‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡ 参考資料1(はた京阪ご尊父様のお姿)‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
2013年12月29日
「自分史」の轍(わだち)
http://fanblogs.jp/hatakoh/archive/127/0
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡ 参考資料1(はた京阪ご尊父様のお姿)‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡ 参考資料2(個人情報を暴露し同志の平穏な生活を危機に晒すあべひ氏)‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
‡富士宮ボーイ掲示板過去ログより引用
(プライバシーに配慮するため、固有名詞は「●」で伏せています)
>No.34747 2012-03-02 11:47:25
【内】あえていわせてもらいましょう●くん 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) id:d8b717b82
>昨日●●●●●さんが書き込んだ事は幸い私もみていましたからいわせてもらいますが「ソースが2ちゃんだから」といって全く信用ならないと蹴飛ばす事ではないですよ。
>こういう短絡的な対応は愚かです。
>2ちゃんでアップされていた情報を元に下調べをしただけで●●●●(偽名)さんと奥様のブログが詳しく書かれていない内容を補填しあっている事に気がつきました。
>私が探したのは、震災の時の対応のあたりと、●●さんのご実家への帰郷のあたりだけですが発信情報が見事に一致しました。
>またお仕事の情報も●●●●(偽名)さんのログをみればおおむねすべてが合致します。
>渋谷と●●●●の関係や会社の近所のお話も。
>これは私は怖いとおもいますよ。
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡ 参考資料2(個人情報を暴露し同志の平穏な生活を危機に晒すあべひ氏)‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
初めてお便りを差し上げます。大野武士と申します。
ご子息・はた京阪氏とは、のっぴきならない関係となり、さぞご心配をお掛けしている事と拝察申し上げます。(笑い)
寡聞にしてご尊父様が現在いかなるご状況におありか存じませんが、池田先生が被災地の友に送られた「生命は永遠であり、生死を超えて題目で結ばれています」のメッセージに勇気を奮い起こし、いかなる状態であっても、私の言葉がご尊父様の生命には届くとの確信でこのお手紙をつづっております。
昨年の暮れ、ご子息・はた京阪氏が更新した「自分史の轍」にて、ご尊父様の背筋のシャキッとするハードボイルドな生き様を知りました。
私はご尊父様の逆境全てを笑い飛ばす揺るぎない信仰態度に強い憧憬の念を抱くとともに、どこかノスタルジックな興趣を覚えたものでございます。
思えば、私どもの祖父母・両親世代は皆が不遇でございました。社会的包摂の概念なき時代に、「貧乏人」と「病人」の集まりだと蔑まれ、塩をまかれるか石をぶつけられたものでございます。我が家もその例外ではなく、ご尊父様と似たような状況にありました。しかし最も苦しい立場に寄り添う宗教こそ本物との思いは、私ども祖父母・両親世代にとって大きな誇りであったと信じております。
さて、ご尊父様の御本尊に対する「接し方」につき、ネットの有象無象は愚かな邪推の対象としたようです。
私は「よくある言いがかり」と思い笑って静観しておりましたが、意外なことにご子息・はた京阪氏が冷静さを失い、感情的な抗弁をした事は想定外でございました。
そしてその日以降、何故かその憤りの方向が「にほんブログ村」コミュニティの一部住人へと向かい、「ブログの使い方が創価的でない」と無関係な人々を批難し始めるに至っては、かけるべき言葉が見当たらないほどでございます。
その流れの中で、私はご子息・はた京阪氏から概ね以下の点で批難されているようでございます。
「ようだ」との表現は、ネットを離れた現実生活でこのような事を言われたことがないために、どうにも実感を抱けないという事を意味しております。
‡ご子息・はた京阪氏から見る大野武士人物像‡
†創価学会所属組織における役職が低く人間的に未熟である。
†修羅界の生命である。
†不遇な私生活を送っている。
まず一つ目ですが、確かに私は総県・総区幹部ではありませんし、ご尊父様のような「草創期の功労者」と呼ばれる光輝ある存在ではありません。
とは申せ、私は特殊な職責上、本部幹部会の本会場には参加させて頂く事がございますし、仕事は官僚やシンクタンクなど「日本の進路」を決定する人間を相手としております。
ご尊父様のような「後の世の手本となるべき信仰者」にお叱りを受けるのであれば以って瞑すべしではございましょうが、ご子息・はた京阪氏のように単なる一地方のインフラ業に従事する程度の方に、いわれ無き偏見に満ちた蔑みを受けるほど私は零落しておりません。世法上も仏法上もです。
次に二つ目ですが、仮に私が修羅界の生命だったといたしましょう。
その場合、「修羅界の衆生にひたすら関わり続けなければならない」ご子息・はた京阪氏の境涯はどうなるのでございましょう?
仏法は「三世間」を説いております。他人の境涯の低さを云々する前に、境涯が低い人間と出会わなければならぬ我が身の不徳、福運の乏しさこそ真摯に省みるべきではないでしょうか?
ご子息・はた京阪氏のような人々は、相手に修羅だと「レッテル」を貼ることで安心しきってしまい、半ば思考停止状態に陥っているかの観が多々見受けられますが。
御聖訓には「不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」と仰せです。
相手がこちらを敬えば、こちらも相手を敬う。相手がこちらを憎めば、こちらも相手を憎む。全ては鏡写しだという事を弁えるべきでございましょう。
大変心苦しき事を申し上げますが、ご子息・はた京阪氏は「にほんブログ村」で、一、ニを争うトラブルメーカーです。何故自分の意見が受け入れられないのか、何故自分はここまで他人に批判されるのか、一度お考えになるべきではないでしょうか?
そして三つ目ですが、何が「不遇」かその基準が詳らかでないために、お答えのしようがないわけですが。
>記念日
>2014年 2月10日(月)23時56分21秒 119-228-56-235f1.osk1.eonet.ne.jp
>投稿者:はた京阪
>プライベートなことなので、「今日の出来事」とは限定しないでおくよ。
>京阪百貨店の中の、ある程度の名の通ったケーキ店で購入。
>小さいけど高かったなぁ。
>で、お祝い…というか、「ありがとう」だね。
>日頃お世話になっている「キミ」へ。
>感謝を添えて。
>苦労したあの時期は、今でも忘れない。
>僕らは「戦友」だね。
上記の「甘いささやき」(笑)が、ご子息・はた京阪氏の奥様に向けられたものか、お嬢様に向けられたものか、大切なご友人に向けられたものかわかりませんが。
少なくとも私は、「大切な記念日」の記事を投稿する最中に、以下のような居たたまれない投稿をしなければならないほど追い詰められてはおりませんし、不遇な境遇ではないように思います。
>(無題)
>投稿者:はた京阪
>投稿日:2014年 2月10日(月)23時14分33秒 119-228-56-235f1.osk1.eonet.ne.jp
>師匠をはじめ、同志の多くを『オマエの眼はフシアナか!』と罵倒してしまった大野くん、涙目~~~
>新しい恥さらし文、マダー?
>さっさとせんかい!
私も随分とご子息・はた京阪氏に憎まれてしまったものだと思いますが。(笑い)
こういった文章を、大切な記念日を伝えるメッセージのすぐそばに投稿しなければならないご子息・はた京阪氏の気の毒なご状況に、衷心よりお見舞い申し上げる次第でございます。
ところでご尊父様がご存知でいらっしゃいましたらぜひお教え願いたいわけですが。
この記念日メッセージ、ご本人はご覧になるのでございましょうか?
メッセージを送られた相手が見ない文章であれば単なる虚栄心に満ちた自己満足に過ぎませんし、見るのであればそれはそれでまたビミョ~な思いを抱かずにはいられない内容となっておるのではなかろうかと要らぬ心配をしてしまう訳でございます。
それなりの仕事につき、温かい家庭を築き、思慮分別を身につけているはずの世代でありながら、日がな一日パソコンの前に釘付けとなり、他人の動向が気になって仕方ないという書き込みを連投する。私でしたら、とてもではないですが、家族や友人や同志にこのような仕儀は見せられないと感じておるわけでございますが、ご尊父様はいかがでございましょうか?
俗に「英雄は二代続かない」などと申します。
何一つ瑕疵なき偉大な信仰心をもったご尊父様ではいらっしゃいますが、ただ一点「我が子には恵まれなかったのかな……?」とお察し申し上げる次第でございます。
以上、まずはご挨拶代わりのお手紙といたします。
次回はぜひ、2ちゃんねるのお先棒を担いで創価系ブロガーの住所をネットに晒し、同志の身体や財産を危機に晒したあべひ氏についてご相談させて下さい。
また「あべひ氏とは考え方が違うから」の一言で済ませ、いつまでもこの問題と真摯に向きあおうとはしないご子息・はた京阪氏の「危うさ」についてもお耳に入れたいと思っております。それではまた後ほど。
敬具
‡大野武士‡