ご尊父様おはようございます。大野です。
本論に入る前に、ご子息・はた京阪氏からは、大分冷静さが失われているようですね。
2月8日には「(^◇^)」のような余裕たっぷりな態度を保持されていたのに、一週間も経たぬうちに弱音を吐く文章を綴っています。
私が「あべひ氏 個人情報暴露ログ」を提示したことで精神的に焦りを感じ、相当追い詰められている様子が文面に色濃くにじみ出ているようです。
★「新・大野節」とやらを応援するスレッド(^◇^)
[5](無題)投稿者:はた京阪 投稿日:2014年 2月 9日(日)06時33分23秒 60-56-132-20f1.osk1.eonet.ne.jp
おい、どないした?
しんきくさいこと書いて、読むのしんどいぞ!
おもろない。 却下!
★復活! 雑談部屋 ~含・大野節関連 (旧スレ名・ブログ村をつぶやく)
[473] 師匠と『無理心中』をはかる、屈折した自尊心・大野 投稿者:はた京阪 投稿日:2014年 2月13日(木)01時17分32秒 60-56-90-115f1.osk1.eonet.ne.jp
「自分はどう思われようがいい」を旗印に、大野テロは“ジハード”としている。
で、百歩譲って、このバカ親父(私)もろとも吹っ飛んだとしよう。
もし、この彼の「手法」が、創価学会とまるで縁のない人物によるものであれば、問題ない。
だが、ここで諸賢にもよく考えてもらいたい。
さて本論に入ります。
一言で結論をいうと、私はご子息・はた京阪氏が「他人に議論をふっかけること」以上に、議論を吹っかけられた相手がはた京阪氏の意見を受け入れるまで「ストーカーじみた嫌がらせ」をし続けることが問題だと考えています。
[473] 師匠と『無理心中』をはかる、屈折した自尊心・大野 投稿者:はた京阪 投稿日:2014年 2月13日(木)01時17分32秒 60-56-90-115f1.osk1.eonet.ne.jp
幾度か繰り返すが、私は「お節介」であり、幾分「押しつけがましい」物言いをする。
十人十色と言うが、私は私のみならず、色んな方が色んな意見を持ってるのは十分わかっている。
であるからこそ、交わしあい、そうは思わないのなら、「私はこう思う」というのは当然なことだ。
私自身、その押しつけがましい意見であっても、拙いながらも「何故そ思うか」を必ず付記している。
それでも異論がおこることは、十分に想定内なのである。
‡ふつうの人
「私はブログのコメント欄を掲示板風に使うのは学会員としておかしいと思う」
「ボクはそう思わないな」
「そうですか。意見が異なるのだから仕方ありませんね」
→終わり
‡常軌を逸した「はた京阪」氏
「ワイはブログのコメント欄を掲示板風に使うんは学会員としておかしいと思うねん!」
「ボクはそう思わないな」
「なんやとぉ~!もっぺん言うてみい!」
「だから、ボクはそう思わないんだよ。
顔も見たことのないあなたと意見を交わしたくないし、他人に意見を強要されたくないから帰ってもらえないかな?」
「ワイに楯突くんは池田センセイに楯突くんと一緒やぞ!
晒したる!徹底的にネットに晒して糾弾したる!」
→以下、相手がはた京阪氏の自説を受け入れるまで、相手の名前を伏せてネチネチと個人攻撃したり、相手の人格や置かれた生活環境などを笑い物にするなど、「膨大無数な嫌がらせ」が繰り広げられる。結果、にほんブログ村コミュニティに「嫌な空気」が流れ、参加者の心が殺伐とし、信仰の喜びが失われていく。後には、はた京阪氏の「単なる自己満足だけの荒涼たる世界」のみが残されていく。
以前、ある婦人部ブロガーが、ご子息・はた京阪氏に暴言を吐き無礼を働いたことがございました。私はこれまで、その婦人部ブロガーの行為は正しいものではないと申し上げてきましたし、今でもその気持は変わりません。
できうるならば、婦人部ブロガーは、ご子息・はた京阪氏に一言謝罪した方が良いのではないかとも思います。
しかしです。ご尊父様、ご子息・はた京阪氏が言うように、「物事は大局で判断せねばならない。」のです。
相手に謝罪を求めた。しかし謝らない。
問題はこの後、いかなる振る舞いに及ぶかでしょう。
「身軽法重」の言葉を噛みしめるなら、衆人環視のにほんブログ村コミュニティで醜い言い争いをすべきではないでしょう。ところが、常に学会員としての矜持や品格を他人に口を酸っぱくして説いて止まぬご子息・はた京阪氏自身が、修羅の形相で必至に喚き散らしている現実があります。
謝れ!謝れ!謝れ!と数カ月にもわたって、この婦人部ブロガーに悪罵中傷を浴びせ続けているのです。婦人部ブロガーの過ちが「ビンタ一発」だとすると、ご子息・はた京阪氏は、婦人部の顔面に拳を何発も打ち込み、鼻血が出るまで殴り続け、人格否定の暴言を吐きまくっています。
議論をふっかけるのが問題なのではない。
相手が嫌がっているのに、相手が受け入れない態度を明確に示しているのに、ストーカーじみた醜態を晒し続けるご子息・はた京阪氏の「精神的幼さ」「器量の狭さ」「感情制御の不出来さ」が問題だと述べているのです。
一言で申せば、人間として「ちっちゃい」のです。
私は、ご子息・はた京阪氏を見続けて数年になり、言葉をかわして一年近くになりますが、彼は常に「個人的な事」で怒り狂っています。
私はご子息が、「池田先生が侮辱されたから激怒」しているとか、「同志がいじめられたから激怒」したというのを見たことがありません。
ひたすら自分の意見が受け入れられなかったとか、自分が小バカにされた、不愉快な思いをさせられたみたいなことで絶えず誰かともめごとを起こし、周囲に嫌な思いをさせ、こんな人間が学会員なのかという悪印象をまき散らしているのです。
私はそこに異議を唱えております。
最後に。
「旧・大野節」でのご子息・はた京阪氏とのやりとりをもって、私がご子息の譲歩を引き出そうとして条件闘争に及んでいると思われるのであれば、それは間違いです。
「新・大野節」は、ご子息・はた京阪氏自身を「潰す」ことを目的としております。行き着く所まで私は行きますので、そこのところを間違えないよう、ご本人に伝えて上げたほうがよろしいかと思います。
約束を守らなかった人間、前言を翻して恥じない人間、嘘をつく人間とは交渉が成り立ちません。交渉が成り立たないのですから、とことんまでやりあうしかなくなるでしょう。
私はご子息・はた京阪氏を「同志だと思っていません」ので何を言われても平気です。振り返れば私は「旧・大野節」時代から常に一人で戦って参りました。自分に向けられる批判に一人で立ち向かい、差し伸べられる支援の手もことごとくご遠慮申し上げてきました。自己責任の名の下、すべてが私個人の中で完結しておりますから、誰に何を言われる筋合いもないのです。
御聖訓に「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず 果報つきぬれば所従もしたがはず」とございます。
いつの間にかランキング一位から陥落し、慌ててクリック支援は辞退申し上げますとその場を取り繕って順位低下の言い訳とし、挙句私に滅多打ちにされているのに、誰一人として、自分のIPアドレスをさらしてまで、ご子息・はた京阪氏の救援に駆けつけようとする人間は現れない。ご子息は所詮その程度の価値しかもたぬ人間だという事です。
その事自体に、ご子息の同志いじめ、「自己満足のネット言論ごっこ」の厳しき現証が現れているのでございましょう。
長くなりました。本日はこれまで。
‡大野武士拝‡