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今回はジルが登場しない幕間のような裏話です。
第一章 魔女見習いジル[11歳]
辺境伯爵様と新任ギルド長
 石畳の床の上を、硬質な足音が(せわ)しなく行き来していた。

「嗚呼、なんということだっ! 儂の可愛いシルティアーナ……本来なら今頃は皇都で、11歳の誕生日パーティを華々しく開催していたというのに!!」

 この世の悲劇をすべて背負ったかのような悲痛な叫びが、オーランシュ領クルトゥーラ城の質実剛健を絵に描いたような大広間に響き渡っていた。

 その声の主――この城の持ち主であり、辺境伯爵という皇国内でも公爵に匹敵する大貴族であり、半ば国から独立した自治領の領主として、国主にも準ずる絶対的身分でもあるコルラード・シモン・オーランシュは、その仰々しい肩書きから想像される(いかめ)しい人物像とは掛け離れた、いかにも人の良さそうな――威厳や気品の代わりに、善意と律儀さが貴族服を着ているような――どこかフワフワと頼りなげな顔つきの痩身の男であった。

 ちなみに今年49歳になる。6人の息子は上は23歳から下は14歳と幅広いながらも全員成人を迎えているため、世間的にはそろそろ引退して後継者に家督を譲ってもおかしくはないのだが、諸般の事情からいまだ現役を貫いている……というか、周囲からの突き上げによって、泣く泣く椅子に座らされている状況である。

 ちなみに『諸般の事情』について、箇条書きにすれば。

・正妻であるシモネッタの子供は3人(長女、三女、三男)で、立場的には帝国派
・側室№1のエロイーズは皇族の血筋で、子供は5人(次男、次女、五男、四女、六女)で、当然皇国派
・側室№2のパッツィーは古くから親交のあるビートン伯爵の長女で、子供は3人(長男、四男、六男)
・側室№3のクララは既に故人。ちなみに貴族の出身ではなく、皇国で最大規模を誇る聖女教の元巫女姫(そして子供は、五女のシルティアーナのみ)

 誰に家督を譲るかで、非常に頭の痛い問題である。順当に考えれば正妻であるシモネッタの子供となるが、家格がやや落ちる上に帝国寄りで三男という立ち位置の関係上、国内及び領内の支持基盤が弱い。

 エロイーズの子供は血統的に皇家の肝煎りであるので、皇家内では強く推す声が高いが、反面自主独立の気運が強い領内の風当たりが強く、また隣接する帝国との関係を悪化させる可能性がある。

 パッツィーの子は長男である上に、半ば親戚関係に当たる貴族の血筋ということで、領民や古くからの家臣からの受けは良いが、だからと言って正妻や皇家の血筋を無視できるほどの後ろ盾がない。

 詰まるところは、子供達の誰もがどんぐりの背比べで、誰が後継者になってもおかしくなく、逆に言えば誰がなっても不満がでる。
 あちらを立てればこちらが立たず、領主といえども専横を通せば角が立って最悪暴動が起きる。つまるところ内外の顔色を伺い、現状を維持するため問題を先送りするだけで汲々という、実に情けない現状なのであった。

 そんなわけで、まだまだ体力的にも精力的にも問題がないことを表向きの理由に、後継者指名を先伸ばしている、とことん小市民で毒にも薬にもならない――まあ、平時においてはある意味名君と言えるかも知れない――彼も、ここ数日の心労が祟って、今では一気に10歳は老け込んだかのように、げっそりと頬と眼窩が落ち窪んだ顔つきで、椅子に腰掛けることも忘れてウロウロと、広間の一段高い上座を行き来しているのだった。

 本来であれば、この時期は職務の関係上、彼は皇都シレントで公務を執行しているのだが(と言うか領内の権力争いに嫌気がさして領地に戻ること自体を敬遠している)、そんな彼の元へ、皇都へ向かった筈の五女シルティアーナの一行が失踪したという報せが届いたのが1週間前のことであった。

 この時点で、溺愛している娘が行方不明になってから1月が経過していることを知り、狂乱一歩手前まで取り乱した辺境伯コルラードであったが、どうにか自制して急ぎ公務を切り上げる手続きを済ませ――これだけでも6日掛かった――皇都から1日の距離にある【転移魔法陣(シフトポーター)】を用い(直接、皇都には来られないよう距離を置いた場所に設置されている)、取るものも取りあえずクルトゥーラ城に戻ったのが、つい先ほどのことである。

 そんな彼を待っていたのは、シルティアーナの一行が全滅し、下手人らしい盗賊団の死体も現場に散乱していたという絶望的な追加報告であった。

 半ば魂が抜けた状況の夫の様子を、鼻白んだ目付きで眺めていた第一夫人シモネッタだが、第三者の前ということを意識して、いかにも“夫を心配する貞淑な妻”を演じて、そっとその傍に寄り添った。

「あなた、あまり思い悩んでは身体に毒ですわよ。確かに今回のことは不幸な事故(、、、、、)でしたが、状況を確認する限り衛士や侍従たちに落ち度があったわけではありません。防ぎようのない災難でした。この上は為政者として、二度とこのような悲劇が繰り返されないよう、率先して街道の整備や安全対策を施すべきではないでしょうか?」

「……だが、しかし、シルティアーナの遺体は確認されておらんのだろう?……ならば……まだ……」
 片手で額の辺りを押さえ、嗚咽を漏らすような口調で呻く辺境伯。

「それについては冒険者ギルドの方から、新たな報告が挙がっております」
「なに――?!」

 前もって打ち合わせをしていたかのように――実際、その通りなのだろう――侍従長に促され、広間の中央部分に片膝を付いて待機していた数人の男たちのうち、もっとも年長でいかにもやり手そうなタキシードを着て片眼鏡(モノクル)を掛けた男が進み出て、一礼をしたのち口を開いた。

「ご領主様にはお初にお目にかかります。ワタクシ、この度の不祥事により処分更迭されました前クルトゥーラ冒険者ギルド長に代わり、本国より派遣されました新ギルド長のエグモント・バイアーと申します、どうぞお見知りおきを。――そして、ご領主様の胸中を思えば誠に慙愧の念に絶えませんが、本日は御令嬢の御身に降り掛かった不幸につきまして、新たな事実が判明致しましたので、取り急ぎ馳せ参じました」

 滔々と自己紹介をした後、折り目正しく一礼をして、背後に控える数人の男達――武器や装備、年齢もバラバラなのを見ると冒険者なのだろう。一番年少の者など、まだ成人したての子供に見える――が、用意しておいたそれを、広間の隅から運んできた。

「――?」
 辺境伯が怪訝に目を細める。一見してただの厚い板――いや、蝶番と取っ手がついているところから何かの扉なのだろう。ただし民家のものにしてはいささか小さいが……。
 と思ったところで、その表面に描かれた紋章に気付いて、辺境伯の全身に電撃が走ったかのような衝撃が通り抜けた。
「それは――!?」

「はい、この者たちが発見しました、シルティアーナ様が乗っていらした馬車の一部でございます」
 エグモントが神妙な顔で、伏し目がちに答えた。

「………っ!」
 言葉にならない辺境伯に代わって、シモネッタが先を続けるよう促す。

「はっ。この者達は先日、当ギルドに登録したてのCランクからFランク冒険者なのですが、『闇の森(テネブラエ・ネムス)』で活動していた際に、この紋章の入った貴族の馬車を発見したとのこと。当ギルドから、大至急現地へ人を送り確認しましたが、確かに報告のあった位置に件の馬車が転がっておりました」

「それで――姫は……シルティアーナは?!」
 人外魔境ともいえる“闇の森(テネブラエ・ネムス)で発見された”という言葉に、半ば答えが予想できているのだろう、喘ぐように辺境伯が問い掛けた。

 同様に、こちらは最初から答えのわかっている試験の結果を聞くような表情で、内心ほくそ笑みながらシモネッタが続く言葉を待つ。

 沈鬱な表情で逡巡した後、エグモントが重い口を開いた。


「――発見いたしました。ですが、ひどい大怪我をされ、現在は絶対安静です。幸い命には別状ございませんが」


「おおおっ! それは…まことか!?」
「そんな、馬鹿な――――ッ!!!」
 喜色満面満面となる辺境伯の言葉に覆い被さるようにして、蒼白になったシモネッタの絶叫が大広間全体へ響き渡った。

 唖然となるか、もしくは鼻白んだ表情で自分を見詰める周囲の視線に晒されて、はっと我に返ったシモネッタは、慌てて威儀を正すと取り繕うように、夫に対して「申し訳ございません。無作法をいたしました」と謝罪してから、エグモントの怜悧な顔を火の出るような目付きで睨み付けた。
 こんな展開は当初の台本にはない。

「その話はまことですか?! 正直、信じられません。『闇の森(テネブラエ・ネムス)』で1ヶ月以上行方不明になっていて、無事に助かったなどと。それは本当にシルティアーナ姫本人なのですか?」

 それに対して、実に涼しげな顔で答えるエグモント。
「お疑いになるのも当然ですが、事件の後に偶然通りがかった冒険者が救助していたそうでございます。それと無事というのも語弊がございますな。先ほど言いかけましたが、姫君は森の魔獣に襲われ、全身に深い傷を負われました。全力で治療を施しましたが、傷は深く正直申し上げまして、生みの親でも見分けるのは難しい状態でございます。また、精神的な衝撃によるものでしょう、一切の記憶を失われておりましたので、これまで姫君と確認する術がございませんでした」

 ぬけぬけと言い切る男の顔を、歯噛みして見据えるシモネッタ。
「それでは、確たる証拠はないということですね?」

「とんでもございません。こちらがその証拠になります」

 自信有りげにエグモントが懐から取り出したものを見て、シモネッタの目が限界まで見開かれた。

「シルティアーナ姫様が指につけてらしたオーランシュ家の紋章付き指輪(リング)でございます」

 見せびらかすように見覚えのあるリングケースを開けて、中身を辺境伯、夫人双方に見えるように掲げる。

「おおっ! 間違いない、確かにこれはシルティアーナのもの! よくぞ……よくぞ、姫を助けてくれた! 礼を言うぞっ!」
 涙ぐみながら上座から降りて、リングケースごと指輪(リング)を受け取るコルラード辺境伯。

 シモネッタの方はその場から一歩も動かず、気死寸前の目付きでエグモントを凝視する。

(おのれっ! 偽物を立ててクルトゥーラに権力基盤を作るつもりか!!)

 その一瞬、彼の『してやったり』という嘲笑混じりの視線と絡み合った気がした。事前に話を通したところ、従容とこちらの提案を呑んだことから、与し易し……と踏んでいたところが、とんだ食わせ物である。

 我慢できなくなったシモネッタは、激情に任せて無言のまま大広間から退室した。

「皆の者も大儀であった! お陰で儂の掌中の珠は失われずに済んだ……多少の傷など問題ないだろう。今後冒険者ギルドに対しては最大限の援助を惜しまんので、何かあれば遠慮なく申し出てくれ!」

 感涙にむせび泣きながらの辺境伯の言葉に、エグモント以下ギルド員たちが一斉に頭を下げた。

「過分なお言葉、一同を代表してお礼申し上げます。今後とも閣下の信頼を裏切らないよう、我ら冒険者ギルド一同、粉骨砕身オーランシュ家及びクルトゥーラの為、尽力する所存にございます」

「うむ。頼んだぞ」
 感極まったのか、最後には冒険者全員を立たせて、一人一人の手を取って謝意を述べる辺境伯であった。

 ちなみに最後に手を取られた、一同の中で一番年若い新米冒険者で14歳の少年ジェシー・アランドは、ほとんど頭が真っ白になって何も考えずにされるがままになりながらも、柔らかな笑顔を浮かべる伯爵様の翡翠色の瞳と、ギルドの治療院で治療中だという1度だけ逢った包帯まみれの女の子の瞳の色とを思い出して、
(……同じ碧色でも、ちょっと違うな)
 と感想を抱いたのだった。



 ◆◇◆◇



 鎧戸を掛けて完全に密閉された私室。
 ぼんやりとした角燈(ランタン)の明かりの中で、執務机に座ったままの辺境伯コルラードがため息をついた。

「さて、三つ巴の権力抗争の渦中に一石投じたわけだが……誰がどう動くかな?」

『いいんですか、あのギルド長とんでもない野心家ですよ。言われた通り指輪を渡しましたけれど、よりにもよって替玉を立てて、この街を牛耳るつもりですよ?』
 闇の中から声が聞こえてきた。

「それも一興。もともとアレが暴走して引き起こした事態だ。せいぜい後始末に苦労してもらうさ。――ま、邪魔なようなら双方とも排除すれば済むことだ」
『排除はあまり気が進まないようですな』
「ふむ。正直なところ、この落しどころは悪くないと思っている。アレは詰めが甘い。母親に続いて娘まで変死したとなれば、当然疑いの目は自分に向けられるであろうに、その同調圧力を軽んじている。所詮は世間知らずの貴族の馬鹿女……聡明で美しかったクララとは大違いだ」
『ここで権力争いから脱落するなら、それはそれで問題ないのでは?』
「時期が悪い。現在、帝国でも次期帝位継承権を巡ってゴタゴタしている。下手をするとこちらまで飛び火する可能性がある。その時期に名目上帝国派のアレ一派を粛清すれば、確実に火の粉が降り掛かってくる」
『とりあえずの防波堤ってことですか』
「そういうことだ。せいぜい決壊するまで頑張ってもらおう」
『やれやれ。結局、娘さんもその為の道具の一つですか』
「無論のこと、貴族と言うものはそういうものさ。まあ、できればあの娘には、母親の分まで自由に羽ばたいてもらいたかったが……実際のところはどうなのだ、娘は――」

 確認しかけた辺境伯は、言葉を切ると無言で頭を振った。

「……シルティアーナは生きていた。証拠がある以上、儂が認めぬわけにはいかんな」
『………』

 しばらく待って、再び返事がないことを確認した辺境伯は、目を閉じて深々とため息をついた。
今回のコンセプトは、継母にいいように操られて存在感の薄い、お伽噺にでてくるヒロインのお父さんですが、普通に考えて大金持ちとか王様とかで、あそこまで無能ってありえないんじゃない?ということで、お父さんは実は・・・と。

あと、行方不明のヒロインの座に偽物が居座るのもお約束ですね ( ̄m ̄*)

なお、次回からは普通にジルの修行と日常に戻ります。
タイトルは「村のいじめっ子とはじめてのお友達(仮)」の予定です。
男の子のいじめっ子と女の子の友人がでてきます。

12/6誤字修正いたしました。
×立ち居地→○立ち位置
12/13 誤字修正いたしました。
×御幣→○語弊
12/21 誤用の修正を行いました。
12/28
×お初におめもじかないます→○お初にお目にかかります
1/9 脱字の修正しました。
×フワフワと頼りなげ→○フワフワと頼りなげな


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