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縄文人骨91体 ルーツ解明に期待
2月11日 8時54分

縄文人骨91体 ルーツ解明に期待

日本人はどこから来たのか。この壮大なテーマの解明に欠かすことのできない資料が、富山市の縄文時代前期の貝塚から出てきました。
貝殻の層の中に残されていた、91体の人骨。そして、土器や石器、木製品など大量の出土品。
その分析を通じて、謎の多い縄文前期の人々のルーツや暮らしぶりが、明らかになりつつあります。
(写真はいずれも富山県文化振興財団提供)

6000年前の人骨が次々と

「ふだん骨を見ることなんてないのに、ここでは掘り下げるたびに次々と出てくる」。富山県文化振興財団・埋蔵文化財調査事務所の町田賢一さんは、骨が多すぎて現場では個体数が把握できなかったと言います。

大量の人骨が見つかったのは、富山市にある「小竹(おだけ)貝塚」。北陸新幹線の工事に伴って2年がかりで発掘調査したところ、厚さが最大2メートルの貝殻の層が見つかりました。
今からおよそ6000年前、縄文時代前期の貝塚で、日本海側では最大級の規模だということです。
同じ場所に住居や墓も作られていたことも分かりました。
その後、確認された人骨は、少なくとも91体。「貝の地面に貝で埋めていた」状態だったということです。
1万年以上にわたる縄文時代のうち、早期と前期は人骨の出土例が少なく、これまで全国で確認されているのは、合わせておよそ80体です。
今回、1つの遺跡の調査だけで、その総数を上回ってしまいました。
犬の骨も、可能性の高いものも含め、21体も見つかっています。
なぜこれだけの量の骨が残されていたのか。
日本の土壌は酸性で、土に埋まった状態では多くは溶けてしまいます。
しかしここでは、貝殻のカルシウムが、骨を良好な状態で残してくれたのです。

縄文前期の基準資料に

人骨は、国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)に持ち込まれ、詳しい調査が行われています。
形や大きさから、その人の年齢や性別、身長などを読み解きました。
91体のうち、身長の推定が可能だったのは29体。
推定身長の平均は、男性が159センチ、女性が148センチで、その後の縄文人とほぼ同じでした。
縄文時代を通じて身長が大きく変わっていないことを示す明確なデータが、初めて得られたということです。
DNA分析も行われました。
骨の細胞の中にあるミトコンドリアのDNAを分析して塩基配列を調べ、その違いから「ハプログループ」と呼ばれるタイプ分けを行いました。
今回、ハプログループが判定できたのは13体で、最も多かったタイプは、北海道の縄文時代人などに見られる「北方系」でした。
ところが次に多かったのは、東南アジアや中国南部に多く見られる「南方系」。縄文時代早期の北陸では、「北方系」と「南方系」が混在していたのです。
一方、渡来系の弥生人や現代の日本人に多く見られるタイプは、今回は出なかったということです。
人類研究部の溝口優司部長は、「小竹貝塚の人骨は、日本人の形成過程を明らかにするうえで、縄文前期の基準となる」と高く評価。「この人たちがどこから来たのか、ひいては日本人はどこから来たのか、後世との関係はどうなのか、探っていきたい」と話しています。

他地域との活発な交流

小竹貝塚では、出土品の量の多さと多彩さも目を引きます。
土を袋に入れて持ち帰り、洗いながら細かな遺物まで調べた結果、▽土器13トン、▽石器1万点、▽動物の骨などを使った道具や装身具2300点、▽丸木舟などの木製品100点、などが確認されたということです。
出土品から見えてきたのは、他地域との活発な交流です。
土器は、関東や近畿の様式のものに加えて、東北の土器の特徴を持つものもありました。
さらに、九州など温暖な地域でしか採れない「オオツタノハ」という貝で作ったアクセサリーも、日本海側の縄文遺跡で初めて見つかりました。
鮮やかな緑色をした「ひすい」は新潟産で、国内でも最古級の加工品だということです。
町田さんは「1つの遺跡に人骨も土器も木製品も残っている。そして貝塚、墓域、住居と、3つを合わせた議論ができる。分からないことの多い縄文前期を理解するうえで、1つの大きな材料になる」と、調査成果の意義を話していました。

小竹貝塚の発掘調査報告書は、来月中に刊行される予定です。
また国立科学博物館は、さらに1年かけて骨の形態などの分析を進め、ルーツの解明に当たることにしています。
今回得られたデータを踏まえ、日本人のルーツや縄文時代を巡る研究がさらに進展する、そんな期待が高まります。

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