2014/2/13(木)の聖教
2014/2/13(木)の聖教
1、インドに人間主義の大河 こる肩で記念の集い SGI会長の訪問から35周年
池田SGI会長の1979年(昭和54年)2月のインド訪問から35周年を迎えた。この佳節を記念する集いが、コルカタをはじめインド各地で行われている。今ねインド創価学会の新入会者の半数以上は次代を担う青年。師との原点を胸に、友は新たな前進を開始した。
“ガンジスの流れも一滴から”――幾万の地涌の人材が陸続と
池田SGI会長は、インドのメンバー40人に語り掛けた。
「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
1979年2月7日、ニューデリー市内で行われた懇談会。
当時、その場に参加していたナビーナ・レディ理事長は語る。
「池田先生との懇談会の中で、私たちの心に広布の使命と自覚が芽生え、“師弟”の精神が刻まれるのを感じました。インド創価学会の大発展は、まさに、あの時の出会いから始まったのです」
SGI会長の初訪問は、61年(昭和36年)2月。この時、妙法の友は一人もいなかった。SGI会長はね大地に題目を染み込ませる思いで懸命に祈り続けた。
いまや、インドの地涌の陣列は6万9000人に発展。青年を先頭に、新たな人材が陸続と誕生した。日蓮大聖人の「仏法西還」の未来記が現実のものとなったのである。
コルカタの集いは1月4日、、市内のヴィクトリア記念堂で行われた
2、わが友に贈る
惰性は停滞であり
後退に通じていく。
慣れや油断を排し
新たな挑戦を!
若々しい息吹で進め!
3、名字の言 「自分に実感がなければ、人を掴めるはずがない」ファウスト。
大災害は人間の本質をあらわにする。だが、表れるのは、むき出しの利己心だけではない。むしろ助け合う心、「人のため」という利他心である▼東北の津波被災地へ派遣された、都市設計の専門家がいた。そこで見たものは想像を絶する破壊の跡と、家族を亡くし悲嘆に暮れる人々。避難所等を回っても、ただ寄り添い、共に泣くしかなかった▼その中で、この壮年の目に、被災者のために全身全霊で働く人々の姿が映った。学会員の医師や看護師らである。「その存在は抜きん出て輝いていました」▼懸命に働く、いや戦うといっていい、その情熱の源を知りたいと思った。彼・彼女らと話す中で、学会の歴史と精神、池田名誉会長の励ましの足跡を知る。関西から東京・中野に転居した壮年は自ら進んで入会。地域の同志に触れ確信を深めると、昨年と今年、仕事仲間の壮年2人を続けて信心に導いた▼『ファウスト』に「自分に実感がなければ、ひとを〓めるはずはない」(手塚富雄訳)という言葉がある。被災地の医師らは、社会貢献をことさら意識したのではあるまい。信仰で磨いた人間性の輝きを、おのずと放っていた。それが壮年の心を捉え、さらに次の壮年へと伝わった。素晴らしい人間革命の連鎖である。(飛)
4、寸鉄
★ 会長は個々人に生きる力を与える事で社会を変革―識者。励ましの大運動
◇
★ 東京・葛飾の日。仲良き連帯で友情拡大に先駆。人間共和の模範の前進!
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★ 信心の団結は足し算ではなく掛け算。共に祈って共に動く。歴史を開く要
◇
★ 第一印象はほんの数秒で決まると。故に爽やかな挨拶を。笑顔一つ、声一つ
◇
★ 車のスリップ事故多発。急ハンドルや速度超過は禁物。無理せず安全運転
5、生命の光 母の歌 第5章「戦争の100年」から「平和の100年」へ ⑤
理想は高く 連帯は強く 人間愛と正義の勝利を
池田SGI会長 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである」
私は小説『人間革命』を、この一節から書き起こしました。
執筆開始は1964年(昭和39年)12月2日。着手する場所は沖縄と決めていました。というのは、第2次世界大戦中、日本で最も凄惨な地上戦が行われたのが沖縄であったからです。
書き始めた時、すでに終戦から20年近く経っていましたが、沖縄はアメリカの施政権下にあり、その意味で戦争は“いまだ終わっていない”現実があったのです。
小説は、45年7月の東京を舞台に始まります。敗戦前後の日本は、悲惨に満ち満ちていました。特に、多くの民衆は、やっと戦争が終わったという思い以上に、虚脱感と不安に苛まれていました。深刻な食糧不足で、ちまたは修羅の様相を呈していました。
サイフェルト博士 第2次大戦後、ウィーンの大部分は破壊されておりました。当時の模様を知らせる、たくさんの古い映像が公文書館に保存されています。
当時、私自身はまだ子どもでしたが、連合軍による占領時代のことは、今でもよく覚えており、どちちかというと、占領というより、保護に近い感覚でもありました。両親や他の大人だちとの会話から、多くのオーストリア人は、いまだにナチスの思想にとらわれていて、思想転換の過程は遅々として進まないと聞かされたことがあります。
私が通っていたギムナジウム(日本の小学校高学年から高校に相当する)では、この(ナチスの)時代のことが教えられることはなく、教材はいつも第1次世界大戦で終わっておりました。
その分、今日、若い世代の人たちには我々と違った教育に力を注ぐ必要があり、私たちの過去の歴史の脆弱な部分を教え伝えることで、旧世代が犯した過ちから学ばせることが大切だと思います。
池田 真実を伝える歴史教育が、どれほど重要か。
恩師・戸田先生もよく語られました。「歴史は大事だ。歴史は、過去から現在、現在から未来へ、より確実に平和をめざし、人類の共存をめざす道しるべとなる」と。
そうした意味で、もう少し伺いたいのですが、オーストリアが戦後、復興を遂げていく中で、今でも心に残っている光景はありますか。
サイフェルト 私が記憶しでいるのは、まだ幼かったころですが、ウィーン国立歌劇場やブルク劇場が再開したことです。とても高価だった入場券を購入することはできませんでしたが、その模様をラジオで聞き知ることができました。当時はテレビが普及していませんでしたから。あれは特別な思い出です。
池田 「音楽の都」ならではのお話ですね。博士が親交を重ねてくださっているオーストリアSGIの女性リーダーは、おじいさまが戦後、ウィーン国立歌劇場を再建した建築家でした。「ウィーン市民に、失ったものを、往年の姿のまま取り戻させるべきである」との信念から、「歴史的施工図」に忠実に再建したことを、孫として誇り高く語つてくれています。
この国立歌劇場は1945年の3月の空爆で大きな被害を受けましたが、5月にドイツが降伏して戦火が収まると、その月の月末には早くも再建が発表されました。それから10年の歳月を経て完成し、55年11月に巨匠カール・ベーム氏指揮によるベートーベンの「フィデリオ」で新生の幕を開けます。ベーム氏といえば、民音招へいによる国立歌劇場の来日公演でも指揮を執ってくださったことが懐かしいです。
ともあれ、権力悪に対する人間愛の勝利、正義の勝利を歌い上げたオペラを、オーストリアの人々は、ラジオを通して万感の思いで聴かれたのではないでしょうか。
音楽や演劇、芸術に注がれるウィーンの人々の熱情が、どれほど強く、深かったか。世界のどの都市も、はるかに及ばないものでしょう。
サイフェルト ええ。この年(1955年)は、連合国との国家条約締結で、オーストリアが国家主権を回復し、占領していた連合軍が撤退したわけですが、私たちにとってオペラ劇場などの再開は、文化的な面において、同じくらい重要な出来事だったのです。当時のことを思い浮かべると、今なお、心臓がドキドキします。
戦後のオーストリアでは、非常に優秀な政治家が輩出されました。彼らは良識豊かに、国家に新しい安定をもたらすよう努めたのです。
池田 東西冷戦が激化する中にあっても、オーストリアの指導者たちは隣国ドイツのような国土の東西分割の回避を勝ち取り、一国での主権回復を実現しました。
ナチス支配下での辛酸を共に嘗めた指導者たちが、右派や左派との立場よりも、オーストリアのためという一点で緊密に協力し、政治・経済的安定が生まれたことも成功の一因とされていますね。その後の指導者たちが、永世中立国として冷戦時代に果たした役割も、大きく評価されています。
貴国の政治家といえば、フランツ・フラニツキ首相のことが思い起こされます。1989年の10月、日本でお会いしました。当時は東欧革命の真っただ中で、会見の約2ヵ月前、オーストリアとハンガリーの国境が解放され、東側の民衆が次々に西側へ脱出するという、歴史的な出来事がありました。そして、会見の翌11月には、冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したのです。
首相は私に、毅然とした口調で言われました。
「ラテン語の格言には『平和を願うならば、戦争の準備をせよ』とあります。しかし、私はこの言葉を『平和を願うならば、平和の準備をせよ』と置き換えて、活動しているのです」と。
サイフェルト その言葉には、心から賛同します。とともに、第2次世界大戦が終了して、すでに70年近くが経過しているのに、今なお流血の戦争が起こっています。言語に絶します。それには、私たち全員に責任があると思うのです。日本を含めた各国がそれぞれ、考えていかなければなりません。
最近、ある戦争の危機が迫る国家間で、両国の市民たちがフェイスブック(インターネット交流サイト)を通し、互いに「戦争を望んでいない」 「友人であることを望んでいる」といった真情を伝え合うやりとりをし、それが広く公開されたことがあります。これはまさに、現代の民衆が平和を望んでいるということだと思うのです。今は近代的媒体を通して、国際的にネットワークを築くことが、より容易になっているのです。
池田 その通りですね。平和の実現こそ、世界中の民衆の真情です。
平和の先覚の女性ズットナーは言っております。
「本物の、筋金入りの平和の闘士は、必ず楽観主義者です。根っからの楽観主義者です……彼らにとって将来世界が平和になるというのは、単なる可能性の回題ではなく、必然のことなのです」 (糸井川修訳)と。
サイフェルト博士は、まさにこの断固たる信念で、文化と芸術の交流を通し、平和のために行動し続けておられます。
私どもSGIも、平和社会の建設のために、国連を一貫して支援しつつ、世界192力国・地域で、さまざまな運動を粘り強く展開してきました。なかでも欧州SGIは、これまで、各界の識者を招き、宗教間・文明間対話の会議や平和展示などを実施しています。
2007年9月、ドイツのヴィラ・ザクセン総合文化センターで行ったシンポジウムには、サイフェルト博士にもご出席いただきました(ヨーロッパ科学芸術アカデミーと東洋哲学研究所、ドイツSGIの共催)。
国連ウィーン本部(ウィーン国際センター)では、SGI制作の「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展を、ウィーンNGO(非政府組織)平和委員会との共催で開催しました(2010年10月)。同展はスイス、ノルウェー、イタリアなどでも巡回してきました。さらに力を入れていきたいと考えております。
今こそ、平和を願う心ある人々の声を一段と結集し、市民社会の連帯を広げて、平和への流れを強めていかねばなりません。
サイフェルト 同感です。平和のプロセスを推進することが大切です。常に、そこに焦点を合わせて行動することです。具体的に照準を合わせて、長期的に問題に取り組んでいくべきです。
そして、世界平和の名のもとに人々が結集する中立的な場所として、ウィーンはとてもふさわしいのではと思っております。
同じ目標や志を持った人たちと一緒に共同作業を行うことで、有意義なプロジェクトを推進できます。私は、SGIのネットワークを心から信頼し、皆さんに期待しているのです。 (第5章おわり)
6、小説『新・人間革命』第27巻第1章 正義38
妙楽大師の言葉に、「礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」(御書一八七㌻)とある。
「礼楽」とは、「礼儀」と「音楽」のことで、中国の伝統的な生活規範である。「礼」は、行いを戒め、社会の秩序を生み出し、「楽」は人心を和らげるものとして尊重された。「礼楽」とは、広い意味では「文化」といってよい。
中国では、この「礼楽」が流布していたために、人びとが真の道である仏法を理解することができたというのである。
キリスト教を見ても、それを土壌にして生まれた音楽や美術等々の文化が、キリスト教への関心や共感を促す力となっていった。
また、文化・芸術には、民族や国家を超えて人間を魅了し、人と人とを結ぶ力がある。優れた音楽が、世界の多くの人びとに愛され、人間の融和、心の結合の力となってきた例は少なくない。
山本伸一は、埼玉文化合唱祭で、それらを踏まえて、学会の推進する文化運動の意義について言及していったのである。
「埼玉の皆さんは、全国で開催される〝合唱祭〟の先駆けとして、見事な歌声を披露してくださった。心より御礼申し上げます。
信仰によって、わが生命を躍動させ、奏でる楽の音も、合唱の歌声も、万国共通の言葉であり、万人の心を結ぶ〝文化の懸け橋〟となります。
これから未来にわたって、日蓮大聖人の仏法を、どのように人びとの心に響かせ、世界に開いていくかという視点に立つならば、こうした運動が、その推進力になることは間違いありません。
また、出演した方々は、この文化合唱祭に、自身にとっての大きな意義を発見し、信心の跳躍台としてこられたことと思います。
学会の合唱祭や文化祭の重要な意味は、それを通して一人ひとりが信心を磨き、友情を深め、強い確信に立ち、発心の契機にしていくことにこそあります。自身の成長がなければ、華やかな催しも虚像にすぎません」
7、座談会 世界広布新時代の旭日【22】2・17「農魚光部の日」 命を育む使命と誇り
試練こそ成長のチャンス
竹岡 世界広布新時代を迎え、一人一人の同志が、広布の誓願を新たにしながら、自身の課題に挑戦しています。
原田 試練の時こそ成長のチャンス。これが仏法の教えです。池田先生は、大白蓮華2月号の「勝利の経典『御書』に学ぶ」の中で、「火が薪を加えられて一層燃え上がり、想像上の生き物である求羅が大風を受けて、ますます大きくなるように、私たちも大難に遭えば遭うほど、信心の炎を燃え上がらせ、一層強くたくましく成長していくべきである」(御書1136㌻、趣意)との御文を通し、指導されました。「どんな障魔が競い、苦難があろうと、それに負けずに信心に励めば、いよいよ威光勢力を増し、福運を増大することになります」
杉本 「変毒為薬の信心」を貫けば、宿命を使命に変えることができます。
原田 信心は、「行き詰まりとの戦い」であり、「諦めない勇気」であり、「困難に立ち向かう心」であるとも言われています。大切な時だからこそ、我らの信心の本領を発揮し、一閻浮提広宣流布の大闘争に挑んでまいりたい。
「主張大会」を開催
落合 私は今、多くの農漁業関係者と語り合う機会があります。その方々に、「人間は食べないと生きていけない。食べ物を大事にすることが、生命を大事にすることである。労働を大事にすることであり、人間を大事にすることである。それが『文化』の基礎である」との池田先生の哲学を伝えると、皆が一様に深い感動を寄せられます。
竹岡 先生は、「反対に、食べ物を大事にせず、農村を大事にしない社会が、人間や生命を粗末にする野蛮な社会となり、すべての面で行き詰まるのも不思議ではない」とも綴られています。
原田 農漁業を大事にすることによって、「いのちを大切にする」文化が育まれるとの卓見こそ、時代変革の力であると確信します。
橋元 先日行われた、四国での農漁村ルネサンス体験主張大会でも、その先見を評価する声が相次いだそうです。
落合 高知県の四万十文化会館で開かれた大会には、県知事をはじめ、農協の県会長や県漁業組合会長も列席し、大盛況の集いとなりました。
吉井 勇気と智慧で困難を乗り越えた、4題の活動体験が報告されたと伺いました。
橋元 オリーブオイルの国際品評会での金賞受賞者、約40年間のわかめ養殖を通じて地域の発展に貢献する方、〝世界一甘い栗〟の生産者、それから親子3代で肉用牛の経営をされる方は女子部の娘さんも登壇し、注目を浴びたそうですね。
原田 農漁業の分野において、後継者育成の問題は深刻です。その中、学会では、農漁光青年委員会を早くから立ち上げ、青年への励ましに力を入れてきました。青年の力を信じ、その可能性を開くために行動する、池田先生の信念への共感は、ここでも大きく広がっています。
吉井 大会に参加した県知事は、「不屈の精神で困難を乗り越えた体験を聞き、勇気をもらいました。池田名誉会長の卓見である〝農漁光〟のごとく農業・漁業が光り輝き、若者が誇りをもって従事できる高知県にしていきたい」と語っていました。あらためて、真実の体験の力を感じます。
性の時代を開く
杉本 「農業は男性の仕事」と思われがちですが、実は、日本の農業の担い手は、その半数以上が女性です。その意味で、女性が生き生きと活躍する農漁光部への期待は、本当に大きいものがあります。
吉井 2・17「農漁光部の日」を記念する「農漁村ルネサンス体験主張大会」が、「ヒューマン体験プラザ」として、15・16日に、全国に中継されます(中継の会館と時間は各県・区で決定)。そこでも、婦人部の方が登場し、体験を発表されます。
杉本 彼女は、父と兄の他界により、農業の世界に足を踏み入れます。当初は苦労も多かったようですが、不屈の心で、養豚とキュウリ栽培に励んだ様子が、マスコミで話題に。「道の駅」の活性化にも貢献する姿は、まさに女性の時代を開く模範です。
竹岡 他にも、ビート(てんさい)栽培で北海道の最優秀賞に輝いた青年や、養殖カンパチで日本一を勝ち取った壮年の体験も、中継行事では披露されます。
杉本 どれも素晴らしい体験ですので、ぜひ友人を誘って、参加したいものです。
橋元 現在、農林水産省では、「6次産業」と呼ばれる、地方に新しい産業を起こす動きを推進しています。これは、「生産者」(第1次産業)が、「加工」(第2次産業)も「販売」(第3次産業)も一括して行うことです。「1」と「2」と「3」の一体化から、「6次」と呼ばれています。学会では、この6次産業に取り組まれる方も多いと聞きます。
落合 そうです。生命力を湧かせ、旺盛なチャレンジ精神をたぎらせる同志の中には、こうした新たな動きに、積極的に取り組む方が多いのです。
原田 「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同1597㌻)と仰せの通り、私たちは、命を守る農漁光部の方々にますます感謝し、その繁栄を祈念していきたい。
落合 現在、主張大会は、広島県の神石高原町、宮崎県の美郷町、徳島県の阿南市など市町村ごとの単位でも開かれ、大きな反響を得ています。これからも、「生命の世紀」の担い手との使命を深く自覚し、日本社会に希望と元気を送ってまいります。
8、今日の発心 顕仏未来記 508㌻
御書 月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く(顕仏未来記、508㌻・編561㌻)
通解 月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた同じである。正法並びに像法時代には西のインドから東へ伝わり、末法においては、東の日本から西へ流布していくのである。.
【「人間主義の哲学」を世界へ】
末法における「仏法西還」を宣言された一節です。
1998年(平成10年)、同じ大学で働く中国出身の学術者と共に創価大学の「第九」演奏会に参加。「ニイハオ」と握手で歓迎してくださる池田先生の振る舞いに、心から感動しました。
その後、中国・湖南師範大学池田大作研究所に研究員として招いていただけることに。師匠の偉大な足跡を学ぶなか、昨年3月には、台湾・中国文化大学で行われた池田大作平和思想研究国際フォーラムに参加。そこで念願だった発表を。世界から集った学者らが、現代社会が抱える難問解決の道を、先生の「人間主義の哲学」に求める姿を目の当たりにすることができました。
創価三代の死身弘法によって、今、仏法は世界に拡大。生命尊厳の思想は平和・文化・教育に光を送っています。そして本年、世界広布新時代が開幕しました。師匠が開いてくださった道をまい進し、「英知と勇気の学術部」として使命を果たしてまいります。
中部学術部長 糸井川修
【社会の情勢】
◆農林水産物 13年、輸出が過去最高 和食ブーム・円安が追い風に
◆難病医療法案を国会提出 助成対象 拡大実施へ
◆14年度・病院の体制整備向け基金を創設 閣議決定
◆主治医役割 月1万5000円 診療報酬改定で中医協答申
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