照らせ”」
扉を閉めるのももどかしく、魔法杖の先に“光芒”の明かりをつけて――熟練者は光の塊だけを頭の上に浮かび上がらせたり、自由に動かしたりできるそうですが、私にはまだそこまでの腕がありません――調合台の脇に立て掛けました。
そのおぼろな灯りに照らされて、閉め切られた――薬品類が変質しないように環境を保つためとのことですが、単に持ち主が無頓着なだけの気もします――室内の乱雑な様子が生々しく浮かび上がりました。
床といわず棚といわず、色々な薬の入った壷に錬金術の道具が、足の踏み場も重ねる隙間もないほど並べられ、さらにビーカーに入れられた目玉や乾燥した魔物のミイラ、その他得体の知れないガラクタがうず高く積み重ねられています。
蜘蛛の巣の張った天井を見れば、梁と梁の間に渡してある荒縄に結び付けられ、簾のように垂れ下がっているのは、乾燥中の薬草や魔草、毒草です。そしてその間を、毒々しい色の液体が満たされた大壷の表面から立ち昇る、怪しい煙が蛇のようにゆらゆらと這い回っているのでした。
普通の人ならどうにも落ち着かない空間でしょうが、私にとっては毎日籠もる場所なので、いまとなっては特に動じることはありませんが、この時ばかりは初めてこの部屋に連れて来られた時のような、落ち着かない気持ちで逸る胸を押さえながら、切った丸太をそのまま置いただけの無骨な椅子に腰を下ろしました。
それからあの行商人がエレンから預かってきた手紙を調合台の上に置き、包んであった油紙を解いて中身を取り出しました。ちなみにこの世界、紙の普及率はかなり高いですが、それでも高価なモノには変わりありません。
ですのでこの手紙もB5版くらいの何かの広告らしい紙――ひょっとしてあの行商人が配っていたチラシなのかも知れません。表面には『大人の遊び場・紳士の社交場。2時間たったの8銀貨』『バニーちゃんランド』などという扇情的なロゴが踊っていました。色々とツッコミどころ満載ですけど敢えて見なかったことにします――の裏面にびっしりと書かれたものでした。
『親愛なるジルちゃんへ。』
たどたどしくてけっして上手な字とは言えませんけれど、一生懸命に綺麗に書こうとした努力が窺える文字にエレンの人柄が忍ばれ、最初の一行を読んだだけで、私の口元には自然と微笑が浮かんでいました。
親愛なるジルちゃんへ。
お元気ですか。あたしも変わらずに元気です。だけどジルがいないから寂しいです。今度はいつ会えるのかな。
村もたまに野良の小鬼やスライムに齧られる人がいるくらいで平和です。
下の兄貴(あれ、話したかな? あたしには兄貴が二人いるのですが)が今年13歳で成人になります。3週間後に村の成人式のお祭りがあるので、ジルも来てくれたら嬉しいです。
ジルと一緒に『赤の花冠』も作りたいし。あ、『赤の花冠』というのは、年頃の女の子が赤い花で花冠を作って、成人式の夜に好きな男の子にそれを渡して、受け取った男の子はそれを女の子の頭に乗せるこのあたりの伝統だよ。
別に本命の相手はいないのですが(ジルちゃんが男の子なら断然本命なんですけど)、あたしは毎年、村のチビスケ達に作って配っているので、一緒に編めたら嬉しいです。
そういえばブルーノが例の日の翌日から、あたしの周りをうろうろしていたので、ジルのことで何か仕返しでもするつもりかと思って、つかまえて問い詰めたのですが、これが驚くことに素直に謝ってきました。
ジルにも悪いことをしたと言っていましたので、そういうことは本人に謝れと叱っておきました。だから次に来た時に謝りたいと言っています。だからジルさえよければ、あいつを連れて謝らせたいのですが、大丈夫でしょうか?
だけどあの様子は謝るのは口実で、目的は別だと思いますけどね。あたし個人的にはジルには不釣合いだと思うので、ガツンとやっちゃえばいいと思います。
それではまたすぐに会えることを期待して待ってます。エレンより。
◆◇◆◇
「――で、こんな辺鄙な田舎の年寄りの住むあばら屋に、何の魂胆があってわざわざ足を運んだ訳だい〈黒〉?」
行商人を名乗る青年が用意した化粧品を手にとって、いちおう中身を確認しながら、偏屈そのものの顔つきと口調とで問い掛けるレジーナ。
「いやいや、普通に旧交を温めに来たと考えないんですか〈白〉? なにしろそっちからは全然連絡がないんで、他の皆もずっと気にかけてるんですよ」
「ふん。あたしがここに隠遁することは全員承知の上だろうが。それとね、〈赤〉や〈緑〉〈紫〉あたりならともかく〈黒〉、あんたの口から「心配」なんて、虫唾が走る言葉がでるわきゃないだろう!」
きっぱり言い切られて、心外そうに肩をすくめる〈黒〉と呼ばれる青年。
「どうにもお互いの信頼関係には溝があるようで、残念ですなあ」
「ついでにあんたの目的も当てて見せようかね。この化粧品、“帝都の最新作”ってえらく強調していたね。つまり、現在の帝都のゴタゴタに関連して、あたしのところへ探りに来たわけだ」
乱雑な手つきで手に取った化粧品を放り投げるレジーナ。
危なげなく空中でキャッチした青年は、相変わらず韜晦した口調で首を捻った。
「引退したって割には耳が早いですなぁ。ひょっとしてもう中央から接触がありましたか?」
「ふん。風の噂さ。現皇帝が会食で、他の連中が躊躇した得体の知れない貝を、「旨い旨い」とお代わりをした挙句、毒に中って寝たっきり――阿呆な子だよ。親の方の教育を間違えたかねえ」
「現皇帝は健啖家でしたからなあ。で、後継者を巡って各派閥が内部分裂状態。……なにしろ、現皇帝のお子さんには〈白〉の特徴を持ったお世継ぎがいませんからなあ」
意味ありげな視線を受けて、レジーナは自分の長い髪を一房握ってすぐに放した。
ほとんど白髪と化しているが、往年の白銀に輝いていた面影をわずかに残していた。これは彼女の一族にだけ現れる、特徴的な色である。
「阿呆らしい。鶏の色が白だろうと茶色だろうと産む卵は変わらないだろうに。何色だろうがなりたい奴がなりゃいいんだよ」
忌々しげに吐き捨てる彼女を、張り付いた笑顔の下から、無機質な目付きで値踏みする青年。
「その『何色だろうがなりたい奴がなりゃいい』という言質を欲しがる人間、邪魔な人間が相当数いることをお忘れなく」
「あたしはただの田舎の婆あだよ。こんなもの場末の酒場でジョッキ片手に、怒鳴り声をあげている酔っ払いの戯言と変わりゃしないさ!」
傲然と嘯く――本人にとっては実際、その程度の認識なのだろうが――揺ぎ無い態度のレジーナを前に、軽く頬の辺りを掻く〈黒〉。
「そうは言われても、遠からず切羽詰った連中が先々代――帝国中興の祖である、生きた伝説を頼ってくるのは目に見えてますわ。それまでに旗幟は鮮明にしておいた方がいいんと違いますか?」
「ふん、なにが『生きた伝説』さ。棺桶に片脚突っ込んで半分死んだ伝説も良いところだよ。そんなのに縋ろうなんて腑抜た連中の相手をするつもりはないさ。金輪際あたしはそっちには関わるつもりはないんだからね!」
眼光鋭く睨みつけられた〈黒〉だが、どこか困ったような顔で、乱雑にされた化粧品の並びを直し始めた。
「……権力者がどんだけ汚いか、裏も表も知っているのは貴女じゃないですか〈白〉?」
「ふん、いまさら失うものはないね。亭主も子供らもとっくに墓の下だしね」
「あの可愛いらしいお弟子さんを巻き込むつもりですか?」
ズバリ急所を刺されたレジーナは黙り込み、鼻で笑い飛ばそうとして……失敗して、小考の後、満面に怒気を漲らせた。同時にマーヤも牙を剥き出しにする。
「もしもあの子に手を出そうというんなら……!」
「いやいや、自分はもうその気はないです。ただ今後の対処を間違わんよう助言ですわ」
『もう』という部分が気になって、そこを突っ込んで確認しようとしたレジーナだったが、ふとジルが奥の調合部屋から出て、こちらに向かってくるのを感知して口を噤んだ。
それから、ジルが居間を出る前と同様に、すっかり化粧瓶を並べ直した〈黒〉の手際の良さ――つまりは自分よりも遥かに早く気配を感じ取っていたのだろう――に、盛大に顔をしかめた。
「相変わらず嫌味で、油断のならない男だね!」
◆◇◆◇
居間に戻ると仏頂面のレジーナを前に、必死に並べた商品の売込みをかける行商人の遣り取りが、相変わらず続いていました。
「いや、その値段では卸値にも足りませんわ。他に持っていけばその3倍の値段はつきますって!」
「だったら余所へ持っていけばいいさ。こんな辺境でわざわざンなもの買う酔狂がいるとも思えないけどねえ」
「長年のお付き合いで優先してこっちへ持ってきたんですってば。そこらへんを汲んで、せめてこの位で……」
「だったら友人価格でこのくらいだねぇ」
「そないな殺生な!」
案の定、レジーナが一方的にやり込めているだけのようですけど。
「あの……」
こわごわ声をかけると、レジーナが面倒臭そうに、行商人があからさまにほっとした顔で、こちらを振り返りました。
「なんだいジル。手紙に良くない事でも書いてあったのかい?」
自分が身内の死亡通知でも受け取ったような不景気な顔で、レジーナが肩をそびやかしました。
ものすごく婉曲ですけど、なぜかいきなり私を心配しているかのような問い掛けに、少しだけ違和感を覚え、内心首を傾げながらも、私はエレンの手紙の内容――3週間後の村の成人式のお祭りへの招待――について話しました。
「……ふん、つまり祭りに行きたいからその日は休ませろと。――混ぜ棒の役にも立たない木偶の坊が」
無表情に確認するレジーナ。
ああ、駄目ですねこれは。ごめんねエレン――と、半ば諦めたのですが、
「まあいいさ。それまでに霊薬を3壷掻き混ぜてもらうよ。それができりゃあ祭りだろうが、暴動だろうが好きに行きゃいいさ」
どういう気紛れか、あっさり許可が下りました。
「――!? あ、ありがとうございます、師匠っ!」
「ふん。浮かれて手を抜くんじゃないよ!」
「いいですなぁ、男女の告白のお祭り。うちのお嬢さんに頼んだら、逆に火のついたタイヤ首に巻かれそうですけど……」
なんとなく空気になっていた行商人が、呑気な口調でなにげに悲哀に満ちた内容の相槌を打ちながら、荷物の中から四角い木箱を取り出しました。
「そんなお嬢ちゃんに、お兄さんからプレゼントですわ」
蓋を開け、差し出された中身を見ると、おが屑に包まれて様々な色の卵が入っています。大きさはガチョウの卵より一回り大きい位でしょうか。色が極彩色に水玉とか、縞々とか、星マークが入っているとか、なんかイースターエッグみたいです。
「古代従魔の卵! 魔力を当てて卵から孵せば、いまの魔獣なんぞとは比較にならない強力かつ、従順な従魔をペットにすることができる。現代では失われた幻の秘術の結晶です。これを本日商品を購入してくれましたら、特別に1個進呈します」
商品も口上も胡散臭いことこの上ありません。夜店のカラーヒヨコ屋のほうがまだしも良心的に思えます。
「1個ばかりかい、ケチ臭いねえ」
悪態をつきながらレジーナが、床の上に並べられていた化粧品から、ひょいと口紅を1個取り上げました。
「一番安い商品じゃないですか。……人のことは言えんと思いますけど」
ぶつぶつこぼしながら、レジーナから代金を受け取った彼は、改めて箱を私の前に押し出してきました。
「それじゃあ、お嬢ちゃん。どれか1個ですわ」
「え……? あの……?」
本当に私が選んで貰っても良いものなのでしょうか?
確認しようとしましたが、暖炉の傍の安楽椅子に戻るレジーナの背中は、それ以上の問答を拒絶していました。
無言で肯定しているものと判断しまして――と言うか『古代の秘術』とやらがインチキで、馬鹿馬鹿しくて放置している可能性の方が高そうですけど――お言葉に甘えて、適当な卵を選ぶことにしました。
「……えーと」
まあ、『従魔』とか半信半疑……どころか99パーセント疑ってますけど。
取りあえず確認するために卵に手を伸ばした――瞬間、こちらの掌を押し返すような強力な魔力波動に、思わず伸ばした手が止まってしまいました。
「っ! これって、まさか本物?!」
「勿論です。自分は生まれてこの方、絶対に嘘をついたことがないのが自慢ですから」
それは絶対に嘘ですね。
私は改めて慎重に魔力を確認しながら、1個1個全部で7個あった卵を手に取りました。さらに時間を掛けて比較した結果、
「これ……かしら」
割とシンプルな白地に青いギザギザ線が入った卵を選びました。理由は一番私の魔力波動に近くてしっくり来たからです。
「――ほう。天狼ですか。なかなか良いものを選びましたな」
「天狼?」
「さいです。翼の生えた狼の魔物ですな。なるべく肌身離さず魔力を当ててれば、2週間ほどで孵化すると思いますから、あとは名前をつければ、主人と使い魔の契約は終了ですわ」
肌身離さず……って、結構大きくて重いんですけど!? 普段からこれを身に着けて日常生活とか、どんな亀仙流の修行ですか?!
唖然とする私を無視して、手早く荷物をまとめた行商人は、さっさと帰り支度を始めました。
「それじゃあ、また近くに来たら顔を出しますんで~っ」
「二度とそのけったくそ悪い面を見せるんじゃないよ!!」
まさに打てば響く調子で、レジーナが怒鳴りつけましたが、行商人の方はまったく動じた様子もなく、私にもにこやかに一礼をして居間から出て行きかけ――ふと振り返って、私の胸元を指差しました。
「お嬢ちゃん、その首輪ですけど、悪い人間に見つかると厄介ですから、仕舞っておいたほうがいいですな」
いつの間に外に出ていたのでしょうか。胸元に下がっていた母の形見で、いまや唯一の財産ともいえる首輪。
どことなく真剣な口調でそう注意された私は、咄嗟に掴んでそれを隠しました。その瞬間、軽く身を翻して広間を出て行く行商人。
我に返って、お見送りしようと慌ててその追い駆けましたが、玄関の扉を開けた音もないのに、廊下に出た時には、まるで煙か幻のようにその姿は消えていました。
外へ出てみれば、相変わらず激しい雨が降り注いでいるだけで、どこにも人の気配はありません。
なんとなく狐にでも抓まれたかのような気持ちになりましたけれど、確かにこの手の中には従魔の卵があります。
「なにやってるんだい! さっさと霊薬作りの準備を始めるよ!」
「は、はい!」
居間から聞こえてきたレジーナの胴間声に応えて、私は玄関の扉を閉めました。その一瞬、手の中の卵が身震いするかのように、ブルッと揺れたのでした。
裏設定では『八界仙』という名実共に世界を支える集団の一名ですね。
ちなみに〈白〉と〈黄〉は世襲制で〈黄〉は2代位代替わりしていますが、〈白〉は初代のままです。他の〈赤〉〈銀〉〈緑〉〈黒〉〈紫〉そしてリーダーの〈紅〉は不老不死です。
なお〈白〉が魔術に手を染めたのは割と後年です。
他の連中なら(〈白〉と〈黄〉は除く)、従魔を孵すにはほぼ数秒の魔力照射で済ませられますが、現在の魔術師では数日~1ヶ月がかりです。
関係ないですけど、はたしてジルは花冠を編めるんでしょうか? 元男子は無理そうな気がするのですが……?
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