一人一人にそれぞれ悩みはあっただろう。しかし、今振り返ってみると、1994年当時の韓国人は活力がみなぎっていた。大学生の海外研修やバックパック旅行が大ブームになり、「新世代」「お姫様病(女性が自分のことをまるで『お姫様』のように思い込んでしまう状態)」「へそ出しTシャツ」「オレンジ族(ソウル市江南地区の富裕層の若者)」といった言葉が流行した。国力の増強が続いていた韓国が独自に核開発をするという内容の小説(金辰明〈キム・ジンミョン〉氏の『ムクゲノ花ガ咲キマシタ』)が300万部売れたり、韓国が日本に攻め込むという内容の漫画(イ・ヒョンセ氏の『南伐』)が人気を呼んだりした。「働くことが青春だろ」(栄養ドリンク「パッカス」)など、広告のキャッチコピーも強烈だった。
つまり、この時代の韓国には自信がみなぎっていたのだ。「韓国はほかの国とは違う」と人々は思っていた。日本による過酷な植民地支配とむごい戦争を経験し、貧しい時代が長く続き、ありとあらゆる苦難の道を歩みながらも、まるで重量挙げのスターのように精いっぱい立ち上がったというわけだ。
過去2000年間、世界経済はどのような興亡、盛衰の道をたどってきたのか。英国の学者アンカーズ・マディスン(1926-2010)がそれを表す表を作成した。これを見ると、韓国がプライドを感じるのは無理のないことだと分かる。1967年まで、韓国の1人当たり国内総生産(GDP)は世界平均の半分にも満たなかった(世界平均3381ドル、韓国1645ドル)だったが、82年には世界平均を超え(世界平均4550ドル、韓国4557ドル)、94年にはには世界平均の2倍を超えた(世界平均5303ドル、韓国1万1199ドル)
韓国よりも豊かな国は多い。だが、韓国のように貧しい国から急成長を遂げた国はない。その上、経済成長だけでなく民主化も実現した。韓国は、このようなダイナミックさが、自国と日本の最も大きな違いだと考えた。日本は現時点では韓国よりも豊かな国だが、朝日が昇るような勢いが感じられる韓国の方が優れている、と思った。多くの人々が「日本から学ぶことがこれ以上あるのか。いっそのこと欧米に出ていこう」と口にした。
これは果たして正しい判断だったのだろうか。最近、専門家たちの会合に出ると「韓国はうかつだった」という発言がたびたび聞かれる。日本を見れば見るほど「決して人ごとではない」と感じているというわけだ。日本社会が「失われた20年」を迎えた当初の数年間を見ていると、特にそう感じられる。
日本では1991年、バブル経済が崩壊した。それがきっかけとなり、一時は3万9000円を超えた日経平均株価は2万円前後にまで急落した。家計の借金が急増し、金融機関が相次いで倒産、さらに高齢化までが重なった。
希望を失った若者たちが増え、憂鬱(ゆううつ)な造語が次から次と登場した。大人になっても結婚せず親元から離れない「パラサイトシングル」や、長期不況に入ったころに生まれ、経済がうまくいっている様子を知らないまま大人になった「失われた世代(ロストジェネレーション)」、定職がなくアルバイトで食いつなぐ「フリーター」などなど…。
そのころ、韓国経済は駐車場に入ったばかりの車のように、まだエンジンの余熱が残っていた。そのおかげで韓国は長い間、日本の状況を見ながら「日本の若者たちにはまるで覇気がない」という言葉を簡単に口にした。だが今では、韓国の大学生たちが自らを「余剰人材」と評している。それもきのう、きょうのことではない。