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【佐村河内守ゴースト騒動】佐村河内は両親も酷すぎ!母は嫁の奴隷扱いに同意・父は息子の嘘を擁護

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週刊文春の最新号が2月13日に発売され、佐村河内守氏の生い立ちについて掘り下げています。

 

 

今週の記事では佐村河内氏がオフィシャルにしてきた経歴と実際に大きな隔たりがあることを関係者の証言から明らかにしており、その中で飛び出した佐村河内守氏の両親についてのエピソードが呆れる内容でした。

 

記事によれば佐村河内守氏は1963年に米の配達をしていた父「克成」と母「洋子」の間に生まれ、少年時代から虚言癖があったとされています。

高校卒業後に「石原軍団の専務が親戚だから」と語り石原軍団に入ると言っていたのも、そんな親戚はいなかったことが明らかにされており、実際は高校卒業後、京都の太秦撮影所で東映の大部屋役者になったようです。

 

その後上京し、新宿のショーパブなどでバイトしながら俳優活動を行っていたそうですが、1985年にはフジテレビの「まさし君」という単発ドラマに出演していたことが判明しており、後に「第二の矢沢永吉」として取り上げられますがうまくいかない、といった経緯を経て、作曲家になっていくという人生だったようです。

 

佐村河内氏は悪役商会の俳優「山本昌平」氏の娘と東京で同棲していたものの、同時に現在の妻である香さんとも、東京・広島の遠距離恋愛をしていたということで二股をかけていたことも明らかにされています。

山本昌平氏の娘と別れたあと、広島へ戻った佐村河内氏は香さんと結婚し、横浜へと引っ越しますがこの時期から仕事はろくにしていなかったようで、香さんの母親による暴露が記事でも大きな役割を果たしています。香さんの母親は佐村河内守氏にも、そしてその母親にも嫌悪感を抱いているようで、このように述べています。

 

「一時期、守は横浜の自宅近所のビデオショップで働いていたが、そこもすぐに辞めて、1日ごとに仕事を変えていた。だから、香の稼ぎが夫婦の収入のほとんどだった。香はむこうでは美容師はせんと、デパートの子供服売り場で働いとった。

守の仕事が長続きしないのに、愚痴一つ言わずに支えてたんよ。なのに、守は香に対して全て命令口調でコキ使う。『おい、タバコ!』『おい、灰皿!』って。香は守の奴隷じゃけえ」

(中略)

娘の窮状に耐えかねた田鶴子は、一度、佐村河内の実家に文句を言いに行ったことがある。

「旦那と一緒に行ったんよ。『過労で点滴しながら働いとると聞いたんよ。守君は全然働いてくれないんよ』と言うと、

お母さんがものすごい剣幕で『いまどき点滴しながら働くのなんて、珍しないよ!』って。

私は恐ろしくなって涙がボロボロ出てね・・・守は極度のマザコンなんよ」

 

 

文春は、佐村河内の実家にも取材しており、佐村河内の父親と会うことに成功しています。しかし父親も佐村河内の嘘を取り繕うことに必死だったようで、佐村河内一家に反省の色はないようです。

 

佐村河内の10歳の時の作曲を記憶しているか

「私は仕事で忙しかったので知らない」

 

楽譜の勉強はどこでやったのか

 「おそらく毎日図書館でやっとったはずです」

 

ピアノはありましたか

「引越しなんかしているものですからあったりなかったりしたこともあったと思いますけど」

 

 

文春はこう書いています。

 

佐村河内は両親にも嘘のストーリーを植え付け、「砂上の楼閣」を必死に守ろうとしてきたのだ。

 

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