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序章 シルティアーナ姫[10歳]
魔女の弟子と悪いお妃様
「――で、あんた、これからどうするつもりだい?」

 鏡を仕舞い込んで、再びどっかと椅子に腰を下ろしたレジーナ。
 どうでも良いですけど、彼女の場合この丈夫そうな足腰で杖を付いている意味があるんでしょうか? 尋ねたら単に気に食わない相手を打擲(ちょうちゃく)するためにだけ持っている、という答えが返ってきそうで、ちょっと怖いです。

 一方、前置きなしに訊かれた私は、意味を計りかねて首を捻りました。

 この世界での私はブタクサとは言え、仮にも皇国では公爵に比肩する辺境伯の娘です。事故か事件かはわかりませんが、行方不明となれば当然捜索隊が編成されるでしょう。
 やって来きた彼らと合流して、領地へ戻るなり予定通り皇都シレントへ向かうなりするのが当然だと思うのですが?

 私のその言葉に、レジーナはもともと気難しげな顔をより一層しかめ、どこか吐き捨てるように口元を曲げました。
「そう上手く行くかねぇ」
「なぜ…ですか?」

 じろりと出来の悪い生徒に答えを教える家庭教師のような目で、私を見ながら猛禽類の爪を思わせる指を一本一本倒すレジーナ。
「まず第一に、ここが国境線を越えた隣国だってこと。あんたの捜索隊は私兵か正規兵かわからないけど、国の看板背負った連中だ。検問があるわけじゃないけど、無断で他国に足を踏み入れることはまずないだろうね」
 続いて二本目の指を倒しました。
「第二にここが闇の森(テネブラエ・ネムス)だってことだね。近くには冒険者や探索者相手の場末の町がないわけじゃないけど、堅気の連中はまずやって来ないだろうね」

「それはそうかも知れませんが、それならこちらから国境を越えて街道なり、皇国の手近な町へなり出向けば良いのでは?」

 レジーナはそんな私を頭の天辺から足の先まで()め回し、ウンザリした顔でこれ見よがしに三本目の指を倒します。
「一番の問題は、なんであんたがこんな場所で死んでたかってこった。おかしいじゃないか、皇国の大貴族の御令嬢が一人で、街道を大きく外れた闇の森(テネブラエ・ネムス)にいるなんて。盗賊に襲われたにしろ、魔獣に拐われた結果にしろ、あんたの他には誰も居なかったし、争そった様子も血の痕もなかった。――あたしにはあんたの旅の一行全員がグルで、あんたを殺すためにお膳立てしたように思えるんだけどね」

 なにか身に覚えがないかい?と重ねて訊かれました。

「………!!」
 けれど、私としては愕然と首を横に振るしかありませんでした。

 ちなみに愕然とした理由は、レジーナの話が突拍子もなかったせいではなく――逆に理路整然としていて、どれも納得できるものばかりです――そう尋ねられても、自分の周りの人間関係や心の機微について、一切情報を持っていない自分の無知さ、愚かさを自覚したからでした。

 私は間もなく11歳。11歳と言えば前世(?)では小学5~6年生でしょう。早熟な女子は大人顔負けの思慮分別を持ち、男子であった私であっても結構友人関係や親子関係で悩んでいた覚えがある……というのに、今生での私=シルティアーナという人間は、どれほど他人に関心を持たない薄情な人間だったのでしょうか!?

 そして、なにより私が恐ろしいと思えたのは、他者を見下しているという意識すらなかったそのことです。空気や草花を見ても、人はいちいちそれを意識しないでしょう。かつての私は、周囲の人間を風景程度に捉えていたのです。これは罪です。無知と無自覚は紛れもない罪と言えます。なんという罪深い私!

 血の気を失い、呆然とする私を見て、レジーナはしかめっ面で鼻を鳴らしました。
「そういや箱入りのお嬢様だったっけね。噂と違って、実際に話してみたら予想よりマシだったんで忘れてたよ。ま、わからなくても仕方ないか」

「……私はこれからどうすれば宜しいでしょうか?」

 思わず縋るように尋ねたその言葉に、露骨に迷惑そうな顔をするレジーナ。

「あたしが訊いてるんだけどね。まあ、せっかく命が助かったんだ、このまま放り出すほど鬼じゃないが、さりとて無駄飯食いを置いておく余裕はないよ」

 薄情なようですが、ここは日本と違います。限られたリソースで遣り繰りしなければ生きていけない世界。その中で、突然転がり込んできた見ず知らずの他人を助けるメリットはないでしょう。
 いえ、これが普通の場合であれば、私を送り届けて謝礼を貰うなりできるでしょうが、先ほどの推測が正しければ、私という存在の抹消を辺境伯の家中、それも相当上の方で画策していた可能性が高いということになります。うかうか顔を出せば、その場で口封じをされるのは火を見るより明らかです。

 余計なお荷物を背負いたくないというレジーナの考えは、至極真っ当です。それどころか、悪態こそついていますが、無理やり追い出すこともなく介抱までしていただきました。これ以上甘えるのは身勝手というものでしょう。

 私は足元に絡まっていた毛布を畳んで、寝台から足を下ろして一礼しました。それからドレスの内側に入っていた首輪(ネックレス)――母の形見でいつも付けていたものだけれど、なにかの拍子に入ったらしい――を外して、毛布の上に置きました。現金の持ち合わせがなかったため、せめてものお詫びのしるしとして、いま渡せるものはこれしかありません。

「ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。どのような結果になるかはわかりませんが、どうにかして実家に戻り、事の顛末を確認して参ります」
「顔を出した途端にバッサリやられると思うけどね」
「そうであれば、それも止む無しです。そうされるだけの罪を犯したのでしょう。従容と運命を受け入れるだけです」

 今生において、無知と驕慢という罪を犯した私に罰が下されるというのなら、それを甘んじて受け入れるべきでしょう。

「ご立派な覚悟だけどね。世の中には、理由なく――ただ邪魔だから、不都合だからってだけで、命を奪うクズがゴロゴロしてるもんさ。子供が粋がって運命だのなんだの語るんじゃないよ!」

 憎憎しげに吐き捨てたレジーナは、勢い良く立ち上がると、大股で寝台の枕元にあった衣装箪笥のところまで進むと、そこから飾り気のないワンピースを一着取り出し、私の頭から被せるように放り投げてきました。

「その目がチカチカする悪趣味なドレスから着替えな。ちょっとサイズは大きいだろうけど、横幅を考えれば丁度だろう。丈の方は後から直すんで、取りあえずは着替えることだね」
「あのお……?」

 事態について行けずに困惑する私の顔を、レジーナは眼光鋭く見据えます。
「あんた、さっき息を吹き返した後、面白いことをやっていたね」
「面白いこと?」
「あの呼吸法さ。魔術の修行でも同じようなことをするけど、また別な体系の技術だね、あれは?」

 言われて思い出しました。前世の武術で習い覚えた調息と内気呼吸法ですね。

「あれは、魔術ではなく武術の呼吸法なのですが……」

 私の答えを聞いてレジーナの瞳に興味の色が浮かびました。
「面白い。我流かと思ったけれど、それなりの下地はあるってことかい。気が付いてないようだけど、あんた魔術の才能があるよ」
「はあ、魔術ですか?」

 正直言って“魔術”と言われてもピンときません。前世では完全にお伽噺でしたし、現世であっても治癒術師や国家魔術師、冒険者など専門職でもなければ、まず一生貴族の令嬢が魔術に接する機会などありません。自分で習うよりも、雇った方が余程手間も時間も掛からないですから。

「いいかげん町まで買出しに出かけたりするのも億劫だ。しばらくはあたしの弟子ってことで、置いてやるから、その間に身の振り方を考えるんだね」

 立て板に水で捲くし立てられましたが、思いがけない厚意に私は逡巡した後、立ち上がって深々と頭を下げました。

「重ね重ねありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 実際、私としては突然、右も左もわからない異世界に迷い込んだも同然です。思うに……おそらくシルティアーナという人間はあまりにも自我が薄く、人生経験も浅かったため、ほとんどの意識が前世の自分に上書きされてしまったのでしょう。
 まあ身体に染み込んだ女性としての口調や物腰は、半ば無意識に表面化しているようですが、『私』という思考や感情の全ては前世の自分に準じたものであり、正直この世界での常識や心構えは心許なかったためレジーナの申し出は、この上なく心強いものでした。

「それじゃあ、今後はあたしのことは『師匠』と呼びな。あんたのことは『ジル』って呼ぶから」
「わかりました、師匠」

 私が『師匠』と呼ぶ人間は、記憶にある限りこれで二人目ですけれど、どちらも偏屈で自己中心的そうな性格は似ているな、とふと思い出して忍び笑いを漏らしました。

 そんな私の内心を見透かしたかのように、レジーナがジロリと射竦める様に視線を飛ばしてきました。慌てて着ていたドレスを脱いで――脱ぎ方がわからないので、下から裏返すような感じですっぽりと――着替えながら、胸だか贅肉だかわからない胸部から三段に突き出たお腹を生で見て、どうにも遣る瀬無い気持ちになりました。

「ふん。たっぷり修行で絞り上げてあげるからね、そのみっともない身体もすぐに引き締まるさ」

 なぜか嬉しげにレジーナが舌なめずりしながら言い放ちました。
 いえ、あの……ある程度ダイエットするのは歓迎なのですが、その豚を屠殺(とさつ)する肉屋のような目つきはなんとかならないものでしょうか?



 ◆◇◆◇



 辺境伯オーランシュ領クルトゥーラの街。
 もともとは東の大国グラウィオール帝国に接する中小国であり、大陸東部と北部、中央部と北部を結ぶ交通の要所として栄え、また一朝有事があれば即座に最前線になる軍事境界線として緊張を常に強いられてきた城塞都市である。いや、そうであったと過去形で言うべきだろうか。

 かつての『神魔聖戦(フィーニス・ジハード)』により、群雄割拠の時代が終焉を告げ、大陸諸国が統一国家によってまとめ上げられた現在、名目上は国家間の垣根がなくなり、帝国に対する防壁としての意味合いを大きく減じた……ものの、依然として大陸北部域をカバーする統合体である新興国『リビティウム皇国』と、伝統ある『グラウィオール帝国』との間の中継地点であり、また緩衝地帯としての役割を担っていた。

 そのため物々しい城塞に囲まれた旧市街は過去の遺物と化し、より解放され利便性に優れた新市街が、壁の外に形作られ日々成長を続けていた。そんな新市街の中心部に近い一角に、広大な敷地と壮麗な屋敷――規模・外観からして宮殿と言うべきだろう――があった。
 この地を治める辺境伯オーランシュの別邸――とは言え、本来の住居である旧市街の城は利便性の問題から、本国からの使者との謁見や公式行事などで使用するのみで、生活空間として、また私的行事の開催場所としては、実質的にこちらが本邸と言えるのだった。

 そして今宵もオーランシュ辺境伯夫人主催の社交界(サロン)が華々しく開催され、国内の貴族や著名な文化人、学者、演劇家等を招いての詩の朗読会が開催され、それに併せての楽師達の楽の音が鳴り響いていた。

 大理石の床に満ちる軽やかな衣擦れの音、さざめく貴婦人達の笑い声、大広間の隅々まで照らし出す燭台がまぶしく灯されている。
 自分に向かって一礼し、さり気なく注目している招待客や従士たちの視線を鷹揚に受け流しながら、椅子に座ったこの社交界(サロン)の主催者――オーランシュ辺境伯夫人シモネッタは、一見してどこにでも居そうな影の薄い、平凡そのものの顔をした商人の男が持参した宝石類を手に取りながら、にこやかに商談をしている態を装っていた。

 表向きは宝石・毛皮商を名乗っている交易商の彼が、裏ではこの街――どころか皇国全土――の暗部を牛耳る元締めであることを知るものは、おそらくこの平和ボケした社交界(サロン)に集う連中の中にはいないだろう。
 木の葉を隠すには森の中というが、悪巧みをするにもコソコソと密会を行うのではなく、堂々と人前で行えば意外とバレないものであり、後から幾らでも言い逃れができるというものだ。

「それで、例の件は首尾よく運んだのかしら?」

 シモネッタは当年41歳。やや尖り気味の高い鼻と突き出た頬骨が癇の強さを窺わせるが、まあ美人と言ってもいい顔立ちだろう。8歳年上の辺境伯の正妻として25年間、1年の半ば以上をほぼ皇都シレントで過ごす夫に代わって、領地を切り盛りする女傑であった。
 まあ、もともと彼女はリビティウム皇国内でも帝国文化の影響の濃いインユリア国侯爵家出身の為、歴史と伝統に欠ける新興国である皇国を内心見下している部分があった。そのため、より帝国の影響の強いクルトゥーラに籠もりきりになっている、というのが実情ではあったが。

 問われた男は、いかにも人畜無害そうな笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、もちろんです。護衛の為に雇い入れた冒険者が隣国の盗賊団と結託して、大貴族のお姫様を誘拐して身代金をせしめようとした。ところが、肝心なところで仲間割れを起こしてほぼ相討ち。暴走した馬車は闇の森(テネブラエ・ネムス)で横転、哀れお嬢様は帰らぬ人に……という筋書き通りですな。
 実際に同行した冒険者連中――もともと札付きの悪党ばかりを選びました――と、近くに縄張りを構える盗賊団も現場で始末しておきましたし、まず不審は抱かれません。また、近隣の衛士にも鼻薬を嗅がせてあります」

 それから、いかにもいま思い出したという風にポンと両手を打ち合わせ、懐からリングケースを取り出し、夫人に中身が見えるよう開けた。
 中に入っていたのは、見覚えのある家紋の入った指輪(リング)である。

「……確かにアレの持ち物ね。確実に息の根は止めてあるのね?」
「はい。心臓が止まっているのを確認しました。死体は闇の森(テネブラエ・ネムス)に転がしておきました。あれでは死者を生き返らせるという伝説の聖女様でもなければ、蘇生は不可能でしょうな」

 肩をすくめての男の軽口に、シモネッタは軽く鼻を鳴らし満足そうに口角を吊り上げると、差し出された指輪(リング)を仕舞うよう、身振りで指示した。

「それはそちらで処分してちょうだい」
 と言いつつ、適当に男が持ってきた宝飾品の何点かを手に取ると、侍従にあらかじめ用意させていた革袋――報酬である金貨と貴金属――を男に渡すよう示す。

「――毎度おおきに」
 揉み手せんばかりの態度で革袋を受け取った男は、それを広げた荷物と一緒に仕舞い、そそくさとその場から退散しようとした。

「そういえば」ふと思い出したシモネッタがその背中に問い掛けた。「アレの母親がその昔、夫から贈られた首輪(ネックレス)をしていた筈だけれど、それはどうなったか知らないかしら?」

首輪(ネックレス)ですか……気が付きませんでしたけれど。衝撃でどこかへ落ちたのか、もしくは今頃は死体と共に闇の森(テネブラエ・ネムス)に棲む魔獣の胃袋の中でしょうな」

 夫人の方でもモノの序でという程度だったのだろう。大して気にした風もなく、その答えに目を細めた。
「そう。どちらにせよ今頃は醜く朽ちて森の肥料ってところね。ブタクサの最後にお似合いだわ」

 コロコロと上機嫌に笑いながら、侍女が持ってきた赤ワインを一息に飲み干す。

 グラスを戻した時には既に男の姿はなく、代わりに夫人の手が空くのを待っていた客が、次々に挨拶にやって来た。
 立ち上がって歓迎の微笑を浮かべ、如才なくその相手をするシモネッタの脳裏からは、もはや怪しげな男の事も、憎むべき側室の生んだ娘の事も消え去っていた。
単位は1メルト=1メートルです。

12/8 誤字と表現の変更を行いました。
×理論整然→○理路整然

12/29 誤字の修正を行いました。
×打擲ためにだけ持っている→○打擲するためにだけ持っている

1/9 誤字の訂正をしました。
×酷く真っ当→○至極真っ当
×平凡なそのものの顔をした→平凡そのものの顔をした


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