ハッピーさん(@Happy11311)インタビュー ~東京電力福島第一原発収束作業の現場から、作業員の訴え

2014年02月08日(土) 堀 潤
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誰も想像だにしていなかった事態

---本の冒頭は、やはりあの日の水素爆発のシーンから始まるのですね。

つぶやき自体は2011年の3月20日からだったので、その前の部分というのはあまり話していませんでした。そこでプロローグとして、3月11日から3月14日まで、爆発のあったあの時までの様子を書きました。

---ハッピーさんは震災の時には、第一原発の構内で作業をしていたということですか?

はい。当日ももちろん作業をしていました。大きな揺れがあって、そのあとくるぶしまで、水がきました。

横8メートル、縦15メートルの燃料プールのふちから水があふれました。プールの水というのは、だいたいプールのふちから300ミリ下、30センチ下くらいなんですよ。だからあれくらいの揺れがくるとあふれてしまうんです。柏崎でも女川でもそうなんですが、大きな地震がくると水が溢れてしまうんです。

僕らも、慌てて水が階段室にいかないように新たにフェンスを設けたのですが、それも今回はあまり役に立たなくて・・・。1号機なんかは、そこからオペレーションルームに漏れちゃったりしてね。

それと、燃料プールのまわりにはもともと空調設備がプールの壁面についているんですよ。ダストが上にあがらないように吸い込んでいるんですけど、今回はそこに水が入って4階のダクトから漏れたっていうのが検証されているようです。プールの水はどの号機も漏れたと思います。

---その後、水素爆発も起きるわけですが、現場にいながらはどんな心境でしたか?

まさか爆発するとは夢にも思っていないんで・・・。今まで柏崎も女川もそうですが、けっこう大きな地震がきても、スクラムは、ドンといっちゃえば、止まると思っていました。ステーションブラックアウトというね、全電源が喪失されたらこうなっちゃうというのは知らなかったんです。

想定していたのは、非常用電源が稼働して冷却が再開されるというところまで。そこまでしか知識として持っていませんでしたから。認識もなかったんで、それがなくなったらどうするの? というところまでは考えていなかったんですね。東電の職員さんたちもそうだったと思いますが、誰も想像だにしていなかったですね。

---ハッピーさんは現場ではどのような立場なのですか?

その頃は、班長クラスでした。一班10~15人くらいをまとめていました。作業経験は20年以上になります。ただ、僕らも上から指示される通りに動くしかありませんでした。「ホースをもってきてくれ」など、言われるがままです。

ライン構成もどれが使えるのか、再稼働にしたって、全電源喪失した時に、今では注水をいれるラインを組んだりしていますが、当時はそれが詳しくわかりませんでした。少なくとも2ライン必要だと思うんですよね、直接炉内に入れるとか。既存の古い設備、BWRが本当に対応できるのかどうか、いろいろと心配でした。

---水素爆発の時にも中に?

はい。爆風と音がもの凄かったです。ドーンといって上から瓦礫が落ちてきて、びっくりしたんだけど、とにかくものが落ちてくる状況が長かった。このままいったら天井がぶち抜けて、それに当たったら死ぬなと。

いったい何が爆発したのかわかりませんでした。3号機が爆発したなんて想像もできなかったのですが、このままだったら死ぬのかなと思いました。どこかが爆発したんだろうなというのは分かったので。「瞬間的に死ぬな」という実感です。

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