第一章 魔女見習いジル[11歳]
魔女の日常と村の畑
季節は夏に向かっているのでしょうか。
一際緑がまぶしい草原の只中――作ったのが人か動物か魔物かは知りませんが、踏み分けられてできた一本道――を、魔法杖片手にひいひい掻き分けながら、私はほぼジョギングペースで開拓村へと向かっていました。
そんな私を振り返って見て、少し先を行く巨大な黒猫――レジーナの使い魔で黒暴猫――のマーヤがちょっと首を捻り、身を翻して戻ってきました。そのまま私と平行して歩きながら、肩の上から伸びた触手の片方で私の肩のあたりをトントンと叩き、もう片方の触手で自分の背中を指し示します。
『乗れ』という事でしょう。
その意味するところを理解して、私はその場に立ち止まって息を整えました。
「はあはあ……ありがとう、マーヤ。でも、それは師匠から禁止されてるから……はあはあ、帰りに荷物を持ってもらうだけで、充分よ」
やせ我慢と何よりバレた時のレジーナの怒りが怖いので、私としてはその申し出を断るしかありません。
するとマーヤは困ったような顔で、私の周りをグルグルと回り始めました。
主人の命令に従うべきか、疲労困憊している私を助けるべきかで悩んでいるのでしょう。
私は別名『黒い虐殺者』などと、恐れられているS級魔獣の優しさに胸を打たれながら、満面の笑みと共に再び足を踏み出しました。
「さあ、急ぎましょうマーヤ。このペースなら午前中に村に着ける筈ですから!」
そう言って先を促すと、マーヤはしぶしぶという風情で私の隣を追い抜き、私が走りやすいように前方の草むらを薙ぎ倒し、足踏みをして道を整えてくれました。
愛想のない主人と違って、本当に細やかで気の利く使い魔です。
◆◇◆◇
さて、曲がりなりにも魔力制御を覚え、魔術を行使できるようになったことで、私の一日の生活サイクルは随分と変化しました。
朝起きて水汲みと日課の自主鍛錬を行うのはいままで通り――邪魔にならないように髪の毛を縛るのは、古くなったハンカチではなくレジーナからプレゼントしてもらったリボンですが――その後は、料理に掃除を行った後、小屋の周りの結界の確認をする仕事が付け加えられました。弱っているようなら、魔力を流して補強します。
その後、籠と鎌を持って一人で――気が向いたらマーヤも付いてきますが――闇の森の、比較的小屋に近い場所で薬草採りです(絶対に奥まで行かないよう、これはレジーナから口を酸っぱくして言われています)。
ただし季節や天候の変化によって、薬草の種類や効能、生えている場所も変わりますので、そういう時にはレジーナが重い腰を上げて同行となり、現地で簡単な説明をしてくれます。
ですが説明してくれるのはその一回だけで、二回目からは自力で探すよう言われます。その上、思い出したように2ヶ月前に1度だけ見たことがあるだけの、「○○草を採ってきな」という無茶振りをされたりします。
間違ったり忘れていたりすると、当然烈火のごとく罵倒されるため、常に気が気ではありません。
兎に角、一度でも手にした薬草は忘れないよう、丹念に特徴を憶えて、手にして匂いを嗅いで、微細な魔力波動を検証して、木肌を剥いで作った自作の厚紙に木炭でメモしたりと大変です。
レジーナからは「薬草は他の雑草より魔力を多く含んでいる」ので「魔力探知で見分けがつく」と再三に渡って言われています。
ですが、実際に魔力探知で探ってみても、確かに薬草が生えている部分は、他と違う反応があるのはわかるのですが、個々の違いは非常に曖昧で……例えて言うなら、色彩サンプルをずらりと並べられ、「このオレンジと同じ色のオレンジ探して来い」と迫られるようなもので、いざ現場に出ても混乱してしまいます。こればかりは経験がものを言う部分で、なかなか一朝一夕には身に付きません。
まあ、大まかなアタリはつけられるので、現場まで足を運んで実物を見て……という感じで対処していますけれど、同じ魔力感知でも百発百中なレジーナとは大違いで、空振りも多く――だからと言って余分な時間をかけると、それはそれで大目玉を食らうので、常に全速力で森の中を走り回らなければいけません。
それでもまだ葉の形や茎の色で見分けがつく薬草類はマシです。見た目や臭いで判別し辛いのがキノコ類と、一部の地下茎魔草ですね。キノコは似たような種類が沢山ありますし、地下茎魔草の場合は苦労して時間を掛けて掘り出して、初めて違いがわかるため間違った時のダメージも絶大です。
例を挙げるなら、魔女・魔法使い御用達で有名な薬草『マンドラゴラ』ですが、この森には良く似た『マンドラドラ』という野草があります(薬効は一切なしで、一応食用になります)。
違いは『マンドラゴラ』は引き抜いた際に「ギャーッ!」と絶叫を上げるのに対して、『マンドラドラ』は「ヒーっ!」という情けない悲鳴をあげるくらいで、見た目ではまず判別できません。引っこ抜いてはじめてわかります。
なので、現在は魔力感知の範囲と精度を上げる努力をしている毎日です。ちなみに私の場合は感知できる最大半径は20メルトほどで、より詳細な情報を処理しようとすると、これが一気に半減します。
『風』系統の魔術属性があれば、キロメルト範囲で探知ができるそうですが、生憎と私の属性は『火』『水』『光』『空』の4属性らしく、こればかりは生まれつきの資質に左右されるので、断念せざるを得ませんでした。
「まあ素質的には、治癒術師にもなれるかも知れないね」
とは私の属性を確認したレジーナの言葉ですが、火や水と違って治癒術はおいそれと実験台を用意するわけにもいきませんので、いまのところは棚上げをして各属性の基本を学んでいる段階ですね。
そんなわけで午前中は森で採取がてら、魔術と武術の自主訓練をして過ごし、午後はレジーナを手伝って黙々と薬草を煎じたり、蛙や昆虫を潰したり、ビーカーで混ぜ合わせたり……と、どこからどうみても魔女の実験室を実践しています。
夕方近くになると私はお風呂場に行って、たっぷりの浴槽に魔術で水を張ります。レジーナはかなりの清潔好きで専用の浴室と風呂釜を持っていました。とは言え、ガスも水道もない世界でのお風呂の準備は大変で、いままでは何日かに1回程度の頻度で入浴していたそうですが、そこへ振って湧いた天然水源と熱源(=『水』と『火』が使える弟子)です。
「あたしゃ使えるモノは、ハナクソだろうとブタクサだろうと使う主義だからね!」
と言うことで毎日入浴するようになり、彼女が入浴中は私が釜のところへ付きっ切りになり、バーナーよろしく湯加減に併せて炎の調節です。普段は不機嫌と気難しさが服を着ているようなレジーナも、この時ばかりは上機嫌で、
「燃料の薪だの焚き付けだのがいらないんだからね。こればっかりは良い拾い物をしたもんだ!」
と鼻歌混じりですが……もしかして私の存在意義って、給湯器と同じなのでしょうか?
まあ、どちらにしても毎日の日課であるこれのお陰で、『水』と『火』の魔術精度と威力は、ぐんぐん上達したのですから、きっと師匠として弟子の資質を伸ばすために、敢えて行ったのでしょう……ですよね? 自分の楽しみを追求した結果、瓢箪から駒じゃないですよね? どうにも釈然としませんが……。
で、その残り湯を私も使わせてもらう形ですので、衛生上は日本に居た時とあまり変わりません。逆に貴族だった当時よりマシな位ですね。残り湯はそのままにして、3日に1度くらい洗濯に使用しています。ちなみに魔術で作った水は蒸留水に近いので、飲み水としては不向きです。
その後は夕食の支度を手伝います。
献立は特に代わり映えはいたしませんが、午前中に採って来た山菜野草などで内容が変わりますので、間違えてマンドラドラ等のハズレを引いたその日は、たっぷりの嫌味とお小言の後、煮えたぎった鍋の中、具が悲鳴をあげまくるという、精神衛生上非常によろしくないスープを掻き回すという罰ゲームが待ち構えています。
当然、そんな日の食事風景は最悪です。
「………」
レジーナは無言でもぐもぐスープを平らげますが、心なしかコメカミのあたりに青筋が立ち……。
「………」
私もダラダラと冷や汗を流しながら、無言でスープを流し込み――お味は結構美味しいです。サトイモとカブを足したような感じで――ますが、当然味わう余裕なんてありません。いっそ罵倒されたほうがマシ……という、やたら緊迫した胃の痛くなるような夕餉が待っています。
夜になると座学として、魔法理論や歴史、文学、社会学などをレジーナが講義してくださいます。彼女は大層博識で、なおかつやたら論理的――で、大方の予想通りスパルタ教育です――ので、前世の知識と11歳という、人生でもっとも記憶力が盛んな脳味噌というアドバンテージがある私でも、毎日予習復習をして付いて行くのがやっとという有様です。
「自分の国の創設理念も暗唱できないのかい、このブタクサッ!」
「エミディオじゃないよ。エミグディオ! それは叔父の妻方の従兄の祖父の養子だろう! この程度の系統図も暗記してないのかい!?」
講義の締めくくりのテストでは、毎晩毎晩、怒声が響き渡ります。
「どうにもあんたは頭の回転が悪いね、ジル」
というのが私のオツムの具合に関してのレジーナの総評でした。
「うううっ。申し訳ございません、師匠……」
「まあ帝都あたりの神学校のボンクラや、士官学校の脳筋学生に比べりゃマシだけどさ」
そんなわけで、弟子入りした初日に「たっぷり修行で絞り上げてあげるからね!」と豪語された通り、連日心身ともに絞られて、気が付けばそろそろ4ヶ月近く経ち、はち切れんばかりだった身体も、随分と人類に近づいてまいりました。
◆◇◆◇
「……手足が細くなって、お腹の肉も落ちたのはありがたいんだけど」
4ヶ月前は見事なドスコイ体型でしたけれど、いまはちょっとポチャ?程度でしょうか。
幸い成長期にぶつかったお陰で、弛んだお腹の皮は指で抓んで確認できる程度まで持ち直しました。
ですが、贅肉がなかなか落ちない部分もあり、特にいつまでも大きいままなのが、胸周りと腰周りですね、胸の方は走る度にたぷたぷ上下して閉口しています。心なしか逆に厚みを増したようで、あの栄養状態でどうして肉がつくのか非常に疑問です。
今後のダイエット計画について、あれこれ考えながらマーヤとともに進んでいくと、不意に視界が開けて、人の手が入った道に出ました。道の両側には陸稲やトウモロコシなどが植えられた畑が延々と続いています。
「――ふう。やっと着いたみたいね。ありがとうマーヤ、ここからはゆっくり行きましょう」
軽く返事をしてくれるマーヤとともに、ゆっくりと道を歩きながら目当ての開拓村を目指します。
ここに来るのは最初にレジーナに連れて来られてたのを抜かせば、今回が5回目ですので大体半月に一度のペースで訪れている計算になります。
最初の2~3回はヘロヘロになり、周りを見回す余裕もありませんでしたが、日々の訓練と慣れで体力が付いたお陰でしょうか、多少なりと寄り道をする程度の余力は残っていました。
「……思ったより栄養状態が悪いのね」
近くの畑に行って作物を眺めてみましたが、記憶にある日本の学習用の畑や、前世で凝り性だった母が作っていた家庭菜園と比べてみても、植えられた人参やトウモロコシ、陸稲は随分と貧弱で貧相に見えます。
「土は粘土質じゃなくて砂質に近いかしら。水はけが良いのが逆に難点ね。せめて作物の品種改良をして、土壌の方も腐葉土とか鶏糞とかで堆肥を作ってやれば随分と違うと思うんだけど……」
屈み込んで軽く土を掘ってみても、ほとんどミミズもいません。せめてミミズがいれば、畑の保湿性、通気性を良くしてくれて、その上フンが植物の活性化に有効なのですが……と、さらに掘ってみると焼けた土が出てきました。
「焼畑をやったのね、道理でこれでは地面に栄養素がないわけよね」
農業に関してはこの世界はあまり発達していないのか、それともこのあたりがガラパゴスで取り残されているだけなのかしらね、と思いながら私は立ち上がって、両手を軽くこすり合わせて付いた土を払いました。
せめて腐葉土くらいは教えたほうがいいかとも思いましたが、余所者の子供のいうことを聞いてくれるとも思えません。
「ごめんね、マーヤ。道草しちゃって。――あ、師匠には内緒にしていてね」
茶目っ気たっぷりにお願いすると、マーヤは『承知』とばかり尻尾を振ってくれました。それから私のローブの背中に落ちていたフードを触手で掴むと、ぐいと頭の上から被せてくれました。
「ありがとう。そうよね、もう人里だもんね、どこで見られるかわからないし」
私はきちんとフードを深く被り、醜いブタクサの容貌を隠すと、なるべく人に逢わないよう魔力感知を最大にして歩き出しました。
すみません! 予定通り村にたどり着けませんでした。
予定していた「村のいじめっ子とはじめてのお友達(仮)」は明日へ延期です><
ちなみにレジーナは平気で大学レベルの問題を出題しています。どんどんハードルを上げても付いてくるので、思いっきり無茶してますw
それと普通はお風呂に入っている間、連続して炎を出しつくすなんてできません。これまた比較対象がいないので、無謀なことをさせられてるのを知りません。
あと、本人は2次性徴の自覚がまったくないため、まだ自分がデブだと思ってます。
1/9 誤字の修正をしました。
×仕官学校→○士官学校
×はち切れんばかりばった→○はち切れんばかりだった
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。