ベトナム戦争時における(米)韓国軍の蛮行

(資料・一部、衝撃的な画像があります。クリックで拡大)

■ベトナム戦争(1960年12月~1975年4月30日)韓国(韓国海兵隊)はベトナム戦争下で何をしたか。
韓国軍における大量虐殺問題・手口手法は、女、子供を問わず、強姦(レイプ)した挙句虐殺、武器も持たない、命乞いをする子供も射殺、妊婦の腹を踏みつぶし胎児が飛び出すまで踏み続ける、母親の前で子供の首をはね切り刻んで埋めた、など。

●参考資料・韓国陸軍による「ビンディン省攻撃」「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」「ライタイハン」「ゴダイの虐殺」「タイビン村虐殺事件」および「タイヴィン虐殺」と大量虐殺。グーグル検索

1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年12月から翌1966年1月までにビンディン省プレアン村、キンタイ村などを掃討、九つの村には化学兵器を使用した。

また同時期にプウエン省のタオ村で女性市民42人全員を大量虐殺した。

1966年1月1日から4日にかけてブン・トアフラとヨビン・ホアフラ地方では市民の財産を略奪したり、カオダイ教寺院を焼き払い、仏教寺院から数トンの貨幣を横領した。

ナムフュン郡では老人と女性7人を防空壕のなかでナパームとガスで殺害し、アンヤン省の三つの村では110人、ポカン村では32人以上の市民を大量虐殺した。

さらに韓国軍は1966年1月11日から19日にかけて、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省で400人以上のベトナム人市民を大量虐殺した。

1月23日から2月26日にかけては同ビンディン省で韓国軍が市民1,200人を大量虐殺した(タイヴィン虐殺)

1966年2月にはベトナムビンディン省タイビン村で韓国軍猛虎部隊が住民65人を大量虐殺した(タイビン村虐殺事件)

さらに2月26日には同ビンディン省で住民380人を大量虐殺したゴダイの大量虐殺が発生する。

1966年2月26日、南ベトナムビンディン省タイソン県(ベトナム語版)ビンアン村のゴザイ集落を訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団(猛虎部隊)は住民380人を集めると一時間のうちに一人残らず大量虐殺した。

韓国軍は女性137人、老人40人、子供76人を防空壕のなかへ押し込め、目を潰したり化学薬で大量虐殺した。

1966年3月26日から28日にかけて韓国軍はビンディン省の数千の農家と寺院を炎上させ、老若を問わず女性を集団強姦(レイプ)した。

同年8月までに韓国陸軍はビンディン省における焦土作戦を完了した。

さらにブガツ省では3万5千人のベトナム人が「死の谷」で大量虐殺された。

1966年9月3日には韓国陸軍第9師団(通称/白馬部隊)もベトナムに上陸する。

同1966年10月には共同作戦中の米軍と韓国軍が、ベトナム市民の結婚の行列を襲撃し、花嫁を含め7人の女性を強姦(レイプ)し、宝石を奪い、3人の女性を川の中へ投げ込む暴行事件が発生。

その後、メコン川流域で19人の少女の遺体が発見される。

こうした一連の韓国軍によるベトナム人への暴行・大量虐殺について韓国政府は1967年5月、アメリカが与えてくれた援助に対する「アメリカへのお返し」の意味と正当化した。

「またこのような韓国軍の活躍は、韓国民に対して韓国がアジア平定に寄与するという誇りの感情を与えるもので、またアメリカとの交渉においても韓国の立場を向上させるものである」と記者会見で答えている。

1968年2月12日、韓国海兵隊第2海兵旅団(青龍部隊)は南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で民間人大量虐殺事件を起こし、その日のうちにアメリカ軍・南ベトナム軍によって犯行が明らかにされていた。

2月25日に再び、同じクアンナム省のハミ村で女・老人・子供・135人を大量虐殺した。

韓国海兵隊により、3人だけを残して全員大量虐殺された村もあった。

大量虐殺方法は村民を広場に集め、一斉に射撃を加えたり、手榴弾を投げつけたりして実行された。

フォンニィ・フォンニャットの虐殺やタイビン村虐殺事件など、このような事件がたびたび引き起こされ、9000人以上が韓国軍の犠牲になったとも、あるいは、30万人を超す犠牲者数だったとも言われている。

このため、頭を痛めたアメリカ軍内部では韓国軍を完全な後方部隊とするかベトコンが完全に支配していて誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきであるとした検討が行われた。

同2月25日には同省ハミ村で村民135人を大量虐殺する(ハミの虐殺)。

韓国海兵隊とは、韓国軍の中でも海兵隊だけは全員、志願兵だけで編成されています。

●実際に海兵隊は、かつてベトナム戦争に派遣された折、無抵抗の村人たちを大勢、大量虐殺・強姦(レイプ)する事件を頻繁に起こしています。

詳細は被害に遭ったベトナム人たちの証言によって明らかになっています。

「海兵隊はまず村民のベトナム女性たちを集団で強姦(レイプ)し、その後で生きたまま井戸に放り込んで、命乞いをする彼女たちを無視して手りゅう弾を放り込んで殺すような残虐なやり方を好んで行っていました」

「韓国軍は、ベトナムの住民たち(大部分が女性と老人・子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して射殺した」

「韓国軍は、ベトナムの住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やした」

「韓国軍は、ベトナムの子供の頭を割ったり首をはね、 足を切ったり四肢を切断して火にほうり込んだ」

「韓国軍はベトナムの女性を強姦(レイプ)した後、殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰した」

「韓国軍はベトナムの住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させた」

「韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた」

「老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった」

韓国軍は村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段であったようです。

これは行った蛮行の一部にすぎません、なぜなら何十万の人は亡くなっていて「死人に口無し」なのですから。

またベトナムは美人が多く、女性の多くは韓国人によってレイプされ、強制的に韓国軍慰安婦にさせられた。

韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに「韓国人の残虐行為を忘れまい」という碑を建てて誓い合っているという。

ベトナム戦争終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団などの兵士が村の娘を強姦(レイプ)して軍法会議にかけられる事件が頻発している。

●ライタイハン

ベトナム戦争時、現地の婦女子に対して韓国兵が集団レイプをした際、その婦女子が出産したライタイハン(鬼畜韓国兵士とベトナム人女性の間の混血児)問題等々はベトナムとの間で未解決のままである。

詳細はウィキペディア、「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」「ライタイハン」「ゴダイの虐殺」「タイビン村虐殺事件」および「タイヴィン虐殺」「ハミの虐殺」等を引用および参照

 

フォンニィ・フォンニャットの虐殺

 

ゴダイの虐殺

 

タイビン村虐殺事件

 

タイヴィン虐殺

 

ハミの虐殺

 

ライタイハン

 

アメリア軍による、ソンミ村虐殺事件

ソンミ村虐殺事件

英:Son My massacre、My Lai Massacre、は、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を虐殺した事件。ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな批判の声が起こってアメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。

※注意 ここには凄惨な遺体の画像があります。

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