そして、それらをほとんど一切使わない、極北のような独自の分野で、たわむことのない挑戦を続けてきた本物の芸術家です。
そんな彼が、ほかにも多数受けてきたであろう依頼仕事の1つとして「偽ベートーベン」から最初の依頼を受けたのは前回も書いた通り1996年だったと文春記事は伝えます。
新垣君自身、「九六年に私が最初に作った映画『秋桜』のテーマ曲は(偽ベートーベン)が制作予算を無視して約二百万円もの自腹を切り、私が大学で集めた学生オーケストラに演奏させて録音しました」(週刊文春)と述べています。
さてこの文春の記事では場所が飛んでいて、統一した印象を持ちにくいですが、新垣君がテープに録音された断片素材を提示されて「オーケストラ用の楽曲」として仕上げてほしいと依頼され、その結果生まれたのが『秋桜』という映画の音楽だということになります。
最初に新垣君が受けたのは「断片から楽曲を合成してほしい」という依頼で、決して「ゴーストライター」ではないことを、改めて確認しておきましょう。
この依頼に答え、受験その他で問われる基礎的な能力の応用だけで、新垣君によれば「息抜き」程度に趣味よくまとめた気軽な調性音楽の譜面ができたとき、
「この作品はぼくの名前で発表したい。君の名前は演奏家としてクレジットする・・・」
と、後出しじゃんけんで偽ベートーベンが言ったとき、同時に彼は約200万円「もの」自腹を切り(「もの」は新垣君の表現)、新垣君に集めてもらったオーケストラメンバーでの演奏、録音をした。
この熱意や、大枚のお金を負担しているという事実に、気の優しい新垣君が押されて、これをのんでしまったのが、最初の間違いだったと思います。
多くの人はこの記事を読んで気にもとめないと思いますが、オーケストラ曲は作曲家が総譜を書くだけでは演奏などできません。実際にはヴァイオリンならヴァイオリン、フルートならフルートの奏者がそれを読んで演奏する「パート譜」を作らなければなりません。
こうした写譜の作業も、まず間違いなく新垣君が仲間に頼んで手伝ってもらったと思われます。なぜなら偽ベートーベンは写譜ができないし、プロの写譜屋さんに発注すると、あっというまに数十万円の経費がかかってしまうので・・・。
元の楽曲合成・オーケストレーションの依頼は数万円とのことでしたが、新垣君としては、もう1つ、予算200万円強のこの演奏依頼は、彼を通して仲間や後輩たちに仕事を発生させるものにもなっている、こういう細かな現実に目をとめていただきたいのです。もしかすると写譜でも(安価と思いますが)謝礼が発生したかもしれません。
本当に善意の音楽家である新垣君としては、「自分にとってはどうという作業でもない、この気軽な調性音楽のスコア書きで、200万円ものお金を使って、しかも友達に演奏の仕事も作り出してくれているのだから、この譜面に自分の名前なんか出さなくてもいいや、アシスタントで縁の下の力持ちに徹してあげてもぜんぜんかまわない・・・」といった感想を持った可能性が高いと思います。
どうせ映画がヒットするとは思っていなかった新垣君は、ナイーブに「チーム仕事の中で黒子に徹してあげても惜しくない」と思ったと察しがつきます。
ところがここから先、偽ベートーベンは、こうした新垣君ののんびりと牧歌的な想像を絶した行動を取り始めます。これを自作と称して「別の映画会社、ゲーム会社、テレビ局等」(文春ママ)あちこちに売り込み、偽って仕事を拡大させていきます。