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第六章『強者の義務』
【7】
 シュニーが去って数分後、さすがにこのまま固まっているわけにもいかないのでシンは外に出て月の祠を収納した。
 夜の風が、まだ少し残っていた熱を冷ましてくれる。

「……とりあえず、もどるか」

 隠蔽をかけたまま城壁を登り、誰にも気づかれることなく城内へと戻った。まっすぐ宿へ向かうのもなんだったので露店を巡って軽くつまめるものを買い、空いていたベンチに腰かけて食べる。
 『氾濫』の情報はもうだいぶ伝わったようで、準備と思しき作業をしている者たちがちらほら目につく。そこまで切羽詰まった表情をしていないのは、彼らが幾度か『氾濫』を経験しているからだろうか。

「あら? シン君じゃない」

 何となく人通りを眺めていたシンに、声がかかる。シンが声の方に振り向くと、ホーリーがシンの方へ歩いてくるところだった。少し後ろにはシャドゥもいる。

「今帰りですか?」
「ええ、ついでにちょっと買い出しをね。シン君はこんなところでどうしたの?」
「武器強化をしたら、ちょっと小腹がすきまして」

 ちょうどいいからと、シンは強化しておいた装備を2人に渡す。反応はホーリーは喜び、シャドゥは顔を強張らせるという結果だった。

「これは、強化ですむレベルではないな」
「細かいことは気にしないの。せっかくシン君が頑張ってくれたんだから、戦闘もバシッと決めるわよ」
「……そうだな。ありがたく使わせてもらおう」

 どこまでも前向きなホーリーに、シャドゥは同意しながらうなずいた。まだ、戦闘まで余裕があるので、武器の習熟訓練をする時間も十分ある。呆れるのは、いつものことでもある。

「そういえば、1つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「聞きたいこと?」
「娘さんのことです」

 カエデに分析(アナライズ)を使った時も、種族表示にノイズが走ったのだ。
 シュニーに聞いた話では、ノイズが走るのはハーフである可能性が高いということだったが。

「ま、まさかシン君、あんな綺麗な子たちを連れていながらうちのカエデのことを!?」
「なにぃ!!」
「ちょ、なんですかその漫画みたいな反応! シャドゥさんもホーリーさんの冗談を真に受けないでください!!」

 お約束ともいえる反応をするホーリーと、剣呑な気配を放ち始めるシャドゥ。まじめな話をするつもりが、いきなり頓挫である。

「まったく、冗談もほどほどにしてくださいよ」
「だって急にカエデのことを聞くんだもの。親の私が言うのもなんだけど、けっこう人気あるのよ?」
「当然だ」

 ホーリーの言葉にうんうんとうなずくシャドゥ。娘ができて親バカの称号を得たようだ。

「とりあえず、今はその話は置いといてください。俺が聞きたいのはカエデちゃんがどれ(、、)なのかってことです」

 シンがそう言うと、2人は一瞬前までのふざけた空気を一変させた。

「できれば、その話は人のいないところで頼みたい」
「そうね。あまり人に聞かせたい話じゃないし」
「かまいません。もとよりそのつもりですし」

 シンとてこのまま話を続ける気はなかったので、2人の提案通り話をしやすい場所へ移動する。やってきたのは喫茶店『B&W』の隣にあるバー『にゃんダーランド』だ。

「こんな時間に3人そろってとは、何かあったのか?」
「奥の部屋を借りたい。……娘のことだ」

 シャドゥはひびねこに一言告げて奥の個室を借りる。去り際に小さな声で告げられた言葉で、ひびねこは何を話すのか察した。

「ドリンクはどうする?」
「おすすめで頼む」

 個室に入ると、シャドゥとホーリーは姿勢を正してシンと向き合う。シンも自然と姿勢を正すことになった。

「さっそくだが、シンはハーフについてどこまで知ってる?」
「シュニーからは両親の特性を両方受け継いだタイプとどちらも受け継がなかったタイプ、あとはほとんど片親と変わらないタイプがいるって聞いてます」
「認識としてはそれで間違いはない。しいて言うなら1番目を完成種(クリティカル)、2番目を欠陥種(ファンブル)と呼ぶことが多い」
「ギャンブル用語、でしたっけ?」
「かつて、意図的にハーフを生み出そうとした連中がいたらしくてな。その時に使われていた名称が残っているらしい。ギャンブルどころの確率ではないが」

 ハーフの生まれる確率は恐ろしく低く、完成種(クリティカル)と呼ばれるタイプはさらにその中の一握り。ほとんどはハーフとは名ばかりの普通の子供が生まれるらしい。狙ってどうこうできるものではないのだ。

「戦力としてみれば、完成種(クリティカル)がかなり優秀なのは事実だがな」
「具体的にはどうなるんですか?」
「ふむ、こればかりは個人差が激しいが基本は異なる2種族の固有スキルやボーナスが使える。【獣化】したままドラグニルの【ブレス】を使うビーストや、自身の【魔眼】とエルフの【精霊術】を同時に行使したロードなどが有名だな」
「なんですか、そのチート」

 完成種(クリティカル)の能力について聞いていたシンは、ついそんなことを言ってしまう。この世界に存在する7種族は、それぞれ固有のスキルやボーナスとでもいうべき能力を持っている。
 ヒューマンの高い魔術抵抗力、ビーストの獣化、エルフの精霊術など、その種族の代名詞とでもいうべき能力だ。それを複数分持っているなどチートでなくてなんだというのか。
 シンも人のことを言えた立場ではないが、他種族の固有スキルやボーナスはさすがに使用できない。現実となったこの世界独自の存在、それがハーフなのだろう。

「ちなみにうちのカエデちゃんは完成種(クリティカル)よ」
「マジですか」
「精霊術と魔眼が使える。そのせいかはわからんが、ステータスもおそらく平均400くらいはあるだろうな」
「いやそれ、天然チートじゃないですか」

 一般人から見れば、選定者以上にふざけた存在だった。

「そういうわけだから、あまり吹聴しないでね」
「しませんよ。そういえば、それだけ強いのに今回の前線メンバーには選ばれていませんでしたね」
「エルフの成人は20歳だ。未成年を戦場に駆り立てるわけにはいかん。戦力になるのは確かだから、いざというときの予備兵力的な位置づけだ」

 今回はカエデを参戦させるまでもないので、城内で待機となるらしい。
 前回の『氾濫』では幼かったことと、まだ力の制御ができていなかったという理由で戦場には出なかったという。今ではシャドゥとホーリーが訓練をしているので、戦力としてカウントしても問題ないようだ。

「ところでシン。俺も一つ聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「聞きたいことですか? かまいませんけど」
「では聞くが、シンはあの(、、)後どうしていた?」

 時間が限られていたのでシャドゥたちにはすべてを話したわけではない。どんな質問が来るのかと思っていたシンに、シャドゥの質問は予想外だった。

「そう、ですね。やってたことはあまり変わりません。PK狩りの毎日ですよ。ただ、そのあとちょっとした出来事があって、ダンジョン攻略に戻ったんですけど――――」

 それ自体はそう珍しいことではない。ただ、それもまたマリノに関連した出来事だった。
 あれがなければ、今のシンはいなかっただろう。
 シャドゥは何も言わずシンの話を聞いている。その顔はどこか悲しそうだ。

「――――そんなわけで、とりあえずでかいところを壊滅させて、あとはひたすらクエストとダンジョンアタックです。ラスボスがソロタイプだったんで、どうにか倒せたってところですね」
「なるほど、それにしてもいくらソロタイプとはいえ、よく倒せたものだ」

 話を聞き終わったシャドゥは呆れ顔だ。シンが最後のモンスターを単独で倒したという話は聞いていたが、その行動は無謀ではなくとも無茶ではあった。
 MMOは本来自分以外の人と協力することが前提といってもいいゲームだ。ソロで活動する者もいるにはいるが、慣れてくれば大抵は誰かとパーティを組み、ギルドに入りといった具合に人付き合いが発生する。
 そして何より、冒険の醍醐味たるボス攻略ではパーティの協力は不可欠だ。基本的にボスモンスターとはソロで挑むような相手ではない。パーティを組み、連携し、互いをフォローしあって1人では倒せないモンスターに勝つのだ。
 THE NEW GATEは高レベルのボスモンスターのうち、単独で倒せるボスをソロタイプ、パーティでないと倒せないボスをレイドタイプと呼び分けていた。シンが最後に戦ったオリジンはソロタイプではあったが、これも本来はパーティを組んで挑むべきモンスターである。

「考えられるありとあらゆる強化をしていきましたからね。料理しかり、アイテムしかり、装備しかり。まあ、相手がレイドタイプだったら普通に負けてたでしょうけど」

 いくらシンとて、パーティでなければ攻略不可能とまで言われるモンスターが相手では、ソロで挑もうとは思わなかっただろう。相手がソロタイプだと偵察でわかっていたからこそ、挑んだのだ。
 ソロタイプはボスであることは変わらないが、体の大きさや攻撃方法などから単独でもプレイヤーの技量とレベル、装備、そして運次第でどうにか倒せる可能性があるボスのことをいう。言うまでもないことだが、普通は単独で挑んでも死に戻りは確定だ。シンとて同じソロタイプのモンスターを相手にしても勝率は100%ではない。
 レイドタイプはソロタイプと違い、体が巨大であったり、複数個所を同時攻撃しなければならなかったりととにかく厄介なモンスターが多い。シンの相棒であるユズハことエレメントテイルもレイドタイプのボスで、今のシンならともかく、ゲーム時代のシン単独では100回戦って1回勝てるかどうかというところ。その1回も偶然に偶然が重ならなければつかめないだろうというレベルである。
 犠牲を顧みずに確実に狩ることだけを考えても、カンストクラスの六天が3人は必要だったといえば、その強さがわかるだろう。

「なんでソロタイプだったのかなとは思いますけどね」

 オリジンとの戦いを思い出し、そんなことを口にするシン。ラスボスともなれば、最高難度のレイドタイプが待ち構えていると思っていたのだ。仮にエレメントテイルレベルのモンスターがいたとしたら、クリアはほぼ不可能だっただろう。

「クリアさせる意図があったのか、それで十分と思われていたのか。とはいえ、それで多くの人が助かったのならそれでいいだろう」
「ですね。あ、そういえばこれも聞こうと思ってたんですけど、シャドゥさんはこっちに来てどうしてたんです? ホーリーさんの話から、最初は一緒にいなかったように思えたんですけど」

 今のシャドゥからは想像できないが、シンと行動を共にしていた時のシャドゥはそれこそ暗殺者そのものだった。ホーリーの仇と相打ちになり、泣きながら消えていったのをシンは今でも覚えている。

「そうね、こっちに来たのは私の方が早かったみたいで再会した時はびっくりしたわ」
「それはこっちのセリフだ」

 微笑を浮かべながらホーリーと話しているシャドゥからは、以前の鬼気迫る姿は想像できない。

「ギルドの依頼で派遣された村で、私がこの人を見つけたの。村を襲ってたモンスターの群れに1人で突っ込んでいった人がいるって聞いて、慌てて追ったのよ」
「いろいろと世話になっていたんでな。モンスターも数以外に特筆するところはなかったから、やってしまおうと」
「やってしまおうと、じゃないわよ。村の人は大慌てだったんだから」
「まあまあ、ホーリーさん。シャドゥさんも勝算なしで行ったわけじゃないんですし」

 当時のことを思い出したホーリーが怒り出すのを、シンがなだめる。
 なだめるシンもシャドゥと同じ立場なら倒してしまおうと考えただろう。シャドゥは暗殺者の上位職である忍。その上ステータスは平均すると600以上ある。シンのようなでたらめな改造をしているわけではないが、それでも伝説(レジェンド)級の上位装備を所持していたことを加えれば、多少強いモンスターが出たところで瞬殺だ。

「はぁ、それで急いで探して、見つけたときはモンスターの死体の山とそれをカード化してるシャドゥがいたのよ。他の冒険者の人たちは目が点になってたわ。その時組んでた人たちがAランクだったから、選定者って説明でどうにか納得してくれたけど」
「その後はホーリーと一緒にあちこち回ってな。途中で黄金商会から連絡を受けて、ここでひびねこさんと再会した」

 元プレイヤーを捜索していたベレットの使者が、連絡を取ってきたらしい。シャドゥとホーリーはゲームだったころもシンと交流があったので、接触しても危険はないと判断したようだ。シャドゥだけだったら、控えた可能性もあるが。

「その後はいろいろあって、ここに店を出すことになったの」

 2人とも料理スキルがⅦあるだけあって、繁盛しているようだ。ひびねこの店と提携して、互いの店で使えるクーポン券を発行したりもしているらしい。

「そういえば、ホーリーさんがこっちに来てからどのくらいたってるんです? 話を聞いてる感じだと、個人差があるみたいでしたけど」

 2人がこの世界で体験したことを聞いていたシンは、ふと気になったことを口にした。シャドウとホーリーの死にはおよそ1ヶ月ほどのタイムラグがある。それがこちらに来た時にどう影響しているのかと思ったのだ。

「私がきてから、今年でちょうど30年ね」
「俺はホーリーがこっちにきてから10年後くらいに来たようだ」
「そうなると、1月で10年くらい、ですかね?」
「でも、私と死亡時間があまり変わらない人が私より10年以上前に来てたりもするのよ。これはかなり個人差があるみたい。中には100年以上前に来ていて、もう寿命で亡くなった人もいるわ」

 2人の話からおおよその数値を割り出してみたシンだが、その仮説はホーリーによって否定された。ちなみにひびねこはこちらに来て40年ほどになるらしい。

「シンは、マリノちゃんがこっちに来てると思う?」
「ホーリー!」
「大丈夫ですよ……正直に言うと、いてほしい気持ちといてほしくない気持ちが半々ってところです。もう一度会いたいですけど、そうすると元の世界に戻ろうって気が完全になくなりそうで」

 シンが現実世界に残してきたものは多い。育ててくれた両親、仲の良い兄妹、気の置けない友人と挙げだせばきりがない。天涯孤独でも、凄まじく不幸だったわけでもないのだ。いくらゲームそっくりの世界に来たからといって、まあいいかと簡単に切り捨てられるほどシンにとって現実世界は軽くない。ゆえに、帰還と残留を天秤かけたとき、今はまだ帰還に傾いていた。
 散っていった者たちから託されたメッセージを遺族に伝えなければならないし、現実に帰還したら果たさなければならない約束もある。シュニーたちを軽く扱うつもりはないが、やはり意識は帰還に向いていた。
 ただ、この世界で過ごすにつれシンの中の天秤はゆっくりと、だが確実にその傾きを少なくしているのも事実だ。
 この世界には魅力が多い。他者と隔絶した圧倒的な力、好意を寄せてくれるシュニーという存在、いまだ忠誠を見せてくれるかつての六天配下たち。命の危険は現実世界と段違いだとしても、シンにとっては大した脅威ではない。大きく変貌を遂げた世界を自由気ままに旅をしてみたいという欲求も、ないと言ったら嘘になる。
 加えて死に別れたプレイヤーとの再会だ。この世界で過ごせば過ごすほど、しがらみは増えていく。もしマリノがいるとわかったら、天秤は大きく動くだろう。

「まあ、そもそも帰れるのかって問題もあるんですけどね」
「そうねぇ。でもこっちにこれたんだし、何か方法はあるんじゃない?」
「やはり気になるのはダンジョンの門だな。くぐったわけではないようだが、もしもう1度同じようなことになれば、向こうに戻れる可能性は0ではないだろう」

 シンの言葉に真面目に返す2人。話の内容から、シンが元の世界に帰ることに賛成なようだ。

「地脈がかかわってるかもしれないって話はあるんですけど、まだまだ情報が足りないくて。これからあちこちまわってみるつもりです」
「できることがあれば力になろう」
「遠慮しないでね」

 穏やかな笑みを浮かべるシャドゥとホーリー。
 その後は、2人の体験したことや巡ってきた国のことなどを聞いて、シンは店を後にした。


 ◇


「シンは行ったようだな」
「ああ、再会した時もそうだったが、すっかり以前のシンに戻っていた」

 シンが店を出た後、グラスを片付けていたひびねこの言葉に、シャドゥがどこか安堵した様子で返す。

「そんなに、ひどかったの?」
「ああ、俺が言うのもなんだが、人が変わってしまったとしか言いようがないほどだったよ。人を斬ることに、何の躊躇もしていなかったからな」
「吾輩も話は聞いていたが、今のシンはそんなことがあったようには見えんな」

 3人の中でシャドゥだけが、荒れていたころのシンを知っている。今のようなシンしか知らないひびねことホーリーには、シャドゥの言うような殺人にためらいを覚えないシンが想像できなかった。

「正直に言えば、俺も驚いている。あまりにも荒れる前のシンのままだったからな。俺が最後に見たときのシンは、あんな顔で笑うことなど絶対にしなかった」

 力を振るわなければ、今のシンはどこにでもいる普通の青年に見える。ひびねこやホーリーの呼び方に突っ込み、シャドゥとホーリーの子供がいると聞けば驚く。そんな当たり前の反応が返ってくる。
 しかし、シャドゥは知っている。そんな当たり前が、なかった頃のことを。
 シャドゥが最後に見たシンは、まったくと言っていいほど表情が変わらなかった。PKを斬っても、美味い料理を食べても、目の前で協力していたプレイヤーが死んでも。
 まるで作業でもしているようにPKを探し、斬る。そのための機械だと言われたら、納得してしまいかねない危うさがあったのだ。
 きっかけ一つで人はここまで変わるのか、シャドゥをしてそう思わせるだけの変化だった。

「何があったのかしらね」
「さあな、ただ、何か(、、)は確実にあったんだろう。あのシンをこちらに引き返させる何かが」

 3人には想像することしかできない。ただ、それが良いもの、もしくは良いことだったことだけはわかる。それが、シンの愛した女性とかかわりのあることだということも。

「……マリノちゃん、こっちに来てるかしら」
「どうだろうな。シンに聞いた話では、俺たちとは少々事情が違うようだったが」

 自分たちがこちらに来た要因がゲームでの死以外にわからない2人には、結論の出ない問いだ。

「……もしマリにゃさんがこっちにいなかったとしたら、2人はシンにどうしてほしい?」

 マリノがこの世界に来ているのか気にする2人に、短い手で器用にテーブルを拭きながらひびねこが問いかけた。

「帰るべきだろう」
「そうね、私もそう思うわ」

 何気ない問いかけに、2人はそろって答える。
 迷いのない返答に、ひびねこはテーブルを拭く手を止めた。今のところ店内には3人しかいないので、多少話をするくらいの余裕はある。

「ふむ、吾輩たちからすれば、もどれるならもどるべきと考えるだろうな」
「急にどうしたんだ?」
「今はまだ、シンは向こうに戻るつもりだろう。しかし、こちらで長く過ごした時、はたしてその選択ができるだろうか」

 この世界に来たばかりの時やさほど人付き合いもなかったころなら、もとの世界で生きていられれば戻ろうと思えただろう。
 だが、ひびねこ自身、すでにこの世界で40年以上過ごしている。もしシンと一緒に元の世界に帰れるとしても、もはやその選択はできそうになかった。

「吾輩のように戻ったところで老い先短いなら、こちらで過ごす選択は悪くないだろう。だが、シンはまだ若い。いつ終わるともしれんこの世界に、残ってほしいとは思えんな」
「そうね。こっちに長くいると、もどろうって気にならなくなっちゃうかもしれないし」
「しかし、俺たちと違ってシンは死んでいるわけではない。それに残してきたものがあるはずだろう?」
「でも、私たちと違ってシンくんはこの世界じゃ最強と言っていい存在よ。しかもシュニーちゃんみたいな美人に好意を向けられれて思いとどまるってこと、ないかしら?」

 誰にも縛られず、自由気ままに。
 現実世界で生きる者なら、誰しも心の中で考えてしまうだろう。ストレス社会と呼ばれる現代だ。いやなことを忘れて、好きなことをして生きていきたいという願いを持っている者は多いだろう。

「この世界は、シンにとって実に都合がいい」

 ひびねこの言葉を、シャドゥとホーリーは否定できない。それは自分たちにも当てはまることだからだ。

「結局は、シンしだいか」
「そうね。個人的には親御さんを安心させてあげてほしいけど」
「周囲の期待を一身に背負っていたからな。マリにゃさんがいなければ、どうなっていたか」

 その力ゆえに、シンが理不尽なことを強要されていたことを知っている3人は、自分を押し殺していた当時のシンを思い出す。たまたまステータスが高かった、それだけの理由でゲーム攻略を押し付けられ、仕方がないと疲れた顔で笑っていたシンの姿を。
 全員が同じスタートラインから始めていたのなら、違ったのだろう。しかし、当時はシン以外の上級プレイヤーは、よくてステータスが800を超え始めたというところ。シンと200近いステータス差があった。THE NEW GATEでは200も能力差があっては、パーティーを組んだところで足手まといにしかならない。ダメージ量、移動速度、防御力など、その差は歴然としていたし、もとよりそこまで到達していたプレイヤーの数も少なかった。
 複数のパーティで連携したり、フィールドでモンスターの大軍と戦うというような場合なら話は別だが、ダンジョンボス、とくにラストダンジョンでは大勢のプレイヤーが展開するだけの広さなどなかった。
 加えて死に戻りができない状況では、他のプレイヤーをシンレベルまで強化するには1年どころではない時間がかかる。早くログアウトしたい者たちは、よってたかってシンにゲームの早期攻略を求めた。

「いざという時は、力になれるといいんだけど」
「もどかしいな」

 戦い抜いた若者に何かしてやれることはないか。
 大人たちは頭を悩ませるのだった。


 ◇


「さて、さすがにそろそろ宿に戻るか」

 にゃんダーランドを出たシンは、そうつぶやいて宿に向かった。
 シャドゥたちと話をして多少気はまぎれているが、シュニーと面と向かって会ったらどうなるかはまだわからない。
 どこかもやもやしたままレッドテイルの扉を開け、鍵を受け取って部屋へと向かう。途中誰に会うこともなく、部屋に着く。
 しばらくすると部屋の扉がノックされた。女性から水の入った桶を受け取る。鍵を受け取る際に頼んでおいたのだ。それなりに大きいので重量があるはずだが、女性は軽々と運んでいた。
 水を温める魔術を使ってからタオルを浸し、体をぬぐう。トイレは普及しつつあるが、風呂はまだ難しいようだ。技術的なことがわからないシンは、早く作ってくれと願うしかない。

「……寝よう」

 とくにやることもなかったので、寝ることにした。シュニーとのことが尾を引いているのか、何かしようという気にはなれなかったのである。
 布団にもぐりこむ。意外なほどすんなりと、シンの意識は眠りへと落ちていった。


 明けて翌日。
 シンが身支度を整えていると、扉がノックされた。外にいたのはティエラ、変装したシュニー、ユズハ、カゲロウの2人と2匹。朝食を一緒に取ろうということらしい。
 ユズハを頭上に乗せてシンは階下に降りる。さりげなくシュニーの方を見るが、特に変わった様子は見られない。

「今日はどうするの?」

 朝食をとりながら、ティエラが言う。
 すでに『氾濫』が発生していることは広く告知されているようで、住民の避難も始まっているらしい。冒険者はそこまで準備することがないので手の足りないところに手伝い要員として駆り出されるのだが、都市内ではあまり仕事はないようだ。

「私は領主の城へ行きます。シンも連れて行くといってありますから、今日は一緒に来てください」
「あ、ああ、わかった」

 昨日の一件で伝えるのを忘れていたらしい。シンも、今日の予定など考えてもいなかったので承諾する。態度の変わらないシュニーを見ていると、いろいろ気にしている自分がおかしいのかと思えてしまうシンだった。漫画でもこういう時は男の方が気にするんだったか? と、どうでもいいことを考えてしまう。

「じゃあ、私は訓練所に行ってますね。私じゃ前線には出れませんけど、何があるかわかりませんし」
「そうですね。それがいいでしょう。時間があれば、また組み手をしましょうか」
「……はい、宜しくお願いします」

 ティエラの微妙に間のある返事を聞きながら、シンは心の中で南無と唱えた。
 一緒に旅をしていた時も訓練しているのを見ていたのだが、シュニーの訓練(しごき)はシンから見てもなかなかにハードなものだった。シンの改造馬車&特製寝具がなければ、疲労がたまって動けなかったに違いないというレベルだ。素直に返事ができなかったのも仕方がないだろう。
 カゲロウを従えているので出ようと思えば前線でも十分戦えるのだが、本人の戦闘力が上がるわけではないので訓練は意外と有効だ。レベルにばかり固執していては、本当に強くはなれない。
 食事を終えると鍵を預けて城に向かう。シュニーとティエラが人の目を集めるのはいつものことだったが、『氾濫』でモンスターが迫っているとあってさすがに声をかけてくるような手合いはいなかった。
 途中でギルドに向かうティエラ、カゲロウと別れ、シン、シュニー、ユズハの2人と1匹は城へ足を向ける。

「今日は何をするんだ?」
「派遣されている選定者の方たちとの顔合わせと、連携についての話し合いですね。実際にどの程度連携が取れるかも試します」

 ひびねこたちとはもう顔合わせがすんでいるが、派遣組と呼ばれる者たちとシンはまだ会っていない。おそらく、リオンの紹介もあるのだろう。
 いくら選定者が個々の能力に優れているとはいえ、ぶっつけ本番で連携をとれなどという無茶はないようだ。本来は都市の命運がかかっているのだから、当然といえば当然だろう。

「たしか、ガイルとリージュ、だっけ?」
「ご存知でしたか」
「ギルドで聞いた。ガイルの魔術スキルで攻撃するって言ってたから、そっちが魔導士か?」
「はい。フルネームはガイル・サージェット。炎術系の魔術を得意とする魔導士です。もう1人がリージュ・ラトライア。こちらはリオン様と同じ魔剣士ですね」

 ガイルがロード、リージュがドラグニルらしい。シュニーはどちらとも何度か共闘する機会があったらしく、人柄についてもよく知っているようだった。
 戦闘スタイルや能力について聞いているうちに、領主の城に着いた。
 シュニーは直前で変装を解き、本来の姿で門へと歩いていく。突然の変化だが、魔術スキルによって誰も気づくことはなかった。

「シュニー・ライザー様! よくぞお越しくださいました!」

 近づいてくるのが誰なのか気づいた門番が、完璧な敬礼を見せる。その視線はシュニーに釘付けで、シンがいることに気づいていない気配すらあった。

「身分証明とか、要りますか?」
「っ!! 失礼しました! 許可証の提示をお願いします!」

 シンが声をかけると慌てたように門番が言った。どうやら本当に気付いていなかったようだ。
 張り切りすぎている門番に、シュニーが許可証を渡す。事前にもらっていたらしい。
 許可証を確認した門番が開いてくれた扉を通って、2人と1匹は城の中に入る。
 門番の1人が案内役として嬉々とした表情で先導している。ただ、残って仕事を続ける門番たちの絶望したような顔を見るに、この役を巡って壮絶な戦いが繰り広げられたことは間違いない。

(めちゃくちゃ見られてるな)

 城内を歩けば、必然的にある程度の人とすれ違う。そして、そのほとんどが足を止めてシュニーに見惚れるか、礼をしてくるのだ。時間がたつにつれて人数が増えているような気がするのは、シンの気のせいではないだろう。

「(シュニーにんき?)」
「(ああ、強くて美人で上位種族だ。そりゃ人気もでるわな)」

 ユズハの念話に答えながら、シンは自分に向けられる視線に鬱陶しさを感じていた。すれ違う人は、大抵シュニーを見た後、シンとユズハに気づく。そして、およそ9割の人が「シュニー殿の隣を歩いているあいつは誰だ!?」という表情を浮かべるのだ。敵意を向けてくる手合いが少ないのが救いだが、面倒くささは変わらない。
 時間をずらすべきだったと、シンはシュニーの人気を侮っていたことを後悔していた。
 誰一人声をかけてこないのは、シュニーがここにきている理由を皆が理解しているからか。お連れはどなたかという話にならずに済むので、そこだけシンは安堵していた。
 しばらくして、ある部屋の前で案内役の門番が立ち止まる。どうやらここが顔合わせの場所らしい。

「ライザー様。わざわざお越しいただき、感謝いたします」
「お気になさらず。遅れてしまいましたか?」
「いえ、まだ来ておられない方もいますので」

 2人が部屋に入ると、テーブルについて話をしていた中からもっとも質の良い服を着た人物が立ち上がり、感謝の言葉を告げてきた。
 タウロ・ヤクスフェル。
 髪を短く刈り込んだ目力の強い人物で、歳は40代半ばといったところ。たるみのない体はその性格を反映しているように感じられる。

「シン殿はリオン様とともにわが都市の防衛に参加してくださるとか、実に心強く思っております」
「あ、いえ、お気になさらず」

 シュニーと軽く挨拶をかわすと、タウロはすかさずシンにも声をかけてくる。言葉遣いは丁寧だが、シンという人物を見透かそうとするかのように鋭い視線を向けてくるあたり、さすがはバルメルの領主といったところか。

「話し合いを始めるまで、まだしばし時間があります。飲み物を用意させますので、どうぞおくつろぎください」

 そう言って席を外すタウロ。派遣組とリオンはまだ来ていない。
 先に来ていたひびねこたちに挨拶をしてしばらく待つと、タウロとリオンの他、男性2人と女性1人が入ってきた。

「では、皆さまの顔合わせも兼ねた会議を始めたいと思います。初対面の方もおりますので、軽く自己紹介とまいりましょう」

 全員が着席したのを見計らってタウロが切り出した。
 飛び入りであるシンとリオンから始まり、順に自己紹介が進む。

「俺はガイル・サージェット。魔導士だ。今回はライザー殿と共に初撃を担当することになる。よろしく頼む」

 ガイルは魔導士ということだったが、どちらかと言えば戦士と言われた方が納得のいく外見の男だった。少し長めの茶髪に黒眼の爽やか系。身長はシンと同じくらいだが、筋肉の量はガイルの方が多いだろう。ロードらしいが、見た目はヒューマンと変わらない。
 連携訓練もあるからか、杖とマントも持ってきていた。

「あたしはリージュ・ラトライア。魔剣士をやってる。今回はリオン様と一緒にこいつのお守だ。仲良くやろう」

 リージュはウェーブのかかった燃えるような赤髪と深紅の瞳をもつ女性だった。戦士職ゆえか口調からはあまり女性らしさは感じないが、170はある身長と出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるプロポーションは十分魅力的だ。
 目元にわずかな鱗模様が見える以外は、ドラグニルとしての特徴はない。シュバイドと違い、こちらは見た目が人に近いタイプのようだ。

「あれをこっちで着てるやつがいるとは」
「ん? どうかしたかい?」

 シンがつぶやいたのが聞こえたらしく。リージュが聞いてくる。

「ああ、いや、リージュさんが着ているのは魔術鎧なのかな、と」

 ガイルと同じく実戦用の装備を付けているリージュ。ただ、身につけているのが俗に言う、ビキニアーマーだった。一部のゲームで登場する、鎧としての機能が疑われる装備である。
 シンは質問するように言ったが、当然それがどういう装備なのかは知っている。正式名称は『竜玉の魔術鎧』でドラゴン系のモンスターからとれる宝玉を使った伝説(レジェンド)級中位の鎧だ。色が赤いのはレッドドラゴンからとれる宝玉を使っているからだろう。
 ダメージを受けた際に一定値までを無効化、それ以上はダメージを減少させる効果を持っていて、VITが500以上ないと装備できない。肌が露出している部分にもダメージ減少効果はあるので、ステータス次第ではむき出しの腕で刃物を受け止める、というようなこともできた。
 ただ、性能は高いほうなのだが、ゲーム時代はあまり人気のなかった装備でもある。VRMMOとなり、自分の体を動かすようにプレイするのもあってか、女性であれを着ようと思う者はあまりいなかったのだ。

「おや、見惚れてたんじゃないのかい? 胸に視線を感じたんだけどねぇ」
「勘弁してください……」

 そういってリージュは胸元を強調して見せる。シンがリージュの胸――正確には胸を覆う鎧――に視線を向けていたのは事実だが、邪な気持ちで見ていたわけではない。
 からかわれてるなと思いながらも、こういう性格なら着れるか、ともシンは思った。

「リージュ、からかうのもそれくらいにしておけ。自己紹介を続けさせてもらうぞ。私はエルギン・スレフ。バルメル守護騎士団の団長をしている。今回、軍の指揮は私がとることになる。ライザー殿がいるからといって気を抜くつもりはない。宜しく頼む」

 シンとリージュの話に割り込む形でエルギンが自己紹介をする。職業柄大声を出すことが多いのだろう。よく響く声だ。シンとしても対応に困っていたのでエルギンに感謝した。
 エルギンは身長2メル近い大男だ。腕や足はシンの倍近い太さがあり、それを特注の鎧で包んだ姿は立っているだけで周囲を威圧する。選定者なのかは不明だが、レベルは200とそれなりに高い。
 年齢は30後半から40前半くらいか。タウロとはまた違った意味で鋭い眼光をシンに向けている。

「では、自己紹介も終わったところで『氾濫』に関する話し合いとまいりましょう。すでに耳にしている方もおられるかもしれませんが、確認の意味もかねて話を聞いていただきたい」

 全員の自己紹介が終わると、タウロがそう切り出した。
 視線が自分に集まったことを感じたタウロは、テーブルの上に地図を広げた。カルキアからバルメルまでを示した大まかな地図のようだ。

「リオン様とシン殿からもたらされた情報を調べた結果、こちらへと向かっているモンスターの群れを確認しました。進行速度から予想すると、あと4日ほどでバルメルにやってくるでしょう。情報通りモンスターは人型、ゴブリンやオーク、オーガなどが主体となっています」

 情報を口にしながら、タウロはモンスターの群れを模した駒を地図上に置く。さらにバルメルよりに2つの駒、その後ろに4つの大きな駒を置いた。

「こちらはシン殿、シャドゥ殿、ホーリー殿、猫又殿の第1班。シュニー様、リオン様、ガイル殿、リージュ殿の第2班を示しています。バルメルの前方5ケメルにて待機していただき、その後方に騎士団を展開させます。モンスターをある程度引きつけた後、シュニー様とガイル殿の広範囲魔術スキルで迎撃します。この際、第1班側にモンスターが多く残ることが予想されますので、第1班はこれを迎撃。数を減らしつつ、適度に後方へモンスターを通してください」

 その後もタウロは駒と口頭で作戦を説明していく。レベルの高い個体は優先撃破、防衛が主であって訓練はおまけであることを最後に告げてタウロは説明を終えた。

「では第1班はパーティを組んで連携訓練だ。第2班はガイル殿の護衛が主任務なので、シュニー様が仮想敵として訓練してくださる」
「え゛」
「なんだって!?」

 エルギンが言った内容にガイルが固まり、リージュが悲鳴に近い声を上げた。

「シュにゃーさんの訓練は厳しいことで有名でな」

 2人の反応に怪訝な顔をしていたシンに、ひびねこが小声でそのわけを教えてくれた。どうやら、シュニーの訓練は身内でなくともハードモードが基本のようだ。
 リオンだけは楽しみだというような顔をしているのは、訓練の厳しさを知らないからか、はたまた訓練を受けられるのを栄誉に感じているからか。

「生きろよ」

 ボロボロになっても回復できるだけの時間はある。シュニーのことだ、そのぎりぎりを見極めてしごくに違いない。
 そんなことを思いながら、シンはエールを送っておいた。

「では、吾輩たちも訓練に移るとしよう」

 シュニーたち第2班に続いて、シンたちも移動を始める。シュニーが仮想敵を務める第2班と違い、シンたちが向かうのはバルメルの城壁の外だ。外にいるモンスターを相手に訓練をするのである。モンスターを相手にするといっても、能力差がありすぎて戦闘にならないのだが、あくまで連携の訓練なので問題はない。

「シンと組むのは久々だな」
「そうですね。というか、俺の場合パーティを組むこと自体久々ですけど」

 これもまた、能力差がありすぎるがための弊害だ。シンが他のプレイヤーに合わせるよりも、ソロで挑んだ方が早く倒せる上に消耗も少ないというパーティシステムを否定するような状態だったのだ。

「こればかりはどうしようもない。他のプレイヤーを育てるにしても、時間がかかりすぎたからな」
「簡単に追いつかれると、それはそれで納得がいかないんですけどね」

 シャドゥの言葉につい一言言ってしまうシン。他のプレイヤーが強くなってくれるのはいいことなのだが、いろいろと犠牲にしてきた身としては素直に喜べないのだ。

「おしゃべりはそのくらいにしておけ。格下とはいえ、モンスターを相手にするのだ。油断は禁物だぞ」
「……そうだな。すまない、少々浮かれていたようだ」
「すいません」

 はっきり言ってしまえば、クリティカルヒットを顔面に受けたとしても無傷で済むようなモンスターしかいないのだが、パーティを組むことに浮かれていたシンとシャドゥは素直に謝った。
 ひびねこもそこは理解しているので、気を悪くすることもない。ホーリーなど、子供を見るような目で苦笑している。

「ひびねこさんも同じくせに」
「自制するのが大人というものだ」
「いつもより尻尾が動いてますよ?」
「……バ、バランスを取っているだけだ!」

 二足歩行している時点で尻尾のバランサーとしての役割はほとんどない。結局のところ、ひびねこも心況は同じなのだ。微笑ましいものを見る目で、ホーリーはひびねこを見ていた。

「それはそうと、そろそろモンスターが出る地域よね」
「吾輩は浮かれてなど……まあ、そうだな。このあたりならウルフ系のモンスターがよく出たはずだ」

 ひびねこをからかっていたホーリーだったが、周囲の索敵は忘れていない。ふざけた会話をしているが全員選定者ということもあって移動速度は速く、すでにモンスターの出る地域に足を踏み入れていた。
 しかし、周囲を見回してもモンスターの影はない。

「おかしいですね。感知できる範囲にモンスターが1体もいません」
「1体も、だと?」

 シンの感知範囲は【索敵】や【気配察知】といった複数のスキルを使用することによって大幅に拡大している。なので、シャドゥやひびねこでは届かないところまで探ることができるのだが、それでもモンスターを発見することはできなかった。
 感知範囲の広さを聞いていたシャドゥたちは、皆訝しげな表情を浮かべている。

「こういうことって、『氾濫』が起こってるときはよくあるんですか?」
「いや、吾輩はそれなりの回数『氾濫』を経験しているが、モンスターが少なくなることはあってもいなくなることはなかったな」
「少なくなることはあると?」
「『氾濫』で発生するモンスターはそれ以外のモンスターに無差別に襲いかかる。危険を察知したモンスターが縄張りを離れることは知られているのだ」
「なるほど。でも、今回は何か違うようだ、と」
「そうなる。そもそも、少なくなるといっても急激に減るわけでもない。今回の動きは明らかに異常だ」

 ひびねこの一言にシンたちの表情が鋭くなる。『氾濫』だけなら問題ないだろうが、ここにきてモンスターの謎の失踪だ。楽観視するのは危険だと、言葉にせずとも全員の意見が一致する。

「悠長に訓練している場合ではないな。いったん戻ろう」
「そうね。原因はわからないけど、伝えておいた方がよさそうだし」

 シャドゥの提案にホーリーが同意する。シンとひびねこも異存はなく、上級選定者の脚力を駆使してバルメルへと駆け戻った。途中、感知範囲にモンスターの反応がないか探ったが、やはり1つも反応はなかった。

「…………」
「シン? さっきから黙っているが、何か心当たりでもあるのか?」
「ええ、ちょっと」

 シャドゥの疑問にシンは渋い顔で返す。シンの記憶に閃くものがあったのだ。
 元はゲームのイベント戦。モンスターの群れが都市を襲うという、別段珍しくもないイベントだ。ただ、その数が問題だった。周辺のモンスターのポップが一時的に停止し、黒い波のような大群が一斉に都市に押し寄せたのだ。
 プレイヤーはもちろん抵抗し、防衛は成功。大部分はシンのような上級プレイヤーの魔術スキルで吹き飛ばされた。しかし、地中から都市内に侵入したモンスターのせいで少なくない被害も出た。
 このイベントが始まる前に、モンスターが姿を消していたのだ。もしこれが同じイベントの前兆なら、今回の『氾濫』と同じか上回る規模のモンスターの群れが押し寄せてくる。

「もしそのイベント戦と同じなら、伝えておかねばならんな」
「ええ、それはシュニーに頼もうと思ってます」

 ひびねこの言葉に、シンはうなずきながらどう伝えるかを言う。
 シュニーなら過去にこんなことがあったで説明がつくからだ。


「モンスターの反応がない、ですか」

 領主の城へと戻った4人はすぐにタウロへと連絡をつけてもらい、モンスターについて報告した。応接室にはシュニー他、第2班の面々も来ている。
 報告を聞いたタウロは少しの間記憶を探るように黙考する。しかし、思い当たることがなかったのか、小さくため息をついた。
 同席することになったエルギンたちも首を横に振っている。

「私の知る限り、そんなことがあったという記録はないはずです。調査が必要ですね」
「危険を察知して逃げた、では説明がつかんしな」

 2人の態度からはこの件にたいして警戒しているのが伝わってくる。

「皆様は何か心当たりはありませんか?」

 タウロの言葉にシュニーを除いた全員が首を振る。

「シュニー様は、何か心当たりでも?」
「はい。以前、似たようなことがあったのを思い出しまして」

 タウロの問いにシュニーはうなずく。シュニーには既に心話で連絡済みだ。
 シンの記憶にあるのはあくまでゲームのころの話ではあるが、この世界なら起こってもおかしくはない。

「お聞かせ願えますか? 今は少しでも情報が必要なのです」
「もちろんです。かなり前のことになりますが――」

 ところどころ内容をぼかしながら、シュニーは説明する。

「そんな……ことが……」

 話を聞いた面々の表情は硬い。とくにイベント戦の方はモンスターのレベルも高かったという話を聞いたあたりから、タウロとエルギンの顔色がひどい。
 今までの防衛は上級選定者という特化戦力と、相手が数は多くとも一般兵で倒せるモンスターだったからこそどうにかなっていたのだ。これが一般兵で手に負えないようなモンスターの群れとなれば、想定される被害は天井知らずになるだろう。

「あくまで状況が似ているだけですので、知ってる通りになるかはまだわかりませんが」
「いや、想定はしておいた方がいいでしょう。訓練など言ってられんな」

 状況が似ているだけで、まだ確定しているわけではない。しかし、シュニーの発言にエルギンは真剣な表情で返す。当たっていた場合が危険すぎるのだ。

「今回は楽勝だと思ってたんだがな」
「まったくだよ。うまくいかないもんだねぇ」

 やれやれと肩をすくめるのはガイルとリージュだ。態度こそ軽いが、やはりどちらも表情まで明るいとは言い難い。

「とはいえ、悲観することばかりでもないだろう。我々にはシュニー・ライザーがついている。加えて上級選定者が2人も援軍に来てくれているのだ。『氾濫』への対処を間違えなければ、いざという時もやりようはあるはずだ」
「ああ、敵は未知数だが今回は味方に恵まれている。もしかすると意外と楽に終わるかもしれないぞ」

 敵にばかり意識の言っていたタウロたちに、ひびねことシャドゥが声をかける。気負ったところのない声は、沈みかけていた空気を軽くする。
 その余裕は、シンとシュニーの存在あってのことだ。ある意味、危険度という点では迫りくるモンスターよりも、この2人の方がはるかに高い。

「もちろん、協力させていただきます」
「……そうですな。むしろ、この状況できてくれたことに感謝するべきでしょうか。作戦を変更しましょう。シュニー様、モンスターが攻めてくる方角はわかりますかな?」
「いえ、そこまでは」

 さすがに攻めてくる方向まで同じと考えるのは危険なので、シュニーはわからないと答える。また、攻めてくる時期もはっきりしないので、偵察を密にする方向で話はまとまった。いつ来るかわからないものよりも、確実に来る方に備えることにしたのだ。
 話し合いが終わると各部署に連絡が飛ぶ。もし先にイベント戦のモンスターがきてもすぐに展開できるだけの準備は、すでに整っているのだ。

「なあシュニー。確認しておきたいんだが俺がいなくなった後、対ギルド戦の広範囲魔術を使ったことあるか?」
「いえ、それほどの大軍と戦ったことはありません。大抵は通常の広範囲魔術で対処できましから」

 城を後にしたシンたちは、一旦別れた後再び合流していた。現在はティエラを迎えにギルドに向かっている。モンスター相手の戦闘はできなかったので、城の訓練場で仮想敵相手に連携は確かめてある。
 今回はかなりの大軍を相手にするので、シュニーに対ギルド戦用の魔術スキルの威力を確認しておきたかったシン。しかし、シュニーも栄華の落日以降それほどの大軍と戦うことはなかったらしく、どれほどの威力があるのかは分からないようだった。

「そうなると、ホイホイ使うのはマズイか。先制攻撃のときに1発使ってみてくれるか?」
「はい、使えるとしたら、そのタイミングしかないでしょう」

 相手と魔術の規模次第では、それだけでほぼ終わってしまう可能性もある。それはそれで悪いことではないので、ついでに威力の確認をさせてもらうことにした。

「シュニーちゃんの広範囲魔術か~。私たちの出番って残るのかしら」
「被害が出ないなら、それに越したことはない」
「うむ」

 ホーリーの言葉にシャドゥは肯定的な意見を述べる。ひびねこも同様だ。シンは楽観視はしないが、気負った様子もない。

「まあ、こればかりはその時になってみないとわかりませんけどね。念のため、俺も準備はしときますけど」
「何かするのですか?」
「数の多い奴らと戦うのにぴったりの装備があったろ? 今のうちにバージョンアップしとこうと思ってな。顔も隠せるから暴れても問題ないし」

 シュニーの疑問にシンは少々黒い笑顔を浮かべながら答える。鍛冶師としての血が騒いでいるようだ。

「……同時に来ても問題なさそうだな」
「そうね」

 シャドゥとホーリーは苦笑しながらシンとシュニーのやり取りを眺めていた。ひびねこも言葉にこそしないが、同意するようにうなずいている。
 ギルドに着くと受付嬢に一言断りを入れて、一行は訓練場へと足を運んだ。訓練場は弓や投擲の練習の的が下がっているスペースや、教官に指導をしてもらうスペースなど様々な訓練ができるようになっていた。
 シンもバルクスと戦った本来は入場できないエリアに入ったことがあるくらいで、実際にどうなっているのかを見るのは初めてだった。
 訓練場内を見るのはそこそこに、シンはティエラを探す。

「お、いたいた」

 多く冒険者たちが連携や個人練習などをしている広場の一角に、ティエラはいた。どうやら誰かと1対1で戦闘訓練をしているようだ。

「あれは、カエデちゃん?」
「そうみたいですね」

 シンの言葉にシャドゥ達もティエラとカエデが打ち合っているのに気付く。どちらも武器は短剣。訓練場で貸し出される武器を使っているようだ。
 カゲロウは近くの壁際でお座り状態で待機している。

「一方的だな」
「むしろ、ティエラがついていけていることをほめるべきでしょう」

 シンの視線の先、カエデと打ち合っていると言ってもティエラは防戦一方だ。カエデとティエラのステータス差を考えるなら、シュニーの言うとおり防げているだけ称賛ものだろう。
 カエデが本気を出していないというのもあるのだろうが、普通はすぐについていけなくなる。シュニーによる訓練は、しっかりとティエラの実力を伸ばしていたようだ。

「くっ!」

 声をかける前にティエラの短剣が弾かれる。首筋につき付けられた短剣を見て、ティエラは動きを止めた。

「勝負あり、か」
「あ、シンさん。シュ、ユキさんも」
「シ、ン……?」

 シンたちに気付いたカエデが声をあげる。ティエラもカエデの声でシンたちに気付いたが、息を切らしてすぐには動けないようだった。
 ちなみにユキは変装中のシュニーの呼び名だ。カードの登録もユキでしてあるらしい。

「一緒に訓練していたのですか」
「はい、会ったのは偶然ですけど」

 最初はステータス制限をして訓練していたらしい。最後にステータス差ありでやることにして、そこにシンたちが来たようだ。

「大丈夫か?」
「うん……だい、じょうぶ、よ」

 シンはすっかり汗だくになっているティエラに、タオルを渡しつつ声をかける。ティエラの息が整うまで少し待ち、あらためて声をかけた。

「訓練の成果は出てたみたいだな」
「ええ、これで成果がなかったら泣くわよ」
「それもそうか。とりあえず、お疲れ」

 カゲロウもよってきてティエラを労う。顔を舐めてくるカゲロウに、ティエラはくすぐったそうにしていた。
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 センスと呼ばれる技能を成長させ、派生させ、ただ唯一のプレイをしろ。  夏休みに半強制的に始める初めてのVRMMOを体験する峻は、自分だけの冒険を始める  2月13日、6000万PV記録。
  • SF
  • 連載(全221部)
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先代勇者は隠居したい(仮題)(N5764BN)
ちょっとエッチな中学生、社勇(やしろゆう)は、中学二年の夏休みに異世界へと召喚された! そこは剣と魔法のファンタジー世界! 自分を呼び出した可愛い姫のために戦い、時には挫折し、それでも命有る限り戦い続けた彼は、ついに世界に平和をもたらすのだった!――――  あれから三年、先代勇者が倒した筈の魔王は復活し、世界はまた混沌に包まれつつあった。 そんな時、新たに四人の勇者が召喚された! 世界に平和をもたらすために、二代目勇者、天城海翔は剣を抜く! ………………が、彼らは知らない。天城海翔達と共に召喚されてしまった、なんの魔力もない男子高校生こそが三年前魔王を倒した先代勇者だったことを―――!! がしかし、先代勇者は彼らに関わらない。だって異世界満喫したいしー。 これは自分の欲望に忠実な、だけど最終的にまた世界を救っちゃいそうな勇者、社勇のほのぼのファンタジーライフ!
  • ファンタジー
  • 連載(全92部)
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この世界がゲームだと俺だけが知っている(N9078BD)
バグ満載のため、ある意味人気のVRゲーム『New Communicate Online』(通称『猫耳猫オフライン』)。 その熱狂的なファンである相良操麻は、不思議な道具の力でゲーム世界に飛ばされてしまう。 突然の事態に驚く操麻だが、そこは勝手知ったるゲームの世界。 あらゆるバグを使いこなし、ゲームの仕様を逆手に取る彼は、いつしか『奇剣使いソーマ』と呼ばれていた。
  • ファンタジー
  • 連載(全196部)
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