ゴーストライターに作曲させていたことが発覚した佐村河内守氏【拡大】
20代の佐村河内氏を知る大倉氏。ゴーストライター問題についてこの日、サンケイスポーツの電話取材に開口一番、「なるほど、彼なら腑に落ちる、と思いました」と切り出した。
大倉氏は1988年2月、知人の紹介で出会った佐村河内氏からデモテープを受け取った。30歳で左耳、35歳で右耳が不自由になったとされる同氏は24歳だった。
大倉氏は新沼謙治(57)の代表曲「津軽恋女」などのヒット曲を手がけ、当時の佐村河内氏を「声はいいものがあった」と評価。同年5月30日にレコード会社9社を集め、デビューへ向けた公開ライブを行った。
その後2、3社が契約を持ちかけたが、「直後に弟さんが亡くなったり、彼自身の“問題”もあり、(オファーを)詰めることなくやめました」と振り返る。この“問題”こそが虚言癖とし「すぐ嘘をついていた。このまま彼に関わっていくと、こっちがヤバくなると感じた」と打ち明けた。
具体的な嘘の内容については「広島で暴走族のアタマだった、と言っていたけど、不良を装っていただけ。2人のときはおとなしかった。当時の宣伝用プロフィルも空手初段とあったけど、おそらく嘘」と推測する。嘘を繰り返す佐村河内氏を信頼できず、同夏に大倉氏から縁を切った。