第一章 魔女見習いジル[11歳]
開拓村の雑貨屋と誕生日の贈り物
魔力感知の網を広げて周囲の状況を把握する。
10メルト後方の樹上にSランクの魔力反応あり。見慣れた魔力波動は、レジーナに頼まれたのか自主的に付いて来たのかは不明ですが(多分後者でしょう)、使い魔のマーヤのものなので心配なし。
前方7メルトの距離にFランク魔獣――単体なのでおそらく角兎のもの――反応。そこからやや後方にEランク魔獣反応が5体。当初は角兎へと、コソコソ向かっていたものが、急に進路を変えてこちらを包囲する形で向かって来ます。
おそらくは小鬼の小集団でしょう。
狩りに出て獲物を狙っていたところへ、折り良く角兎よりも肉付きが良く、与し易そうな相手を見つけ、急遽予定を変更したといったところでしょうか。
まあ可能性としては低いですけど、現在の私はいちおう分類上は雌なので、普通の人間なら見向きもしない容姿のブタクサとは言え、相手は万年発情生物である小鬼。
とち狂って繁殖目的で襲われるという、お互いに不幸な事故が起こる可能性もあります。いちおう私も先日の11歳の誕生日を待っていたかのように、初潮を経験しているわけですので。
「ま、どちらかといえば食い物にしか見えないでしょうけど」
取りあえず足元に落ちている小石を何個か拾うため、身を屈めた瞬間、奇声をあげながら正面の藪から小鬼が2匹飛び出してきました。
ほとんど同時に、左右からも1匹ずつ姿を現しました。
そして最後の1匹は後方へ回り込むつもりでしょう。ぐるりと遠回りしているのでまだ姿は見えませんが魔力探知で丸わか――あ、こっそり近づいていたマーヤに屠られましたので、永遠に戻ってきませんね。
と言うことで残り4匹になりました。
私は正面の2匹へ向けて石礫を投げました。できれば格好つけて指弾で撃ちたいところですが、現在の手の大きさと指の力では、実戦で使い物になる威力は期待できませんので止むを得ません。
1匹は眉間に、もう1匹は目の下に当たって、反射的に顔を押さえて仰け反りました。
本当のところはどちらも目を狙っていたのですが、利き手ではない左でしたのでちょっと外れたようです。
とは言え一時的に戦闘力を奪うことには成功したということで、私はすぐさま体を捻って、まずは右手側の小鬼に向かって、右手に握ったままの杖――単にそのあたりの白木の棒に豆粒大の魔石を埋め込んだ、師匠曰く「子供の練習用」魔法杖――を向けました。
「“氷の牙よ、刃となり貫け”」
刹那、魔法杖の先端を中心に、大人の人差し指程の鋭く尖った氷柱が3列、現れると同時に音もなく高速で放たれました。
ちなみにこの詠唱に関しては特に決まりはないそうで、
「魔法学校とかだと、ご大層に『ナンチャラカンチャラ…久遠の英知よ、かしこみて我が力となれ』とか古典文学みたいなのを教えられるけどね。別に決まりごとはないよ。自分のやりやすいやり方で唱えるのが一番さ。実際、市井の魔法使いはほとんど我流だし、神魔聖戦当時の魔法使いなんざ、無詠唱で山のような化物をポンポン斃していたもんだよ」
と、レジーナは真偽不明な伝説を引き合いに出して、清々しくも無責任に「自分で考えな」と指導を放棄してしまいました。
そんなわけで現在は、基礎を学びつつ応用に関しては日々実験と実戦で検証している毎日です。
「グギャ――――!!」
小鬼が喉、鳩尾を押さえ、断末魔の絶叫とともに崩れ落ちました。
3本目は腹部に突き刺さるはずが、急所を外れたせいで致命傷にはならなかったもよう。まだ威力が足りないのか、他の要素があるのか……今後も改良が必要ですね。
感慨にふける間もなく、左手側の小鬼が棍棒を振り回して、殴りかかってきました。
私は咄嗟に、これを魔法杖で受けて、鍔迫り合いの体勢に――ちなみに体格的にはほぼ同じです――しました。ですが、なにしろ相手は野生です。腕力の差で押し切られそうになりました。
「このっ!」
さらに押し込んできたところを、裂帛の呼吸とともに受け流して、首筋に一撃入れようとしたのですが、その前に先に石礫を当てていた2匹が復活したようで、1匹は素手で、もう1匹は尖った石を握って向かって来ます。
「“炎よ踊れっ!”」
3対1という状況に(良く考えれば後ろに黒暴猫のマーヤという護衛がついていたのですから、いよいよとなれば助けてもらえたのですが。この時には、焦って存在を失念していました)、私は咄嗟に一番相性の良い、そして最初に覚えた魔法――【火炎】を唱えていました。
「あっ……まずい!」
我に返った瞬間、炸裂する火柱が小鬼を消し炭に変え、瞬く間に周囲の森へと火の手を延ばすのでした。
◆◇◆◇
「この――馬鹿者がっ!! 毎度毎度、手加減てものを知らないのかい!?」
普段から怒ってばかりのレジーナですが、今度という今度はまさに怒髪天を突く勢いで、手にした長杖を振り回しています。
まさしく1ヶ月前の魔力暴走の再現を前にして、私としてはあの時同様、平身低頭する以外に方法がなく、彼女がマシンガンのように放つ豊富な語彙を駆使しての罵詈雑言に耐え忍ぶばかりです。
ちなみに火事の方は、初期の段階でありったけの魔力を使い切り、必死に放った私の【水球】と、触手や身体を使って火をもみ消したマーヤの活躍と、なによりやたら丈夫で火にも強い闇の森の植生のお陰で、大事にならないうちにどうにか鎮火させることができました。
とは言え庵の近くで魔法を炸裂させて火を出したわけですので、当然レジーナの知るところとなり、肩をそびやかして飛んできて、即座に張り倒されんばかりの勢いで罵倒されたというわけです。
長年のツケを踏み倒された借金取りも裸足で逃げ出す勢いで、1時間以上面罵し通した彼女でしたが、さすがに息切れしたのか、語彙が尽きたのか……盛大に舌打ちして、一旦口を閉ざしました。
どうやらこれで切り上げ時かしら、と内心胸を撫で下ろしたところで、再びレジーナが口を開きましたので、慌てて地面の上に正座したまま深々と頭を下げます。そういえば、ここ1ヶ月あまりの修行と食生活のお陰で、お腹周りの贅肉も随分と削げ落ち、土下座も楽になってます。――現状、別に嬉しくはありませんが。
「いつまでもみっともなく、ヒキガエルみたいに這いつくばってるつもりだい?! さっさと立ち上がりな!」
「はい、師匠っ」
ほぼ条件反射で、その場で直立不動。
そんな私の頭の先から爪先まで、じろじろ値踏みするように睨め付けるレジーナの眼光がなぜか鋭くなりました。
「……あの師匠、なにか私の顔に付いていますか?」
「ふん。泥と煤がついて、ひどい顔がますます酷いもんだよ」
せせら笑われ私は慌てて小型の【水球】を作り出し、掌の上で解放してそれで顔を洗って、髪を縛る――もはや貴族でもないのですから、長い髪は邪魔なんですけど、「女の霊力は子宮と髪に宿る」という迷信があるそうで、頑として切る事を許可してくれません――いい加減草臥れたハンカチを外して、濡れた顔を拭ってそのままエプロンのポケットに仕舞いました。
その様子をなぜか忌々しげに見ていたレジーナですが、マーヤを呼び寄せると、さっさと踵を返して来た道を戻り始めました。
「帰るよ。なにグズグズしてるんだい!?」
頭ごなしに命令されて慌ててその後を追い駆けました。あれ?でもいいんでしょうか?今日の薬草とか野草とかまだ採取してないのですが……?
◆◇◆◇
レジーナの小屋から森の中の獣道を1時間余り歩いたところで、唐突に視界が開け、どこまでも続く大草原のパノラマが目前に押し寄せてきました。
「わああああっ!」
籠の鳥だった現世はおろか、前世でも映像位でしか見たことがない地平線を前に、我知らず感嘆の声が漏れてしまいます。
「なに、阿呆みたいに口を開けてるんだい! さっさと行くよ!」
感受性皆無で唯我独尊のレジーナが、マーヤに跨ったまま、面倒臭げに先を促しています。
我に返った私は、レジーナが指す方向を見て首を傾げました。
「こちらにあるのが、例の冒険者相手の街なんですか?」
その途端、レジーナは汚物の臭いでも嗅いだ様な顔で、盛大に眉をしかめながら吐き捨てました。
「『黄昏の街』のことかい? 冗談じゃない、あんな掃き溜めに誰が好んで行くもんかい! あんたも命が惜しかったら近づかないことだね」
ここまで露骨にレジーナが嫌悪感を示す場所となると、怖いもの見たさで逆に興味が湧きますが、
「“好奇心猫を殺す”って言葉を知ってるかい? 万一、あんたが好き好んで行っても、あたしゃ見殺しにするよ」
すかさず釘を刺され、しかも猫たるマーヤまで、同意するかのようにウンウン頷いているのを見て、底知れぬ恐怖を覚えながら、「わ、わかりました。肝に銘じます」と返事をする他ありませんでした。
「あたしらが向かってるのは、この先にある開拓村さ」
そう長杖の先端で示されましたけれど、延々と続く草原が見えるだけです。
「まだできて15年も経たない小さな村だけど、一通りのものはあるからね。良い機会だ、今後はジル、あんたが買い出しに行くようになるんだから、憶えておくんだね」
「買い出しに向かうのは良いのですけれど、何キロメルト位離れたところにあるのでしょうか?」
確か地平線までの距離って成人で4キロ位と聞いたことがあるのですけれど、背伸びしても少なくとも見える範囲には村はおろか、畑すらありません。
恐る恐る尋ねた私に向かって、レジーナは人の悪い笑みを浮かべました。
「距離は知らないけどね、マーヤの足なら30分もあれば着くさ」
自慢げに鼻を持ち上げるマーヤですが。それを聞いた私の目の前は真っ暗になりました。S級魔獣であるこのマーヤの足で30分……!?
聞くだけ無駄とわかってますけれど、一応確認してみました。
「あの、お師匠様がマーヤに乗っているのはわかるのですが、その場合、私は……?」
「立派な大根足が2本あるじゃないか!」
……はい。予想通りの答えでした。
その後、ヘロヘロになりながらもほぼ小走りで4時間以上、休息なしで歩いてどうにか目的の開拓村へとたどり着いたのでした。
◆◇◆◇
村で作られていたのは意外なことに麦ではなく陸稲でした。どうやらこの村では主食は麦ではなく米のようです(品種的には原種に近い長粒種のようですが)。元日本人としては原風景と言える光景に、知らず気持ちが安らぐというものでしたが。
「ジル! 村に入る前にちゃんとフードを被っておくんだよ。魔法使いはただでさえ胡散臭いがられる上に、あんたはその見た目だからね(苦労知らずの真っ白い肌に、薄いピンクの金髪、翡翠色の瞳なんて、目立つことこの上ないからねえ)」
強気口調で窘められて、私は森の小屋を出る時に渡された、レジーナとお揃いの黒いローブに袖を通し、口元まで隠れるようフードをスッポリと被りました。
(そうですわよね。私のような醜いブタクサが、人前に出てご気分を害してはご迷惑というものですから……)
「そう、それでいいさ」
満足そうに頷いたレジーナを乗せたマーヤの後に続いて、私は村の入り口へと向かいました。
見れば丸太で仕切られた門の前に、いかにも農民風な20歳代の男性二人が立っていて、暇そうに雑談をしていましたが、やってきた私達に気が付いてさすがにお喋りを止め、一瞬警戒の目を向けてきましたが、マーヤとその上に跨るレジーナを見て、あっさりと肩の力を抜きました。
「よう。森の魔女さん。今日は買い出しかい?」
「ああ、それと今度からあたしの代わりに、こっちの弟子が顔を出すようになるんで、挨拶に来たのさ」
「ほう。婆さんに弟子なんていたのか。随分小さい坊主だな。名はなんて言うんだ?」
「あ、あの、ジルです」
「おっと、お嬢ちゃんだったのか! そうか、魔女の弟子だもんな。当然だよな。スマン!」
「そういや魔女さん、村の外れの結界がこの間の雨で倒れたんだけど、一度見てもらえないかって村長が言ってたぜ」
「ふん、じゃあ帰りでも寄ってみるかい」
「頼むよ」
なんというか……。魔物の棲む森に暮らす魔女と、使い魔のS級魔獣、顔を隠したままの弟子。なお全員黒ずくめという、普通なら怪しさ役満の一行だと思うのですが、なんなのでしょう、この門番らしい二人との生温い関係は? せめて私のフードを引っぺがして、無理やり素顔を確認する位の緊張感は必要だと思うのですが、立ち話が終わったところであっさりと村へ入れてくれました。
いいんでしょうか、こんなんで?
さて、買い物と言っても小さな村のことです。雑貨屋、鋳掛屋、薬屋が並んでいるだけで終わりということで、レジーナはまずは薬屋に寄って、持参した薬草や日持ちのする煎じ薬を売り払い――ほぼ言い値で売れてます――その足で、知り合いらしい何軒かの家を回って穀物や野菜を購入しました。
行く先々で私も挨拶を強要されます。
そして最後に雑貨屋へと寄り、細々としたもの(砂糖、塩、胡椒、酢、石鹸など)を購入して、持っていた袋――なんでもある程度の重さと大きさのものを入れても、見た目と重さが変わらない魔具だそうです。要するに四○元ポケットですね――に入れたところで、レジーナが改めて私の存在に気が付いたような顔で、しかめっ面のままジロジロ眺めました。
「ジル、あんた先月よりちょっと大きくなったんじゃないかい?」
「そう……でしょうか?」
正直、目方のことばかり考えていたので、身長とかあまり注意していなかったのですが。
「まあまあ、この年代の子供はすぐに大きくなるモノよ。せっかくだし、古着でよければ都合をつけたらどうかしらね?」
雑貨屋の女将さんがそう言いながら、店の奥から何着か女物の(まあそうでしょうね)服を取り出してきて、ローブ越しに私に押し当てサイズを確認し出しました。
困惑してレジーナに視線を向けましたが、意外なことに「まったく、余計な出費が増えたもんだよ」と憎まれ口を叩きながらも、暗に承諾したことを女将さんに告げるのでした。
「それじゃあ、これなんてどうかしら?」
「ちょっと大きいんじゃないかい?」
「すぐに追いつきますよ。お嬢ちゃん、あなた幾つ?」
「10歳――いえ、先週11歳になりました」
「あら! じゃあお誕生日プレゼントかしら!?」
目を輝かせる女将さんに向かって、うんざりした顔でレジーナが手を振りました。
「ただの偶然だよ。それよか、あんた前に仕入れたは良いけど、誰も買わないって言っていた布切れがあったよね。あれはまだあるのかい?」
「ああ、あのリボンならまだあるけど……」
「もう一度見せてもらえるかい?」
「あいよ。ちょっと待ってて」
再び奥に引っ込んだ女将さん――探すのに手間取っていたのか、しばらく待ってからやや埃まみれで戻ってきた――その手に握られた碧色のリボンをレジーナは一瞥し、それから私をチラリ見やって、投げ遣りな口調で付け加えました。
「それじゃ、それもついでに貰おうかね」
あっさり言われた女将さんが目を丸くします。
「買うって……これ1本で今日の買い物の半分の値段はするよ? 本当にいいのかい?」
「ふん。これからはあたしの代わりにこのジルが買い物に来るんだ。せいぜいボッタクらないように、先行投資って奴さ」
その憎まれ口に女将さんが肩をすくめて、他の荷物と一まとめにしようとしたところ、横合いからレジーナがリボンを引っ手繰ると、無造作に私の方へと放り投げてきました。
私は咄嗟にそれを空中で掴みます。
「いつまでもあんな小汚いハンカチで縛るんじゃないよ。師匠のあたしの恥だからね」
私への贈り物だと。言われた言葉の意味を理解するのに数秒かかりました。
碧色の……自分の瞳に良く似た色のリボンを抱えて呆然となる私に向かって、女将さんが満面の笑みを向けます。
「良かったね、お嬢ちゃん。良い誕生日プレゼントだよ」
「あっ!……ありがとうございます。師匠」
私はリボンを両手で抱えながら、心からの感謝を込めて頭を下げました。
なんというか……『シルティアーナ姫』としては毎年山のようなプレゼントを貰っていた記憶はあるのですが、それに付随して「嬉しい」という感情がまったく残っていません。
もともとシルティアーナがその感情を持たなかったのか、2つの人格が統合された際に失われたのかは不明ですが、わかっているのは今の私が、誰かからプレゼントを貰うのは、これが最初だということです。
泣き出したくなるほど嬉しい気持ちで、何度も頭を下げる私と対照的に、レジーナは偏屈な顔を崩さず、無言のまま店の外を見ています。
その代わりと言うように、店の外で寝転がっていたマーヤが、機嫌良さげに尻尾を振りながら、目を細めているのでした。
ちなみに使い魔と主人とは、ある程度感情の機微を共有すると知ったのは、この少し後のことでした。
書き溜めた分はこれで終了なので、今後は逐次更新となります。
次回は「辺境伯爵様と冒険者たち(仮)」の予定です。
12/12 文章を一部修正いたしました。
1/9 誤字脱字を修正しました。
×急所を外れたでいで→○急所を外れた外れたせいで
×小汚いハンカチで縛るじゃないよ→○小汚いハンカチで縛るんじゃないよ
+注意+
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