能年が知るピエール瀧の“旧芸名”とは
2014年2月12日
瀧は「それで僕も家で探したんですけど、なかなか見つからなくて。(結局、)人生の『バーバパパ』というCDを彼女に渡しました」と明かした。とはいえ、同CDはネット通販でも購入できる、それほどレアでない一品。先述の「メロン牧場」で、石野に「それだったらわざわざ頼まないだろ!」と突っ込まれていたのも、ご愛嬌(あいきょう)だ。
そんな愉快な裏話があったわけだが、当時生まれていなかった能年がその名を知っていても、あの80年代に、「畳三郎」が役者として“天下”を取るとは、誰も想像しなかっただろう。だが、その生き方はずっと変わらず、現在のポジションに通底している。人生~電気グルーヴでも、音楽面の軸は石野であったが、瀧は「担当・瀧」を名乗り、1つの肩書きに収まらない唯一無二の、なくてはならない存在であり続けた。
今も、本人は“専業俳優”でなく、「作品のアクセント」を自らの役割と公言する。受賞対象となった映画「凶悪」では実質的に主役と言っていいオーラを放っていたが、スター俳優などではなく、あくまで素材の1つというスタンスは不変で、気負いはない。
「畳三郎」から四半世紀、日本映画界に名脇役が誕生した。=一部敬称略
(デイリースポーツ・北村泰介)
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