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佐村河内は昔から嘘つき!“発掘”プロデューサー大倉氏激白

大倉百人氏

大倉百人氏【拡大】

 佐村河内氏は30代後半から世界的な名声を得ていたが、譜面も書けず、楽器も弾けなかったのを知っていた大倉氏。それだけに「嘘だろという感じ。違和感ありました」と疑っていたという。

 昨年、佐村河内氏の公演の楽屋で25年ぶりに再会したが、「成功した人の足を引っ張ることもしたくなかった」と簡単なあいさつで別れたと明かした大倉氏。最後は「ちゃんと事情説明して、もう音楽はやらないでほしい」と訴えた。

★公開プレゼン、派手なアクションで熱唱

 サンケイスポーツは1988年5月31日付紙面で、佐村河内氏の公開プレゼンを報じた。無名の新人歌手のレコード会社への“せり”と位置づけ、大倉氏の「磨く価値がある原石と直感した」というコメントを紹介。レコード会社9社の関係者のほか、約100人の観客も入り、佐村河内氏は派手なアクションでオリジナル曲を歌唱。「国内では目標にする人はいません。いまの日本のロックにないパワーを見せたい」と意気込みを語っていた。

(紙面から)