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10歳編はここまでで終了です。
次回から本編の11歳編になります。
序章 シルティアーナ姫[10歳]
森の修行と黒猫の使い魔
       

『わたしはわたしの心をどのように保てばよいのでしょう』


       ――ライナー・マリア・リルケ『恋歌』――



 ◆◇◆◇



 さて、あれからなんだかんだで10日ほど経過しました。

 魔女の弟子になった私の日課ですが。
 まず朝起きると真っ先にハンカチで長い髪を一まとめにして、持ち手付きの木桶を両手で抱えて裏木戸から外に出ます。
 そのまま小屋の裏手にある井戸場まで行くと、水を汲んで木桶に移して3分の2ほど入れたところで持ち上げる――初日は満杯にして運ぼうとしたところ、ものの見事に重さで引っ繰り返したので、半分位にしてやっと運べ、手際の悪さにレジーナにくどくど小言を言われましたが、まるっきり鍛えていない肥満児の腕力ではそれで精一杯でした。

 その際には、前世であれだけ何年も鍛えた努力が、全部リセットされたことを自覚して改めて落ち込みましたが、まだまだ子供、これから伸び(しろ)はあると気を取り直し……と、思ったところで、
「――うっ。そういえば、いまの私は女でした」
 肝心なことを失念していたのを思い出して、再び落ち込みました。

 オリンピックの100メートル走のタイムとか見れば一目瞭然ですが、どんなに鍛えても女子の身体では、体力に関しては男性の90パーセント程度が限界です。
 と言うか、仮にも元貴族の令嬢で、現在は魔女の弟子が、肉体を鍛えるのってどこかピント外れの気がします。まあ、レジーナ曰く「魔法使いも最後は体力勝負だからね。柔じゃやってられないよ」とのことなので、将来の投資的な意味で鍛錬を積むことは間違いではないでしょう。多分。

 で、どうにか現在は木桶に3分の2程の水を一度に運べるようになった私は、いったん桶を地面に置くと、覗き込んで水に映る自分の顔を確認してみました。

 さすがに10日程度では目に見えた変化があるようには見えませんが、心なしか頬の辺りがすっきりしてきた感じがします。スカートの腰回りも日毎に余裕ができてきて、現在はエプロンの紐で調整していますので、この調子だと1月もすれば、各部の寸法を詰める必要があるかも知れません。

 とは言えまだまだはち切れんばかりの肥満体と、ブタクサの容姿は健在です。
 私はため息をついて、再び木桶を両手で持ち上げて歩き出しました。


 さて、井戸と小屋の台所とを何往復かして、生活用水に使う水甕に水を張り終えた私は、動きやすいその格好のまま再び外に出て、エプロンだけ外して軽く準備体操を始めました。

 朝靄が立ち込める森の一角。
 頑丈そうな平屋造りの建物の屋根にある煙突から、私が(おこ)した暖炉の煙が立ち上がっているのが見えます。

 身体を捻りながら周囲を見回せば、ぐるりと周囲を木製の柵――とは言え私の胸程度の高さしかなく、どう見ても気休め程度のものにしか見えませんが、なんでも魔物の嫌う臭いを染み付かせている他、魔物避けの結界魔術も重ね掛けしているとのことで、知性のない魔獣の類いはまず入れないとのことです――と、深い森の中で姿は見えないものの、盛んにさえずる小鳥だか魔物だかの声が、煩いほど聞こえてきます。

 とは言え現代日本とは比べ物にならない清涼な空気を胸に吸い込みながら、私は日課の鍛錬を始めました。
 まずは無手による演武。私が習った古流武術は基本武器を持っての立会いと、武器がない場合の徒手格闘術から成り立っています。立ち技の場合は接近短打を旨として、基本拳は使わず打撃に使用するのは掌と肘です。独特の歩法と連撃で間合いを殺して、相手を圧倒するのを主としています。

 10日前にやり始めた時には、この段階で呼吸と体力が持たず――しかも2~3日筋肉痛が凄かった――挫折したものですが、だいぶ身体に馴染んだようで、多少呼吸が荒い程度で済んでいます(まあ、全盛期にはこれを1回50連続、10セットとか平気でやってたんですけど、さすがに今は1セットで限界ですね)。

 続いて森に落ちていた適当な木の枝を削って作った木刀を構えて、縦に横にと演武を繰り返しました。あくまで実戦に即した剣ですので、槍や飛び道具に対応した相手を想定した技が多いです。時たま石礫を目標に向かって投げます。これも本来であれば手裏剣や短剣などを投げるのですが、流石に準備できないので石で代用してみました。

 そんな感じで小一時間続けていたでしょうか。
 いつの間に起きてきたのか、レジーナがいつものローブ姿で憮然と佇んでいました。

「毎朝毎朝、ご苦労さんなことだねえ。正直、乳母日傘(おんばひがさ)のお嬢ちゃんが、毎朝日が昇る内に起き出して、水汲みの他自主稽古までするとは思わなかったよ」
 字面だけとると感心しているようですが、彼女の場合、口に出した瞬間、思いがけない災厄に出くわしたような響きを帯びます。

 ちなみに前世では、武術稽古をするには朝の4~5時が最適な時間帯と師匠から言われていたので、毎日その時間帯に起きる習慣があったため、特に早起きが苦になるということはありません。まあ、シルティアーナの場合には、乳母や侍女が起こしに来るまで――いえ、それどころが二度寝までして――惰眠を貪っていたようで、朝の30分や1時間余分に寝たところで意味があるのかと、逆に理解に苦しみますね。

「ま、怠惰な凡人より働き者の凡人のほうが多少はマシかね。働き者の有能な人間はまずいないもんだし、働き者の無能は最悪だからね」
「はあ、そう…ですか」
 取りあえず『凡人』扱いされているのを喜ぶべきでしょうか?

「終わったんだったらさっさと飯の支度を手伝いな! 行くよ」
「――は、はいっ、師匠!」

 私は慌てて外してあったエプロンを付けると、大急ぎで小屋の中へ戻りました。



 ◆◇◆◇



 得体の知れない山菜とキノコを使ったスープに、ビスケットという朝食が終わり(基本、3食だけど内容はほぼ代わり映えせず、変化と言えばビスケットが黒パンだったり、オートミールだったり、たまに果物が付く程度)、午前中はレジーナと共に森の中へ薬草等を採取に行きます。
 ちなみに粗食については最初の3日は辛かったですが、1週間も経てば慣れました(相変わらずお腹は空きますが、そーいうものだと割り切れるようになります)。

 それはそれとして、『闇の森(テネブラエ・ネムス)』と呼ばれるだけあって、石を投げれば魔物に当たるとの話です。と言うかまともな動物はほとんど居なくて、魔物だけの森だそうですここは(そうなると魔女のレジーナも魔物の一種なのかなぁ?と疑問が湧きましたけれど、聞いたら多分一切の躊躇なく杖で殴られるでしょう)。

「そういえば今更ですが、動物と魔物の違いってなんなんですか?」

 鎌を持って籠を背負っての私の質問に、杖を握っている以外は手ぶらで先導するレジーナが、面倒臭げに答えました。
「魔物っていうのは広義では魔力を持った動物の総称だね。狭義には体内に魔力の源である“魔石”を持ってるどうかだね」

 ふむ。魔力が使えるかどうかでしたら、多少見た目が変な――草むらに潜んで血走った目でこちらを見ている角の生えた兎とか、さっきから付回して来る牙の生えた緑色の小人といった――変な連中であっても、動物の範疇なのでしょうか?

 背中を向けたまま、私の疑問を先読みしたらしいレジーナが、すかさず注釈を付け加えてきました。
「言っとくけど“魔法”って言っても別に目に見える形で、火を放つとか、風を操るとかだけじゃないよ。そういうのは逆に少数派だね。知性のない畜生はだいたい無意識に肉体の強化――並外れた体力とか、他の動物にない角とか、馬鹿みたいな生殖能力とか、一芸特化になるから、見た目でもわかりやすいさ」
「……あの。そうしますと、ひょっとして、この周囲にいてこちらを狙っているような動物は……?」
「見りゃわかるだろう。魔物だよ」

 あっさりと肯定されて仰け反りそうになった瞬間、周囲の魔物たちが一斉に殺気だって――すわ襲ってくるのかと鎌を構えたのですが――その瞬間、木立の間を黒い影が疾風のように走り抜け、ボン!と遅れて魔物たちが爆発したかのように弾け飛びました。

「うわ~~~っ……」
 飛散する血と肉と臓物のスプラッターな光景に、ドン引きする――もともとのシルティアーナだったら凄惨な光景に卒倒していたかも知れません。修行で血反吐を吐いたり、開放骨折したりするのを間近に見ていた前世の記憶があって、どうにかこの程度で済んでいるところです――私の前に、一瞬でこの現場を作り上げた張本人が、足音もなく近づいてきます。

「ご苦労さん、マーヤ。森に異常はないかい?」

 ぶっきら棒なレジーナの態度にも慣れた様子で、その影――肩までの高さが約1.5メルト。頭の先から尻尾の先までは4~5メルトはありそうな真っ黒い猫――が、口に咥えていた大鷲ほどもある単眼の魔鳥を、下草の生えた地面に下ろして一声鳴いた。

 サイズ的には大虎並みですが、スタイルとシルエットはどうみても猫です。違うのは両肩から長い触手が2本生えている位で、ゴロゴロと喉を鳴らしている様子は愛嬌もありますけれど、レジーナによればこの闇の森(テネブラエ・ネムス)の生態系でも上位に位置する『黒暴猫(クァル)』という魔物で、彼女の使い魔だそうです。

 最初に会った時には思わずその場で硬直し、続いて触手で引き寄せられて、ざらりとした舌で舐められた時には再度の死を覚悟しましたが、幸いにも気に入られたのか、レジーナの付属品(おまけ)という風に妥協してくれたのかは不明ですが、いまのところ友好的な関係を築けていると思います。

「それにしてジル。あんたは朝やってる修行のお陰か知らないけど、随分と目と勘が鋭いね」
「恐れ入ります」
「褒めているわけじゃないよ。逆だよ! なまじ肉体の感覚に頼っているから、魔力を感じる妨げになっている。いまマーヤが捕まえてきたその死告鳥(ナイチンゲール)は、気配を隠してずっと頭上から狙ってたけど、あんた気が付かなかったろう? 魔力探知なら一発なんだけど、やる気あるのかい」

 振り返ったレジーナは、顔を干しブドウみたいにしわくちゃにしかめて吐き捨てました。
 一旦持ち上げてから、奈落へ突き下ろす――悪意はなく、普段からこの調子なのは弟子入りした10日で骨の髄まで叩き込まれましたが――言動に、思わず俯いて唇を噛み締めます。

「まずは自分の中にある魔力を感じることだね。魔力は世界に満ちているけど、そのままじゃ空気と変わらない。自分の中の魔力を呼び水にして、働きかけるのさ」

 そう言われても、正直ありもしない腕を動かせといわれているようで、どうにももどかしいものです。レジーナはそれ以上、特に付け加えることもなく、さっさと踵を返すと、ズンズンと森の奥へと入って行きました。

 私も慌ててその後を追い駆けます。捕まえた獲物である死告鳥(ナイチンゲール)を、頭からポリポリ丸齧りしたマーヤが最後尾に位置して私を守ってくれている――のでしょうが、なんとなく急き立てられている気になって、小走りになっていました。



 ◆◇◆◇



「そっちの赤い茎の黒い葉はマウラ草。葉っぱを干して煎じて飲めば熱冷ましになる。隣にある白のはエジリオ草、湿布薬の原料さ。全部取るんじゃないよ。根っ子は残して株分けできるようにしておくんだ」

 手頃な倒木に座ったまま長杖の先で指示するだけのレジーナに、顎で使われる形で私は森の中のちょっと拓けた水場の周囲を、あっちに行ったりこっちに行ったりと独楽鼠のように走り回っています。

 指定された薬草や野草を採っては、背中の籠に納めます。採り方が悪かったり、処理が下手だと烈火のような叱責が飛んで来るので、私としても真剣にならざるを得ません(まあ、それでもご飯抜きとか屋外に放置とか、後々尾を引くことがないその場限りのさっぱりした悪態なのが幸いですけれど)。

「それと、そこの白樺の根元に生えているキノコ」
「あ、はい、これですね師匠?」
 言われた通り、私はそこに生えていた茶色いキノコ――見た目は地味で、普通にスーパーあたりで売ってそうな大人の親指大のキノコ――が、ずらりと並んでいるのを一本抓んで指し示しました。
「これは食べられるんですか?」

「そりゃ食えるさ」
 神妙に頷いたレジーナは、そこでにやりと相好を崩すと、「ひひひひひっ」と意味ありげな含み笑いを漏らしました。
「どんなキノコでも1回は口に入れられるよ。そいつの場合、2回目はないけどね」

 つまり1度でも食べたら死ぬほどの猛毒ということ。

「――でっ?!」
 慌てて捨てて、抓んでいた手を水場で洗って、エプロンで手を拭います。

「勿体ないことするんじゃないよ。それも大事な薬の材料だからね。きちんと採っておきな! ああ、他の薬草と一緒にならないよう、注意して分けるんだよ」
「えっ……! だって毒キノコですよね、師匠? これを使うなんて……」

 うっ。そういえば、この人『闇の森(テネブラエ・ネムス)』に隠遁する魔女でした。当然、後ろ暗い目的の10や20はあるでしょうね……。

「なんだいその目は? 言っとくけど、毒も薬も大して変わりゃしないのさ、匙加減一つでそのキノコも心臓病の薬になるしね」

 こちらの心情などお見通しとばかりに、眼光鋭く見据えられ、私は慌ててエプロンのポケットを探り、何もないので、髪を縛っていたハンカチ(もともと私が持っていた数少ない私物です)を解いて、広げたその上に毒キノコを何本か採って、縛って籠の中へと仕舞い込みました。

 ふと、レジーナが何か言いたげな顔でこちらを見ている気がしましたが、見つめ返すと、つまらないものを見たような顔で、あからさまに顔を背けられました。

「その小さい丘の向こうに、ヴェルディ花の群生がある。球根に止血作用があるし、そのまま蒸して食っても美味いからね。2本に1本は残すようにして採ってきな!」

 特に変わった様子もなく声高に指図され、再びそちらに向かいながら、思わず口から疑問の声がこぼれました。

「よくこんな隠れている花を見つけられますね。慣れ、でしょうか?」

「何回同じ事を言わせるんだい、このブタクサはっ。魔力だよ魔力探知! 薬草は他の雑草より魔力を多く含んでるんだ。目で見て頭で考えるんじゃない、感じるんだよ!」
 するとレジーナが苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てました。

(「考えるな、感じるんだ」って、どこぞのカンフースターじゃないんだから、そんな簡単にできるわけないじゃない)

 げんなりしながら、言われた花の根を鎌で掘り起こし始めます。意外と深いのかなかなか球根までたどり着きません。

(魔力……ねえ)
 毎朝の鍛錬の時や、暇がある時に感じ取れるよう努力はしているのですが、どうにもはかばかしくありません。

(せめてキーを差し込んで、エンジンを回して、ギアを交換して……とか、マニュアル通り手順を踏めば、ド素人でも動かすことができるとかなら楽なのに)

 そこでふと、私は気が付きました。気が付いたというか発想の転換でしょうか。

(そうよね。レジーナの言葉によれば、『素質はある』そうなんだから、既にキーは刺さった状態なわけよね。あとはどうやってエンジンを回すかなんだけど、そもそも燃料はどこから補充しているわけな……ああ、周囲に満ちている魔力を利用するって、そういうことね。つまり人間の魔法ってのは外部に燃料のある外燃機関なわけよね。それに対して魔物は体内の『魔石』を燃料にしている――いえ、単なる蓄電器(コンデンサ)かも)

 なんとなく頭の中で『魔法』というものが形になってきました。私は球根を掘る手に力を込め、さらに考えを推し進めます。

(つまり人間の魔術というのは、体内に僅かばかりある外部から取り入れた『魔力』を発火材――もしくは自身を発電機(ダイナモ)として、一気に周囲に火をつけるようなものってことじゃないかしら? つまり体内の魔力っていうのは、大気に含まれる不純物ってことよね)
 それまで私は『魔力』というのは、清涼で幻想的な力だと思っていましたが、明確に『不純物』と規定して、意識して呼吸法を試すことにしました。

「――うん?」
 退屈そうに私の様子を監督していたレジーナが眉を寄せ、その足元に寝転がっていたマーヤがピクリと顔を上げました。

 視界の隅にそれらを留めながらも、意識の大半を自分の体内へ集中させます。独特のリズムによる腹式呼吸で、丹田まで空気を落とし出す。
 繰り返しながら丹田に溜まった(カス)を意識――なんとなく、薄い煙のようなものが残留しているのが感じられました。

(これが燃料。そしてこれに火を点けて、一気に外へ――)

 その瞬間、血相を変えたレジーナが立ち上がり、マーヤが一瞬で私の上へ覆い被さってきたのと同時に、目の前にあった沢水の流れる水場が、とてつもない火柱と轟音とともに消し飛んだのでした。
魔物の等級は、
S(天災級)>A(大規模戦闘級)>B(大量動員級)>C(強敵)>D(かなり手強い)>E(普通)>F(余裕)
が目安になっています。まあ、この上に伝説級とか、計上不能級とか、世界破滅級とかが居ますけれど、普通は人間のことには口出ししませんし、各国首脳級でもなければその恐ろしさを知りません。

12/22 誤字修正いたしました。
×解放骨折→○開放骨折
1/9
×素食→○粗食


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