2014年2月13日 (木)

2014/2/13(木)の聖教

2014/2/13(木)の聖教

1、インドに人間主義の大河 こる肩で記念の集い SGI会長の訪問から35周年

 池田SGI会長の1979年(昭和54年)2月のインド訪問から35周年を迎えた。この佳節を記念する集いが、コルカタをはじめインド各地で行われている。今ねインド創価学会の新入会者の半数以上は次代を担う青年。師との原点を胸に、友は新たな前進を開始した。

“ガンジスの流れも一滴から”――幾万の地涌の人材が陸続と

  池田SGI会長は、インドのメンバー40人に語り掛けた。
 「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
 1979年2月7日、ニューデリー市内で行われた懇談会。
 当時、その場に参加していたナビーナ・レディ理事長は語る。
 「池田先生との懇談会の中で、私たちの心に広布の使命と自覚が芽生え、“師弟”の精神が刻まれるのを感じました。インド創価学会の大発展は、まさに、あの時の出会いから始まったのです」
 SGI会長の初訪問は、61年(昭和36年)2月。この時、妙法の友は一人もいなかった。SGI会長はね大地に題目を染み込ませる思いで懸命に祈り続けた。
 いまや、インドの地涌の陣列は6万9000人に発展。青年を先頭に、新たな人材が陸続と誕生した。日蓮大聖人の「仏法西還」の未来記が現実のものとなったのである。
 コルカタの集いは1月4日、、市内のヴィクトリア記念堂で行われた


2、わが友に贈る

 惰性は停滞であり
 後退に通じていく。
 慣れや油断を排し
 新たな挑戦を!
 若々しい息吹で進め!


3、名字の言  「自分に実感がなければ、人を掴めるはずがない」ファウスト。

  大災害は人間の本質をあらわにする。だが、表れるのは、むき出しの利己心だけではない。むしろ助け合う心、「人のため」という利他心である▼東北の津波被災地へ派遣された、都市設計の専門家がいた。そこで見たものは想像を絶する破壊の跡と、家族を亡くし悲嘆に暮れる人々。避難所等を回っても、ただ寄り添い、共に泣くしかなかった▼その中で、この壮年の目に、被災者のために全身全霊で働く人々の姿が映った。学会員の医師や看護師らである。「その存在は抜きん出て輝いていました」▼懸命に働く、いや戦うといっていい、その情熱の源を知りたいと思った。彼・彼女らと話す中で、学会の歴史と精神、池田名誉会長の励ましの足跡を知る。関西から東京・中野に転居した壮年は自ら進んで入会。地域の同志に触れ確信を深めると、昨年と今年、仕事仲間の壮年2人を続けて信心に導いた▼『ファウスト』に「自分に実感がなければ、ひとを〓めるはずはない」(手塚富雄訳)という言葉がある。被災地の医師らは、社会貢献をことさら意識したのではあるまい。信仰で磨いた人間性の輝きを、おのずと放っていた。それが壮年の心を捉え、さらに次の壮年へと伝わった。素晴らしい人間革命の連鎖である。(飛)


4、寸鉄

★ 会長は個々人に生きる力を与える事で社会を変革―識者。励ましの大運動
      ◇
★ 東京・葛飾の日。仲良き連帯で友情拡大に先駆。人間共和の模範の前進!
      ◇
★ 信心の団結は足し算ではなく掛け算。共に祈って共に動く。歴史を開く要
      ◇
★ 第一印象はほんの数秒で決まると。故に爽やかな挨拶を。笑顔一つ、声一つ
      ◇
★ 車のスリップ事故多発。急ハンドルや速度超過は禁物。無理せず安全運転


5、生命の光 母の歌 第5章「戦争の100年」から「平和の100年」へ ⑤
理想は高く 連帯は強く  人間愛と正義の勝利を

  池田SGI会長 「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、つづいていた。愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである」
 私は小説『人間革命』を、この一節から書き起こしました。
 執筆開始は1964年(昭和39年)12月2日。着手する場所は沖縄と決めていました。というのは、第2次世界大戦中、日本で最も凄惨な地上戦が行われたのが沖縄であったからです。
 書き始めた時、すでに終戦から20年近く経っていましたが、沖縄はアメリカの施政権下にあり、その意味で戦争は“いまだ終わっていない”現実があったのです。
  小説は、45年7月の東京を舞台に始まります。敗戦前後の日本は、悲惨に満ち満ちていました。特に、多くの民衆は、やっと戦争が終わったという思い以上に、虚脱感と不安に苛まれていました。深刻な食糧不足で、ちまたは修羅の様相を呈していました。

  サイフェルト博士 第2次大戦後、ウィーンの大部分は破壊されておりました。当時の模様を知らせる、たくさんの古い映像が公文書館に保存されています。
 当時、私自身はまだ子どもでしたが、連合軍による占領時代のことは、今でもよく覚えており、どちちかというと、占領というより、保護に近い感覚でもありました。両親や他の大人だちとの会話から、多くのオーストリア人は、いまだにナチスの思想にとらわれていて、思想転換の過程は遅々として進まないと聞かされたことがあります。
 私が通っていたギムナジウム(日本の小学校高学年から高校に相当する)では、この(ナチスの)時代のことが教えられることはなく、教材はいつも第1次世界大戦で終わっておりました。
 その分、今日、若い世代の人たちには我々と違った教育に力を注ぐ必要があり、私たちの過去の歴史の脆弱な部分を教え伝えることで、旧世代が犯した過ちから学ばせることが大切だと思います。

 池田 真実を伝える歴史教育が、どれほど重要か。
 恩師・戸田先生もよく語られました。「歴史は大事だ。歴史は、過去から現在、現在から未来へ、より確実に平和をめざし、人類の共存をめざす道しるべとなる」と。
 そうした意味で、もう少し伺いたいのですが、オーストリアが戦後、復興を遂げていく中で、今でも心に残っている光景はありますか。

 サイフェルト 私が記憶しでいるのは、まだ幼かったころですが、ウィーン国立歌劇場やブルク劇場が再開したことです。とても高価だった入場券を購入することはできませんでしたが、その模様をラジオで聞き知ることができました。当時はテレビが普及していませんでしたから。あれは特別な思い出です。

 池田 「音楽の都」ならではのお話ですね。博士が親交を重ねてくださっているオーストリアSGIの女性リーダーは、おじいさまが戦後、ウィーン国立歌劇場を再建した建築家でした。「ウィーン市民に、失ったものを、往年の姿のまま取り戻させるべきである」との信念から、「歴史的施工図」に忠実に再建したことを、孫として誇り高く語つてくれています。
 この国立歌劇場は1945年の3月の空爆で大きな被害を受けましたが、5月にドイツが降伏して戦火が収まると、その月の月末には早くも再建が発表されました。それから10年の歳月を経て完成し、55年11月に巨匠カール・ベーム氏指揮によるベートーベンの「フィデリオ」で新生の幕を開けます。ベーム氏といえば、民音招へいによる国立歌劇場の来日公演でも指揮を執ってくださったことが懐かしいです。
 ともあれ、権力悪に対する人間愛の勝利、正義の勝利を歌い上げたオペラを、オーストリアの人々は、ラジオを通して万感の思いで聴かれたのではないでしょうか。
 音楽や演劇、芸術に注がれるウィーンの人々の熱情が、どれほど強く、深かったか。世界のどの都市も、はるかに及ばないものでしょう。

 サイフェルト ええ。この年(1955年)は、連合国との国家条約締結で、オーストリアが国家主権を回復し、占領していた連合軍が撤退したわけですが、私たちにとってオペラ劇場などの再開は、文化的な面において、同じくらい重要な出来事だったのです。当時のことを思い浮かべると、今なお、心臓がドキドキします。
 戦後のオーストリアでは、非常に優秀な政治家が輩出されました。彼らは良識豊かに、国家に新しい安定をもたらすよう努めたのです。

 池田 東西冷戦が激化する中にあっても、オーストリアの指導者たちは隣国ドイツのような国土の東西分割の回避を勝ち取り、一国での主権回復を実現しました。
 ナチス支配下での辛酸を共に嘗めた指導者たちが、右派や左派との立場よりも、オーストリアのためという一点で緊密に協力し、政治・経済的安定が生まれたことも成功の一因とされていますね。その後の指導者たちが、永世中立国として冷戦時代に果たした役割も、大きく評価されています。
 貴国の政治家といえば、フランツ・フラニツキ首相のことが思い起こされます。1989年の10月、日本でお会いしました。当時は東欧革命の真っただ中で、会見の約2ヵ月前、オーストリアとハンガリーの国境が解放され、東側の民衆が次々に西側へ脱出するという、歴史的な出来事がありました。そして、会見の翌11月には、冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊したのです。
 首相は私に、毅然とした口調で言われました。
 「ラテン語の格言には『平和を願うならば、戦争の準備をせよ』とあります。しかし、私はこの言葉を『平和を願うならば、平和の準備をせよ』と置き換えて、活動しているのです」と。

 サイフェルト その言葉には、心から賛同します。とともに、第2次世界大戦が終了して、すでに70年近くが経過しているのに、今なお流血の戦争が起こっています。言語に絶します。それには、私たち全員に責任があると思うのです。日本を含めた各国がそれぞれ、考えていかなければなりません。
 最近、ある戦争の危機が迫る国家間で、両国の市民たちがフェイスブック(インターネット交流サイト)を通し、互いに「戦争を望んでいない」 「友人であることを望んでいる」といった真情を伝え合うやりとりをし、それが広く公開されたことがあります。これはまさに、現代の民衆が平和を望んでいるということだと思うのです。今は近代的媒体を通して、国際的にネットワークを築くことが、より容易になっているのです。

 池田 その通りですね。平和の実現こそ、世界中の民衆の真情です。
 平和の先覚の女性ズットナーは言っております。
 「本物の、筋金入りの平和の闘士は、必ず楽観主義者です。根っからの楽観主義者です……彼らにとって将来世界が平和になるというのは、単なる可能性の回題ではなく、必然のことなのです」 (糸井川修訳)と。
 サイフェルト博士は、まさにこの断固たる信念で、文化と芸術の交流を通し、平和のために行動し続けておられます。
 私どもSGIも、平和社会の建設のために、国連を一貫して支援しつつ、世界192力国・地域で、さまざまな運動を粘り強く展開してきました。なかでも欧州SGIは、これまで、各界の識者を招き、宗教間・文明間対話の会議や平和展示などを実施しています。
 2007年9月、ドイツのヴィラ・ザクセン総合文化センターで行ったシンポジウムには、サイフェルト博士にもご出席いただきました(ヨーロッパ科学芸術アカデミーと東洋哲学研究所、ドイツSGIの共催)。
 国連ウィーン本部(ウィーン国際センター)では、SGI制作の「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展を、ウィーンNGO(非政府組織)平和委員会との共催で開催しました(2010年10月)。同展はスイス、ノルウェー、イタリアなどでも巡回してきました。さらに力を入れていきたいと考えております。
 今こそ、平和を願う心ある人々の声を一段と結集し、市民社会の連帯を広げて、平和への流れを強めていかねばなりません。

 サイフェルト 同感です。平和のプロセスを推進することが大切です。常に、そこに焦点を合わせて行動することです。具体的に照準を合わせて、長期的に問題に取り組んでいくべきです。
 そして、世界平和の名のもとに人々が結集する中立的な場所として、ウィーンはとてもふさわしいのではと思っております。
 同じ目標や志を持った人たちと一緒に共同作業を行うことで、有意義なプロジェクトを推進できます。私は、SGIのネットワークを心から信頼し、皆さんに期待しているのです。 (第5章おわり)


6、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義38

  妙楽大師の言葉に、「礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」(御書一八七㌻)とある。
 「礼楽」とは、「礼儀」と「音楽」のことで、中国の伝統的な生活規範である。「礼」は、行いを戒め、社会の秩序を生み出し、「楽」は人心を和らげるものとして尊重された。「礼楽」とは、広い意味では「文化」といってよい。
 中国では、この「礼楽」が流布していたために、人びとが真の道である仏法を理解することができたというのである。
 キリスト教を見ても、それを土壌にして生まれた音楽や美術等々の文化が、キリスト教への関心や共感を促す力となっていった。
 また、文化・芸術には、民族や国家を超えて人間を魅了し、人と人とを結ぶ力がある。優れた音楽が、世界の多くの人びとに愛され、人間の融和、心の結合の力となってきた例は少なくない。
 山本伸一は、埼玉文化合唱祭で、それらを踏まえて、学会の推進する文化運動の意義について言及していったのである。
 「埼玉の皆さんは、全国で開催される〝合唱祭〟の先駆けとして、見事な歌声を披露してくださった。心より御礼申し上げます。
 信仰によって、わが生命を躍動させ、奏でる楽の音も、合唱の歌声も、万国共通の言葉であり、万人の心を結ぶ〝文化の懸け橋〟となります。
 これから未来にわたって、日蓮大聖人の仏法を、どのように人びとの心に響かせ、世界に開いていくかという視点に立つならば、こうした運動が、その推進力になることは間違いありません。
 また、出演した方々は、この文化合唱祭に、自身にとっての大きな意義を発見し、信心の跳躍台としてこられたことと思います。
 学会の合唱祭や文化祭の重要な意味は、それを通して一人ひとりが信心を磨き、友情を深め、強い確信に立ち、発心の契機にしていくことにこそあります。自身の成長がなければ、華やかな催しも虚像にすぎません」


7、座談会 世界広布新時代の旭日【22】2・17「農魚光部の日」 命を育む使命と誇り

試練こそ成長のチャンス

 竹岡 世界広布新時代を迎え、一人一人の同志が、広布の誓願を新たにしながら、自身の課題に挑戦しています。

 原田 試練の時こそ成長のチャンス。これが仏法の教えです。池田先生は、大白蓮華2月号の「勝利の経典『御書』に学ぶ」の中で、「火が薪を加えられて一層燃え上がり、想像上の生き物である求羅が大風を受けて、ますます大きくなるように、私たちも大難に遭えば遭うほど、信心の炎を燃え上がらせ、一層強くたくましく成長していくべきである」(御書1136㌻、趣意)との御文を通し、指導されました。「どんな障魔が競い、苦難があろうと、それに負けずに信心に励めば、いよいよ威光勢力を増し、福運を増大することになります」

 杉本 「変毒為薬の信心」を貫けば、宿命を使命に変えることができます。

 原田 信心は、「行き詰まりとの戦い」であり、「諦めない勇気」であり、「困難に立ち向かう心」であるとも言われています。大切な時だからこそ、我らの信心の本領を発揮し、一閻浮提広宣流布の大闘争に挑んでまいりたい。

「主張大会」を開催

 落合 私は今、多くの農漁業関係者と語り合う機会があります。その方々に、「人間は食べないと生きていけない。食べ物を大事にすることが、生命を大事にすることである。労働を大事にすることであり、人間を大事にすることである。それが『文化』の基礎である」との池田先生の哲学を伝えると、皆が一様に深い感動を寄せられます。

 竹岡 先生は、「反対に、食べ物を大事にせず、農村を大事にしない社会が、人間や生命を粗末にする野蛮な社会となり、すべての面で行き詰まるのも不思議ではない」とも綴られています。

 原田 農漁業を大事にすることによって、「いのちを大切にする」文化が育まれるとの卓見こそ、時代変革の力であると確信します。

 橋元 先日行われた、四国での農漁村ルネサンス体験主張大会でも、その先見を評価する声が相次いだそうです。

 落合 高知県の四万十文化会館で開かれた大会には、県知事をはじめ、農協の県会長や県漁業組合会長も列席し、大盛況の集いとなりました。

 吉井 勇気と智慧で困難を乗り越えた、4題の活動体験が報告されたと伺いました。

 橋元 オリーブオイルの国際品評会での金賞受賞者、約40年間のわかめ養殖を通じて地域の発展に貢献する方、〝世界一甘い栗〟の生産者、それから親子3代で肉用牛の経営をされる方は女子部の娘さんも登壇し、注目を浴びたそうですね。

 原田 農漁業の分野において、後継者育成の問題は深刻です。その中、学会では、農漁光青年委員会を早くから立ち上げ、青年への励ましに力を入れてきました。青年の力を信じ、その可能性を開くために行動する、池田先生の信念への共感は、ここでも大きく広がっています。

 吉井 大会に参加した県知事は、「不屈の精神で困難を乗り越えた体験を聞き、勇気をもらいました。池田名誉会長の卓見である〝農漁光〟のごとく農業・漁業が光り輝き、若者が誇りをもって従事できる高知県にしていきたい」と語っていました。あらためて、真実の体験の力を感じます。

性の時代を開く

 杉本 「農業は男性の仕事」と思われがちですが、実は、日本の農業の担い手は、その半数以上が女性です。その意味で、女性が生き生きと活躍する農漁光部への期待は、本当に大きいものがあります。

 吉井 2・17「農漁光部の日」を記念する「農漁村ルネサンス体験主張大会」が、「ヒューマン体験プラザ」として、15・16日に、全国に中継されます(中継の会館と時間は各県・区で決定)。そこでも、婦人部の方が登場し、体験を発表されます。

 杉本 彼女は、父と兄の他界により、農業の世界に足を踏み入れます。当初は苦労も多かったようですが、不屈の心で、養豚とキュウリ栽培に励んだ様子が、マスコミで話題に。「道の駅」の活性化にも貢献する姿は、まさに女性の時代を開く模範です。

 竹岡 他にも、ビート(てんさい)栽培で北海道の最優秀賞に輝いた青年や、養殖カンパチで日本一を勝ち取った壮年の体験も、中継行事では披露されます。

 杉本 どれも素晴らしい体験ですので、ぜひ友人を誘って、参加したいものです。

 橋元 現在、農林水産省では、「6次産業」と呼ばれる、地方に新しい産業を起こす動きを推進しています。これは、「生産者」(第1次産業)が、「加工」(第2次産業)も「販売」(第3次産業)も一括して行うことです。「1」と「2」と「3」の一体化から、「6次」と呼ばれています。学会では、この6次産業に取り組まれる方も多いと聞きます。

 落合 そうです。生命力を湧かせ、旺盛なチャレンジ精神をたぎらせる同志の中には、こうした新たな動きに、積極的に取り組む方が多いのです。

 原田 「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同1597㌻)と仰せの通り、私たちは、命を守る農漁光部の方々にますます感謝し、その繁栄を祈念していきたい。

 落合 現在、主張大会は、広島県の神石高原町、宮崎県の美郷町、徳島県の阿南市など市町村ごとの単位でも開かれ、大きな反響を得ています。これからも、「生命の世紀」の担い手との使命を深く自覚し、日本社会に希望と元気を送ってまいります。


8、今日の発心   顕仏未来記 508㌻ 

御書 月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く(顕仏未来記、508㌻・編561㌻)

通解 月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた同じである。正法並びに像法時代には西のインドから東へ伝わり、末法においては、東の日本から西へ流布していくのである。. 

【「人間主義の哲学」を世界へ】

 末法における「仏法西還」を宣言された一節です。

 1998年(平成10年)、同じ大学で働く中国出身の学術者と共に創価大学の「第九」演奏会に参加。「ニイハオ」と握手で歓迎してくださる池田先生の振る舞いに、心から感動しました。
 その後、中国・湖南師範大学池田大作研究所に研究員として招いていただけることに。師匠の偉大な足跡を学ぶなか、昨年3月には、台湾・中国文化大学で行われた池田大作平和思想研究国際フォーラムに参加。そこで念願だった発表を。世界から集った学者らが、現代社会が抱える難問解決の道を、先生の「人間主義の哲学」に求める姿を目の当たりにすることができました。
 創価三代の死身弘法によって、今、仏法は世界に拡大。生命尊厳の思想は平和・文化・教育に光を送っています。そして本年、世界広布新時代が開幕しました。師匠が開いてくださった道をまい進し、「英知と勇気の学術部」として使命を果たしてまいります。
中部学術部長 糸井川修

【社会の情勢】 

◆農林水産物 13年、輸出が過去最高 和食ブーム・円安が追い風に 
◆難病医療法案を国会提出 助成対象 拡大実施へ 
◆14年度・病院の体制整備向け基金を創設 閣議決定 
◆主治医役割 月1万5000円 診療報酬改定で中医協答申

2014年2月12日 (水)

2014/2/12(水)の聖教

2014/2/12(水)の聖教


1、韓国 晋州市議会 SGI会長夫妻に特別顕彰牌

韓日両国の友好を促進 人間主義の哲学に共鳴 柳市議会議長

 池田SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻の世界平和と韓日友好に対する貢献を讃え、韓国の晋州市議会から「特別顕彰牌」が贈られた。授与式は1月14日、韓国SGIの晋州幸福文化会館で晴れやかに行われ、同議会の柳桂鉉議長はじめ議会関係者や、韓国SGIの金仁洙理事長、金殷瀾婦人部長、慶南第2方面の代表が出席した。

 韓国南部に位置する「晋州市」は、七つの大学を擁する教育都市である。絹織物や金物細工、ビビンバが有名で、1000年の歴史と文化が薫る。釜山からバスで約1時間半のところにある。
 地元の東晋州圏と西晋州圏のメンバーは、長年にわたり、国土大清掃運動を実施。災害時の復旧活動や地域行事の運営などに積極的に参加してきた。
 昨年1月、同市は、平和・文化・教育運動を広く推進し、繁栄の道を指し示す池田大作SGI会長に「名誉市民証」を授与。この誇りを胸に、SGIの友は、さらに一層、地域の発展に尽くしている。
 平和・文化・教育運動の中心センターである晋州幸福文化会館で挙行された、晴れの授与式――。
 婦人部員が団長を務める地域の芸術団が、古典弦楽器カヤグムの音色に合わせて民謡を披露。そして、600人の参加者が見つめる中、晋州市議会の柳議長から金韓国SGI理事長に特別顕彰牌が託されると、万雷の拍手が鳴り響いた。
 特別顕彰牌には「貴殿は、国家や理念の壁を超え、行動と対話によって、世界平和と韓日友好に貢献されました」と刻まれている。
 あいさつに立った柳議長は力強く語った。
 「池田SGI会長は非暴力の対話によって192カ国・地域に平和・文化・教育運動を広げ、そして韓日両国の友好促進のために努力してこられました」
 「SGI会長が示してこられた平和主義・人間主義の思想・哲学を区政に生かし、市民の幸福に一層、尽くしてまいります」



2、わが友に贈る

 創価班・牙城会の
 大学校生が弘教に先駆!
 深き使命の君たちよ
 苦闘の中で自身を磨け!
 不滅の原点を築け!



3、名字の言  池田名誉会長「これからも2回、3回と本を贈っていきたい」

  新しい図書が増えたことを心から喜び、われ先にと“競って”読む子どもたち――その姿に、本のある環境がいつしか当たり前となり、本のありがたさが分からなくなっていた自分を猛省した▼今月4日に行われた、沖縄・伊良部島の小学校に対する300冊の図書贈呈式。読書量の多い学校だが、島には書店も公立図書館もない。だからだろうか。休み時間になると、児童が学校の図書館に駆け込む光景が日常茶飯事という▼贈呈式で児童は言った。「池田会長さんが約束を守り、私たちの小学校へ何度も図書贈呈を行ってくれていることに大変感動しました」。子どもたちは、池田名誉会長が出席した40年前の図書贈呈式について調べていた▼この時、名誉会長は1006冊を贈り、戦争によって本を買えず、読みたくても読めなかった青春時代の体験を振り返り、「どんなことがあっても、少年少女期には本を与えていかなければならない」「これからも2回、3回と本を贈っていきたい」と。今回の贈呈が、1974年、2004年に次ぐ3回目だった▼「約束を守る」ことから信用が生まれる。本は、島の子どもたちの成長を願い、40年間、忘れなかった心の結晶。本とともに、人間としての生き方を贈り届けた。(川)



4、寸鉄

★  会長は対話の力で不信の壁を破った―韓国区庁長 勇気の語らいを我らも!
      ◇
★ 「女子部は教学で立て」恩師。確かな幸福人生の軌道を前進。今日も繙け
      ◇
★ 教える事とは心の扉を叩く事―詩聖。大情熱燃やし自分以上の人材を育成
      ◇
★ 希望の使者「無冠の友」に感謝! 路面の凍結などに注意を。無事故こそ勝利
      ◇
★ 6割が職場でいじめ経験―調査。絶対許さぬ人権社会へ。足元から改革を



5、生命の光 母の歌 第5章「戦争の100年」から「平和の100年」へ ④

サイフェルト博士
  悪には直ちに正義の声を! 後から「ああすべきだった」と非難するのは簡単です

池田SGI会長
 若き友よ「史実」から学べ! 仏典「未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」


池田SGI会長
 第1次世界大戦前、反ユダヤ主義の風潮の中で、ウィーンの多くのユダヤ系芸術家が苦しめられた歴史があります。
 大音楽家マーラーも、その一人でした。
 ユダヤ系作曲家のメンデルスゾーンが、ある演奏会でののしられた時、自分に何の関わりがあるのかと平然としていたというベルリンの音楽家に対して、マーラーは「もちろん大ありだ! だれもかれもが、そんなことは自分に関係ないと言ってすましている」 「世の中のことはすべて、私となんらかのかかわりがあるものだ」と言って、叱りつけたというのです。《酒田健一訳、桜井健二著マーラーとヒトラー 生の歌 死の歌』二見書房》
 私どもの創価の父・牧口初代会長は語っていました。
 「よいことをしないのは悪いことをするのと、その結果において同じである」
 「事件が起きることが予想されるのに、いうべきことをいわないで、後に後悔する卑怯者になってはいけない」と。
 悪を断じて見過ごさない。何ものも恐れず、師子王の心で正義を叫びきっていく。牧口会長自身が、その通りの実践を貫きました。

 サイフェルト博士 牧口会長、戸田会長も軍部政府と対峙し、投獄されていますが、レジスタンス(抵抗運動)の闘士の勇気には感嘆せざるを得ません。なぜなら、自分には生き残れるチャンスがないということを覚悟の上で、ナチスと戦っていたのですから。
 私はレジスタンスの闘士について、いろいろと調査しました。当時、各地にナチスに抵抗した方々がいました。
 ドイツの神学者で、獄中で命を落としたディートリヒ・ボンヘッファーもそうです。彼はポーランド出身の女性革命家ローザ・ルクセンブルクらとともに、前に取り上げた平和の先覚者ベルタ・フォン・ズットナーの後継者ともいうべきでしょう。
 オーストリアに抵抗運動をした方々がいたことも忘れてはなりません。レジスタンスに参加した人たちのリストは、とても長いものになります。そして、そのほとんどの人たちが、自らの命と引き換えに運動を繰り広げていったのです。

 池田 ボンヘッファーは、マハトマ・ガンジーとも書簡を通じて交流があり、ガンジーの道場に行く希望もあったようですね。直接会うことはできないまま、ナチスへの抵抗運動に殉じています。39歳の若さでした。
 欧州SGIの草創期を築いた友が語っていました。
 「欧州の真正の文化人は、『信念の深さ』が違います。ナチスと戦ってきました。命をかけて戦う文化人なのです。だから、社会における重みも違うのです」と。
 私か深い親交を結んだ多くの方々も敢然とファシズムと対峙し、戦い抜いてこられた「真正の文化人」でした。
 美術史家のルネ・ユイグ氏は、フランス・ルーブル美術館所蔵の人類の至宝をナチスから命懸けで守りました。
 歴史家のアーノルド・トインビー博士しかり、ローマクラブ創始者のアウレリオ・ペッチェイ博士しかり。
 フランスの作家アンドレ・マルロー氏も、そうでした。
 「人間の尊厳」とは──氏は私に、自身の小説の中の、ファシストとその人物から拷問を受ける農民革命家の言葉を使って、こう語られました。
 「人間的尊厳とはなにか」
 「そんなこと、知るものか! わかっているのは、屈辱とはなにか、このことだけだ!」(対談集『人間革命と人間の条件』)
 ナチス支配下のフランスにあって、レジスタンス闘争を戦い抜いた氏ならではの叫びであると思います。

 サイフェルト そうしたレジスタンスの中で、ヒトラーを打倒する計画が頓挫したことがありましたが、その時、私の母は持ち前の純真さで、お隣りの夫人に言ったそうです。「なんてことでしょう、あれがうまくいかなかったなんて! 首尾よくいけば、世界が救われたかもしれないのに」と。
 隣人は慌てて、「そんなことを言って、誰かに見られたり聞かれたりしたら、私はあなたを告発しなければいけないのよ」と語ったそうです。当時はそんなありさまで、何も言えない状況だったのです。
 ちなみに戦前の時代に、祖母が次のように語っていたと、母から聞いたことがあります。
 “行間を読み取らなければなりませんよ。ヒトラーは戦争を望んでいるのだということを!”と。祖母は、早くから戦争の危機を感じ取っていたというのです。

 池田 賢い庶民は、悪の本質を鋭く見抜いているものです。
 中国戦線に行った長兄が、一時帰国した際、私に語っていました。「日本軍は残虐だ。あれでは、中国人がかわいそうだ。日本はいい気になっている! 平和に暮らしていた人たちの生活を脅かす権利なんて、誰にもありはしないはずだ。こんなことは絶対にやめるべきだ」
 そして涙を浮かべながら、こう言ったのです。
 「大作、戦争は、決して美談なんかじゃない。結局、人間が人間を殺す行為でしかない。そんなことが許されるものか。皆、同じ人間じゃないか」
 戦地を見てきた長兄の言葉は今も、私の胸奥に焼き付いています。
 かつて、軍国主義の時代に、日本がアジアの国々を蹂躙した歴史は、日本人が断じて忘れてはならないことです。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)とあります。
 過去は現在、現在は未来とつながっています。
 過去を拒絶する人は、過去の過ちを乗り越え、未来に生かす方途を知ることもできないでしょう。
 ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が叫ばれた、
 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」 (永井清彦訳『荒れ野の40年──ヴァイツゼッカー大統領演説全文』岩波ブックレット)との言葉を深く心に刻んでいかねばなりません。

 サイフェルト おっしゃる通りです。後になって当時の世代について、“あの時、彼らは、ああすべきだったのに……”云々と非難するのは、たやすいことです。しかし、もっと公平に見た場合には、“私たちは二度とあの過ちを繰り返さない!”と過去から学ぶべきなのです。
 そして、悪への抵抗や反発は、そうした兆しに気づいた段階で、早いうちに、速やかに戦わなければなりません。
 「いや、それは間違っている!」と、直ちに勇気をもって、反対の声を上げなければならないのです。(つづく)



6、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義35

  西欧の文化・芸術は、キリスト教という精神の水脈から創造の活力を得てきた。また、日本にあっても、仏教のもと、絢爛たる白鳳文化が花開いたことは、よく知られている。
 では、なぜ、宗教の土壌の上に、絵画や彫刻、音楽等々、文化・芸術が開花するのか。
 アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは、「最も美しい音楽は、生命からほとばしる慈愛と真実と勇気に満ちた人間の声の中にある」(注)と述べている。
 文化・芸術は人間の生命の発露である。その生命を磨き、潤し、希望と歓喜の泉にしていく力こそ、宗教であるからだ。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「迦葉尊者にあらずとも・ま(舞)いをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをど(踊)りぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書一三〇〇ページ)
 釈尊の弟子である迦葉、舎利弗は、法華経で成仏の法を領解し、喜びに舞い踊る。また、地涌の菩薩は、末法の妙法流布の使命を担おうと、喜び勇んで、踊りながら出現しているのである。生命からほとばしる、その大歓喜の表出、表現こそが、文化・芸術の源泉にほかならない。
 また、大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同七八八ページ)と言われている。自行化他にわたる南無妙法蓮華経の実践は、慈悲の生命を、勇気を、大歓喜を、わが胸中に涌現させる。創価の同志は、日々の学会活動を通して、それを実感してきた。
 その生命の発露として、新しき人間文化を建設し、広く社会に寄与することは、仏法者の社会的使命といってよい。優れた文化・芸術を生み出すことは、仏法の偉大さの証明となる。また、その文化・芸術への共感と賛同は、大きく仏縁を広げていくことになろう。
 ゆえに山本伸一は、「広宣流布とは“妙法の大地に展開する大文化運動”である」と定義してきたのだ。学会の合唱祭や文化祭、芸術祭も、その一環にほかならない。
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■引用文献
 注 エマソン著「芸術」(『エッセーズ・第一集』所収)ライブラリー・オブ・アメリカ(英語)



7、社説  広宣流布は「一人」の勇者から

  列島各地で寒い日が続いている。最も寒さが厳しい時季を起点として、創価の師弟は広布拡大の節を刻み、伝統の2月から「3・16」「4・2」「5・3」へと、前進と栄光のリズムを築いてきた。
 御書には「一は万が母といへり」(498ページ)と仰せだ。「0」は何倍しても「0」だが、「1」は何倍にも拡大する可能性を秘めている。
 また、「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし」(御書288ページ)とも仰せになっている。大海原の源をたどれば山中の一滴となり、その山々も一粒の砂であると同様に、広布も常に「一人」の勇者に帰結する。
 昨年の秋、一人から一人へと実った弘教で結ばれ、人間革命と宿命転換に挑戦する山口県萩市に住む5人の男子部員の姿を本紙で紹介した。
 起点となったのは、男子部の副部長。①高校時代の友人↓②幼なじみ↓③かつての職場の後輩↓④職場の後輩と、次々と青年の連帯が生まれた。最初に弘教を実らせた副部長も、中学時代の同級生との対話で入会したという。
 「励まされる人」が、信仰の実践によって「励ます人」へと成長する。こうした人間革命のドラマ、温かな人間性の連帯こそが創価学会の伝統であり、広宣流布を推進する原動力であろう。
 とともに、新会員の成長には、「祈りは具体的に」といった男子部の先輩の的確なアドバイス、「題目を唱えると、人生に希望が湧いてくるんよ」という婦人部員の確信の言葉、そして何よりも、「一緒に祈る」という励ましの行動の積み重ねがあったことを見逃してはならない。
 池田名誉会長は拡大の歴史を刻んだ若き日を振り返り、友と語る際に「この瞬間、この機会を逃したら、もう会えないかもしれない」という真情で臨んだと述懐している。「2月闘争」の指揮を執った際に焦点にしたのも、「組」という、当時の学会の組織で最も小さな単位だ。
 私たちは、世界広布新時代の活動の一つとして、「10人の本当の友人づくり」を推進している。10人といっても、その始まりは「一人」からである。挑戦の一波は、必ずや万波へと広がる。この決意で、一人一人と共感の絆を結び、身近な同志の励ましに全力を尽くしたい。
 師と同じ心で「一人の人」と語ろう。小さな単位の集いにこそ光を当てよう。



8、今日の発心  祈祷抄 1351㌻
 

御書 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈禱抄、1351ページ・編519ページ)

通解 大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りの叶わないことは絶対にない。. 

【唱題根本こそ宿命転換の因】

 法華経の行者の祈りは必ず叶うと仰せです。

 1960年(昭和35年)、私が8歳の時に、池田先生は、戸田先生の故郷である厚田を訪問してくださいました。私は、入会間もなかった母と共に手を携えて戸田旅館へ。池田先生にお会いすることができ、原点を築きました。
 貧しかったわが家でしたが、“絶対に幸せになれる”との母の確信と、同志の温かな励ましに包まれて、大きく宿命転換することができました。そんな母を見て育った私は、子ども心に信心の素晴らしさを実感しました。
 結婚後、腎臓の病を患いましたが、“病に負けてなるものか”と、この御文を胸に祈り、師弟共戦に生き抜こうと、あらためて決意。7年で病気を克服し、唱題根本に全てを勝利できると確信しました。
 本年の札幌清田総区結成10周年を目指し、同志の皆さまと共に、仲良く朗らかに、勇気の対話で勝利を開いてまいります。
 北海道・札幌清田総区総合婦人部長 盛一 昭子


【社会の情勢】
 

◆中台 担当閣僚が公式会談 対話メカニズム構築で合意 分断後初 
◆ 和食の魅力、英でPR 国境越えた料理人対談も
◆離職率3割超えが目安 就活生の「ブラック企業」観 
◆校舎の寿命を70年に 建て替えから改修に転換 文科省方針
◆相続セミナーに注力 税制改正にらみ顧客開拓 信託銀行

2014年2月11日 (火)

2014/2/11(火)の聖教

2014/2/11(火)の聖教


1、池田大作SGI会長の海外出版 45言語1500点に

きょう戸田第2代会長生誕の日――恩師と築いた大偉業
池田大作SGI会長 海外出版 45言語1500点に
アメリカ 対談集「母への讃歌」英語版
インド 創作童話のマラティ語・マラヤラム語版

 きょう2月11日は、戸田第2代会長の生誕114周年にあたる。このほど、アメリカで池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長とエマソン協会元会長のサーラ・ワイダー博士との対談集の英語版が発刊。インドでもSGI会長の創作物語のマラティ語版とマラヤラム語版が大きな反響を呼んでいる。恩師の佳節を寿ぐように、世界で出版されたSGI会長の対談集や小説、大学講演集などの外国語書籍は、45言語、1500点を超えた。



2、新潟・中越地震から10年 復興青年主張大会

 新潟青年部主催の「東北復興青年主張大会」が9日、新潟池田文化会館で行われた(写真)。
 青年部の平和運動「SOKAグローバルアクション」の一環。石巻、神戸、いわきに続き、今回は、中越地震(2004年)から10年となる新潟での開催となった。
 大会では、主催者の木下総新潟青年部長の後、2人の青年メンバーが登壇した。
 福島・大熊町出身の志賀智美さんは東日本大震災後、新潟に転居。慣れない生活とともに、将来への不安が拭えず、いつしか無気力状態に。そんな中、友人から学会の話を聞いた。「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書1173ページ)の一節に感銘。11年7月、入会を果たした。「震災でモノは全て失いました。学会の中で“心の財”を積んでいきたい」と希望を語った。
 木村正和さんは東日本大震災の翌日、支援物資を運ぶトラックの運転手として、新潟池田文化会館を出発。約6時間後、東北文化会館に到着した。「被災しながらも、懸命に救援活動に走る東北の同志の姿に、胸が熱くなりました」と当時の様子を伝えた。
 続いて、山根東北青年部長が、東北創価学会の復興への取り組みを紹介。西野女子部書記長、橋元青年部長があいさつした。



3、わが友に贈る

 尊き多宝会・宝寿会
 錦宝会の皆様に最敬礼!
 厳しい寒さが続く。
 どうか健康第一で!
 堂々たる凱歌の人生を!



4、名字の言  池田名誉会長「『新しい人』だからこそ、『新しい力』をもっている」と。

 大雪が降った朝、ペットボトルの熱い紅茶を買った。見るとパッケージに「おにぎりにも合う」という趣旨の表記。試してみると、意外にその通り。緑茶も紅茶も、葉自体は同じなので、不思議はないのかもしれない。「米には緑茶」というイメージが、少し変わった▼ちょっとした視点の変化や固定観念の打破が、新たな世界を広げ、大きな希望を生むこともある。岩手県の沿岸地域で出会った婦人部員の自宅は、広布の会場になっていた。くみ取り式トイレの、古いお宅である▼東日本大震災の直後、電気も水も止まった中で、婦人は笑った。「こんな中でも使える、うちの便所は、最新式の設備だね」。“価値創造のユーモア”に、その場にいた避難者の心が、ホッと温かくなったという▼最前線の組織である「組」に焦点を当てた「2月闘争」。“組には新しい人ばかり。これでは戦えない”との声に、池田名誉会長は「『新しい人』だからこそ、『新しい力』をもっている」と。新たな視点で示した新たな価値。そして弘教拡大へ壁は破られた▼「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る」(御書1050ページ)。既存のイメージを破って物事に対するとき、新たな道が開け、新たな人が立ち上がる。(洋)



5、寸鉄

★  戸田先生の生誕日。学会は精神界の王者。192カ国・地域に広がる正義の連帯
      ◇
★ きょう国際部結成の日。「平和の世紀」の開拓者。語学と人間力で勝ち開け
      ◇
★ 港総区が人材拡大月間で躍進。本陣・東京の先駆切る広布推進の勇者よ!
      ◇
★ 創価の青年は孤独な若者を励まし友情結ぶ―識者 希望の未来築く対話運動
      ◇
★ 景気回復傾向でも厳しい就職戦線。今の労苦は一生の宝に。執念でつかめ。



6、生命の光 母の歌 第5章「戦争の100年」から「平和の100年」へ ③
 

戦火なき世界へ!英知の良心を結集せよ

  サイフェルト博士 前回、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)が話題となりましたが、私はイスラエルに、とても魅力的で素敵な友人がいます。実は彼女は、池田会長の著作の熱烈な愛読者なんです。
 彼女は、チェコスロバキア(当時)のブラチスラバで生まれました。父親は繊維会社を経営していました。両親共にユダヤ人ですが、現地のカトリック教会に通っていました。一家は第2次世界大戦の渦中、ナチス・ドイツによる危険にさらされていました。

 池田SGI会長 イスラエルは、民音が世界各国の中で最初に交流を結んだ国でもあります(1965年)。
 サイフェルト博士は文化交流でよく足を運んでおられるそうですね。ますますお元気な活躍がうれしいです。
 ご友人の出身地のブラチスラバは、現在のスロバキア共和国の首都ですね。
 かつて、その麗しい都にもヒトラーは魔手を伸ばし、傀儡国家をつくりました。
 第2次世界大戦中、ナチス支配下のスロバキア政府は次々と政令を出して、ユダヤ人から職を奪っていきます。
 与党人民党の「突撃隊」によるユダヤ人排斥の暴力も激化し、やがてナチス支配下の他地域と同様に、ユダヤ人の強制移送が始まります。スロバキアからも、何万という人々がアウシュビッツなどの収容所へと連行されていきました。現地に残ることができたのは、地下に身を隠すことなどが可能な、わずか数千人たったそうですね。

 サイフェルト ええ。私の友人の父親は、ある友人に全財産を渡し、家族を守ってもらえるようお願いしましたが、その友人はお金を持ち逃げし、彼女たちを置き去りにしました。
 たまたま、見ず知らずの農家に数カ月間、かくまってもらうことができたそうですが、本当にひどい話です。
 ナチス政権が崩壊した後、彼女の父親も解放され、会社を再建しましたが、今度は共産党が台頭し、再び勾留されてしまいました。
 その後、一家はイスラエルへ渡ります。彼女はまだ8歳だったそうです。
 彼女とは5年前、ウィーンで、彼女のいとこを介して知り合いました。これがきっかけで、私はホロコーストの問題と向き合うようになったのです。

 池田 平和と軍縮を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」を創設した一人であり、生涯、核兵器廃絶のために行動し続けたジョセフ・ロートブラット博士も、最愛の夫人がホロコーストの犠牲になりました。素晴らしい夫人を偲ばれながら、当時のことを語ってくださいました。
 1939年、核物理学の研究のため、祖国ポーランドからイギリスのリバプール大学へ留学していた博士は、ワルシャワに留まっていた夫人を呼び寄せようと、8月に一時帰国しました。
 ところが、夫人が急病にかかったので、いったん単身でイギリスに戻ります。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したのは、その2日後でした。
 博士は八方手を尽くします。しばらくの間、“妻はビザを持っているはずだから、何とかイタリアにたどり着けたのではないか。そこからなら、ポーランドよりも容易に出国できるだろう”という希
望に、すがりつくようにして生活していたといいます。
 しかし、待てど暮らせど、何の知らせも来ません。ずっと後になって、博士は1通の手紙を受け取りました。その手紙は、ワルシャワから送られていました。夫人は国境で引き戻されていたのです。
 博士は言われました。
 「1940年の末に、彼女から、もう1通の手紙がきました。そして沈黙が、永久に続きました──」と。

 サイフェルト ロートブラッド博士と同じような悲劇を、私も知っています。
 イスラエルの友人のいとこが、まだ少女だったころの話です。彼女の母親はナチスから逃れるため、翌日にブラチスラバを出立する予定でした。その準備をしていた知先、ナチスが踏み込んできたのです。母親はアウシュビッツ強制収容所に移送され、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
 何と、むごいことでしょう。たった一夜違いだったのですよ。小さな子が本当に哀れです。母親が殺されるなんて……。あまりにも残虐な仕打ちを、人が人に対して犯したのです。「なぜ?」 「何のために?」と、問わずにはいられません。これは今でも強く印象に残っており、深く考えさせられる事実です。

 池田 そうした極限状況がどうしてつくられてしまったのか。なぜ回避することができなかったのか──。
 この悲惨な歴史について、ドイツの哲学者ヨーゼフ・デルボラフ博士と語り合いました。博士は、ドイツが当時、世界で最も民主的とされた憲法下のワイマール体制からナチス体制へと移行してしまった背景として、四つの要因を挙げられました。
 「ベルサイユ条約でドイツに課せられたにがい犠牲と屈辱」
 「ドイツとオーストリア両帝国の崩壊後も存続していた旧来の領主制の反民主主義的伝統」
 「ドイツのワイマール共和制とオーストリアのウィーン体制という民主主義政体の明らかな構造的欠陥」
 「最悪の時期でオーストリアの全人口に相当する600万人もの失業者を出したワイマール共和国の、1920年代後半における構造的経済危機」と。

 サイフェルト 残念ながら、当時のオーストリアで、反発や抵抗が余りにも少なかったことも、深刻な失業問題と関連していました。飢餓に苦しみ、路頭に迷っていた人々のもとに、ヒトラーが現れ、雇用の創出を約束していったのです。たしかにドイツでは、ナチス政権初期の経済繁栄で人々が職を得ているという状況があったのです。しかし、それは新しく始める世界大戦のため、軍備を拡張する目的のためだったということに気づく人はいませんでした。
 もちろん、詳細は専門の文献を精査する必要があるかとは思いますが、大勢の人々がドイツ帝国への併合とほぼ同時期に弾圧され、収容所に送り込まれていったのです。
 この事実は、ナチスが何年にもわたって、オーストリアを併合するべく、事前に周到な準備を行っていたことを如実に物語っています。

   池田 真摯に歴史の事実を見つめなければ、より良き未来を開くことはできません。
 言うなれば、20世紀は「戦争の100年」でした。これを断じて転換し、21世紀を「平和の100年」とするために、人類は英知と良心を結集しなければならない。その深き自覚と行動が、何よりも求められています。(つづく)



7、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義34

  山本伸一は、僧たちの学会への執拗な誹謗・中傷に、広宣流布を破壊することになりかねない魔の蠢動を感じた。
 彼は、“今こそ会員一人ひとりの胸中に、確固たる信心と、広布の使命に生き抜く創価の師弟の精神を打ち立てねばならない”と強く思った。
 また、“自分が直接、各地の僧と会い、誠意をもって、率直に対話し、学会について正しい認識、理解を促していこう”と決意したのである。
 この一九七八年(昭和五十三年)の春から、全国各地で“合唱祭”が企画されていた。
 四月十五日、伸一は、埼玉県・大宮の小熊公園で行われた埼玉文化合唱祭に出席した。これには、県内にある宗門の寺院から僧侶を招待していた。
 桜花に蝶が舞い、小鳥がさえずる、春うららかな日であった。「理想郷・埼玉に歓喜の歌声」をテーマに掲げた文化合唱祭は、人びとの幸福と社会の繁栄のために、喜々として信仰に励む同志の、晴れやかな希望の出発を飾る舞台となった。
 新女子部歌の「青春桜」をはじめ、「森ケ崎海岸」「母」「厚田村」など“歓喜の歌声”が、春風とともに樹間に響き渡った。
 伸一は、この日のあいさつで、広宣流布と文化について語ろうと思っていた。
 本来、文化・芸術と宗教とは、切り離すことのできない、不可分の関係にある。
 文化・芸術は、宗教という土壌の上に開花してきた。宗教によって人間の生命の大地が耕されてこそ、文化・芸術の大輪が咲く。
 英国の詩人で批評家のT・S・エリオットは、「広く一般に受け容れられている誤りは、文化というものが宗教なくして保存され、伸張され、発展せられることが可能であるという考えであります」(注1)と論じている。
 また、フランスの女性哲学者シモーヌ・べーユは、「すべて第一級の芸術は本質からして宗教的なものである」(注2)との箴言を残している。
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■引用文献
 注1 「文化の定義のための覚書」(『エリオット全集5』所収)深瀬基寛訳、中央公論社  注2 「重力と恩寵」(『シモーヌ・ヴェーユ著作集3』所収)渡辺義愛訳、春秋社



8、池田華陽会 御書30編に学ぶ 生死一大事血脈抄 ㊥
  (作業中)



【社会の情勢】 

◆景気、消費者心理が悪化 消費増税を懸念 1月期 内閣調査室 
◆総合失調症の患者手帳  お天気マークで表現
◆ベビーカー事故、大都市圏の鉄道事業者の36%で発生 
◆経常黒字、最小の3・3兆円 円安で貿易赤字拡大 13年国際収支

2014年2月10日 (月)

2014/2/10(月)の聖教

2014/2/10(月)の聖教


1、第17回農漁村ルネサンス体験主張大会 池田大作名誉会長がメッセージ贈る

地域再生へ希望の一歩を
「ヒューマン体験プラザ」として15・16日に全国中継

 農漁光部の友が今月17日、「部の日」を迎える。
 これを記念する第17回農漁村ルネサンス体験主張大会が、「ヒューマン体験プラザ」として15日と16日の午後1時半と午後7時半から、全国各地の会場に中継される(中継の有無、時間については、各地域で異なります)。
 その大会の収録が9日、東京・千駄ケ谷の創価国際友好会館で行われた。
 池田名誉会長は、「農漁光部の日」に寄せて記念のメッセージを贈り、「地域の灯台」と光りゆく友を賞讃。「この集いが、それぞれの地域にあって、麗しき励まし合いのスクラムを一段と固く結び、愛する郷土の『地域力』『青年力』『女性力』を強めていく契機となれば、これほど嬉しいことはありません」と述べ、「この大会から、わが地域の再生へ、日本の復興へ、更に生命のルネサンスへ、希望の一歩を踏み出していこうではありませんか」と呼び掛けた。
 落合同部長は「大誠実の行動で、地域に信頼の輪を大きく広げていこう」とあいさつ。
 続いて、3人の友が希望あふれる体験主張を行った(タイトルを別掲)。
 原田会長は、地域の繁栄へ奮闘する友を讃え、「いかなる苦難にも負けず、困難にも怯まず、立ち上がる姿こそ農漁光部の誉れの姿である」と強調。「一は万が母」(御書498ページ)との御聖訓を拝し、「全ては一人から始まる。一人の決意、一歩を踏み出す勇気から、地域の発展と自他共の幸福を開いていこう」と念願した。
 参加者からは、「素晴らしい体験に感動しました。是非とも中継に友人を誘いたい」「体験を通して、食を守り、生命を育む仕事の大切さを再確認しました」などの声が寄せられた。



2、新潟 佐渡で主張大会 光る! 創価の青年の活躍

  新潟・佐渡の青年主張大会が8日、佐渡平和会館で行われた。
 実行委員長の頓宮浩明さん、川西左岐子さんが「地域の繁栄と友の幸福を祈り、佐渡を幸福の楽土にしたい」とあいさつ。青年部の代表による「佐渡おけさ」の後、地元で活躍する長家秀之さん、金子幸枝さん、加藤英司さんが地域貢献への抱負を述べた。
 続いて、堺由香理さんが体験主張を。
 高校卒業後、夢の仕事に就くも、忙しさや人間関係に悩み退職。そんな時、母から“あなたにしか果たせない使命が必ずある”との池田名誉会長の言葉を聞いて奮起した。題目と地域の同志の励ましにより、福祉関係の職場に再就職。介護福祉士の資格を取得し、昨年には正規職員の採用試験にも合格した。
 堺さんは「強く前向きに生きられるようになったのは信心と同志の支えのおかげです」と語り、今度は私が多くの人に希望と勇気を与えられる存在になりたいと爽やかに決意を述べた。



3、わが友に贈る

 大変な場所で
 広布に生き抜く人に
 無量の功徳は輝く!
 法のため 友のため
 勇猛果敢に前へ!



4、名字の言  「『ファースト・ペンギン』の心意気で頑張ります!」。ある男子部員が決意

 「『ファースト・ペンギン』の心意気で頑張ります!」。ある男子部員が決意を述べていた▼ペンギンは、氷上で群れをなし、穏やかに暮らしているように見えるが、餌の小魚をとる時は命懸け。海中には、どんな天敵が待ち構えているか分からない。水辺で列をなし、あたかも譲り合うように足踏みする▼そんな停滞感を破り、まず飛び込む1匹が「ファースト・ペンギン」だ。これを目にした仲間たちは、せきを切ったように一斉に飛び込む。1匹目は当然、アザラシやシャチに襲われる危険性が高い。だが、この1匹目がいるからこそ、群れ全体は生き永らえる。「ファースト・ペンギン」は英語の慣用句でもあり、恐れを知らずに未知の分野に挑む人を指す▼脳科学者の茂木健一郎氏によると、ペンギンは飛び込む瞬間、不安、恐怖、喜びなどの感情がフル回転するという。人間も、決断、判断を迫られ、不確実な未来に立ち向かうことで脳は発達する、と▼「不確実」、もっといえば、「不可能」とさえ思えることにも、「何事か成就せざるべき」(御書1124ページ)との強い確信で立ち向かい、道なき道を切り開くのが信仰者の真骨頂。挑戦している時こそ成長があり、充実があり、したがって幸福がある。(鉄)



5、寸鉄

★ SGIの展示活動は世界の文化・教育向上に寄与―識者。平和建設の挑戦
      ◇
★ 全国のB長・白ゆり長の奮闘に感謝!知恵と勇気光る地域広布の開拓者よ
      ◇
★ 小さな努力でも実践すれば無限の結果が―哲人。挨拶は自分から爽やかに
      ◇
★ 女子部の「10帰運動」を応援。打ち合わせは短く価値的に。幹部は配慮を
      ◇
★ 東日本大震災による液状化被害、189市区町村で。防災減災へ対策しっかり



6、世界市民の誓い 我ら ワールドシチズンズ 【2】

 エクアドル女子地区リーダー カルメン・ロペスさん 希望の太陽が昇った!
 

★SGIに入ったきっかけは?

 仏法の話を初めて聞いたのは、8年ほど前の2006年のことです。その頃、私の家族は、会社の経営が順調だった父をエクアドルに残して、憧れのアメリカ・カリフォルニアに住んでいました。コミュニティー・カレッジで美術を専攻する学生だった私は「ブッポウ」と聞き、興味を持ちました。というのも、豊かな文化や芸術の根底には深い哲学性があると感じていたからです。
 SGIの会館に行きました。御本尊に題目を唱える青年たちの生命力の勢いは、今も心に残っています。しかし、「貴重な体験だった」と思いましたが、「実践しよう」とは思いませんでした。
  転機が訪れました。2007年、父が事故で亡くなったのです。母は帰国し、私は、残されたきょうだいと悲嘆に暮れるばかり。その時、SGIメンバーの温かい励ましと、池田先生の指導が心の支えとなりました。“君たちは幸せになるために生まれてきた”“私たちには無限の可能性がある”・・・。SGIの集いに出席すると、いつも心に希望の太陽が昇りました。私自身寝自然のうちに題目を唱えていました。そして、「自他共の幸福のために生きることが父への最大の親孝行になる」と立ち上がることができたのです。2008年、御本尊を受持しました。

★信仰の確信をつかんだのは、いつですか。

  SGIに入ってからの人生は、全て題目で勝ち取ったものです。例を挙げましょう。デザイナーとして生きていこうと決めていた私には、夢がありました。それは、イタリアに本社を置く世界最大手の服飾ブランドのインターンシップ(就業体験)することでした。
 この夢を抱いていた頃(2009年)、私は、アメリカSGI青年部が推進する対話運動「ロック・ザ・エラ(時代を動かせ)に取り組んでいました。自分の体験を通し、人間革命の哲学を語り抜く中で気付いたのです。「夢に挑戦する前から、自分には不可能と決めつけていないか」と。
  祈りが変わりました。「そうだ。『私なら必ずできる!』と決めなければ」――こう一念を定めて題目を唱え、努力を重ねた結果、イタリアでのインターシップが実現したのです。

                           ◇◆◇

★「祈りはかなう」と思えない人もいますが。

  私も、そう嘆いたことは何度もありますよ。充実したインターシップのカリキュラムが終わったときのことです。「イタリアに残りたい」と職を求めました。しかし、見つかりませんでした。本当に落胆し、エクアドルに帰国。数週間後、エクアドルにある会社に就職しました。なんとその会社は、アメリカにいた時、「帰国したら働きたい」と願っていた所だったのです!

                           ◇◆◇

★池田先生が“その時は祈りが叶わなかったように見えても、幸福の軌道を歩んでいることは間違いない”と指導されている通りですね。

  本当にそう思います。「仏法に無駄はない」と感じています。

                        ◇◆◇

★これからの決意を教えてください。

  信心を始めた私の姿をずっと見ていた人がいました。母です。父が他界して帰国した母を、私はアメリカに招待してはSGIの会合に一緒に参加しました。エクアドルでは「神を否定する人は悪魔」という言い伝えがあります。キリスト教徒の母は、最初は「神を信じないの?」と猛反対。しかし諦めず、会合参加を重ねました。SGIメンバーの生き生きとした姿に触れ、何よりも、自信にあふれ、快活に変わった私の姿を喜んでね2009年に入会したのです。
 こうした体験から、真実の信仰をもった私たち一人一人が広宣流布を開いていくと確信しています。
 私自身、池田先生への感謝の心を忘れず、「あの人もこの人も、この信心で人間革命できる!」と語り抜いていきます。



7、世界市民の揺籃 創価大学 創立者が築いた「教育の橋」を渡って 第15回 フィリピン大学 
 

  国立フィリピン大学は、“国内最高峰の名門”と称され、卒業生には大統領や最高裁判所長官など各界のリーダーが名を連ねる。創価大学創立者の池田名誉会長が、フィリピン大学のアブエバ総長と初めて会見したのは、1990年4月。以来、日比両国で7度にわたり、友好の語らいを重ねてきた。両者は同じ1928年生まれで青年期に第二次世界大戦を経験。総長の両親は、フィリピンを侵略した日本軍に虐殺され、名誉会長は、長兄を戦地で亡くしている。「平和のリーダー」を育むため、大学は何よりも、リーダーとしての“内実”を深めることに力を注ぐべきと語るアブエバ総長。大学による教育交流は、悲惨な歴史を転換し、「友情の道」をつくる礎になると信じる名誉会長。非暴力と人間主義の精神を共有する両大学の友好が、「生命の世紀」を照らしていく。

名誉会長の信念
 「尊敬の心」が人類を結ぶ 教育交流こそ「平和の礎」

【交流史】1988年12月、フィリピン大学と創価大学の間に学術交流協定が結ばれた。フィリピン大学で行われた調印式で、アブエバ総長は「創立者・池田先生の平和行動に感銘を受け、かねてから創大との交流の実現を念願しておりました。創立者にぜひご来学いただきたい」と喜んだ。
  これまで創大から49人の交換留学生、439人の短期語学研修性がフィリピン大学へ。フィリピン大学からは28人の交換留学生を迎え、アブエバ総長、アキノ副総長、ガルシア副総長ら同大学首脳が7度、創大で記念講演を行っている。
 96年3月、創大の「環太平洋シンポジウム」(共催=フィリピン大学ディリマン校)が首都マニラで開かれ、17カ国・地域21大学の学識者が出席。ラモス大統領が基調講演を寄せている。
 フィリピン大学の招聘で、名誉会長が初めて同大学を訪問したのは91年4月。第80回卒業式典の席上、名誉会長に「名誉法学博士号」が贈られた。国連への平和提言や識者との対話などを通して、平和に貢献した業績を讃えたものである。
 93年5月には、アブエバ総長の要望と、フィリピン大学関係者の賛同により、同大学に名誉会長の名を冠した国際教育交流施設「平和の家(イケダ・ホール)」が完成。アキノ元大統領が訪問し、ラモス元大統領や最高裁判所のダビデ元長官らが演説を行っている。
 93年6月、フィリピン大学ディリマン校のローマン学長と名誉会長が東京で対談し、教育の使命について和やかに語り合った。名誉会長は「互いに尊敬する心」が人類を結び、その心を教える教育が真の「民主教育」と強調。民衆全体が聡明になることが、「時代を変えゆく根柢の力」と述べている。



8、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義33

 一九七八年(昭和五十三年)の幕が開いた。
 学会は、この年を、「教学の年」第二年とした。
 山本伸一をはじめ創価の同志は、仏法の哲理を、社会、世界に大きく開き、広宣流布への前進を加速させようとの気概に燃えて、晴れ晴れと新年のスタートを切った。
 伸一の満五十歳の誕生日となる一月二日、日達法主は、僧俗一致して日蓮大聖人の第七百遠忌に進む旨の「訓諭」を発表した。
 それにもかかわらず、この一月、学会を敵対視する僧たちは総本山に集い、学会攻撃の続行を確認し合ったのである。
 宗門と学会の和合を恐れる山脇友政は、事態が収束に向かいそうだと見るや、“学会は必ず宗門を攻撃してくる”などといった讒言を重ねていったのだ。
 結局、和合は束の間に過ぎず、宗内にあっては学会を誹謗する僧らが勢いづき、その攻撃は、とどまるところを知らなかった。
 伸一は、事態が紛糾するたびに、宗門と忍耐強く対話を重ねた。そして、また和合へと向かい始めると、決まって悪質な讒言が流され、宗門と学会の仲を引き裂く動きが起こるのであった。 
 宗門は、その讒言に踊ったのである。
 やがて末寺では、学会員を脱会させ、寺につける、檀徒づくりも盛んに行われるようになっていく。
 広宣流布を御遺命とされた日蓮大聖人の末弟たる僧たちが、死身弘法の戦いで広布を推進してきた学会を目の敵にして、悪口罵詈し、迫害を加える。それは、「師子身中の虫」以外の何ものでもなかった。
 御聖訓には「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(御書一〇八七ページ)と仰せである。
 迫害は、創価の正義の証明である。
 艱難辛苦を乗り越えずして、広宣流布の勝利はない。黄金の旭日を仰ぐには、烈風の暗夜を越えねばならぬ。正義の航路は、猛り立つ怒濤との戦いである。



9、座談会 世界広布新時代の旭日(21) 前進の息吹あふれる座談会

「友人参加」で充実の集い
信仰体験が友の心に響く

 橋元 全国の青年部の友が、新時代を勝ち飾りゆこうと、寒風の中、新たな歴史建設に挑んでいます。

 竹岡 「命をかけた人間でなければ、命をかけた人のことはわからない」。これは戸田先生の言葉です。

 原田 その通り、池田先生は、命をかけて戦われてきました。「不惜身命」の精神で、戸田先生に仕え抜かれました。

 竹岡 だからこそ、池田先生は、戸田先生の誕生日である2月11日を迎えるたびに、“先生と一緒に戦い抜いた一日一日が、黄金の映像となって、よみがえってくる”と述べられるのだと思います。

 杉本 さらに、戸田先生の深い恩を片時も忘れることはない。これが真実の弟子の道であるとも、教えてくださっています。

 原田 草創期の最も大変な時、池田先生は戸田先生を支え、師弟の道を貫かれました。この峻厳な師弟の闘争があったからこそ、今日の大発展の学会は築かれたのです。

 62年前の、あの「2月闘争」も、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、戸田先生の誕生の月である2月を、広宣流布の拡大でお祝いしようとの、池田先生の決心によって開かれたものです。

 竹岡 「先生、ご安心ください。必ずや広宣流布を成し遂げてまいります。理想の学会をつくっていきます」――若き日の池田先生のごとく、私たちは、「広布の大ロマン」「師弟の大ロマン」に生き抜き、勝ちまくってまいります。

 正木 小説『人間革命』第12巻「涼風」の章に、こうあります。「戸田の願いは、支部長から組長にいたる全幹部が、彼の心を心として、戸田と同じ自覚、同じ決意で、会員の育成にあたることであった。彼の心とは、全会員を幸福の彼岸へと運ぶことにほかならない」

 原田 また、「会員を苦しめる者があれば、どこまでも出向いて行き、命がけで戦った。さらに、会員が元気づき、喜ぶことであるなら、どんなことでもした」ともあります。

 師の心を心とするのが、リーダーの使命です。今こそ皆が、会員奉仕に徹し、仏子に仕えてまいりたい。

“折伏して新風を”

 吉井 まもなく、「伝統の2月」を飾る「座談会」が各地で開催されます。

 正木 今月は、「多くの友人」「多くの青年」が集い合い、「新時代の2月闘争」にふさわしい座談会を開催していきます。

 橋元 青年部は弘教・拡大の先頭に立って、旋風を巻き起こしていきたい。

 正木 兵庫県のある地区では、“青年部主催”の座談会を行っているそうです。ここでは、男女青年部のメンバーが、主体者になれることを眼目に企画を立案。壮年・婦人部は、地区リーダーと協力し、メンバー一人一人の訪問激励にも一緒に歩き、座談会の参加を呼び掛けています。

 橋元 その結果、何と、50人を超えるメンバーが集うまでに。以来、青年を前面に押し出した企画を継続し、今でも、多くの友が参加し、青年の息吹にあふれた、明るく楽しい会合が開かれています。

 杉本 鹿児島県のある地区では、参加者の顔ぶれが変わらないことが悩みでした。そこで一念発起した婦人が、“私が折伏して、新入会者と参加し、新風を吹き込もう!”と決意。その婦人の折伏が実ったのが2011年の6月。以来3年間で、何と19人の新入会者が誕生し、座談会の様子は一変したそうです。

 吉井 今では、新会員の方が体験や決意を語り、会合の充実の力となっていると聞きました。

 杉本 ある新入会者は、「家族のように励ましてくれる、同志の方々との出会いが、とても新鮮でした。それまで孤独を感じていただけに、座談会で接する皆さんの真心が本当にうれしかったんです」と言われています。

 原田 「友人参加」の座談会の大切さを物語る話です。

歓喜の中の大歓喜

 吉井 かつて、座談会の参加者に、「魅力ある座談会とは?」とのアンケートを取った地域がありました。その第1位は、「体験」だったそうです。あらためて、「真実」こそが、友の魂を揺さぶり、生命の触発をもたらすものであると思います。

 橋元 その意味で、聖教新聞で掲載されている「体験談」には、全国の読者から多くの反響があります。

 杉本 たとえば、1月22日付に掲載された、岩手県・野田村の93歳のおばあちゃんの体験。急性肋膜炎や長女の逝去などを乗り越えて語る言葉には、皆が感動しました。「一番大事なのは、信心を貫くのか諦めるのか。そこを御本尊様はじっと見てるさけえに。それが修行でなかんべえか」

 正木 それから、昨年11月29日付に掲載された秋田県潟上市の87歳のおばあちゃんの体験も、話題になりました。

 信心53年。甲状腺がんなど幾多の難に打ち勝ち、師弟の道を貫く、おばあちゃんの一言に、皆さんが心を打たれたのです。「まんず題目あげれ。あげれねがったら題目あげる力を与えてくださいと御本尊様に願え」

 原田 「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せの通り、学会の同志の中には、題目によって、数々の困難を乗り越えてきた体験が多くあります。信心の功徳を語り合う、実り多き座談会にしていきましょう。



10、社説 創価三代の精神を永遠に あす、戸田第2代会長生誕の日

 いかなる苦難や試練にも崩れない幸福境涯を築きたい。自己を確立したい――誰もが抱く願いであり、祈りであろう。
 こうした人間の願いを現実の上に開き、人と社会に活力を送るのが広宣流布の運動だ。その使命に目覚めた民衆の連帯は今、192カ国・地域に広がる。
 「あらゆる偉業は信念に始まり、信念によって第一歩を踏み出す」とはドイツの文学者アウグスト・フォン・シュレーゲルの言葉。今日の世界広布の偉業を思う時、戦禍の荒野で第一歩を踏み出した戸田城聖第2代会長の“地球上から悲惨の二字をなくす”との信念が浮かぶ。
 あす11日は戸田会長の誕生日である。20世紀の開幕前夜の1900年(明治33年)生まれ。今年、114年を迎える。
 第2次世界大戦中、牧口常三郎初代会長と共に、軍部政府の不当な思想弾圧と戦い抜いた。終戦後は、師・牧口初代会長を獄死させた“権力の魔性”との闘争を誓い、創価学会の再建に一人立った。
 戸田会長が牧口会長から受け継ぎ、貫いたのは「対話という大道」である。座談会、個人指導、質問会。いずれも、一人一人との粘り強い対話に基盤が置かれた。それは、問答無用で生命を抑圧する武力と対極をなす、不屈の忍耐を絶対条件とする信念の闘争といってよい。
 1957年(昭和32年)の「原水爆禁止宣言」も、その一つであろう。
 宣言と同じ年に発足した核兵器廃絶を目指す科学者の国際組織「パグウォッシュ会議」の創設者ジョセフ・ロートブラット博士は、戸田会長を「平和の英雄」とたたえる。そして、戸田会長の信念の闘争を受け継ぐ池田名誉会長の行動を、同会議が目指す「戦争なき世界」へ共通の歩みを進める実践、と賛辞を送った。
 信念の人は、どのようにしてつくられるのか。戸田会長は述べている。「正しい宗教によって生命力を強める以外にない」。名誉会長も次のように語る。「信念から、すべてが始まる。信念の究極が『信心』である」
 1月に御本尊を受持した、埼玉・所沢市の青年。職場で最も尊敬する先輩が学会員だった。「その人から仏法の話を聞いて、僕も信念をもって生きたいと思ったんです」と19歳の顔を輝かせる。
 師弟で築かれた伝統の2月。一層の誓いを胸に広宣流布の信念の道を進みたい。そして、世界一級の良識が期待を寄せる創価三代の精神を永遠に受け継ごう。



11、今週のことば

 行動の中で
 御書を生命に刻もう!
 「行学の二道」から
 勝利の流れが生まれる。
 祈り学び、戦い進め!



12、今日の発心 立正安国論、26ページ 

 
御書 蒼蠅驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ(立正安国論、26ページ・編163ページ)

通解 小さな青バエも駿馬の尾につかまって万里を行くことができ、葛は大きな松の木にかかって千尋に伸びることができる。. 

【勝利への合言葉は「師弟共戦」】

 小さい存在であっても、妙法を信じ、広布に邁進することで、大きく境涯革命できると仰せです。

 創価大学へ入学した折、深く心に刻んだ御文です。
 1984年(昭和59年)9月、横浜スタジアムで行われた「第1回神奈川青年平和音楽祭」に役員として参加しました。雨の中、ずぶ濡れになって同志を励ます師匠・池田先生の姿に感動し、“生涯、師と共に戦おう!”と誓い、師弟の原点を刻みました。
 卒業後は、ソフトウエア開発の会社に勤務。残業が多く、徹夜を余儀なくされることも。仕事と学会活動の両立に悩みました。
 しかし、この御文を胸に歯を食いしばり、唱題と活動に挑戦。その年、神奈川をリードする折伏の結果を残すことができました。
 87年より本部職員に。今思えば、あの時、仕事の忙しさに流されずに挑戦できたからこそ、今の自分があると感謝する毎日です。
 本年は、あの“雨の音楽祭”より30周年の佳節。そして、秋には待望の神奈川池田記念講堂が完成します。相模総県は「師弟共戦」を合言葉に勝利を誓い、世界広布新時代の開幕を、圧倒的な弘教拡大で荘厳してまいります。
 神奈川・相模総県長 平井一滋


社会の情勢】 


◆女性の社会進出後押し 日米両政府 第1弾はアジア2カ国 
◆歯のデータ規格統一を 災害時の身元確認効率化目指す 
◆海水からリチウム回収 工業化期待 原子力機構 
◆分断後初 担当閣僚会談へ 中台
◆魚関係 新商品注目集まる 消費を喚起
◆記録的大雪、交通混乱も 路面凍結や落雪に注意 気象庁

2014年2月 9日 (日)

2014/2/9(日)の聖教

2014/2/9(日)の聖教


1、幸福大陸アフリカ 座談会 使命の大地に生きる③ 完

   なんでも語る!励まし合う! 希望の集いから拡大へ前進 

コートジボワール 23年間で150倍の陣列に

SGI会長 『必ずや仏法を求める多くの人々がアフリカに現れるよ』

 大場SGI理事長 伸びゆくアフリカのSGIの中でも、とりわけ西海岸の国々の前進は目覚ましいですね。

アポゾ・トーゴ理事長 一昨年秋に日本の聖教新聞社の前で池田先生から激励を受けた17人の中に、わが国の青年部長もいました。
 彼は、その時の感動とアフリカへの先生のご期待を、一人でも多くの人に伝えていこうと走り、それによって大きな歓喜と対話の連鎖が起こりました。
  この1年半で100人を超える友人が入会を希望しています。
 約半分は青年です。

  ムース・ペナン支部長 先生にお会いした17人の中にわが国のメンバーはいませんでしたが、お隣のトーゴから青年部長が来てくれ、出会いの様子を生き生きと語ってくれました。
  それを聞いて、“先生の胸中には、アフリカがあるんだ!”と希望が広がり、対話の勢いが加速しました。ペナンでは、この1年半で約100人が連帯に加わりました!

 バングラ・シエラレオネ婦人部連絡責任者 はからずも、私も一昨年、17人の一人として、池田先生にお会いしました。そこで刻んだ誓いを胸に、“世界広布は一対一の語らいから”との思いで対話を進めています。
 まだまだ小さな組織ですが、今年の新年勤行会には、8人の友人を含めて15人が参加しました。

 浅野SGI女性部長 どの国でも、着実に友情のスクラムが広がっていますね。

  アボアジ・ガーナ理事長 今年のガーナの新年勤行会には、約200人の地域の友人が参加しました。
 信頼拡大の原動力はさまざまありますが、創価の仏法哲学の深さが私たちの誇りです。
 ガーナでは、仏教といってもなかなか通じず、最初は人々に、“常に何かを唱えている変わった人たち”と思われているかもしれません。
 だからこそ私たちは“宗教を越えて、私たち人間に共通するものは何か”という問題意識で対話しています。
 人間の尊い生命は、万人に共通であり、これを大切にしない人はいないからです。

 大場 その通りですね。キリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、同じ「人間」です。かけがえのない一人一人です。

  アボアジ その上で、十界論や依正不二の法理などを通して、「人間の生命を変革すれば、環境も変革できる」と、丁寧に語っていくんです。
 例えるならば、私たち人間に共通する「生命」を掘り下げ、“はしごをかけて降りていく”といったイメージでしょうか。
 自分たちの外にある神ではなく、自分自身の生命こそ偉大ではないか、と訴えていくんです。

 ミナイ・アフリカ総合長  とても深い言葉ですね。そうした対話の知恵は、アフリカで盛んな座談会の語らいから生まれてくるのではないでしょうか。私はかつて聖教新聞の特派員としてガーナに住んでいましたが、座談会が信心の柱となっていました。
 地域の結びつきが強いこともあり、座談会を開くと信心をしていない家族や友人も続々集まってきます。
 そして、ろうそくの明かりの下で、どんな悩みも共有し、心ゆくまで語り、共々に励まし合っていくのです。形式的な、肩肘張ったものではなく、こうした励まし合いの集いが毎日のように行われるのです。創価の座談会の原点が、ここにあると思います。
 また、かつてのガーナとトーゴの国境付近で行われた座談会に参加したことがあります。隣り合う2つの国の同志が喜び勇んで集い合ったのですが、ガーナの公用語は英語、トーゴの公用語はフランス語なので、普通に考えれば、言葉が通じないと思うでしょう。
 ところが・そうではありませんでした。

  イダ・トーゴ議長 ミナイさんと、その座談会に一緒に参加しましたね。公用語が異なるので、集まったメンバーは、その地域の民族の言葉で話をするんです。そうして、信心の体験を語り合い、仏法の哲理を学び、国境を越えた信心の絆を結ぶのです。

 ミナイ “国境付近の座談会”のことは特に印象深いです。列強に支配された歴史や、それに伴う言葉のあり方など、いろいろと考えさせられました。
 それ以上に、どんな環境にあっても分かり合える、SGIの同志の素晴らしさを深く心に刻みました。

 ディアゾン・コートジボワール理事長 多くの民族や文化といった「多様性」もアフリカの特徴ですね。
 ともあれ、わが国でも、仏法対話が勢いよく進んでいます。国の平均年齢ということもありますが、青年層に共感の輪が大きく広がっています。
 コートジボワールに支部が結成されたのは1990年。約200人での出発でしたが、今や、「よき市民」の陣列は、3万人を大きく超えました。

 浅野 すごいですね! エネルギーの源は何でしょうか。

 ディアゾン そうですね――。やはり、池田先生の心とメンバーの心が、固く結ばれている。これが一番の誇りであり、歓喜の前進の源泉だと思います。
 その上で、私たちリーダーが自分自身の信心の確信を、ありのままに伝えていこうと努力しています。
 私が初めて池田先生にお会いしたのは、ちょうど30年前の84年10月のことです。30歳の時でした。
 和歌山・白浜町で開かれたSGI総会に参加した際、先生は私たちアフリカの代表と記念撮影をしてくださったのです。
 前年入会したばかりの、どこの誰ともわからない私を、温かく、全ての存在を包み込むように励ましてくださいました。
 その場で、難しい仏法の話があったわけではありません。しかし、慈愛あふれる先生の人格に触れ、“私の人生は決まった。この人が師匠だ”と思ったのです。

 イダ 白浜での出会いは、アフリカ広布における大切な原点の一つですね。

 ディアゾン 当時、わが国のメンバーは、数十人。帰国した後、私は「コートジボワールの中心者は、池田先生です!」と皆に宣言しました。
 もちろん「すぐに師弟が理解できない」というメンバーも多いです。だからこそ、自分自身が先生の行動に続こうと、大誠実を尽くし、情熱を燃やして、自らの姿で先生の心を伝えていけるように努力してきました。

 サヴォドゴ・ブルキナファソ地区部長 私は、ブルキナファソ生まれですが、仕事でコートジボワールに滞在していた88年に信心をはじめました。
 入会の勤行会の中心者が、ディアゾン理事長でした。

 ディアゾン そうでしたね。

 サヴォドゴ 同僚から誘われて座談会に参加し、そこで、先生の指針集を手渡されたのです!「自分は何のために生きているのか」と深く思索していた当時の私にとって、“自他ともに幸せになっていく”という菩薩の生き方を教えてくれるその書籍は、宝物になりました。
 何度も、何度も、手あかがつくまでその指針集を読みました。そして、「多くの人を幸福にする人生を送ろう」と決意して入会しました。ある意味で、先生の指導集が“紹介者”でした。

 大場 別の国で先生の指導に触れて入会した人が、自分の国で、自分の地域で、歓喜のうねりを起こす。こうして国境を越えた同志のスクラムが築かれ、アフリカ広布の大きな流れが生まれているのですね。

 アボアジ たとえ人為的な国境や言語の壁が国と国が分断したとしても、私たちの魂まで分断することはできません。アフリカには人種や民族の違い、宗教の違いなど、さまざまな差異があります。紛争も絶えませんが、不思議なことに、「アフリカ」と聞けば、私たちSGIのメンバーは皆うれしくなり、団結できるんです。

 浅野 そういえば、アフリカの皆さんが昨秋、創価文化センターを訪れた際、池田先生がエジプトを訪問した時の映像を目にして歓声を上げておられたのが印象的でした。

 ミナイ 私がガーナに赴任する前、池田先生はこう語られました。
 「“時”が来れば、地涌の菩薩はどこにも現れるのだよ。やがて、仏法を求めて多くのアフリカの人々が来日する時代が必ず来る」
 さらに、「仏法の法理の上から見れば、過去世からの約束です。この世の使命です」と――。
 まさに、アフリカ大陸のあの地からも、この地からも、過去世の約束を思い出したかのように、「地涌の菩薩」が躍り出る時代が到来しました。

 アボゾ 私たちと池田先生の心は固く結ばれています。21世紀を「アフリカの世紀」へと導くのは、私たち弟子の使命です。頑張ります!

 イダ アフリカは一段と団結を強め、新時代の世界広布のモデルを、必ずや築いてまいります。



2、わが友に贈る

 信心とは
 断じて諦めない勇気だ。
 いかなる試練も
 必ず変毒為薬できる。
 大使命の道を歩み抜け!



3、名字の言  62年前の2月闘争で、若き池田名誉会長は訴えた。「広宣流布の戦いは、祈りから始めることです」と。

  未来部の友が、皆で目標を定めて、祈ることを記したご祈念帳をつくった。項目の最後に、雪だるまの絵を添えた。「雪だるまだって、雪が積もらないとできないでしょ」。題目を積み重ねて目標を達成しよう、との決意の表れだった▼雪の結晶は大気圏の高層でつくられ、地表に降る間に成長する。その途中の大気の条件によって形を変え、粉雪、ぼたん雪などの違いが生まれる。雪の研究の第一人者である中谷宇吉郎は、雪を〝天から送られた手紙〟と言った。地表の雪を調べれば、はるか上層の気象の状態が分かるからだ▼彼は自らの信念を、こう書き残した。「一見不可能なことでも必ずできると思ってやれば大抵のことはできるものだ」(「冬の華」、『中谷宇吉郎随筆選集第1巻』所収、朝日新聞社)▼夢や目標への遠い道のりも、目の前の一歩から始まる。「其の現在の因を見よ」(御書231㌻)である。一人の人間が、今という一瞬に秘める可能性は無限だ▼62年前の2月闘争で、若き池田名誉会長は訴えた。「広宣流布の戦いは、祈りから始めることです」と。決然と立った「一人」の一念が、世界広布の未来を開いた。純白の雪のように、真っすぐな祈りから、夢や目標は形になり始める。(蹴)



4、寸鉄

★  未来部の日。創価の宝を励まし伸ばせ! 受験生には真心のエールと配慮を
  ◇
★ 「2月闘争」を勝つ要諦は①祈りから出発②近隣を大切に③自ら体験を語れ
  ◇
★ 民音推進委員の皆様に感謝! 人々結ぶ文化運動の旗手。きょう「民音の日」
   ◇
★ 「一切は現証には如かず」青年よ社会で断固勝て! 堂々たる姿に信頼は拡大
  ◇
★ 振込詐欺被害が過去最悪487億円。「私は大丈夫」が危険。最大に警戒



5、名誉会長と共に 新時代を開く 【6】  真剣な祈りに勝る力なし 


 
後継のリーダーの奮闘がうれしい。信心の団結が、どれほど強いか。皆さんなら、必ず新しい道を開くことができる。
 大事なのは、広宣流布を進めることだ。人材を育てることだ。同志が皆、幸福になることだ。そのために、深い真剣な祈りで勝ち抜こう!
 宝の同志を心から讃え、励まし合いながら、仲良く、楽しく進んでいただきたい。

                  *   *

 幾多の風雪を越えてきた尊き功労の友が、全国におられる。多宝会・宝寿会・錦宝会の皆様! 長い間、強い信念の光る戦い、本当にありがとう。大切な一人一人と、心の握手を交わす思いで見守っています。
 御書には「南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」 (1143ページ)と仰せである。いかなる富や名声も及ばない幸福境涯が、皆さんの心には光っている。
 これからも、妙法を唱え、共に生き抜いて、朗らかな大勝利の人生を送ろう! 体を大事にして、健康長寿の一日一日をと念願しております。

                  *   *

 病と闘っている友もいる。日蓮大聖人は、門下を悩ます病魔を「鬼神めらめ」と叱り飛ばされた。心で負けないことだ。広布に戦う皆様を、諸天が護らないわけがない。
 断じて全てに意味がある。大きな悩みがあるから成長する。仏の境涯を開くことができる。変毒為薬の妙法である。
 何があろうと、微動だにしてはならない。一歩も引かないで、御本尊に祈り切るのだ。悩みを突き抜けて、人がどうあれ、堂々と自分自身に生き切るのだ。信心とは、永遠の希望に生きることである。



6、みんなで学ぶ教学 特別編 勤行・唱題 ㊥
 

創価学会伝統の「2月騒争」を弘教拡大でまい進!

 今、あの地この地で人材が陸続と躍り出ています。新会員や、新たに広布に立ち上がっ、たメンバーと共に信心の基本を学んでいくために、勤行・唱題の意義を確認し、自身に具わる可能性を開く仏道修行を実践していきましよう。
 今回の「みんなで学ぶ教学〈特別編〉」では、法華経の方便品・如来寿量品についての解説と、両品のなかで、私たちが勤行で読誦している箇所のあらすじを掲載します(〈下〉は3月に掲載予定)。

無限の可能性を開く仏道修行

 法華経は「誰もが皆、仏の生命を具えている」と説いています。その法華経のなかでも特に重要なのが方便品と如来寿量品です。それぞれ「諸法実相」と「久遠実成」が説かれているゆえに、重要とされます。
 諸法実相の「諸法」とは、この現実世界におぃて、さまざまな姿をとってあらわれている「すべての現象」です。「実相」とは「究極の真理」です。
 この諸法と実相が別々のものではなく、諸法はそのまま実相の現れであり、実相は決して諸法から離れてあるものではないとするのが、諸法実相です。
 日蓮大聖人は諸法実相について、「地獄界から仏界までの十界の衆生(=生きとし生けるもの)とその環境世界は、すべて妙法蓮華経の姿である」(御書1358ページ、趣意)と仰せです。
「地獄界から仏界までの十界の衆生とその環境世界」がすべての現象(=諸法)、「妙法蓮華経」が究極の真理(=実相)にあたります。つまり、十界の衆生はことごとく妙法蓮華経にほかならない、と示されているのです。妙法蓮華経は仏が覚った妙法、仏の生命の名ですから、生きとし生けるものは、すべて仏の生命を具えている、ということになります。
 この法理が説かれることによって、法華経の結論である万人成仏の理論的な基盤が確立されます。これは、法華経以前の教えである爾前経にはなかった考え方でした。   
 また、寿量品で釈尊は「多くの人は、私(=釈尊)が釈迦族の王宮を出て、(王子の立瘍を捨てて)出家し、修行して、伽耶という街の近くの菩提樹の下で成仏したと思っているであろう。しかし、そうではないのだ。私は実に、五百塵点劫のはるか昔に、すでに成仏していたのである」(法華経477ページ、趣意)と説いています。
 この言葉が語られるまで釈尊の弟子たちは、釈尊が今世ではじめて成仏し(=始成正覚)、仏の生命を得た、と信じていました。
 しかし、寿量品に至って釈尊は、自身が、はるか久遠の昔に成仏していたことを明かします。これを久遠実成といいます。仏の生命が永遠であることが明らかになったのです。
 今世で初めての仏の生命を得たのではなく、もともと仏の生命を有していたのだ。と。これにより、「説かれた法」と「説いた人」が一致します。理論の上で示されてた法理が、事実の上で明らかになったのです。

日蓮仏法の立場で法華経を読む

 ここで確認しておきたいことがあります。私たちは勤行のなかで法華経を読誦していますが、あくまでも日蓮大聖人の仏法の立場から読んでいるという点です。
 法華経は釈尊の慈悲が脈打つ最高の経典です。しかし、釈尊在世には人々を救う力があったその教えも、時代が下るにつれて人々の機根(=仏法を理解する能力)が悪くなるために、次第に適用しなくなります。
 大聖人は、機根が悪い時代の人々を救うための方途として、釈尊を成仏せしめた根源の法、さらには、あらゆる仏を成仏せしめた根源の法こそが南無妙法蓮華経であると示され、御自身の生命に現したその妙法を南無妙法蓮華経の御本尊として御図されました。南無妙法蓮華経こそが、末法における万人成仏の道を開く要法です。
「文上(もんじょう)」、「文底(もんてい)」という言葉があります。文上とは文の上、経文の上、表面という意味です。
 実は、法華経では、釈尊が仏になったことは記されていますが、その原因は明らかにされていません。経文には表面上、あらゆる仏を成仏させた根源の法の正体については説かれていないのです。
 これに対して、文底とは、文の底、経文の奥底・根底のことです。釈尊が久遠の昔に成仏した根源の法は、南無妙法蓮華経であるとの元意を読み取る見方です。すなわち南無妙法蓮華桂は「法華経寿量品の『文の底』に沈められた」(御書189ページ、趣意)法華経の肝要なのです。この文底の立場から法華経を読むことが重要です。
 大聖人は「法華経の極理(=究極の教え)とは南無妙法蓮華経是なり」(同844ページ)と述べられています。法華経のエッセンス(=本質)は題目の七字にすべて収まるのです。
 そのうえで、方便品・寿量品の読諦には、大聖人の仏法を根本として法華経を用いていく、という意義があります。そうした意義をこめて法華経を読誦しているのであって、一番、重要なことは、南無妙法蓮華経を唱える唱題行にあるのです。
 このことを銘記して、勤行・唱題に励んでいきましょう。

『勤行要典』の経文あらすじ

 私たちは日々法華経の方便品・自我(如来寿量品の経文のうち、詩句形式の部分)を読誦しています。ここでは、その経文のあらすじを掲載します。

◆方便品◆ 

 その時に、三昧(=瞑想による安定した境地)に入っていた釈尊は起ちあがり、舎利弗(=釈尊の十大弟子の一人)に告げた。
 あらゆる仏の智慧は、はなはだ深く、かつ量ることができない。その智慧の門は、理解し難く入り難いのである。
 なぜなら、仏はかつて無数の諸仏に親しみ近づき、量り知れない諸仏の教えを行じ尽くしたからである。そこで、いまだかつてない法を成就したのである。
 私は成仏してから、さまざまな因縁、誓喩によって教えを説き、無数の方便を用いて衆生を導いてきた。仏の智慧は広大で深い。その智慧の境涯に入り、いまだかつてない法を成就した。
 舎利弗よ、これ以上、説くことはやめよう。仏の成就された法は理解し難いからである。ただ仏と仏とのみが、よく諸法の実相を究め尽くされている。それは、いわゆる、

 諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作)、如是因、如是緑、如是果、如是報、和是本末究責等である。

◆自我偶◆
     
 私が仏に成ることを得て以来、経過した時間は無量である。(その間)常に法を説き、無数の衆生を教化して、仏道に導き入れてきた。
 (仏は)衆生を救おうとするゆえに方便を用いて涅槃(=仏の死。「入滅」とも言う)の姿を現ずる。しかし、実は(私は)入滅していない。常にここに住して法を説いている。

 人々は、私の入滅を見て、私を恋い慕う心を懐く。自らの身命も惜しまないようになる。その時、私は、多くの弟子たちとともに、ここ霊鷺山(=釈尊が法華経を説法した場所)に出現するのである。
 その時、私は衆生に語るだろう。私は常に霊鷺山に存在し続けており、滅することはない。方便の力で、入滅の姿を現すのである、と。
 長い間、私は常に霊鷺山にいるのであり、また折にふれて、その他の場所にもいるのである。衆生が「世界が滅んで、大火に焼かれる」と見る時も、私の住むこの国土は安穏なのだ。そこはまさに、衆生が遊楽する場所である。
 智慧ある人々よ。仏の言葉は真実であり、偽りはない。
 凡夫(ぽんぷ)は心が顚倒しているので、私は実際はこの世にあるのだが、入滅すると言う。なぜなら、常に私を見てい各と、騙りやほしいままの心を生じ、悪道に堕ちてしまうからである。私は、常に衆生が仏道修行に励んでいるかいないかを知って、どう救っていくべきかに従って、さまざまの法を説く。
 私は常に念じている。ようにすれば、衆生を、無上の道(=覚り)に入らせ、速やかに仏身を成就させるができるだろうか、と。



【社会の情勢】 

◆東京都心20年ぶり大雪 路面凍結に警戒 
◆はしか、流行の兆し 前年比2倍 国立感染症研究所 
◆インフル感染が拡大 1週間に患者187万人 
◆内閣府調査 防災意識高まる 「家族と話し合った」倍増

2014年2月 8日 (土)

2014/2/8(土)の聖教

2014/2/8(土)の聖教


1、地域をつくる 子供どもちに「心の栄養」を  図書贈呈運動40周年

創価学会による図書贈呈運動が本年、40周年を迎えた。1974年2月にスタートしたこの教育運動は、「子どもたちに『心の栄養』を」との願いを託し、へき地や離島をはじめ教育環境に恵まれていない地域や、震災や台風などの自然災害で被害を受けた地域の小・中学校等に優良図書を寄贈するもの。贈呈校は延べ1110校を超え、贈呈書籍は約48万冊に上る。40周年の佳節である今月、40年前に池田名誉会長が出席して初の図書贈呈が行われた、沖縄の竹富町立大原中学校、宮古島市立伊良部小学校、東村立高江小中学校に、それぞれ300冊が贈られた。3校には来年度から5年間、年20冊ずつ追加贈呈される。

                            

 石垣島から高速船で約40分。西表島の東部の玄関、大原港に着いた。ここから車で1㌔ほど走った「大富」という集落に、第1回の図書贈呈校である大原中学校(生徒数27人)が立つ。
 「手に入れたい本があると、石垣島まで行きます。行っても〝手に入らない〟時もありますが……」と語るのは、図書委員長の仲底将汰君(3年)。西表島には、書店も公立の図書館もない。「本は〝心の友だち〟です。図書室に本が増えることは本当にうれしい」と満面の笑みで。
 竹富町教育委員会の慶田盛安三教育長は、「島の子どもたちにとって、本は宝のような贈り物です。子どもたちが良書に親しむ環境をつくるのは、私どもの悲願です」と述べ、心から感謝する。
 図書贈呈式は3日、同校の図書室で行われた。この日は40年前、1009冊の図書が贈られた日である。



2、わが友に贈る 

  大雪や暴風に警戒!
 凍結路や交通障害等に
 十分な注意が必要だ。
 配達員はじめ全同志の
 絶対無事故を祈る



3、名字の言  かつて励ました人が成長した姿ほど、うれしいものはない。

  暦の上では立春を過ぎたが、寒気が居座る日本列島。寒風の中、全国の同志が勇んで仏法対話に挑んでいる。「祈り続けた」思いが形となり、弘教が実った体験を聞いた▼ある青年が高校時代、家庭内の問題で深く悩んでいた。そのころ、親族の叔母さんが、陰に陽に彼を励まし、支えてくれた。その優しさに感激した彼は、〝いつかこの恩を返したい〟と願い、以来、15年以上、叔母さん一家の幸福を祈り続けてきた▼昨秋、叔母さんの息子であるいとこから、「相談したいことがある」と連絡があった。悩みを聞き、仏法対話を重ねた結果、いとこは母の承諾を得て入会。今、自身の成長を期し、勤行・唱題を実践している。「最高の恩返しができました」と語る青年の表情は、実に晴れやかだった▼「報恩の人こそ、人生の勝利者である」と池田名誉会長は語る。恩を返そうという心は成長へのエンジンとなり、恩を返された人にも、結果として喜びを贈ることになる。かつて励ました人が立派に成長した姿ほど、うれしいものはない▼報恩の心は、目には見えないが、見えないものが生の充実を決める。報恩を心に置く青年の存在は、人間関係が希薄になったといわれる社会にあって、確かな希望の光である。(億)



4、寸鉄

★  未来担う青年を信じ抜く会長の姿勢に学びたい識者。この心を皆が銘記
      ◇
★ きょう沖縄の日。わが島を希望の幸福島に! 同志の勇気の声こそ平和の砦
      ◇
★ 自らが範を示す。それが世界を変える力―看護師 はつ剌と人間革命の王道を
      ◇
★ 会館護る王城会に感謝。勇んで友の為に!師と同じ心で進む黄金柱の陣列
      ◇
★ 置き引き・車上荒らしに用心を。貴重品の放置は厳禁。気の緩みが事故



5、響きあう魂 SGI会長の対話録 第26回 ロシアの元宇宙飛行士 セレブロフ博士 宇宙は美しい。地球は美しい。そして人間は美しい!

  「私には「誕生日が4回あるんです
 ロシアの元宇宙飛行士、セレブロフ博士が笑った。
 「死を覚悟した三度のときを、新たな生を受けた『誕生日』だと思っているのです」
 池田SGI会長との対談集『宇宙と地球と人間』の一場面である。
 4回の宇宙飛行。10回の船外活動。宇宙ステーションで373日間、宇宙に滞在した。その間、3度の決定的危機があったという。
 1度目は1983年4月、2回目の宇宙飛行。宇宙ステーションとのドッキッングに失敗し、衝突事故を起こす寸前だった。
 「レバーを下ろせ!」。セレブロフ博士のとっさの判断で、博士の乗った宇宙船「ソユーズ8号」は、宇宙ステーションをかすめるように通り過ぎていった。
 2度目は93年9月16日、6回目の宇宙遊泳のとき。なんと、博士の命綱が外れてしまったのだ。
 「外れているぞ!」と船長が叫ぶ。゜そんなことは分かっている」と博士。必死にステーションの一部にしがみつき、宇宙の藻くずとなる運命を免れた。
 3度目は94年1月14日。宇宙船「ソユーズ」に乗って、ステーション「ミール」の近くを飛んでいた。すると突然、制御レバーが聞かなくなった。ソユーズが、秒速1㍍でミールに近づいて行く。
 偶然、ソユーズはミールのアンテナに引っかかった。衝撃が和らぎ、博士のいた居住区の壁が破壊されずに済んだ。
 宇宙船は、最高水準の技術の塊のようなものである。そこに乗る船員も、知能、体力ともに優れたエリート中のエリート。博士自身、100以上の技術知識テストを受け、4度の手術をした。
 それでも宇宙では、予想外の緊急事態に見舞われる。宇宙飛行士に最も必要な資質は何か――。
 博士は語った。「『人間としての品性』を持っていることです。つまり、ずるいことや卑しいことをしない『高潔な人格』です
  「重要なご指摘です」とSGI会長。「最先端の技術を要する分野でも、いな、だからこそ、『尊敬』や『感謝』といった心が大切である。納得できるお話です
 虚飾、利害、功名心――そうした余計なものを抱える余裕を、宇宙は与えてくれない。「人間力そのもの」が試される空間なのだ。

                          ◇◆◇

 “もう一つ、大切な要件があります”と博士は言った。「それは『ユーモアのセンス』です」
 置かれた状況を笑い飛ばすくらいの度胸が必要ということである。SGI会長との会見でも、当意即妙のやりとりに、博士のその資質が、いかんなく発揮された。たとえば、こんな具合である。
 「ロケットの打ち上げの時は、どんなお気持ちでしたか」
 「“苦しい訓練がやっと終わった!”という喜びでいっぱいでした。一度、飛び立てば、毎秒毎秒、うるさい上司は遠ざかっていきますし・・・」
  2人の出会いは2000年10月6日。ロシア宇宙アカデミーの「在外会員証」、ロシア宇宙連盟の「ガガーリン記念メダル」を授与するために、博士が東京牧口記念会館を訪ねた。
 詩情あふれる「月光の丘」を望みながら、1時間半の語らい。
 この日、博士は述べていた。
 「今こそ、われわれは『地球は人類共通の家』という『宇宙の哲学』を打ち立てる時代に入りました。私たち宇宙飛行士は、この哲学を広める責任があります」
  SGI会長は語った。
 「『宇宙の哲学』が今こそ必要です。それは即『平和の哲学』であり、『生命の哲学』であり、『人間の哲学』だからです。『宇宙』に向き合うことなくして『地上の平和』は確立できません
 この時、対談集の発刊へ、対話を続けることが合意された。
 2003年1月の再会(東京の聖教新聞本社)を経て、2004年に日本語版が完成。ロシア語版は2006年、モスクワ大学出版会から発刊された。

                           ◇◆◇

  「美しい光景も見ました。醜い光景も見ました」。宇宙から見た地球の姿を、博士は語った。
 地平線から太陽が昇る時、沈むときの荘厳さ。アフリカ大陸からマダガスカル島へ続くコモロ諸島は、青の中にちりばめられた貝殻のように美しかった
 一方、その美しい地球を人間が痛めつけている事実も、手に取るように分かった。ブラジルの熱帯林を焼く煙、ロシアの南ウラル地方で、老朽化した工場が周囲を汚染している様子・・・。
 「われわれ地球の住民は、同じ空気と水、エネルギー資源を分かち合うべき乗組員です」
 博士自身、多くの宇宙飛行士がそうであるように、「宇宙からの視点」を得て、地球のかけがえのなさ、生命の尊さ、宇宙に存在する厳然たる秩序について、深く思索するようになった
 全ロシア宇宙青少年団「ソユーズ」の会長として世界を回り、子どもたちに「宇宙的視野から地球を見る大切さ」を伝えてきた。
 そして五十六歳で出会ったのが、SGI会長であり、仏法の「宇宙即我」「我即宇宙」などの生命観、宇宙観であった
 対談を終えた博士は、SGI会長を「人生の師」と呼んだ。
 「私が経験したことの内実を吟味し、まさに新たな人生哲学に昇華しえたのは、池田先生という並外れて魅力的な、傑出した深い人格と出会い、語り合えたからにほかならない」と。
 2006年11月、モスクワでの「池田大作写真展」の開幕式に出席。12年11月にも、本紙に語らいの思い出を寄稿するなど、博士のSGI会長に対する敬愛の念は終生、変わらなかった
 昨年11月12日、博士は69歳で逝去。早すぎる死に接したSGI会長は、エカテリーナ夫人に万感こもる哀悼の言葉を送った。
 そのいつ構え、若田幸一飛行士の乗る宇宙船「ソユーズ」が、国際宇宙ステーションとドッキングしたニュースが届いていた。
 宇宙の探求の旅は続く。それは自然との調和を目指し、生命尊厳の未来を開くものであってほしい。対談集の最後に博士の残した言葉が、心に響いてくる。
 「宇宙は美しい。地球は美しい。その究極の美を、池田先生とともに輝かせていきたい



6、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義32

 寂な夜であった。
 山本伸一は、一九八一年(昭和五十六年)に執り行われる、日蓮大聖人の第七百遠忌法要を思った。彼は、その慶讃委員長であり、この式典を、僧俗一丸となって荘厳し、広宣流布への大前進を期す佳節にしようと、固く決意していた。それだけに、悪侶による僧俗和合の攪乱と広宣流布の破壊が、残念で残念でならなかった。魔軍を喜ばせるだけだからだ。
 彼は、ホテルの机に向かった。
 後世のために、この出来事の真実とわが思いを、書きとどめておきたかった。
 ペンを手にすると、苦しみ抜いてきた同志の顔が浮かんでは消えた。
 「宗門問題起こる。心針に刺されたる如く辛く痛し」――こう書くと、熱湯のごとき憤怒と激情が、彼の胸にほとばしった
 「広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか
 そして、「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子」に、なぜ、このような迫害が繰り返されるのか、到底、理解しがたいとの真情を綴った。
 「尊くして 愛する 佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり
 彼は、さらに、福井、兵庫、千葉などで、健気なる同志を迫害する悪侶が現れた無念を書き記し、第七百遠忌法要の成功を、「血涙をもって祈り奉りしもの也」と認めた。
 ホテルの窓から外を見た。漆黒の空に、星々が美しく瞬いていた。
 〝これで、ひとたびは、事態は沈静化へ向かうであろう。しかし、広宣流布の道は、魔との永遠の闘争である。
 ゆえに魔は、これからも、さまざまな姿を現じて、大法弘通に生きるわれらに襲いかかるであろう……〟
 彼は、安堵の情に酔うわけにはいかなかった。事実、既に、この時、学会と宗門を分断する謀略の次の矢が放たれていたのである。

 

7、社説  “体験に勝る雄弁なし”の確信で

  「新時代の2月闘争」がスタートして1週間。青年部を先頭に、弘教・拡大の勢いはいよいよ盛んだ。フレッシュな決意で初めての対話、弘教に挑戦するという青年部員や新会員も多い。
 その中で、「対話の時に何を語ればいいか分からない」という声を耳にすることがある。「私は話し下手で」と言う人もいる。だが、決して話し上手でなくていい。日蓮大聖人の仏法は、万人に開かれた、万人の幸福のための仏法だ。信仰を通してつかんだ自身の体験、実感を語ることが理解を広げる第一歩であり、共感を深める最高の対話だと確信しよう
 「同世代の友人たちに仏法の素晴らしさを伝えていく上での指針を教えてください」――かつて、池田名誉会長にこう質問した海外の女子部員がいる。名誉会長は、「誠実に、誠実に、わかりやすく話していくことです」と励ました。
 そして「人生の確信ある生き方、未来への限りなき希望に雄々しく生き抜く、価値ある生活の実証を語っていくことです。結論して言えば、自分自身の確信と体験を堂々と語り抜いていくことです」「それが相手の生命に、幸福と希望の種を植えることになるのです」と続けた。
 私たちの信仰体験は、御本尊に祈り、広布の活動に取り組む中で得た「価値ある生活の実証」である。事の大小はあっても軽重はない。自信をもって、幸福への軌道を歩む喜びと確信を語ることだ。
 北海道の「青年主張大会」、農漁光部の「農漁村ルネサンス体験主張大会」。さらに、震災からの復興に進む東北・兵庫青年部の「主張大会」や各地の「創価青年セミナー」でも、体験談に大きな感動と理解、共感が広がっている。まさに〝体験に勝る雄弁なし〟である。
 かつて、ある家族を取材した。夫は長年にわたり信心に反対。だが、がんとの闘いに打ち勝った妻、学会活動を通して見違えるように成長する息子の姿を目の当たりにし、結婚38年目に入会。和楽の家庭を築く姿を報じた。記事の掲載後、「勇気をもらった」「私も自分が変わった姿で一家の和楽を築きたい」といった反響が数多く寄せられた。
 悩みは十人十色。しかし苦難を乗り越えた体験談は、友に「信心はすごい!」という気付きを呼び起こし、「よし、自分も!」という触発を与える。全国各地で座談会も行われる。わが体験を生き生きと語り、広布と人生の春を開きたい。



8、今日の発心  諸法実相抄 1360㌻
 

御書 いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(諸法実相抄、1360㌻・編549㌻)

通解 このたび、信心をしたからには、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば、地涌の菩薩であろうか。. 

【「日蓮と同意」の誓願貫く】

 師匠と同じ心で信心を貫き通すことこそ、地涌の菩薩の生き方であると仰せです。

 1995年(平成7年)1月、阪神・淡路大震災が発生。目を覆うような惨状のなか、多くの同志は自ら被災しながらも地域の方々のために、懸命に救援活動に奔走しました。
 同年秋に開催された21世紀兵庫希望総会で、池田先生はこの御文を通して被災した友へ渾身の激励をされました。この時、師匠の心をわが心として、師弟誓願に生き抜こうと決意しました。
 広宣流布大誓堂が完成した昨年は、青年学会の拡大に挑戦。わが家も一体で戦い、同志の応援に支えられて、震災時に5歳と2歳だった2人の後継者が人生初の御本尊流布を実らせ、金の歴史を刻むことができました。
 報恩の時は今! 「〝わたしの勝利〟〝わが家の勝利〟から、世界広布新時代を!」との決意で、師に応えんと心躍らせて戦う男女青年部を先頭に、大阪中央総県から弘教拡大・人材育成の旋風を巻き起こしてまいります。
大阪中央総県長 野田武志

 

9、世界の機関紙・誌から マレーシア創価学会 数々の授賞に輝く写真家チームを牽引 人格が光る作品は高い評価

芸術を通して社会の調和を築きたい

人生を変えた「一筋の道」

  私は1988年に、姉から折伏を受けて信心を始めました。
 高校卒業後は写真館に就職して、写真撮影とカメラの販売に携わっていました。学会活動での薫陶があったおかげで職場での信頼も得られ、この時期に写真撮影の基本を身につけることができたと思っております。
 それでも、
今にして思えば、当時の私は、写真というものを単に「生活の糧を得る仕事」だとしか考えていませんでした。
 そんな私の人生を一変させたのが、池田先生が取られた一葉の写真だったのです。
 新緑の木々を左右にして、どこまでも遠くへ続く一筋の道――。
 ウィンザー城の「道」と題されたその写真は、91年に先生が訪問先のイギリスで撮影されたものでした。写真には「平和への道を開く」という言葉が添えられていました
  美術史家ルネ・ユイグ氏が“眼で詠まれた詩”と讃えたように、池田先生の写真芸術が高く評価され、マレーシアはもちろん、世界中で展覧会が開催されているのも納得しました。
 いうまでもなく、先生は職業写真家ではありません。激務の合間を縫って、出会った景色に、ごく一般的なカメラで素直にシャッターを切っておられるだけです。それにもかかわらず、こんなにも人の心を動かす写真が撮れるということに、私は強く引かれました。
 こういう写真の取れる人間になりたい。そう決意した私は、毎朝午前5時に起き、自分のキャリアアップができるよう、御本尊に祈り始めました。
 すると、首都クアラルンプールの写真学校が新入生を募集していると知らされました。しかし、私の経済力では学費が足りません。
 100万遍の唱題に挑戦した結果、出願締め切りの2日前に、母の尽力で工面ができ、人生で初めてのカメラも購入して、入学することができたのです。

逆境をバネに飛躍を遂げる

  「何があつても、題目を朗々と唱え、勇敢に、粘り強く、へこたれずに前進していくことだ」と先生は教えてくださっています。
 諦めない強い一念があったからこそ、諸天善神が働き、進学を果たせたのだと実感しています。
 イギリス王室の名を冠した卒業証書(マレーシアはイギリス連邦加盟国)とともにねいくつもの賞を受けて写真学校を卒業することができました。
 しかし、そこからどのような道を歩むべきか悩みました。唱題を重ねていく中で、池田先生が「それぞれの社会の文化を大切にすることが、人類の幸福社会の実現に通じる」と語られていたことを思い起こしました。
 初代会長の牧口先生もまた、「美・利・善」の追求は、人類の幸福の追求に通じることを教えられています。私は結婚写真を専門とする写真館で、ウエディング・フォトグラファーとなる道を選びました。これこそ、写真芸術という「美」を発揮し、ビジネスとしての「利」にもなり、新郎新婦にとって美しい思い出という「善」になる仕事だと思ったのです。
 ところが、順調に進むかと思ったのもつかの間、やがて写真館の共同責任者と理念が食い違うようになり、2010年、私はその写真館を離れることになりました。仕事を失い、人生のどん底に落ちたように思われました。
 そんな私を、マレーシア創価学会の同志は力強く励ましてくれました。私は、仲間と共に新しい会社を起こす決心をしました。
 最初は自宅を事務所にして、毎朝、勤行・唱題から一日をスタートさせました。仕事も生活も大変でしたが、それがかえってチームの団結を生み、「冬は必ず春となる」(1253㌻)との御金言を胸に歯を食いしばって奮闘しました。
 その結果、わずか数ヶ月で業績が好転し、その年のうちに約560平方㍍の新事務所を構えることになったのです。

さらに価値ある求道の歩みを

  その後も、取引先から商品提供を断られるなどの試練を乗り越え、私たちの会社は国内最多の賞を受けるチームとなりました。
  マーケットの需要に応えて多元的なサービスを提供できるよう。広告会社やウエディングドレスと靴の専門店を併設しました。
 全ては題目の力であり、池田先生の指導のおかげでした。御書と師匠の指導があれば逆境を勝ち越えられること。御本尊と題目には無限の力があることを教わりました。
 私は当初、写真の仕事で賞を獲得することに重きを置いてきました。それが、写真業界の厳しい競争の中で切磋琢磨し、また栄誉を得るためにも大切だと考えていたのです。
 けれども、池田先生の芸術に関する指導を学んでいくうちに、私の考え方は変わっていきました。
  先生は「芸術と人格は、深く相通じている。偉大な芸術には、偉大な人格の輝きがある。また、偉大な人生は、それ自体が、偉大な芸術である」「瞬間の中に、その人の人間性、過去と未来、宿命、人生のドラマなどの実相が鮮やかに映し出されていく。写真とは、その永遠なる瞬間をとらえ、表現する芸術である」(『池田大作 名言百選』)と教えてくださっています。
  作品には、写真家という人間自身の精神、生命が如実に表れていくものです。その精神が人々の心を震わせていくような仕事をしたいと、私は思うようになりました。
  そして結果として、そのよう思いで育成してきた後進の中からは、イギリスやアメリカの著名な賞を受ける写真家も出てくるようになったのです。
 私自身もまた、イギリスの写真家協会(MPA)の賞など、これまでいくつもの賞を受けることができました。
 今後は、写真芸術の一層の探求をしながら、チームとしては、より多方面の分野で創作活動ができるようになりたいと思います。
 その一つとして、仏教説話を背景としたアニメーション作品の制作も進んでいます。この作品を通して、何よりも池田先生の平和思想を、次代の社会に広げていきたいのです。
 池田先生の弟子として、人々を「芸術の美」の世界に導きながら、さらに価値ある「求道の人生」を歩んでいきたいと決意しています。

【社会の情勢】 

◆日米、指紋を自動照会 テロ防止、協定に署名 関連法案を国会に提出 
◆少年犯罪、量刑を厳罰化 弁護士など権利保護も  閣議決定
◆景気上昇、4カ月連続 雇用回復も後押し 12月期 
◆米国の原油輸入1割減 13年、シェール革命で生産増加
◆大雪警戒、交通に影響も 気象庁
◆ソチ冬季五輪開幕

2014年2月 7日 (金)

2014/2/7(金)の聖教

2014/2/7(金)の聖教


1、青年が躍動するアメリカ 団結の地区部長会 名誉会長が祝福のメッセージ

和楽・福徳・人材の城を

  アメリカSGIの全米地区部長会が1月5日。カリフォルニア州サンタモニカ市のアメリカSGI本部で行われた。会合の模様は、インターネットで全米各地に同時中継され、1万人以上が参加した。
 池田SGI会長はメッセージを贈り、リーダーの「勇気ある信心」「真剣な努力」によって、アメリカは堂々たる発展を遂げたと祝福
 さらに地区こそ偉大な使命を帯びた地涌の菩薩を現実に呼び起こしていく最も尊い会座であるとし、わが地区に和楽、福徳、人材の城をと呼びかけた



2、わが友に贈る

 「感謝」の心が
 無限の力を引き出す。
 「報恩」の人生に
 行き詰まりはない!
 わが誓いを貫け!



3、名字の言  庶民を食い物にする既成宗教界の反発と金閣寺炎上

  金閣寺放火事件が起きたのは1950年(昭和25年)7月のこと。犯人は若い寺僧であった。言わずと知れた三島由紀夫の『金閣寺』は、同事件に材を取った小説。一方、犯人と同郷だった作家・水上勉にも『金閣炎上』と題する一冊がある。こちらは綿密に取材を重ねて著したノンフィクションだ▼後者を開くと、当時の仏教界の実態がよくわかる。寺は多額の拝観料に潤い、住職は酒に溺れ、花街に遊ぶ日々。欲望にまみれた寺の内情を見て、犯人は僧として生きることが嫌になってしまったのではないか、と水上は推測している▼敗戦下、国民の生活は苦しかった。ところが坊主は、のうのうと暮らしている。民主化へと向かう時代にあって、庶民を食い物にする既成宗教界への反発は、必至であったろう▼52年(同27年)、民衆運動の新たなうねりが、本格的にスタートした。「2月闘争」である。「宗教のための人間」から「人間のための宗教」へ。日本の戦後史における、この人間復興運動の時代的意義は大きい▼今、世界広布の新時代を迎えた。平和創出への、一大民衆運動の開幕である。国籍・人種を超えて、笑顔と励ましの連帯が広がる。その世界史的意義は尊い。さあ、新たな人間復興の「2月闘争」を!(生)



4、寸鉄

★  ソチ五輪開幕。限界突破の大奮戦を期待。我らは2月闘争で拡大の新記録
      ◇
★ 東京・日野の同志が激闘。強気の行動で壁を破れ!堂々たる凱旋を皆が待つ
      ◇
★ 「深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し」御書。時代の光明と胸張り前進
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★ 何のための集いか―深き思索が会合革命の一歩。幹部は一回に全力を注げ
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★ 2030年にがん患者は1・5倍との予測。公明よ命守る医療福祉の先頭に



5、生涯教育の模範 創価大学通信教育学部 

  少子高齢化、グローバル化の進展など、社会を取り巻く環境は変化の連続。“過去の知識だけでは通用しなくなる時代”ともいわれている。こうした社会状況の中、幅広い世代で「学び」への意欲が一段と高まっている。ここでは、生涯教育の模範・創価大学通信教育学部の魅力に迫る。

                          ◇◆◇

  創価大学では“全ての人に教育の機会を”との創立者・池田名誉会長の思いを受け、開学から5年後の1976年、通信教育部を、解説、以来、「いつでも、どこでも学べる大学」として、今日まで生涯学習の伝統を築いている。今や卒業生の連帯は1万6000人を超える。
 創大通教には現在、18歳から80代までの友が学んでいる。創立者は通教生にこう呼びかける。
  「たくましく朗らかに学びゆく生命は、決して色褪せることがありません。時とともに、いやまして輝きを放ち、悔いなき充実の金の足跡を留めていくものであります。まさしく『学は無窮の希望の光』であり、『学は永遠の勝利の道』なのであります」
 働きながら教員や資格取得を目指す友、家事や子育てをしながら学びの道を歩む友、定年後に新たな学習を開始した友――創大通教には、十人十色の“挑戦のドラマ”が輝いている。

6、希望満つ白銀の大地 豪雪地帯 秋田・黄金本部  希望満つ白銀の大地

冬の厳しきを知り  生命の喜びを知る

  ワンマン列車の窓一面に、純白の光があふれる。
  上質の絹を引きつめたような白銀の大地。雪帽子をかぶった木々が冬の空に腕を広げ、屋根にぶら下がる氷柱は鋭い光を放っている。
 車窓に流れる冬景色は、どこまでも美しく、やさしい。
 だが、列車を降り、ものの数分で、雪国を思い知る。
 視界を遮る雪煙。ズボリと雪に沈む両足。スニーカーを通り越し、靴下まで冷たい感覚が伝わってくる。
  手袋の中の指先もかじかみ、芯まで体が凍てつくのが分かる。
 北秋田市と上小阿仁村からなる黄金本部を目指し、東京から約7時間。豪雪地帯の洗礼の中、取材が始まった。

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  「今年は雪が、すぐねんだ(少ない)。いつもの半分ぐらいでねえが」
 さらりと告げた庄司克宣さん(県長)が視線を送る道端には背丈ほどの雪の壁。返す言葉がない。
 標識の柱は雪に埋もれ、三角や丸の先端が、ちょこんと顔を出している。
 「冬は苦労が多い」と克宣さん。毎朝の雪かきや、凍結した道路での運転などで1日の疲労感が増す。それでも、除雪車などなかった時代に比べれば、ずいぶん暮らしは楽になったそうだ。
 黄金本部でも特に雪深いといわれる比立内。「昔はよ、つまご(わらで編んだ雪靴)で折伏行ったなぁ」と松橋六郎さん(地区幹事)。地区の同志が「んだんだ」と頷く。
 かつては徒歩での山越えが当たり前。下りは、肥料袋などの頑丈なビニール袋をソリ代わりに、身一つで雪道を滑り降りたというから、なんともたくましい。
  山で熊に追いかけられた話まで出てくる。胸まで埋まる雪道を、「子どもおぶって歩いだ」と、懐かしげに言う多宝のお母さん。母は強し、であるがーー「その強さが、今も衰えねえな」と、六郎さん。どっと笑いが広がる。
 深雪の里には、底抜けの明るさと強さが刻まれていた。

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  昨年の支部総会126人が集った森吉支部。うち63人が友人だったという。
  「また呼んでけれな」と好評を博す集いは、16人の知人と参加した石川妙子さん(副本部長)をはじめ、長年、地域に寄り添ってきた同志への信頼の結晶なのだ。
 民謡同好会で、歌に「心」を込めるのは佐藤ヨスさん(婦人部グループ長)。
 古くから暮らしの中で歌い継がれてきた民謡。山仕事に農作業、過酷な労働の中でも、人々は唄を口ずさみ、明るさを忘れなかった。
 自然の厳しさ。母のたくましさ。故郷の温もり。歌の中には、苦しくとも明日に生きる喜びがある。「その心を分かち合えれば」とヨスさん。
  「今日も一日、みなに笑顔があふれるように」と祈りを込め、歌声を届けている。
 パッチワークを通して友情を広げるのは、杉田理江さん(副グループ長)。隔週で開いている手芸教室には十数人の仲間が集まってくる。
 そうした中には、独り身の高齢者も少なくない。自らも夫を亡くしている理江さん。友の浮かない表情を見れば、孤独な生活のわびしさが痛いほど分かる。時折こぼす悲しみを受け止め、教室外でもじっと耳を傾けてきた。
 そんな友が、二カッと白い葉をこぼしたときは、うれしくてたまらない。今では「手よりも、口が動きっぱなし」と、皆の楽しそうな姿を見つめる時間が、何よりも幸せなひとときである。
 個性の輝きに満ちた森吉支部では、一人一人が、それそれの形で、地域に寄り添っている。それも、「楽しむことを忘れずに」と、わが故郷に尽くす喜びが皆に満ちあふれている。 鈴木繁美さん(副支部長)が言う。「思いっきり、みんなで楽しく生きていかねば。世のため、人のため。それが創価学会だべな

泣いて笑って

 マタギの里で知られる旧阿仁町に、佐々木里子さん(県婦人部主事)が越してきたのは新緑が薫る5月だった。
 知り合いもおらず寂しさが募る日々の中、いつも励まして支えてくれたのは三浦カネさん(故人)だった。あふれる思いを泣きながら訴えた時も、柔らかな笑顔でやさしく包み込んでくれた。
 ある時は猛烈な雪の中を2人で折伏に歩いた。深い雪を這うように進む聡子さんと違って、すいすいと歩いていくカネさん。「雪にはまって抜け出せなくなったり。新品の靴もびしょぬれで。寒くて寒くて」。友人宅について大泣きしてしまった。
  しかし、涙を流してまで訪れた熱意に打たれ、友人は入会を決意した。泣いて後悔した往路だったが、復路は――雪道の苦労を忘れ、笑顔満開で家路につく2人がいた。
  阿仁での暮らしも、いつしか65年を刻んだ。山あり谷ありの幾春秋を越え、今なら心から思える。「ここは日本一の場所なんですよ」

                                          ◇◆◇

  雪原と化した畑の中にビニールハウスが整然と並ぶ。
 藤嶋佐久栄さん(壮年部員)が営む「栄物産」。有機・減農薬栽培で、素材にそなわる本来の力強い味わいを引き出した野菜は、全国農業コンクールの農林水産大臣賞や名誉賞にも選ばれている。
  これまで、輸入で占められていた食材などに目をつけ、現地に赴いては研究を重ねてきた佐久栄さん、試行錯誤を繰り返し、秋田の風土に合わせた品を産出してきた。
 70歳を迎えた昨年も中国を3回訪問。青島大学の教授と交流を結びながら、日本で成功例のない食品の試験栽培に精魂を注いでいる。
 そんな佐久栄さんの行動の活力は、「地域を良くせねばなんねえ」との一点。新たな産業を起こし、わが里を栄えさせて見せる――いぶし銀の男の挑戦は続いている。

                                          ◇◆◇

  満天満地を白く染め上げる北秋田の冬。毎年、例外なく襲い来る豪雪にも、人々が下を向くことはない。
  冬の厳しさを知り、人の温もりを、強さを、命の喜びを知る。大地の輝きに負けじと美しさを放つ雪国の心――。
 凍てつく夜も、人々の瞳に映るのは、希望の明日だ。

7、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義31

  山本伸一は、固く心に決めていた。
 “尊き仏子が、悪侶から不当な仕打ちを受け、苦しむような事態だけは、いっときも早く収拾させなければならない
 広宣流布にかかわる根本問題については、一歩たりとも引くわけにはいかぬが、会員を守れるなら、それ以外のことは、なんでもしよう。ともかく、大切なのは、わが同志だ。
 私が盾となる。矢面に立つ。何があろうが、会員は私が守り抜く!”
 娑婆世界とは忍耐の世界である。正義への確信ゆえに、彼は何ものをも恐れなかった。
  
 一九七七年(昭和五十二年)十二月四日、伸一は、宮崎県日向市にある日向本山定善寺の本堂新築落慶入仏式に参列した。この宮崎訪問で日達法主と胸襟を開いて話し合いを重ね、学会の外護の赤誠を知ってもらい、学会に反感をいだく僧たちの、会員への非道な仕打ちに、ピリオドを打ちたかったのである
 伸一は、前日も、宮崎市内で日達法主と、僧俗和合のために忌憚ない対話を交わした。
 そして迎えた定善寺の本堂新築落慶入仏式で、あいさつに立った伸一は、日達法主をはじめ僧侶たちに、今後も学会は、誠心誠意、宗門を厳護していく精神は不動であることを強く訴えた。
 宗門との間に、枝葉末節の問題で意見の食い違いがあったにせよ、広宣流布のために不惜身命で突き進む学会の情熱と宗門外護の心には、いささかも変わりがないことを、わかってほしかったのである
 彼は、各寺院の儀式にも、さらに力を注ぐことを述べ、謝意を表し、最大の誠を尽くして、あいさつを終えた。
 伸一が一切の行事を終え、宿舎のホテルに戻ると、連絡があった。日達法主が、伸一に歌を詠んだとのことであった。
 「我宿の 松原越の 日向灘
            波静にと 祈りつ眺む

 伸一もまた、直ちに日達への尊敬と感謝を込めた句を作り、届けてもらったのである。

8、社説  イタリア・ミラノで「広布サミット」 欧州に翻る人間革命の旗

 欧州SGI(創価学会インタナショナル)のさらなる前進を期す、新時代第1回「欧州広布サミット」が先月、イタリア・ミラノで開催された。
 世界広布新時代にふさわしく、過去最高の31カ国から200人のリーダーが参加。各国の広布拡大の報告や活動体験、グループ・ディスカッションなどが活発に行われ、信心の触発と欧州広布の新時代開幕への誓いの場となった。
 各国代表による報告は、世界広布のすそ野が着実に広がっていることを実感させるものであった。
 昨年、初めて御本尊授与が実現したリトアニア念願の支部が結成されたクロアチア、深刻な不況のなか若者を中心に弘教が進むスペインなど、それぞれ国情は違えども、自国の発展と友の幸福を願うメンバーの活躍の姿にあふれていた。
 欧州青年部のリーダーも頼もしい。ディスカッションでは、広宣流布の運動論や師を求めて真剣に語り合う姿を目の当たりにし、SGI会長が育ててきた凜々しい青年の人材群が欧州の未来を開きゆくことは間違いないと、強く確信した。
 サミットの会場となったのは、この年頭にオープンしたばかりのミラノ池田平和文化会館である。
 イタリアは昨年、過去最高の5000人の弘教を達成し、発展の勢いを一段と加速させている。新会館は、新しき人間主義のシンボルとなる建物である。
 サミット期間中も、会合運営や参加者の整理誘導、安全管理などの一切の陰の役割をイタリアのメンバーが献身的に担い、組織の発展と人材の育成が堅実に成し遂げられていることを実感した。
 「この会館は、池田先生と弟子の私たちの願いが一つになって誕生した宝城です。だから、みんなで感謝の気持ちを込めて、宝物のように輝かせたいのです」と、清掃に携わる地元のメンバーが誇らかに語っていた言葉が印象的だった。
 本年は、ヨーロッパの地で第1次世界大戦が勃発した1914年から100年となる。次の100年を「平和の100年」へと転換しゆくため、欧州SGIは人間革命の大哲学の旗を掲げて師弟一体の力強い行進を開始した。
 「One Europe with Sensei!(欧州は一つ、センセイと共に!)」を合言葉に、人々を平和と幸福の連帯へと導く欧州SGIの使命はいやまして大きい。



9、今日の発心  開目抄 234㌻ 

御書 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし(開目抄、234ページ・編464ページ)

通解 私と私の弟子は、多くの難があろうとも、疑う心を起こさなければ、自然に仏界に至るであろう。. 

【“疑いなき祈り”で宿命を転換】

 いかなる難があっても疑うことなく信心を貫けば、成仏の境涯を得られると仰せです。

 1957年(昭和32年)、姉の病と経済苦で悩んでいた母が入会。その1年後に私も入会しました。母と共に学会活動に励むなか、折伏では相手から水をかけられ、罵倒されることも。悔し涙をこらえ、学会歌を歌いながら帰ったことは金の思い出です。
 63年、教育部の大会で池田先生にお会いした際、先生から「皆、幸せになるんだよ」と言葉を掛けていただきました。その真心に触れ、一生涯、広布に生き抜くことを決意。弘教に挑戦し、6人の友を入会に導くことができました。
 夫を折伏し結婚。信心に反対していた夫の両親や夫の兄夫婦・姉・妹にも弘教を実らせました。
 その後、夫の転勤で福岡へ。まもなく独立を果たしたのですが、その会社が倒産の危機に直面しました。しかし“今こそ宿命転換の時”と、夫と共に祈り、学会活動に挑戦。驚くほどの好条件で乗り越えることができました。
 現在、2人の娘も婦人部として頑張っています。先生・奥様への報恩感謝を胸に、誓願の祈りで全てに勝利してまいります。
福岡・筑紫県副婦人部長 藤井タケノ


【社会の情勢】 

◆13年度補正予算が成立 消費税に備え経済対策 
◆富士山噴火 初の避難計画決定 溶岩流75万人など 静岡、山梨、神奈川3県
◆1東日本大震災の影響 89市区町村で液状化が発生  
◆特殊詐欺、最悪487億円 「おれおれ」激増 警察庁
◆「現金送れ」は全て詐欺 レターパック、宅配便悪用
◆パナマ運河、工事中断 追加費用めぐり対立
◆マウスは「」歌」でオス選び 麻布大など

2014年2月 6日 (木)

2014/2/6(木)の聖教

2014/2/6(木)の聖教


1、中米・コスタリカ国連「平和大学」に教育センター

 中米・コスタリカの国連「平和大学」内に誕生した「地球憲章教育センター」の開設を記念する国際フォーラムが1月31日と2月1日(現地時間)の両日、同大学で開催され、SGI(創価学会インタナショナル)の代表が出席した。フォーラムでは、SGIをはじめ地球憲章を支援してきた団体名を刻んだ銘板を除幕。SGIと地球憲章インタナショナルが共同企画・制作した環境展示「希望の種子――持続可能性のビジョンと変革へのステップ」の開幕式も行われた。さらに、先月発表された池田SGI会長の平和提言に、多くの反響が寄せられた。



2、民音創立者の池田大作名誉会長に栃木・小山市から感謝状

 民音創立者の池田名誉会長に、栃木県小山市から、同市の市政60周年を記念するとともに、長年にわたる芸術・文化の振興と、市民福祉の発展に対する多大な貢献を讃え、感謝状が贈られた。
 授与式は5日、小山市の大久保寿夫市長らが出席し、東京・信濃町の民音文化センターで行われた。
 小山市は県内第2の人口を誇る都市。これまで「ドラマチック・タンゴ『新黄金世代の巨匠たち』」(2013年)をはじめ、約70回に及ぶ民音公演が行われてきた。
 式典で大久保市長は、世界平和を希求する名誉会長の芸術・文化に対する先見の明を称賛。「民音公演を通し、我が市の芸術・文化の発展に大きく貢献してくださいました」と感謝を述べた
 また、市長は、これまで市内の小中学校で「民音学校コンサート」が開かれてきたことに対し、「音楽は子どもの成長に欠かせません。今後も子どもに笑顔を与える活動を」と期待を寄せ、民音の小林代表理事に感謝状を託した。小林代表理事が、名誉会長の真心からの謝意を伝えた。 



3、わが友に贈る

 新会員の成長
 皆で応援しよう!
 共に祈り、語り
 会合に参加する中

 宝の人材は育つ!



4、名字の言  「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と池田名誉会長。

  ロシアでは初となる冬季オリンピックがあす7日、また、パラリンピックは3月7日に始まる。心身を鍛え抜いた選手の努力が花開く姿を楽しみにしたい▼この冬季五輪の開催地にソチが選ばれたのは2007年7月だった。以来、約6年半を経ての開幕。数えると今、2020年の東京夏季五輪までも、およそ6年半だ▼その年、109歳となる医師の日野原重明氏は、”十分な気力と体力をもってオリンピックを迎える”と目標を立て、愛用する十年日記の2020年の欄に予定を書き込んだという。いくつになっても、「人間としての成長」を刻もうと、自身を鍛える人は若々しい▼岩手県の、ある多宝会の婦人は90歳。被災を免れた自宅を広布の会場に提供し、同志と復興の日々をかくしゃくと歩む。ある時、友に言われた。「信心を貫けば、こんな境涯になれると、姿で示していく大きな使命がありますね」。その言葉に奮起した。「100歳まで広布に生きます!」▼「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と池田名誉会長。人を元気にするのは、体力以上に「気迫」であろう。人生に勝つ力は、偉大な目的のために挑戦の日々を生きる「情熱」である。(白)



5、寸鉄

★ 創価の集いは皆に安らぎと挑戦する意欲を与える―学者。人間復興の大地
      ◇
★ 「弛まぬ努力がなければ人類の未来は悪化」博士。今日より明日へいざ前進
      ◇
★ 会館周辺での違法駐車・立ち話・喫煙等は厳禁。広布の宝処を良識で荘厳
      ◇
★ 看護職員の7割、慢性疲労と。待遇改善急げ。生命の守り手を行政が支えよ
      ◇
★ 雪下ろしで高齢者の事故多発と。命綱を必ず。「私は大丈夫」の慢心排して



6、生命の光 母の歌 第5章「戦争の100年」から「平和の100年」へ ②
 


サイフェルト博士
 私は尊い犠牲を忘れない!過去の恐ろしい出来事から目をそらしてはなりません

池田SGI会長

  青年よ非道の歴史に「憤怒」せよ!未来への深き「決意」を胸奥に厳然と刻みゆけ

 池田SGI会長 サイフェルト博士は、ご両親が2度の大戦を生き抜かれ、住む家を爆撃で壊されたと伺っております。ご両親から、戦争の悲惨さについて、さまざまな思いを聞いてこられたのではないでしょうか。

 サイフェルト博士 私の母は、第1次世界大戦中、ドイツを襲った飢餓状況のもと、大家族の中で、私の父よりもはるかにつらい思いをさせられたそうです。母方の祖父は戦時公債を引き受けており、それで財産を築けると信じていたそうですが、結局、一切を失ってしまいました。
 第2次大戦の当時、1943年に母は父と結婚した後、父が声楽の教授やコンサートの声楽家をしていたウィーンに移り住みました。かなり広いフラット(集合住宅内の住居)に住んでいましたが、実に戦争終結の14日前の空襲で破壊され、半分くらいになってしまいました。
 しかし、幸いにも父が授業で使っていた音楽部屋は辛うじて残りました。私は幼児期を全てこの部屋で過ごしました。音楽を“母乳とともに”吸収することができたわけなのです。
 当時はあらゆる面において、不自由を強いられていたそうです。経済的に困窮している時代でしたし、物資も不足していました。お金も食糧も乏しく、両親にとっては非常に苦しい時期でした。
 母は「あの頃が、私の人生で一番大変な時期だった」と、いつも話しておりました。母の3人のきょうだいも戦死したのです。
 池田会長のご家族も、戦争中、つらい経験をされたと思います

                         

 池田 お母さまのご苦労が偲ばれます。
 わが家も、第2次大戦中に強制疎開で壊され、新しい家も焼夷弾で全焼しました。
 私自身、爆弾が雨のように降る中を逃げたことも、炎上する家から必死に荷物を運び出したこともあります。
 4人の兄は次々と戦地に取られ、後には年老いた父母と、まだ幼い弟妹ばかりが残されました。
 一家を担う責任は五男の私の肩にかかっていましたが、小さい頃から病弱で、戦争による食糧事情の悪化と過労もあり、肺病を患いました。
 やがて終戦となり、出征していた兄たちは一人また一人と戦地から戻ってきましたが、2年近く経って、ずっと消息がつかめなかった長兄の戦死の報が届きました。最も頼りにしていた長兄でした。その時の両親、とりわけ母の悲しみの姿は、胸に焼き付いて離れません。
 戦争は、あまりにも残酷です。私は絶対に反対です。

 サイフェルト そうでしたか……。一人でも戦争によって亡くなる人がいたら、それは本当に残念なことです。
 実は私の祖母も、大変な目に遭っているのです。東ドイツで飢餓に苦しみ、本当にかわいそうなことに、末の息子と夫を失いました
 その祖母の夫は、わが子を死の床で看取り、同時刻に亡くなったそうです。これは、私の中では、到底、受け入れられるものではありません。
 平和という一点において、私は創価学会と池田会長に賛同します。人間は互いを理解するために歩み寄ることが最も大切です。つまり、他人を知ることなく、軽んじることによって、戦争は起こるのだと思うからです

 池田 全く同感です。戦争は人間を人間と思わせなくしてしまいます
 私はこれまで、折に触れて、民族やイデオロギー、宗教などの枠に当てはめて、人間を「抽象化」し、他者に「敵」というレッテルを貼って排斥していく危険性を指摘してきました。ファシズムやスターリニズムによる災禍は、その最たるものです。
 そうした事実の上から、「20世紀の精神の教訓」をめぐって対話を重ねたのが、ゴルバチョフ元ソ連大統領です。
 元大統領は語っておられました。「私たちが、戦争で生き残った『戦争の子ども』であるという一点を見逃すと、私たちの世代の人生も、行動も、理解することは不可能でしょう」と。「戦争の子ども」という一言には、私たちの世代に共通する体験や苦悩、辛酸、そして平和への強い願いが凝縮されています。
 サイフェルト博士もまた、「戦争の子ども」の一人として、ご家族の悲惨な体験を原点に、平和への行動を貫いてこられましたね。

 サイフェルト その通りです。こうした戦争の傷は、親から子へと継承されていくものなのです。
 私の両親はナチスから迫害を受けていました。そしてそれは、主に母のほうでした。というのも、前章でも少し申し上げましたが、母が盲目なのは、遺伝性のものだと非難されたからです。
 より詳しくお話ししますと、母を告発したのは、かかりつけの眼科医でした。その医師は、母が遺伝性疾病であると疑い、不妊手術の請求を裁判所に申し立てたのです。
 当時、母は、まだ父と知り合っていませんでした。しかし当然、彼女は子どもを産みたいと願っていました。法廷での戦いは困難を極めましたが、一人の医師の支援を得て勝つことができました。ナチスは、それほど人間を軽視した政権だったのです

 池田 恐るべき魔性です
 「反ユダヤ主義の毒を少しずつ服用させられていたおかけで、ヒトラーという致死性薬物にまで免疫になっていた」(ルーシー・S・ダビドビッチ著、大谷堅志郎訳「ユダヤ人はなぜ殺されたか 第1部」サイマル出版)という痛恨の回想があります。
 ナチスによる迫害は、ユダヤ人のみならず、障がい者、少数民族などマイノリティー(少数派)の人々にも及びました。
 まさに“同じ人間を人間と見ることのできない”毒に侵された狂気の悪行です。

 サイフェルト 私は、あの時代に、現実に起こったことを確かめるために、ポーランドのトレブリンカ強制収容所を見学したことがあります。
 ガス室の中にも入り、扉を閉めてみました。どんな気持ちになるのか、体験してみたかったからです。
 一番すさまじかったのが、そこに収容された人々のひっかき傷や爪痕が無数に壁に残っていたことです。本当に惨いことです。広島にも平和記念資料館があるように、若い世代にそれを見せていかなければいけないと思います
 私は“この人たちの死を無駄にしてはならない”と、常に肝に銘じています。彼らの生命は、どこかにまだ存在しているのです。“自分はその時に、そこにいたわけではない”と、責任から逃避することはできないと思うのです。
 自分の目で見ることが大切です。目をそらしてはなりません。人間が人間にしたことが、どんなに恐ろしい行為だったかを──。

                           ♪

 池田 私たちSGIも、その断固たる決意で、核兵器の脅威やホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の現実を取り上げた展示会を世界の各地で開催し、二度とこのような残虐な行為を起こさせてはならないと訴え続けてきました。戦争体験集の発刊にも取り組んできました。
 1993年、アメリカ・ロサンゼルスの地で、ホロコーストの歴史を永遠に留めゆく、サイモン・ウィーゼンタール・センターの「寛容の博物館」を訪問した際にも、私は申し上げました。
 「(『人権の城』であり『人道の砦』である)貴博物館を見学し、私は『感動』いたしました。いな、それ以上に、非道の歴史に『激怒』しました。いな、それ以上に、未来への深い『決意』をいたしました」──と。
 その思いは今も変わりません。ともどもに平和への決意を、次代の青年に伝えていきたい。その胸奥に歴史の教訓を厳然と刻みつけてもらいたいと願っています
 (③は来週掲載の予定)



7、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義30

  僧たちの仕打ちは冷酷であった。
 福井県に住む婦人部員の夫が、信心することになった。夫人の念願が叶っての入会である。入信の儀式の〝御授戒〟を受けるために、その夫妻に同行して、壮年・婦人の幹部も寺へ行った。
 寺には、学会を敵対視する住職の影響を受け、学会批判を繰り返すようになった若者らが集っていた。
 住職は、約束の時刻になっても〝御授戒〟を行おうとはせず、学会を誹謗し始めた。
 「学会の会館に行っても功徳はない。寺に来てこそ功徳がある。そもそも、生きている
時に寺へ来ないで、死んで厄介になろうなどというのは、おかしな話ではないか」
 「そうだ!」と、若者たちが口々に叫ぶ。
 付き添っていた幹部は、信心しようという人の前で、住職らと争う姿を見せたくはなかった。〝こんなことを言われて、入会の決意を翻さなければいいが……〟と、ハラハラしながら、じっと耐えていた。
 学会への誹謗は、四十分、五十分と、延々と続いた。遂にたまりかねて、壮年の幹部が強い語調で言った。
 「〝御授戒〟は、どうなっているんですか!」
 「なんや、おまえ!」
 若者たちが、壮年幹部を取り囲んだ。緊張が走った。住職は、〝これはまずい〟と判断したのか、ようやく〝御授戒〟を始めた。
 こうした寺が増え、学会員の多くが、寺へ行くたびに悔しさをかみ締めてきたのである。
 山本伸一は、学会員の苦渋の訴えに、胸をかきむしられる思いがした。 
 〝なぜ、罪もない学会員が、最愛の仏子たちが、こんな目に遭わなくてはならないのだ! もうこれ以上、同志を苦しめたくはない! 学会員は、広宣流布の使命を担って出現した仏子である。なればこそ、その方々を命がけで守るのが会長である私の務めである。断じて、断じて、守り抜かねばならぬ!〟
 広宣流布に生きる人を、仏に仕えるがごとく守り抜く。そこに仏法の王道がある。



8、座談会 世界広布新時代の旭日(20) 反響呼ぶ「SGIの日」記念提言

  橋元 第39回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」を記念し、池田先生の提言地球革命へ価値創造の万波を」が先月26日に発表され、大きな反響を呼んでいます。

 竹岡 主要全国紙、地方紙をはじめ、各種メディアで提言の発表が一斉に報じられ、注目を集めました。

 原田 先生は提言で、すべての人々が尊厳を輝かせて生きられる「持続可能な地球社会」を築くための方途を、多岐にわたって提案されています。

 近年、頻発している災害や異常気象などの危機に対する「レジリエンス」、つまり国際社会全体の「抵抗力」「回復力」を強めていくことの重要性を訴えられました。

 正木 「レジリエンス」を強化し、「持続可能な地球社会」を築くために、一人一人ができる挑戦として3点挙げられています。
 ①常に希望から出発する価値創造、②連帯して問題解決にあたる価値創造、③自他共の善性を呼び覚ます価値創造です。

 杉本 具体的には、国連に対して、新しい共通目標の柱に「教育」と「青年」を加えることや「世界市民教育プログラム」の制定などを提唱されていますね。

 原田 さらに先生は「隣国との友好を誠実に築く努力なくして、世界平和をどれだけ展望しても、画竜点睛を欠くことになってしまう」と指摘されています。
 防災協力の先行モデルを、アジアで構築することを呼び掛けられ、そのための「日中韓の首脳会談」の開催、積極的な対話も提案されています。

 正木 また、広島と長崎への原爆投下から70年となる来年に、核保有国を含む各国の青年を中心とした「世界青年核廃絶サミット」を開催し、「核時代に終止符を打つ誓いの宣言」を行うことを訴えられました。

 吉井 池田先生は、青年部の平和運動「SOKAグローバルアクション」についても、提言で紹介してくださいました。

 橋元 提言の結びに先生は呼び掛けられています。

 「私どもSGIは、核兵器の廃絶をはじめ、地球上から悲惨の二字をなくすために、青年世代の活動を柱に希望のビジョンを共有する人々や団体と協力し、価値創造の万波を力強く起こしていきたい」と。
 先生が提案されている「価値創造の挑戦」の主役は、私たち青年であるとの思いで、世界の友と手を携え、希望の未来を切り開いていく決意です。

新たな平和の潮流

 杉本 さっそく、読者の皆さんからも、多くの声が寄せられています。
 「『SGI提言』を携えて、友人と対話しました。世界が抱える難題の解決のため、”苦難に同苦し、対話の波を起こし、諦めと絶望の打破を”と呼び掛ける池田先生の万感の思いに、大変に共感していました」など、理解の輪が広がっています。

 正木 毎年の「SGI提言」に対して、世界の識者も高く評価しています。チョウドリ元国連事務次長は次のように語っています。
 「”平和提言”を30年の長きにわたり、発信し続けてきた人は、会長をおいて誰もいないでしょう。世界の平和に果たすべき国連の役割を、これほど真剣に考えた人も、他に存在しないでしょう。国連の外にいながら、国連で働く人々と同じように、否、それ以上に、その改革の在り方を考え、提言し続けてきた人も、他に類を見ないでしょう。
 こうした平和への献身は、ひとえに人間を信じ親愛し抜く宝石のような会長の人格の美しい発露である、と私は思っております」

 橋元 山積する地球的問題群を前に、世界はますます、池田先生の人間主義の哲学を渇望していると強く実感します。

 原田 池田先生は提言の中で、「誓願」の意義について、次のように綴られています。
 「どんな困難や試練が押し寄せても、どれだけ歳月や労力がかかっても、必ず成し遂げていく――自分の全存在を賭けた”生きる証し”の異名ともいうべきものに他なりません
 「世界広布新時代」の今こそ、私たち池田門下が、「世界平和」という人類の希望の実現へ、「誓願」に立ち上がる時です。それぞれの立場で力強く、新たな平和の潮流を大きく広げていきましょう。

”無冠の友”に感謝

 橋元 さて、寒さも本格化する中、全国的にインフルエンザや、ノロウイルスが猛威をふるい、「警報レベル」に達した地域も増えています。

 竹岡 インフルエンザは、1月下旬から2月中旬にピークを迎えることが多く、厚生労働省も予防の徹底を呼び掛けています。

 原田 さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(御書1169ページ)との思いで、いま一度、皆で声を掛け合いたい。予防を万全にし、体調管理に留意していきましょう。

 吉井 手洗い・うがいの励行、マスクの使用など、日常の基本的な対策の積み重ねが大事ですね。

 正木 賢明に、健康第一で、体調が悪い時には外出も無理はせず、栄養と休息を十分に取ってください。

 杉本 この厳寒の季節にあっても毎日変わらず、使命の道を走り、読者に聖教新聞を届けてくださる”無冠の友”の皆さまの労苦に、あらためて心から感謝申し上げます。

 原田 全配達員の皆さまの健康と絶対無事故を、私たちは真剣に祈ってまいりたい。



9、社説  ネット環境を輝かす温かな絆

 ケータイはもっているが、電話をしなくなった――そんな人々が今、増えている。総務省が発表した通信利用状況調査(2011年度)によると、携帯電話からかけた国内音声通話の総通信時間は、前年度に比べ、1・8%減った。
 その背景には、電話以外のメディアや通信・通話手段の多様化が挙げられる。電子メールやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、ブログ……複数のツールを使い分ける人も多い。
 とりわけ現代の若者たちは、相手との距離感から「空気」を読み、それに合わせてコミュニケーションの手段を選択しているという(木村忠正著『デジタルネイティブの時代』平凡社新書)。
 象徴的なのは「今、電話していい?」という確認の言葉だ。電話は相手の行動を中断しかねない。ゆえに、今の若者にとって、電話は、家族や親友など気を使わない相手との連絡以外には用いにくい手段となりつつある。逆に、電話を受ける際には「何事?」と身構えてしまうという。「電話していい?」は、いわば”配慮”の言葉なのだ。
 多忙な時代だけに、多くの人と直接語り合う時間をつくることすら難しい。その意味では、電話やメールに思いを乗せ、状況に応じてメッセージを届けることは価値的ともいえる。古くから、受け取った手紙やはがきを大切にする習慣はあった。同様に、家族や友人から届いた激励や感謝のメール、留守番電話の音声を保存している人は少なくない。
 優しさや思いやり、つながりを大切にする心は変わりないのだろう。
 コミュニケーションの基本はむろん、顔と顔を合わせる「一対一の対話」だ。御書には「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」(563ページ)と。
 双方の「心の思い」を、いかに通わせるか――その真剣さと誠実さの中に、人と人との絆は生まれる。それゆえ、対話相手と喜びや悩みを共有する創価の対話運動は、不変の価値をたもち、社会を活性化し続けているのだ。
 今の時代、ブログやSNSの投稿から友人の悩み・ホンネをうかがい知ることもある。まずメールを使うほうが、やりとりがスムーズに進む相手もいよう。
 新しい通信技術を使いながら、心を伝え、心でつながる――日々の人間関係に仏法の智慧を輝かせることで、温かな絆のネットワークを広めていきたい。



10、今日の発心 経王殿御返事、1124ページ 

御書 経王御前には・わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき(経王殿御返事、1124ページ・編569ページ)

通解 経王御前の病気も転じて幸福としていくことができるのである。心して信心を出して、この御本尊に祈念していきなさい。どんな願いも成就しないことはないのである。 . 

 どんな境遇にあろうとも、御本尊を信じ唱題し抜いた人は、必ず願いを成就できると教えられています。

【母の病を機縁に一家和楽を実現】

 私が物心ついた時から母と祖母の仲が悪く、家庭内でけんかが絶えませんでした。私は家族が仲良く暮らせますようにと、御本尊に向かい、祈るようになりました。
 1974年(昭和49年)、母が脳卒中で倒れ、医師から「助からないかもしれません」と告げられました。母の耳元で、私たち家族は懸命に唱題を。その時、それまで嫁しゅうとめとして心が通うことがなかったはずの祖母が、たった一人わが家に残り、母の回復を真剣に祈ってくれたのです。
 その後、母は奇跡的に回復。これをきっかけに家族の心が通うようになり、一家和楽を実現することができました。
 旭川総県は、厳冬の1月に池田先生を旭川にお迎えしてから本年で55周年となりました。北海道広布60周年の勝利は「三代城の要衝」旭川からとの思いで、弘教拡大に挑戦してまいります。
北海道・旭川総県総合婦人部長 孫城咲子



11、未来部育成のページ  育み 関わる 原点 見つめて
    

   第3回「中部未来部イングリッシュフェスタ」が今月16日(日)開催される。これは、中部方面(愛知、三重、岐阜)の未来部による取り組みで、未来部員の語学向上と挑戦への契機になればと年1回、実施してきた。
 その内容は、アメリカ創価大学(SUA)卒業生の日本語での活動報告未来部メンバーによる英語の体験発表など、国際性と信心の喜びにあふれる企画に加え、メーンイベントの英語劇によるコンテスト「E―1グランプリ」を。今回も総数301チームの応募があり、盛り上がりを見せている。ここでは「E―1グランプリ」への取り組みの様子を紹介。併せて「心に希望の語らいを」「ハッスル! 田中さん」を掲載する。

心に希望の語らいを

  みんなの可能性は宇宙大です。ましてや、若くして妙法を持っている皆さんです。
 戸田先生も、青年に、「まず肚(はら)を決めよ! 決まったら勇ましく進め」と、いつも言われていたる
 目の前の課題に、100%の自分で、思い切ってぶつかろう。
 「全て100%で挑む」――これが、青春の勝利の秘訣です。
                                            (「未来対話」第6回より)


【社会の情勢】 


◆春闘の論戦が本格化 ベア焦点 労使代表が会談 
◆実質賃金指数0・5%減 残業代、賞与は増加 厚労省 
◆14年 米成長率3・1%CBО試算 
◆初診料120円増を了承 中医協、消費増税で4月から
◆ATM情報不正取得 銀行界の対策急務 カード偽造で男逮捕
◆13年 過去6番目の暑さ 上昇傾向続く 世界気象機関

2014年2月 5日 (水)

2014/2/5(水)の聖教

2014/2/5(水)の聖教


1、韓国 発展する国際都市・仁川広域市議会から池田SGI会長夫妻に特別顕彰牌

人間主義の思想と行動で世界平和と韓日友好を促進

 韓国・仁川広域市議会から池田SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻に、「特別顕彰牌」が贈られた。仁川市民の範となる韓国SGIの社会貢献と、その基盤であるSGI会長の人間主義の思想と行動を讃えたもの。授与式(昨年12月24日)は同市議会庁舎で行われ、李成萬議長、韓国SGIの金仁洙理事長、金殷瀾婦人部長、仁川第1方面の代表が出席した。

 2012年には、同市政府からSGI会長に、「特別顕彰牌」が授与された。SGI会長の思想と行動とともに、河川の清掃運動や図書贈呈など“良き市民”として地域に尽くしてきたSGIに信頼が広がっている。
 晴れの式典は、仁川第1方面の友の代表が見守るなか行われた。
 李成萬議長から代理の金韓国SGI理事長に「特別顕彰牌」が託されると、会場は大きな拍手に包まれた。
 「特別顕彰牌」には「貴殿は人間主義の理念を根本に、世界平和と韓日友好の促進に多大な貢献をしてこられました」と記されている。
 祝辞に立った李議長は次のように述べた。
 「池田会長は、さまざまな課題が山積する現代にあって、人々の幸福のため、世界のために行動し、平和をリードする偉大な指導者です。会長の志が実現し、人類が調和と共生の未来を築いていくことを強く願います
 「これからも、SGIの皆さまと共に、仁川の発展のために行動していきたい」



2、わが友に贈る

 人を励ませば
 わが胸にも不屈の
 生命力が湧き上がる!
 さあ今日もまた
 勇んで友のもとへ



3、名字の言  池田名誉会長、「『牙城会』には、本部、会館を、学会員を厳然と守る使命がある。それは、私と同じ使命だよ」と。

 「フクロウ」と「鍵」。これは日本で最初の警備会社が社章に用いた警備の象徴だ。夜行性の鳥であるフクロウのマークの上にはラテン語で「万人眠れるとき、われら警備す」と。創業者の信念は「犯罪、火災等の災害を未然に防ぐ」ことだった▼「安全」を意味する英語「security」は「se」(~なしに)と「cura」(心配)からなるラテン語「securus」が語源。心配をなくし、事故を未然に防ぐのが「警備」であり、その本質は、人の見ていないところで努力を重ねることにある▼今月1日、学会の会館警備にあたる牙城会が結成43周年を迎えた。大阪の藤井寺文化会館では無遅刻9000日を記録。25年間にわたり厳護の魂を貫く。雨の日も厳寒の夜も、懸命に使命を果たす友の姿が心に浮かぶ▼かつて池田名誉会長は牙城会の友と学会本部周辺を見回り、点検の仕方や心構えを教え、用心こそ勝利の肝要と語った。そして「『牙城会』には、本部、会館を、学会員を厳然と守る使命がある。それは、私と同じ使命だよ」と▼「用心」は「要心」とも書く。人が見ていようがいまいが、師と心を合わせ、無事故に心を砕き、人に心を尽くす。その心を「要」とする陰の人がいてこそ、創価の運動は進む。(時)



4、寸鉄

★  平和は対話を通した相互理解から生まれる―会長 創価の友好対話こそ模範
      ◇
★ 「学会は獅子の集まりだ。臆病者はいらぬ」恩師。勇気と正義の言論王者に
      ◇
★ 東京・中野が記念月間で拡大に先駆。勝利の春へ積極果敢に最前線を走れ
      ◇
★ 男子NL、女子華陽Lが颯爽と活躍。人材を育てよ! 新たな力が発展の鍵
      ◇
★ 「無料で水道管調査」騙る詐欺師に注意。偽水道局職員も出没。確認怠るな



5、池田名誉会長の初訪問から40周年 友情の虹光る 希望の島
  

沖縄 八重山

 2月3日。皆が待ちに待ったこの日、池田名誉会長は、八重山の地に広布の第一歩をしるした。
 「当時は、無理解から、学会員というだけで、借家を追い出されるメンバーもいました。それでも、“八重山広布をさらに前進させて先生をお迎えするんだ”と皆、拡大に燃えていました。(山田忠弘副県長)
  “こんにちは!”――午後1時過ぎ、名誉会長が石垣市内の記念撮影会場に姿を現すと、同志の顔に喜びの涙が光った。
 記念撮影の後、中学校への図書贈呈式が行われ、続いて地元の名士や友人などを招いた「八重山祭」が開かれた。
 生活の喜びを歌った「黒島口背説」や童歌などが披露され、演目は、豊作と繁栄を願う「巻き踊り」へと移っていった。
 会場の熱気が高まっていくなか、巻き踊りの中心者だった親盛長明さん(故人)が、法被と鉢巻きを名誉会長に差し出した。名誉会長は、直ちにそれを身に付け、輪の中へ。
 「今でも昨日のことのように覚えています。同じ衣装に身を包んで、私たちの中に飛び込み、一緒になって舞を舞われる先生の姿に涙がとまりませんでした」と、親盛さんの妻・ヨシ子さんは振り返る。
 週4日、ヤドピケの浜(底地ビーチ)を訪れた名誉会長は、浜で網漁をするメンバーのもとへ向かった。ここでも共に舞い、“日本のハワイたれ”と指針を贈った。
 「島の発展と幸福を願う先生の心に触れた多くの方が、学会への理解をあらためました。先生が八重山広布の未来を大きく開いてくださったのです」(南風原光宏県総合長)
  この地に刻まれた師弟の精神は、今も後継の友に受け継がれている。
 女子高等部の山田さくらさんは根昨年11月根環境省が主催する全国野生生物保護実績発表大会で「石垣島におけるヤシガニの研究」について発表を行い見事、環境大臣賞に輝いた。
 「小説『新・人間革命』で先生は、「八重山の自然や伝統文化を守ることが大事になります」と綴られました。この指針を胸に、社会に貢献する人材に成長していきます」と笑顔で語る。
  豊かな自然と青年の活躍が光る楽土は、広布の発展とともに“日本のハワイ”として、輝きを増していくに違いない。

沖縄 宮古

   2月5日。名誉会長は石垣島から空路、宮古島へ。
 この時期く、島は年明けから始まったサトウキビ収穫が真っ盛り。作業は重労働のため、住民一体となってのチームプレーとなる。だが、かつてはその輪の中に学会員が入ることはできなかった
 島社会は旧習深い。先祖崇拝と深く結びついてユタ信仰も根強かった。村八分にされ、商店での買い物すらできない地域もあった。
  「外に出れは、“学会だ!”“大和神か!”と悪口が始まってね。それが、あの日を境にガラッと変わったんです」と翁長靖夫さん(県総合長)。
 名誉会長は、地域住民を招き、伝統文化祭や教育機関への図書贈呈式を開催。先祖代々追善法要も営まれた。
  また、地元青年部による宮古伝統文化保存委員会が、昔ながらの「シートーヤ―(製糖小屋)」を再現。その開所式には、地域の名士をはじめ、多くの住民が詰めかけた
 あいさつに立った名誉会長は、厳しい自然や政治的な圧迫など、苦しみを乗り越えてきた宮古の人々の歴史の中に人間本来の輝きがあり、それは10年、20年後には繁栄の花と咲き誇るでしょうと述べ、自ら「イヤサカ! イヤサカ!」と音頭を取った。準備にあたった神里真栄さん(県副総合長)は、「皆が想像していた“偉い教祖”じゃなかった。先生の庶民的な振る舞いと、島の発展を願う心に驚いていました」と振り返る。
 その模様は瞬く間に島の隅々に伝わった。「あんたがたのシンシー(先生)は本当に偉いわー」と、道ばたの語らいも弾むように。
 滞在中、名誉会長は2種の句を綴った。
 「哀歓を 乗り越え 宮古の 碧き海
 「今に見よ 胸に禍の 都島」と――。
 師匠の真心とともに歩んだ40星霜。同志は郷土愛光る文化祭や「宮古カーニバル」などを毎年のように催し、それぞれの立場で地域活性に尽力してきた。
 ある時は学会の一地区で開催した“友好の集い”に住民900人が参加したことも。後継の若き青年らも社会で実証を示し、目覚ましい活躍を見せる。
 来島当時、女子部で役員を務めた池村冴子さん(県婦人部総合長)。皆の思いを代弁してくれた。
 「地域の友好も貢献も、全て先生に教えていただきました。「2・5」は、師との誓いに立ち返る日――宮古のお正月なんです!」



6、生命の光 母の歌 第5章「戦争の100年」から「平和の100年」へ ①

サイフェルト博士
  今日のEUの存在は小さな奇跡。いかなる困難に遭遇してもしっかり支えるべき

池田SGI会長
 「残虐性の根絶」こそ人類の悲願。世代から世代へ継承すべき最重要のメッセージ

  池田SGI会長 「平和の時代は人間の創造であり、政治的平衡の上に築かれた芸術作品である」 (深津栄一訳「戦争やら平和へ」、『クーデンホーフーカレルギー全集6』所収、鹿島研究所出版会)
 パン・ヨーロッパ主義を提唱した貴国オーストリアのリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の言葉です。
 戦争に明け暮れてきた人類史の現実を鋭く直視しながら、それでもなお平和の創造へ不屈の挑戦を続けられた信念の闘士でした。
 伯爵とは1967年の来日の時に初めてお会いし、さらに3年後、再びの来日の折に4度、のべ10時間の対話を重ねて『文明・西と東』と題する対談集を発刊しました。これが、私にとって世界の知性との最初の対談集です。
 伯爵は「平和というものは、民衆が平和な心を持つとき初めて達成される」 (鹿島平和研究所・鹿島守之助編訳『同全集8』同)とも語られ、特に女性が平和の担い手として一大勢力を成すことを希望されていました。

 サイフェルト博士 リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵は、大変有名です。EU(ヨーロッパ連合)の先達であり、その理念の先駆者ですね
 姪のバーバラさんも有名で、ジャーナリストをされています。とても素晴らしい人格者で、頭脳明晰な方です。

 池田 よく存じ上げています。伯爵の甥であるミヒャエルさんは画家として活躍され、私どもの東京富士美術館も交流を結んでおります。
 伯爵の悲願というべきEUは、前身のEC(ヨーロッパ共同体)から発展する形で、1993年に発足しました
 昨年7月にクロアチアが加盟して28力国の連帯となり、国際社会で大きな存在感を示しています。経済面など課題はありますが、これまで幾多の争いに苦しんできた多様な民族や国々がこうして連合体を形成していること自体、平和への大いなる希望といえましょう。
 ところで当初、学術者の道を歩もうとされていた伯爵が「パン・ヨーロッパ運動」に立ち上がる契機となったのは、100年前の第1次世界大戦でした。オーストリアによるセルビアへの宣戦布告(1914年7月28日)が、その端緒となりました。〈※注1〉

 サイフェルト ええ。戦争のきっかけとなったのは1914年6月28日、サラエボにおけるオーストリア皇太子の暗殺(サラエボ事件)です。

 池田 そこから、オーストリアとセルビアの戦争へと発展しました。
 さらに、セルビアを支持するロシアの参戦、オーストリアと同盟するドイツによるロシア、フランスへの宣戦、イギリスとドイツの開戦と、瞬く間に全ヨーロッパが戦場と化しました。

 サイフェルト 私は歴史家ではありませんので、あくまで個人の見解として間いていただきたいのですが、第1次世界大戦を引き起こしたことは、皇帝フランツ・ヨーゼフー世の時代における、最大の汚点だと思うのです
 すでに歴史の遺物となった古い原則(帝国の維持)に固執し、新時代への要求(諸民族の自治や権利獲得の要求)には盲目だったと言えます。(オーストリア皇室の直系である)オットー・フォン・
ハプスブルクは、数十年にわたりハプスブルク家の当主として、第2次大戦後、パン・ヨーロッパ連合のために尽力されました。
 欧州議会の議員として、連合の成立過程において数々の講演も行いました。彼の視点から見れば、すでに19世紀の末には、統合された欧州の形である今日のヨーロッパ連合の基礎を築いておくべきだったのです。時は熟していたかのように見えましたが、その時代の人間は、まだそこまで到達していなかったのです。

 池田 クーデンホーフ=カレルギー伯爵が「平和はすなわち調和です」と強調されていたことが思い出されます。伯爵は、一つ一つの国や民族同士の不調和、不平等がやがて大破局へとつながった第1次大戦、その戦後処理をめぐる対立が火種となった第2次大戦の教訓を鋭く見つめていました。“政治的現実に盲目な平和主義運動は戦争の危険を増す”と、あくまで現実的な平和構築を追求されたのです。
 欧州の連帯を実現した、第2次大戦後のパン・ヨーロッパ運動にあって、伯爵は当時、軍事・経済的勢力を強めていたソ連とアメリカに対し、ヨーロッパが連邦という一大勢力となり、両者を結ぶかけ橋となってこそ、新たな世界大戦を防ぐことができるとの大局観、平和への強い信念に立脚していました。なお、運動に「全て」を意味する「パン(汎)」と冠したのは、中央集権的な連邦ではなく、主権国家同士の共同体を築いていくという意味からでした。「調和による平和」の追求であったといえましょう。

 サイフェルト 何はさておき、全ては平和に尽きます。是が非でも平和を守っていく──これが一番大切です。
 いろいろな政治的状況の中で、私自身、賛同できないことも多々あります。その最たるものが、諸外国で再び右傾化か見られることです。ファナティシズム(狂信)という辺境にあるもの全て、それが右派だろうが左派だろうが、到底、容認できるものではありません。
 だからこそ今日、EUが存在することは本当にありがたいと思いますし、それは私にとって、いまだに“小さな奇跡”としか言いようがありません
 ここで私は、オーストリアで最も賢明な人物の一人である、エアハルト・ブゼク元副首相の言葉を紹介したいと思います。“さあ、今こそEUだ! 条件や異論を唱えず、EUを応援しよう!”と。
 たとえ経済的にいかなる困難に遭遇しようとも、私たちはEUをしっかり支えていかなければなりません。もちろん、そこには、構造上の改善や整備をしなければならない問題が山積していることは明白です。なぜなら、まだ端緒が開かれたばかりなのですから。

 池田 その通りです。大切なのは、EUのような貴重な連帯が築かれてきた原点を忘れないことでありましょう。
 クーデンホーフ=カレルギー伯爵は語っておられました。「戦争というものは、すべて残虐そのものです。この人間の残虐性を根絶するためには、まずなによりも、戦争を防止しなければなりません」と。
 まさにこの「戦争とは残虐そのものである」という痛切な思いこそが、断じて忘れられてはならない原点です。そして、世代から世代へ語り継がれるべき最重要のメッセージでありましょう。(つづく)

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 ※注1 第1次大戦に至るオーストリアの状況
 大戦のそもそもの発端は、半世紀ほど前にさかのぼる。
 1867年、皇帝フランツ・ヨーゼフー世がハンガリーにのみ自治を認め、オーストリア・ハンガリー帝国という二重帝国が成立。「アウスグライヒ(和協)」と呼ばれる協定によって、ハンガリー王国のマジャール人に独立した国家の地位が与えられた。
 この協力によって他の民族を抑え込み、帝国の支配構造を維持しようとしたが、結果として、取り残されたスラブ系その他の諸民族の失望と不満は一層拡大した(当時の帝国は、チェコ、ポーランド、ルーマニア、クロアチアなどにまたがる大国であった)。そして、“セルビア人民族主義者によるオーストリア皇太子夫妻の暗殺”という事件が起こるのである。
 サラエボ事件の2年後、フランツ・ヨーゼフー世が崩御。その弟であるカール・ルートヴィヒ大公の孫に当たるカールー世が後継者と定められるが、1918年、オーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。カールー世は家族と共に亡命する。彼の息子がオットー・フォン・ハプスブルク(1912年11月20日生まれ、2011年7月4日没)である。



7、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義29

  一九七六年(昭和五十一年)の半ばごろから、山脇友政は、法主につながる人脈をもつ若手の僧らに、デマを流していった。
 「学会は、いよいよ宗門と対決する」「宗門を乗っ取って、支配する計画だ」――いずれも噓で塗り固めた荒唐無稽な情報であった。
 若手の僧には、住職になれる教師資格をもちながら、赴任する寺のない無任所教師もいた。彼らにとって、その情報は、将来への不安と、学会への不信と憎悪を煽り立てる話であったにちがいない。山脇が、学会の幹部で弁護士であっただけに、その言葉を真に受けたのだ。
 これも後年になって明らかになるが、週刊誌などに、学会を中傷するための情報を流し続けていたのも、山脇であったのだ。
 僧たちの理不尽極まりない学会攻撃に対して、学会の首脳幹部は、宗務院の役僧に抗議もした。山本伸一も、事態の収拾を願い、学会の青年たちが考えた僧俗和合の原則を役僧に渡し、検討を求めたりもした。しかし、学会を敵対視する僧らは、宗務院の指導には、既に耳を傾けなかった。むしろ、役僧たちにも、攻撃の矛先を向ける始末であった。
 彼らの学会員への不当な仕打ちは、各地でますます激しくなっていった
 宮崎県の二十一歳の男子部員は、最愛の母を亡くし、自宅での葬儀に宗門の僧を呼んだ。母は、女手一つで彼と二人の姉を育てた。その母が大好きだった学会歌を、葬儀で流した。僧は、吐き捨てるように言った。
 「学会歌なんか流すな! 不謹慎だ!」
 愕然とした。悔しさに震えが走った。涙声で「母が、母が、大好きだったんです」と言って、テープをかけ続けた。すると僧は、告別式が終わると、「火葬場には行かん」と言いだして、さっさと帰ってしまった。
 「坊さんは、なぜ、来ないのだ!」
 地域の人びとの声に身の細る思いがした。
 肉親の死に乗じて学会員を虐げる。この宗門事件は、露になった悪侶らの、卑劣な人間性との戦いでもあった。



8、池田名誉会長が語る 勝利の人間学(創価新報掲載)

第45回 さあ、新たな会合革命を

 司会の「声」で決まる

 会合の雰囲気は、司会の「声」で決まる。
 はつらつとした声、すがすがしい声──その響きが参加者の心を打つ。会場の空気を明るく一変させられる。
 学会の会合は“法華経の会座”といえる。集われた方々が、生き生きと異体同心で勝ち戦に出発できるよう、祈りを込めて臨むのだ
 “絶対に成功させてみせる!”との一念は、必ず通ずる。私も、小樽問答や「3・16」の式典など、勇んで司会を担い立ってきた。
 信念に生きる青年の「声」に勝る力はない。歓喜あふれる前進の息吹を起こそう!

 納得が挑戦の活力に

 御書に、「信心の志のある人たちは一つの場所に集まって」(951ページ、通解)と仰せである。
 皆で集えば、元気になる。前進のエンジンが点火され、生命のリズムが躍動する。
 一方通行ではなく、聞きたいことや分からない点を、気軽に質問し、相談できる語らいを大切にしたい。
 戸田先生は、皆が聞きたいと思っている的確な質問や、深い法理を語る契機となる質問が出ると、「よく聞いてくれた。ありがとう!」と讃えられた。
 求道の座談は納得をもたらす。その納得が信仰の活力となり、新たな挑戦を生む。

 会合の価値創造を!

 「創価」とは価値創造である。会合も価値的に開催していこう! 中心者が知恵を絞り、効果的に開き、皆が広布の拡大へ打って出ていけるようにするのだ。
 仕事の形態も多様化し、全員が一度に集うこども難しい時代である。無理をして集めて、疲れさせてはいけない。
 皆を守り、幸福に導くためのリーダーである。自らが、絶えず一人一人のもとへ足を運ぶことだ。家庭訪問、個人指導が根本である。そして率先して、仏法対話に走るのだ。
 さあ今日も、張り切って友のもとへ!

【社会の情勢】 
◆「再就職手当」拡充へ 賃金下がった人を支援 厚労省 
◆専門試験課さず採用 五輪向け幅広く人材確保 東京都 
◆営業益、6年ぶり過去最高 今期2兆4千億円に上方修正 トヨタ 
◆電機3社いずれも増収 円安効果 13年4~12月期
◆保育所、開設延期相次ぐ 人手不足などで工事遅れ
◆鉄道機構を家宅捜索 北陸新幹線工事談合の疑い 東京地検公取委
◆首都圏で「雪の立春」 路面凍結、交通の乱れに注意

2014年2月 4日 (火)

2014/2/4(火)の聖教

2014/2/4(火)の聖教

1、ベネルクス3国の集い SGI会長がメッセージ

 オランダSGIの幹部会(1月25日、ザイスト市内)では、新人事が発表され、ヒデキ・イワミ理事長、ジーナ・ハメーテマン婦人部長が誕生した。
 
池田SGI会長は祝福のメッセージを贈り、「新理事長・新婦人部長を中心に、仲良く、朗らかに前進を開始してください。そして、お一人お一人が偉大な人間革命の歴史を勝ち刻んでいってください」と呼び掛け、新生オランダの大前進を念願した。



2、中国・南開大学「周恩来・池田大作研究会」が機関誌「金橋」を発刊

  きょう2月4日は、中国の民衆が“人民の母”と慕ってやまない鄧穎超夫人の生誕110周年にあたる。
 このほど、周恩来総理の母校である南開大学の「周恩来・池田大作研究会」が、機関誌「金橋(金の橋)」の第3号を発刊。鄧夫人生誕の佳節を記念して「女性の価値創造」をテーマに、その生涯を考察するとともに、池田名誉会長夫妻との交流を紹介している
 さらに、池田香峯子夫人が「鄧穎超先生ご生誕110周年に寄せて」と題し、寄稿している。
 同研究会は、周総理と名誉会長の出会いの日(1974年12月5日)にちなみ、2006年の12月5日に発足した。6人でスタートした陣容は現在、他大学に所属する大学院生や社会人なども参加するなど、大きな広がりとなった。卒業生は周総理と名誉会長の友誼の心を胸に、両国友好に尽力しながら各界で活躍している。



3、わが友に贈る

 「成仏は持つにあり
 幸福境涯を築く力は
 持続を貫く信心に。
 一喜一憂せず
 悠然と進みゆけ!



4、名字の言  名誉会長“我が人生の主人公たれ”“人生の名優たれ”と、呼び掛けた。

  ♪北海凍る厚田村吹雪果てなく……。戸田第2代会長のふるさと・北海道石狩市の厚田は、今、「厚田村」にうたわれる通り、厳冬のただ中にある▼池田名誉会長がこの詩を着想したのは、恩師と同地を初めて訪れた時のこと。今から60年前、1954年の夏になる。2人で日本海を見つめつつ、「君は世界へ征くんだ」と広布を託した師。固く後継を誓った弟子。師弟の名場面である▼修学旅行で、この厚田を訪れた高等部員がいる。難関の医学部を目指していたが、成績はクラスで最下位を争うほどで、人に公言するなど思いもよらなかった。だが、師匠の世界平和への道に続きたいという夢は、胸の中で生き続けていた▼彼は厚田の海に向かって叫んだ。「世界を駆け巡る医師になります!」。それから猛然と努力を始める。受験は不合格。それでも、“厚田の誓い”を励みに自らを鼓舞し、浪人の末、ついに合格を果たす。今、彼は小児科医として子どもたちの健康を守る▼“わが人生の主人公たれ”“人生の名優たれ”と、名誉会長は常に、青年世代に呼び掛けてきた。悩みにとらわれ、自分を小さく考えないで、志を立て、志を磨き、強く明るく生き抜いていく。これが、創価の人間革命の生き方である。(将)



5、寸鉄

★  きょう立春。厳冬の寒風ありて希望の春は輝く。我らは励ましの最前線
      ◇
★ 創価班・牙城会の大学校が各地で入卒式。師弟の大道歩む誉れの青春を!
      ◇
★ 「東洋哲学研究所の日」。人間主義の大哲理を世界へ!戦う知性の誇り高く
      ◇
★ 信仰なき生活は舵なき船―偉人。御書は幸福の羅針盤。苦難の時こそ繙け
      ◇
★ 温暖化続けば今世紀末、海面上昇で砂浜の9割が消失と。意識革命を急げ



6、学園抄 創立者とともに 

第15回 太陽の子  雪国に世界一の幼児教育の城
 

  白い壁と白い道。その中を、赤・黄・青の線で彩られたバスがやってきた。ゆっくり止まると、壁に開いた隙間から、小さな子がひょっこり。
 「おはようございます!」
 乗り込んで、窓の外の母親に笑顔で手を振った。
 先月21日の朝。札幌創価幼稚園(札幌市豊平区)のバスが市内を回っていた。道沿いの雪の壁は、園児の背丈の倍以上。北海道の冬は長い。きょうから3学期が始まる。
 「あのね、おにいちゃんがね」。家族のことを話す女の子。ズバババ! ヒーローの技をまねる男の子。車内に、おしゃべりの花が咲く。
 幼稚園の前に着いた。青い屋根に白い雪。入り□の「えがおのもん」め中も銀世界たった。
 「あっ、ゆきやまだ!」
 「てつぼうがうもれてる」
 皆がはしゃぐなか、教員が掛け声を出した。
 「とんとんまーえ! とんとんまーえ!………」
  手拍子と“前へならえ”の仕草をして園児が並ぶ。
 「せんせい、おはようございます! みなさん、おはようございます!
 つよく! ただしく! のびのびと!」
 声を揃える園児の視線の先には、「つよくただしく のびのびと」のモットーの碑と園歌の銘板。あいさつを終えると、玄関へ続く「えがおのみち」を、にぎやかに歩いていった。

 大人の人格

 創価教育の父・牧口常三郎創価学会初代会長が初めて教壇に立ち、戸田城聖第2代会長が教育の道に進んだ、北海道の大地。創立者・池田名誉会長は「札幌に、創価一貫教育の最初の門となる幼稚園をつくり、日本一、世界一の幼児教育の城に」と願った。
 札幌農学校の教育者・クラーク博士の像が立つ羊ケ丘地域に、創価幼稚園はある。創立者は作家・井上靖氏に述べた。
 「遠くに雪を残す連山を望み、石狩の沃野を眼前にするこの羊ケ丘は、幼児教育の環境としては理想的
 保育室や廊下、ロビー、遊戯室の「おうじおうじょホール」は広々。カラフルな「にじのトンネル」、木のプールがある「なかよしひろば」、絵本がいっぱいの「たいようのこライブラリー」は皆のお気に入り。
 体操、リトミック、英語で遊ぶインターナショナルタイムなど取り組みは多彩である。
 春から「あおぞらのうえん」でイモを育て、収穫した秋にチューリップを植える。氷点下の冬は「なかよしグラウンド」で雪遊び。次の春は、雪の下にあったチューリップが花開く。豊かな四季を体感する。
 毎日、園歌を歌い、モットーや「3つのおやくそく」──①自分のことは自分でしましょうお友だちと仲よくしましょう明るく元気にあいさつしましょう──などを暗唱する園児は「心」を広げていく。
 あるわんぱくな男の子は入園前、よく友だちを泣かせ、母親は悩んでいた。創価幼稚園でも、絵本を読む子に体当たりするなど、やんちゃなまま。だが教員は責めない。
 「創価幼稚園には、お友だちを傷つける子はいないんだよ。先生とのお約束なんだよ。きょうは失敗しちゃったのかな?」
 そして彼のひょうきんな性格を褒め続けた。周りの園児も彼を褒め始めた。今では、泣く子がいると涙を拭いてあげ、おどけて笑わせる人気者になった。
 どう園児と心を通わせるか。教員の思いの源は「創立者ならどうされるか」。幼稚園の至る場所で示した創立者の真心が、創価の幼児教育の礎である。

                     * * *

 玄関は静かだった。第1回入園式の1976年(昭和51年)4月16日。
 「園児はまだかい?」
 外を眺める創立者。式まで1時間以上もある。園内を視察しても、すぐ玄関に戻り「まだかな?」。
 やがて園児が来ると「おめでとう!」。握手。頬をさする。ぎゅっと抱く。
 式の前は遊戯室の入り口で、各組から「にじのトンネル」を通ってくる園児を迎えた。一緒に手をつなぎ園児席へ。じっとしていない子を膝の上であやす。
 記念撮影。泣いてしまった園児を抱き寄せた。「おしっこ!」と叫ぶ子がトイレヘ。泣いていた子も列を飛び出す。再び並び直して、やっとパチリ。すると廊下から「おしっこの子がまだ入ってませーん!」。爆笑が起きた。
 帰りのバスでは園児のなぞなぞに答え、歌った。
 教員は驚く。こんなに全力で園児を大切にされるのか……。創立者は語った。
 「子どもの中にも大人があります。大人の人格を秘めた園児なんだということを忘れてはいけません
 「この幼稚園からは一人も不幸な人を出さない」
 ロビーで数人の園児が声を上げていた。
 「あーそーぼーっ!」
 82年6月28日、創立者は園児と記念撮影の後、控室にいた。「池田先生はお仕事をされているから静かにしようね」。教員は念を押していたが、園児はうれしくてたまらない。
 「いけだせんせー、あーそーぼーっ!」
 たったったっ……。近づいてくる足音。
 あっ、せんせいだ!
 「スイカをあげよう!」
 その場で創立者が切り分ける。わっと皆が集まってきた。子どもの顔より大きな、丸々としたスイカ。待ちきれない園児の目も、まん丸。
 「食べなさい」
 モミジのような手に、優しく渡す。
 「おいしー!」
 真っ赤なスイカをほおばりニッコリ。果汁がついた顔を、創立者はタオルでそっと拭いてあげた。
 この日、園児を思って筆を執り、二字を揮毫した。
 「天使

                    * * *

 「えがおのみち」で園児だちと触れ合ったのは92年8月28日だった。
 創立者が、ぬいぐるみをプレゼント。さらにカゴに手を入れて……。
 パッ!紙吹雪が舞った。
 わあ!びっくりして指をさす子。紙をつかもうとする子。皆、躍り上がった。
 ある子は紙を拾い、創立者に振りかけた。顔を押さえ、倒れるふりの創立者。無邪気な笑いが絶えない

 「お友だちが世界にできますよ!」
 創価の幼児教育の城は。札幌から、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国に広がった。

 将来の偉人を

 94年(平成6年)8月19日、創立者は夕焼け空が包む羊ケ丘展望台に立った。
“BOYS BE AMBITIOUS”(青年よ、大志を抱け)と刻まれた台座にクラーク博士の像。第1回入園式と同じ日に除幕されたものである。その向こうには札幌市街の灯が見えた。
 すっかり暗くなった帰り道、幼稚園のそばを通る。明かりがともっていた。
 「皆、いたんだね」
 翌日の始業式を前に準備で残っていた教職員をねぎらう。ある組のピアノで「荒城の月」を2度演奏。2回目は「子どもたちのために弾いたんだよ」。
 「何千、何万という、将来の偉人を育ててください。世界平和のために、人類の幸福のために
 夜空の丸い月が、静かに園舎を照らしていた。
 明くる日。創立者が弾いたピアノに教員が向かう。
 「きのう、ここで池田先生が、皆のためにピアノを弾いてくださったんだよ」
 「ほんとにー?」
 園児の目が光る。
 「荒城の月」を奏でると、「すごーい!」「このうた、しってるー!」。ニコニコ笑顔で聞いていた。

                 * * *

 創立者は呼び掛ける。
 「札幌創価幼稚園は、王子、王女の皆さんが育ったお城です。自分のお家だと思って、いつでも遊びにきてください
 卒園後、離れ離れの園児は、小学1年から3年ごとに集まる。卒園生の集い「創陽会」から工学博士、弁護士、医師、看護師、大学教員、客室乗務員、テレビアナウンサー等が誕生。創価幼稚園の教員もいる。
 第1回入園式で訪問した際、「皆が立派に成長するまで、私も一生懸命に応援します」と語った創立者の思いは、変わらない。
 バスで創立者の隣に座った女の子がいた。後に海外高級ブランドメーカーの本社社員として活躍。だが悪性リンパ腫が見つかった。すでにステージ3。創立者から伝言が届く。
 「よく覚えているよ。忘れてないよ。先生が祈ったから。負けるな。頑張れ
 闘病の支えになったのは創立者の激励と、胸に刻まれていた園のモットー。ついに寛解を勝ち取った

                  * * *

 かつて創立者は3学期のスタートに言葉を贈った。
 「全員が太陽の子です。皆さんの心の中にも、希望の太陽が、どんな時も輝いています
 降園時間。玄関で教員がぎゅっと抱きしめたり、ハイタッチしたり。そして園児はモットーの碑の前へ。
 「せんせい、さようなら!
 みなさん、さようなら!
 つよく! ただしく! のびのびと!」
 陽光にキラキラ光る雪を踏みしめ、「えがおのもん」から元気に帰っていった。



7、小説『新・人間革命』第27巻第1章  正義28

  学会を誹謗する僧の大半は若手であり、世間の常識に疎く、態度が横柄な者も少なくなかった。それでも学会員は、彼らを守り、寺のために尽力してきた
 彼らが、学会への憎悪を募らせ、理不尽な誹謗をエスカレートさせていった背景には、学会を裏切っていった“背信の徒”の暗躍もあった。弁護士の山脇友政である。
 学会員であった彼は、弁護士として学会の法的事務などに携わるようになった。すると、次第に自分の法的知識を鼻にかけ、先輩幹部を見下し、誰の言うことも聞かなくなっていった。慢心に毒されていったのだ。
 「人間の精神は慢心へと傾きやすく、慢心は精神を腐敗させる」(注)とは、フランスの作家ジョルジュ・サンドの警句である。
 山脇は、学会の仕事だけでなく、宗門の法的な諸問題にも関与するようになり、宗内に人脈を広げていった。
 その一方で、弁護士の立場を利用して金儲けを企て、会社経営にも手を出していく。学会活動もしなくなり、信心を失い、金銭欲に翻弄され、拝金主義に陥っていったのである。
 しかし、やがて、杜撰な経営によって事業は破綻し、莫大な負債を抱えることになるのだ。行き詰まった彼は、虚言を重ね、さまざまな事件を起こし、遂には、社会的にも厳しく裁かれていくことになる。
 山本伸一は、前々から、山脇のことが心配でならなかった。信仰の正道を歩ませたかった。真剣に信心に励むよう、諄々と諭したこともあった。時には、厳しく指導をしたこともあった。
 だが、慢心に侵された彼は、むしろ伸一を疎ましく思い、指導されるたびに、恨みと憎悪を募らせていったのだ
 山脇は、信徒団体である学会は、どんなに大きくとも、所詮は、宗門の下にあり、屈服せざるを得ない存在であると考えていた。そこで宗門に取り入り、自分が学会との窓口となり、宗門の権威を利用して、学会を操ろうと画策したのである
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■引用文献
 注 「スピリディオン」(『ジョルジュ・サンド セレクション第2巻』所収)大野一道訳、藤原書店



8、2月度 座談会拝読御書 上野殿御返事(刀杖難事)に学ぶ
   師弟共戦で広宣流布へ前進
  (作業中)



【社会の情勢】 

◆上場企業 上方修正相次ぐ 円安が寄与 時事通信集計 
◆10~12月期GDP、駆け込みで年2・5%増  民間11社予測
◆最大震度7 、津波3・6メートル 名古屋市、南海トラフを想定 
◆5大銀行決算 純利益2兆3361億円  4~12月期 リーマン後最高
◆五輪決定で都心に活気 鉄道新線構想が続々浮上
◆食べ残し、5年ぶり調査 農水省が廃棄削減運動

«2014/2/3(月)の聖教

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