西村与志木 – 「坂の上の雲」エグゼクティブプロデューサー

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いよいよ第 2 部がスタートした NHK スペシャルドラマ『坂の上の雲』

 

『坂の上の雲』は、 大陸と半島と列島の歴史を振り返る、 今という時代が求めたドラマです。

 

――『坂の上の雲』の映像化については難しい側面があったとお聞きしています。

 

西村 司馬遼太郎さんが5年の準備期間を経て『坂の上の雲』を新聞紙上で連載を始めたのは1968年のことです。それまで日清、日露戦争を舞台にしたスケールの大きい小説はありませんでした。この小説を読んだ映像関係者は相次いで映像化のオファーを出したのですが、司馬さんは了解しなかった。当時は東西冷戦の真っ只中で、日本も70年安保で右と左が大きく対立していた。そうした状況で、右翼から見れば、軍神として祀られている乃木将軍を無能と貶めているのはけしからん話ですね。一方左翼から見れば戦争を賛美している、国威発揚的な小説だと。右と左から一斉に攻撃を受けた訳です。

『坂の上の雲』は、曲解されやすい要素を持ち合わせている小説です。活字で書いたことについては自分で責任を持つが、それ以外は持てない。すなわち映像化しない方が本意だと。加えて司馬さんの作品は、すでに大河ドラマなどで映像化されていたため、その限界もご存知でした。『坂の上の雲』が映像化できるとは到底思えなかったのでしょう。そのような理由があって、封印されていたのです。

 

――本は評判になり、全共闘世代にも愛読されていました。

 

西村 私も大学生の時に一読して、この小説が映像になると凄いだろうなと思ったものです。大学を卒業しNHKに入り、ドラマ部にきて先輩の話を聞くと、そんなのはとんでもない話だと。『坂の上の雲』は金庫に入れられて鍵を掛けられてしまったんだから、手も足も出ませんよ、と。

 

ーー封印を解くきかっけは?

 

西村 その後ハリウッドに行って、3年ほど映像の勉強をしたんですが、その頃から、スケールのある物語性の強い作品を作りたいという気持が強くなったのです。その当時の日本では、映画が高級なものでテレビは一段格下との認識でした。それを根幹から変えてみたい、ということもあって。『坂の上の雲』は格好の、しかも前人未踏の素材だった訳です。

アメリカから帰ってきて、司馬さんの『菜の花の沖』をドラマ化しました。すでに司馬さんが亡くなって3年ほど経っていた2000年頃のことです。その御礼に奥様の福田みどりさんのところへ行き、ついては「私は『坂の上の雲』をやってみたい」と話したんです。「司馬さんがダメだと仰っていることを百も承知でお願いしているんですが」と。

福田さんが「どうして作りたいの」と聞くので、若い人が本を読まなくなっている話をしたところ、「本当は若い人にこそ『坂の上の雲』を読んで欲しいのよね」と言います。そこで、若い人は映像を観て、そこから小説はどうなっているのかと、活字に入っていくこと。特に、日清・日露時代の戦争を描いた小説には、もうひとつイメージが湧いてこないので、それを呼び起こせば、もっと読者が増えるのではないですか、というような話をしたら、「それも一理あるわねぇ」と仰って、ちょっと考えさせてくださいと。返事を頂けるまで1年掛かりました。

 

ーーそれから10年になろうとしています。

 

西村 2001年に映像化が決定して、2003年に発表。2008年にクランクインしました。大河ドラマでは脚本が1/3位できたところから撮影を開始します。反響を見ながらということもあるんですけど、撮りながら作っていく。ところが、『坂の上の雲』は90分13本のシナリオが全部出来てからスタートしました。大河ドラマは準備期間が1年半から2年、撮影、放送が1年。長く関わるチーフプロデューサーで3年ですから、『坂の上の雲』は大河ドラマの3倍以上の月日を掛けていることになります。

 

ーー許諾を得られた喜びの一方で、どのような作品にしたいとお考えでしたか?

 

西村 明治維新から、明治という国家が知識を求めて海外に出て行った。鎖国していた国が、ビックバンみたいな状態になったんですね。江戸時代から明治時代になり、地方から多くの人が青雲の志を持って東京に集まり、切磋琢磨しながら新しい国を作っていく。そういうことを映像で表現したいと思いました。

ところが、明治のものっていうのは探しても見つからない。江戸時代のものは意外と残っているのですが。明治に新しく作ったものは、大正の時に壊し、大正の時に作ったものは戦災などで壊れている。往時の人たちが、新しいものだから保存すべきものだと思わなかったのではないでしょうか。

明治のイメージは、これは言い過ぎかも知れませんが、大河ドラマがやってこなかったので無かった。戦国時代、秀吉だとか家康だとかはすぐに頭に浮かびますね。嘘かホントかは別にして、大河ドラマが徹底してあの時代をやってきたから。そういう歴史的なビジュアルイメージというのはTV、つまりNHKが作ってきた。そういう意味で、明治を具体的に映像化する作業がとても大変でしたし、まさにポイントだと思います。

もうひとつは、このドラマは男優というか男の世界なんですね。原作でも最初は女性が出てきますが、後半になるとほとんど出てこない。その部分だけは原作を膨らまして、例えば満州の荒野で戦闘が行われている時に、日本の国内ではどうだったのかな、と。銃後というか、そういう女性たちの思いを少し描きたかった。その部分はスペシャルドラマ『坂の上の雲』のひとつの見所でもあると思います。もちろん原作のフレームの中で考えられる、想像できる世界ということですが。

 

 

遥か空の高みに浮かぶ雲を見つめ、 日本人はかつて、 長く険しい坂を登っていった。 貧しくも、誰もが夢に向かって 一途だった時代の物語が、 今も多くの読者を惹きつけている。

 

 

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(左)エグゼクティブプロデューサーとして制作の総指揮に当たる西村氏。(右)NHK の制作室には研究室並の資料が集められた。

 

ーー時代考証で難しかったのは。

 

西村 特に軍事考証が難しかった。明治の軍隊のありかたとかスタイルと、昭和の軍隊のそれとは随分違うんです。誰もが持つ軍隊のイメージは昭和の軍隊。明治の軍隊は映像化されていないから、誰もが昭和の軍隊のイメージを持ってしまう。

それは間違いで、例えば明治の陸軍では丸刈りがマストではなかった。直立不動でしゃべるとか、そんなことも、実はだんだん作られてきたもので、特に初期の頃は、混沌とした中から軍隊が出来ていった訳ですから。それに加えて、ある闊達なというか、軍隊というんだけどもう少し人間性のあるものとして、秋山真之であり、好古でありというのを描いていきたいと思っていました。それは成功していると思っていますが。

 

ーー撮影の苦労が思い浮かびます。

 

西村 国内は22都道府県、海外はイギリス、フランス、イタリア、ロシア、ラトビア、中国、アメリカ、キューバと、ロケを敢行しています。明治という時代が残っていた場所を、パッチワークして撮影しました。第1回目から出てくる横浜港のシーンは、熊本県の三角西港に石積みの港が残っていることを発見して、そこで撮ったものです。横浜港を探して全国を周り、日本がいかに風景的に変わってきたか、ある種日本の変貌を確認する旅でしたね。

 

ーー俳優も、日本を代表する人たちが顔を揃えています。

 

西村 撮影期間が3年に及ぶので、出てくれる人がいるだろうかと実際心配していました。しかもNHKは評判になるくらいギャラが安いから、割が合わないんですね。ところがありがたいことに、この作品に出たいという役者さんたちが続出したんですね。特に本木さんは、3年間これに専念して、他の仕事を1本も入れなかった。

 

ーー10年間『坂の上の雲』どっぷり浸かられた後の、この時代の印象はいかがですか。

 

西村 よく言われますが、明治時代は人々が国という全体のことをストレートに考えた時代であるし、そういう人たちの物語だな、と感じます。では翻って現代はどうなのか。立身出世は今では良い意味に使われていませんが、明治時代は「お国のために自分は役に立つ人間になるんだ」とストレートに言えるし、解釈できる時代だった。それが大正から昭和になるにつれてねじ曲がり、軍国主義の歪んだ形の日本になって、何の勝算もない戦争に突入していった訳です。その意味でもう一回、日本人が坂を登っていった時代のことを考えるということは、とても大切なことだと感じました。

また、私としては時代が『坂の上の雲』という作品を呼んだのではないかという感が強くあります。昨日(2010年11月23日)北朝鮮が韓国に砲撃しました。まさに、明日どうなるかという話ですけれども、日本、韓国、北朝鮮、中国、この4ヵ国にアメリカやロシアが絡んでくる。これは、地政学的にも繰り返されてきた、大陸と半島と列島の地政学的な歴史なのです。それがある時にとてもホットになった訳ですが、明治の時に多くの人間が味わった構造と、非常に似ているんですね。「歴史から学ぶ」という言葉がありますが、今の日本人、今の日本という国が、どうあるべきかと考えるヒントが『坂の上の雲』にあるのではと思います。

 

ーー撮影はすべて終了しています。今から1年後の第3部が楽しみですね。

 

西村 そうですね。これからは特撮の作り込みに費やします。特に第3部というのは203高地や日本海海戦という、陸戦と海戦の大クライマックスがありますから、今ようやく素材が揃ったところです。

『坂の上の雲』は忠臣蔵同様、最後にクライマックスがあるんですね。第2部で日露戦争が始まります。旅順閉鎖戦で展望が開けず、203高地でボロボロになる。一体日本はどうなっていくんだろうという悲壮感漂う中、最後に日本海海戦がある。終盤に向かって盛り上がり、最後に行くほど規模も大きく話も複雑化してくる。ぜひ第2部をご覧頂き、第3部を心待ちにしていただきたいと思います。

 

西村与志木
東京大学文学部西洋史学科を卒業し1976年にNHK入局。ドラマ部で演出した作品でモンテカルロ国際テレビ祭グランプリ、国際批評家賞、文化庁芸術作品賞を受賞。連続テレビ小説「澪つくし」、大河ドラマ「独眼竜政宗」を演出後、アメリカ総局特派員としてロサンゼルスに派遣され映画製作を学ぶ。帰国後、連続テレビ小説「かりん」、大河ドラマ「秀吉」のプロデューサーを経て、ドラマ部長を歴任。スペシャルドラマ「坂の上の雲」のエグゼクティブプロデューサー。

 

Photo/ Susumu Nagao, Text/ JQR

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