2014年2月11日火曜日

世の中が、自分の予測とはまったく違う方向に動く理由とは



あなたは、世の中の動きが分かるだろうか。あなたは、自分の読みがいつも正しいと思えるだろうか。あなたは、自分の判断に自信があるだろうか?

もし、あなたがすべてイエスならば、もちろんあなたは大金持ちになっている。

自分の読みがすべて当たるのであれば、それを相場に活かせば一瞬にして金持ちになれる。私たちが超大金持ちになっていないということは、私たちは世の中が分かっていない。

しかし、私たちが世の中を見る目が分からないとしても、別に悲観する必要はない。なぜなら、世の中が見通せる人など、どこにもいないからだ。

当たり前のことだが、世の中の動きも、相場の動きも、そんなものは誰も当てることができないのだ。これは、分析をビジネスにしている人たちや、どこかのコンサルタントや、専門の学者でも例外ではない。

彼らが本当に世の中の動きが分かるのであれば、彼らが世界有数の金持ちになっている。彼らが金持ちではないのであれば、彼らは「分かっていない」のである。


誰もが「自分のこと」すらも分からない


大言壮語している人がフォーブスの金持ちリストに載っていないというのも同様だ。彼もまた、世の中が分かっていない証拠でもあるということである。

そもそも、誰もが「自分のこと」すらも分からない。自分が人生で成功するのか、幸せになれるのか、いつ死ぬのか、どんな死に方をするのか、何も分からない。

今からやることが正解なのか失敗なのかも分からない。

すべての人は、盛大に読みを外す。思い通りにならない。自分の思惑通りに世の中が動いてくれない。

なぜなら、世の中は複雑系で動いているからだ。1つや2つの情報で世の中が読めるほど甘いものではない。

これは、まともな大人になることができれば、誰でもいつか気付くことである。世の中は分からないのを前提に、人生設計を立てなければならないのだ。

人々がせっせと貯金するのは、自分の身に何が起きるか分からないからだ。何か起きたときのために、備えが要るというのは、逆に言えば、「何が起きるか分からないから備えている」ということでもある。

保険にかけるのも同様だ。自分の身に不幸が起きるかどうか分からないが、もし何か起きたとしても衝撃を最小限に抑えるために保険に入る。

世の中が読めるのであれば、誰も保険に入る人などいない。何が起きるのか分からないから保険は成り立つ。それが起きるか起きないかは、保険屋も分からない。ただ、確率計算しているだけだ。

人間はいつも合理的な判断をするとは限らない


世の中がどのように動くのか、誰にも分からないのは、「人間はいつも合理的な判断をするとは限らない」ということも関係している。非合理は世の中に満ち溢れている。

痩せなければいけない人が痩せないのは食べ過ぎるからだ。それならば食べなければ痩せるのだが、食べ物を前にすると合理的な判断を忘れて食べてしまう。

金に困らないようにするためには、まずは貯金しなければならないが、欲しいものがあると合理的な判断を忘れて買ってしまう。

勉学で秀でるためには、毎日きちんと勉強しなければならないが、遊びの誘惑があると合理的な判断を忘れて遊んでしまう。

選挙でも、実務能力や公約を判断して候補者を選ばなければならないが、中身を見ないで「自分が知っているかどうか」という知名度だけで選んでしまう。

どの政党も、テレビで活躍している芸能人やら著名人を担ぎ上げる。そして、今まで政治とは何の関係もないところで生きてきた人が、いとも簡単に当選する。

これはまぎれもなく、多くの人が単に「名前と顔を知っている」だけで選んでいることを意味している。

選択肢がいくつかあって、どれを選んでいいのか分からないとき、「その人がふさわしいか」という判断が働かず、「自分が知ってるかどうか」で決まるのである。

自分が知っているというのと、その人が政治家として適任であるというのはまったく関係がない。人間は合理的な判断で動くとは限らない証拠である。

逆に言えば、合理的な判断で世の中が動いていないので、世の中がどっちに転ぶのか誰にも分からなくなる。

「自分が知っているかどうか」「有名人かどうか」


無党派と言われる人たちは、候補者の政策や公約には何ら関心がない。彼らが唯一関心があるのは、「自分が知っているかどうか」「有名人かどうか」だけである。

誰を選べば分からない状況になればなるほど、その傾向はいよいよ強まっていく。

しかし、その人間がふさわしい人間ではなかった場合は、最終的には世論が批判的になって引きずり降ろされる。そして、また選挙になって、無駄な時間が費やされる。

その人間がその地位にふさわしいかどうかは、実は選ぶ前から慎重に候補者を見ていれば分かる。

言動に問題があったり、スキャンダルをいくつも隠し持っていたり、金で意見がころころ変わったりしているような人間である場合、それは過去を慎重に見れば必ずあぶり出されて来るものだ。

しかし、無党派にそのような合理的な判断は事前に働かないので、単に「知っている」だけで選ぶ。そして、スキャンダルが発生したら今度は手のひらを返して「叩きのめす」という不合理なことを繰り返す。

すべてに関してこのような「不合理」が世の中には蔓延しているので、ますます世の中を見通すことは不可能になっていく。

それならば、不合理な方を選べば当たるのかというと、そうでもない。なぜなら、「正解はひとつだが、不正解は無限にある」からだ。不合理の答えはひとつではない。

そのような理由で、世の中はどんどん混沌としていく。そして、合理的な人間であればあるほど、世の中の見通しを見誤り続けるのだ。

その結果、唯一当てることができる読みは「どちらに転ぶか分からない」という読みだけになる。

予言も予測も願望も、行き当たりばったりで当たったり外れたりする。当たると思えば外れるし、たまに当たることもある。ただし、当たり続けることは絶対にない。

それが、世の中で起きている「苦い真実」であり、それを肌で知るというのを「大人になる」という。

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