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第一章 魔女見習いジル[11歳]
雨の菜園と怪しい行商人
 今日は朝から雨です。
 さすがにこんな天気の日は森の中に薬草摘みに行くわけにも行きません。
 そんなわけで、自動的に一日部屋に閉じ籠もってレジーナと顔を合わせることになります。

「……師匠、蝙蝠の目玉と舌100匹分取り終りました」
「……ふん」
「………」

 プレッシャーです。
 いえ、別にレジーナのことは嫌いではないのですけど――と言うか勝手に居座った居候で、出来の悪い弟子としてはどうにも苦手……というところですね。

 レジーナの方も四六時中、毒舌や悪態こそついていますが、だからといって私のことを嫌っているわけではない……と思います、部屋の中で作業する時には、さりげなく目の届く範囲にいますし、出かける時は使い魔のマーヤを護衛につけてくれます。そもそも誰に対しても何に対してもあんな感じですから、ある種の愛情表現のようなものなんだろうなぁとは思うのですが……。

「まったく、出来の悪いブタクサだよ!」

 と、辛気臭い顔で面と向かって罵倒される居心地の悪さはいかんともしがたく、一日のうち午前中の薬草採りの時間だけが、精神的に羽の伸ばせる唯一の機会である私としては、この雨はさしずめ歓迎されざるお客様というところです。

 まあ、この日はもっと歓迎されないお客様が実際に来たわけですけれど……。



 ◆◇◆◇



「………」
 分厚い雨雲に覆われた空はすっかり太陽の光を遮り、しばらくは止む気配すらありません。

 私は恨めしげに空を見上げてから、取りあえず日課の魔除結界の効果の確認のため、嫌水魔術で雨を弾きながら小屋の周りと、レジーナに許可をもらって作った小さな実験菜園の様子を確認しに行きました。ちなみに植えてあるのはトウモロコシと南瓜です。

「やっぱり腐葉土を入れている方がちょっとだけ成長が早いわね。魔力を通している方は……まだ、明確な差異はないかしら?」

 できれば発酵肥料も与えたいと考えまして、実際に前世の知識を元に地面に穴を掘って、その中へ生ゴミと籾殻(もみがら)などを入れて蓋をして数日間――するとあら不思議、指で握るとサラサラする発酵肥料が完成……しないで腐った生ゴミを大量に生産してしまいました――のでそのまま埋めて大地へ還元しました。
 どうも私の半端な知識だと思うような結果が出ません。頭の痛いところです。

 それと思いつきで、薬草や魔草は魔力を多く含んでいることから、逆にこちらから魔力を与えたら成長促進になるのでは?と思い立ちまして、定期的に魔力を与えていますが、はじめてまだ数日ということで、こちらのほうはいまのところ目立った変化はありません。

 取りあえず一通り確認し終えた私は、傾いだ屋根の煙突から立ち上り、雨の帳の中へと消えていく白い煙を仰ぎ見ながら、軒下で軽くローブと長い髪(湿度が高いと変な癖がつくので、いまは縛ってません)に付いた水滴を払って、小屋の中へ戻りました。

「ただいま戻りました」

 一声かけて扉を開けると、古い家特有の埃と黴の臭い、古い本や薬草、毒草の匂い、腐肉が放つ甘いような爛れた臭いと様々な木材のいぶし香、得体の知れない薬品の刺激臭――これらが渾然となった、いわく言い難い匂いが押し寄せてきます。

 慣れないうちはかなり閉口した魔女の棲家特有の匂いですが、いまではすっかり適応して特に意識することもなくなりました。そのまま扉を閉めて、慣れた足取りで居間へと向かいます。

 居間では赤々と燃える暖炉に、なにやら得体の知れない中身の入った鍋をかけて、レジーナが安楽椅子に座って鍋の番をしつつ、黒い表紙の本を読んでいました。
 鍋の中身を延々と掻き回しているのは、身の丈ほどもある巨大な木の杓子です。まるで見えない人間が作業しているようですが、これはレジーナの使役魔術によるものです。

 そのレジーナは、入ってきた私を見てつまらなそうな顔で視線を本へ戻しました。

「この雨の中、イモ畑を見てきたのかい? ご苦労なこった」
「いえ、南瓜とトウモロコシですが」
「似たようなモンだろう。魔力まで与えてさ。下手すりゃ、そのうち南瓜の魔物にでも進化するかも知れないねえ。まあ、その時には使い魔にでもすればいいんじゃないかい? ブタクサの使い魔にはぴったりさ」

 せせら笑われた私の脳裏には、南瓜に手足が生えたハロウィンの南瓜お化けみたいなのが、自分の後を付いて歩く姿が描き出されました。
 開拓村から苗を貰って戻ってきて1週間余り。実験のつもりで魔力を与えていましたけれど、これってひょっとしてマズイことをしているのでは……?

「……あの、もしかして本当にそうなる可能性があるのでしょうか?」
「――ふん。普通は前もって術をかけた種を使わないと無理だけどね。だけど、なにしろここは『闇の森(テネブラエ・ネムス)』だよ、ないとはいえないねえ」
 面白がるように肯定するレジーナ。
 いえ…あの、できれば否定して欲しかったのですけれど……。

「そうなればまず間違いなく魔獣になるだろうけど……まっ、その時にはあんたが責任を持って始末つけるんだよ、ジル!」

 今度は南瓜とトウモロコシの魔獣相手に、必死に戦う自分の姿がありありと想像できました。思わず背中に冷や汗が流れます。その瞬間、私は即座に魔力で植物を育てる実験を放棄することを決意したのでした。

「魔力を流すのは、もうやめておきます。――どうせ使い魔を持つなら、穀物軍団ではなくて、マーヤみたいな子がいいですから」
「そりゃ無理だね。普通、使い魔っていうのは自分より弱い相手じゃないと使役できないからねえ。あんたじゃ大根か南瓜がいいところだよ」
 あっさりと切って捨てられました。

「……えーと、では師匠はどうやってS級魔獣のマーヤを使い魔にできたのでしょう?」
 さすがに人類の魔力でS級魔獣を上回るのは無理だと思うのですが。

「あたしの人徳に決まっているさっ」
 まったく説得力のない答えが返ってきました。
 ここは笑うべきところでしょうか?

「――そういえばマーヤの姿が見えませんけど、お使いにでも行ってるのでしょうか?」
 普段はレジーナの足元で横になっている黒暴猫(クァル)の姿が見えないことに気が付いて、なんとなく反射的に部屋の中を見回しました。

「森の中に食事に行ってるよ。こういう天気の日はアレの好物が、勢い良く湧いて出るからね。ま、そろそろ帰ってくるだろうけど」
「………」
 湧いて出る“好物”とやらの中身が気になりましたけれど、今後もマーヤと忌憚のない良好な関係を維持する為には、なんとなく聞かないほうが良い様な気がして聞き流すことにしました。

「兎に角、この調子だと2~3日雨が続きそうだからね、雨があがったらキノコとコケの採集に行くことにして、ジル、あんたはその鍋の霊薬(アムリタ)が吹きこぼれしないよう、3日3晩付きっ切りで掻き混ぜるんだよ!」
 黙々と杓子が攪拌している鍋を指差して、なにやら「うちのスープは○○時間煮込んだ絶品だ!」というコダワリのある豚骨ラーメン屋の店主みたいな顔で、傲然と無茶振りをするレジーナ。

「……木杓子が頑張ってるみたいですけど、これではまずいんですか?」
 無駄な抵抗だとは思いますけど、一応確認してみました。

「このブタクサ! 杓子に火加減の調節ができるかいっ?! 万が一にも煮込みすぎたら全部パアなんだからね。絶対に目を離すんじゃないよ!!」

 案の定、レジーナは不愉快そうに鼻筋に皺を寄せ、割れ鐘みたいな声を張り上げました。
 児童保護法も労働基準法もないこの世界では師匠の言うことは絶対です。私は観念して混ぜ棒の役割をバトンタッチすべく、邪魔なローブを脱いでエプロンに替え、袖を捲り上げました。

 さて、始めようかしら――と思ったところで、不意に雨音に混じって、マーヤの不機嫌そうな咆え声とともに、
「うひゃああああああっ! 助けて~~っ!!」
 という野太い男の人の悲鳴が、あたり一帯に響き渡りました。

「はあ――?」
 ここに来て4ヶ月以上。はじめて聞くレジーナ以外の第三者の声に、私は大慌てで窓際まで行き、立て付けの悪い窓を開けて、半身を乗り出すようにして、声のする方へと視線を投げ掛けました。

「誰か~~っ! この猫とめて――っ!! 食われる~~っ!!!」
 見れば行商人らしい恰好をした黒髪の男の人が、マーヤに捕まってボロカスになっています。

 普段であればここまで問答無用な態度を取ることのないマーヤの、まったく容赦のない態度に私は困惑して、助けを求めてレジーナの顔を振り返って見ました。

 その男の声を聞いた瞬間、借金取りに居留守がばれた一文無しのような顔で、ただでさえ気難しい顔を盛大にしかめるレジーナ。

「……マーヤ! そんなモン食べるんじゃないよ! 腹を壊すからねっ!」

 面倒臭そうに椅子から立ち上がると、大股で窓際まで歩いてきて、マーヤに向かって忌々しげに声を張り上げました。

 その声を聞いて、不満そうに男を振り回す手(触手)を止めたマーヤですが、それでも拘束は緩めずに油断なく相手を見張っています。
 いまにもガブリと噛み付きそうなマーヤの態度に、私は傍らに立つレジーナに尋ねました。

「……えーと、もしかして、あれが雨時に湧いて出るマーヤの大好物ですか?」
「そんなわきゃないだろう! アレはどこにでも湧いて出る害虫みたいなもんだよ!!」

 蛇のような鋭い眼光で射竦められて、私は思わず反射的にその場に気をつけの姿勢になり、さらに視線を巡らせたレジーナの見ている先――ごぶごぶと極彩色の(あぶく)を吹きこぼす、すっかり存在を忘れていた鍋――を見て、震え上がりました。



 ◆◇◆◇



「いやあ、ひどい雨ですなぁ」

 あれほどの目にあったというのにケロリとした顔で、その男の人は身体についた水滴を持参したタオルで拭き取ると、部屋の隅に置いてありました丸椅子を持ち出してきて、背負っていた荷物――風呂敷のような唐草模様の入った、帆布でできたリュックサック――を置いて、我が家のような寛いだ様子で座り込みました。

「誰も座れなんて言ってないんだけどねえ」

 舌打ちするレジーナに向かって、「いや~、申し訳ありませんなー」と、悪びれた様子もなく頭を下げる彼。年齢は……見たところ20歳そこそこなのですが、どこか老成した猫のような年齢不詳の雰囲気のある人です。

 自称、『ただの行商人』だそうですが、こんな冒険者もまともに来ないような闇の森(テネブラエ・ネムス)の中にある、魔女の庵を訪ねてくる時点で怪しさ爆発です。マーヤも警戒して、先ほどからレジーナの足元にぴたりと寄り添い、爪を伸ばしていつでも襲いかかれる体勢になっています。

「いやあ、自分のような零細商人は、こういう穴場と言うか隙間を縫わんと食っていけんのですわ」
 と、朗らかに笑う彼ですが、どう考えても説得力ゼロですね。

 魔法杖(スタッフ)を握る肩に、知らず力が入っていた私――男性が来る前に、いつものローブとフードとで顔を隠しました――を見て、軽くため息をついたレジーナは、しぶしぶ……と言うか、できれば自分でも否定したいような口調で、自称行商人へと顎をしゃくりました。

「見ての通り胡散臭い上に、言うことは全部嘘ばかり、詐欺師よりも性質が悪くて、どこを取っても信用できない男だけど、一応、残念ながら、あたしの顔なじみさ」
「……なんか自分、無茶苦茶言われてますなあ」
 その割には堪えた様子もなく、飄々と笑う行商人。レジーナの知り合いだけあって、神経の太さが並ではないのでしょう。

 私はレジーナの言葉を受けて、取りあえず魔法杖(スタッフ)を持つ手を下げました。

 わずかに弛緩した空気を察したのか、行商人が何気ない口調で、
「それにしても、すっかり身体が冷えましたなあ。こういう日は熱いお茶が美味いでしょうな~」
 結構露骨に催促してきました。

 仮にもお客なので、適当な香草茶(ハーブティー)でも煎れようかと思ったのですが、
「ジル、お茶なんて煎れるんじゃないよ!」
 気配を察したレジーナに機先を制せられました。

「アンタは招かれざる客なんだからね、飲みたきゃ雨水でも飲んでな!」
 それから雷鳴よりも良く通るガラガラ声を、どうにも厚かましい行商人へ浴びせかけます。

「いやあ、雨水はさっきその猫に振り回されてる時に嫌というほど飲んだんですけど」
「なら、もう一度飲んでみるかい?」
 その言葉に応えて、マーヤがのそりと身をもたげました。

「――いや、よく考えたら、もう雨水で腹はタプタプですわ。お茶はいいです」
「じゃあもう用事はないね。さっさと帰りな」

 半分腰を浮かせ、慌てた様子で両手を振る彼に向かって、レジーナがむっつりと出口を指し示しました。

「いやいや、せっかく遠いとこ来たんですから、商品くらい見てくださいよ」
「ふん。どうせいつものインチキかガラクタだろう。こっちはアンタのせいで、せっかくの霊薬(アムリタ)が駄目になったんだからね!」

 けんもほろろなレジーナとは対照的に、揉み手せんばかりの――胡散臭さが倍増する――愛想笑いを浮かべて、屈み込んで足元のリュックサックの口を開ける行商人。

「そう言われると思って、今日は正真正銘、最高級品を持ってきたんですわ。まずは試してみてもいいですよ」
「はん、いまさら物欲なんざないし、必要なモノは自給自足でなんとかなるからね。無駄なこと――」
「帝都で発売されたばかりの化粧品と美容液ですわ。これを付ければ10歳は肌が若返るっちゅうわけで、帝都でも品切れな希少、高級品です」

 立て板に水で謳い文句と共に、次々と床の上に化粧品の入った瓶を並べ出す。

「………」
 商品と商品ロゴとを見比べ、瞬き一つしないまま黙り込んだレジーナが、自信満々で胸を張る行商人の細い目を凝視しました。

「ふっ――」
 数秒の間を置いて、引き結ばれたその口から、空気が漏れるような音がして、続いて、
「ふっふっふっふっふっ」
 おどろおどろしい笑い声となりました。

「はっはっはっはっはっ」
 それに併せて行商人もわざとらしい笑い声を上げます。

 ひとしきり笑い合ったところで、不意に真顔になったレジーナが、いっそ優しげにさえ聞こえる声で囁きました。
「……詳しい説明と、効能を試させてもらおうじゃないか」

 ああ、レジーナもまだ女だったのですね。

「へいへい。任せてください。――と、そういえば、そっちのお嬢ちゃんは『ジルちゃん』ですよね? 実はここに来る前に西の開拓村を通って来たんですけど、ここに回るって言ったら、そこの村長の娘さんから『ジルちゃん宛』にと手紙を預かってきたんですけど」

「エレンから!?」
 思いがけない話に私は目を瞠りました。

「ああ、そんな名前でしたな」
 そういって彼は胸元から油紙で包んだ手紙を出して寄越しました。

 わざわざ雨に濡れないように油紙で包んでくれるその気配りに、見た目と言動が胡散臭いのは確かですけど、そう悪い人ではいのかも……と思ったところで、
「ふん、騙されるんじゃないよ。こいつはとんでもない悪党なんだからね!」
 そんな私の胸中を読んだレジーナが、すかさず釘を差してくださいます。

「いやいや、子供相手にそんな無体な真似はしませんよ」
「どうだか。――まあいい、ジル。しばらくあたしはこの馬鹿の相手をしてるから、あんたは調合部屋にでも行って手紙を読むなりしてなっ」

 レジーナの提案をありがたく受け取り、私は手紙を胸の前で押し抱くようにして大広間を後にすると、弾む足取りで奥にある調合部屋目指しました。

 相変わらず雨は止む気配はありませんが、胸の内にはほっこりと暖かな太陽が宿ったかのようでした。
行商人は1話で終わる予定だったのですが・・・。

12/8 誤字修正しました。
×リックサック→○リュックサック


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