杉原千畝FAQ集

本省からの指示に抵抗し、自らの良心だけに従ってリトアニアのユダヤ人難民たちに「命のビザ」を発給し続けた杉原千畝の功績は、近年ようやく広く知られるようになってきました。 しかし同時に、彼の人道的行為をあたかも当時の日本政府・軍部の意向に沿ったものであったかのように歪曲し、その正当化に利用しようとする策謀も一部「自慰史観」論者によって行われています。

『ユダヤ陰謀説の正体』(ちくま新書)の著者であり、日本および世界の反ユダヤ主義を研究されてきた松浦寛さんは、こうした杉原像の歪曲に対抗するために「杉原千畝FAQ集」を作成されました。 今回、松浦さんからこのFAQ集の公開許可を頂きましたので、ここに掲載します。


杉原千畝FAQ集 (松浦寛)

Q1   杉原領事の「命のビザ」は、「五相会議」決定のユダヤ人保護案という「日本政府の政策に従ったまで」ではないのか?

A1   ユダヤ人を差別しないことを決めた「五相会議」決定は、「第一次」近衛内閣の決定で、日独伊三国同盟の締結を前提として成立した「第二次」近衛内閣にとって、千畝の行為は、ドイツとの同盟締結を危うくしかねない反逆行為であった。
松岡外相との往復電信文の一部が、外務省外交史料館に残っているが、千畝の発給条件を無視したビザの大量発行を認めたものなど一通もなく、千畝がカウナスを退去した後でさえ、「貴電ノ如キ取扱を為シタル避難民ノ後始末ニ窮シ居ル」(9月8日付)と回電され、本省は執拗な怒りをあらわにしている。
千畝の行為は、ビザ発給に関する「人道問題」であり、「人種問題」とは関係がない。
なお、「五相会議」決定の原案策定者である、安江仙弘大佐(大連特務機関長)は、三国同盟締結の後予備役に編入、日米開戦の後、決定は廃止された。

参考文献 

  • 白石仁章 「いわゆる“命のヴィザ”発給関係記録について」 (『外交史料館報』第九号、1996年3月)『外務省執務報告』亜米利加局、第三巻、昭和14年(クレス出版)
  • 安江弘夫 『大連特務機関と幻のユダヤ国家』 (八幡書店、1989年)

Q2   千畝の免官が「訓命違反」によるものであれば、戦前在欧の時点で解職されていたのではないか?

A2   これは、千畝がリトアニアに派遣された最大の目的が、緊張高まる独ソ間の情報収集にあったことを理解しないことに由来する誤解である。
ロシア語で書かれた報告書に、千畝は、参謀本部が外務省に働きかけ、「ドイツ軍進攻の速やかで正確な特定を要請した」とある通り、国家存亡にかかわる情報収集が最重要事柄であり、当時の外交官としては、ビザ発給は二次的な仕事であった。

参考文献

  • エヴァ=パワッシュ・ルトコフスカ他 「第二次世界大戦と秘密諜報活動--ポーランドと日本の協力関係」 (『ポロニカ』1995年6月号)

Q3   ヒレル・レビンの『千畝』(清水書院)に、諜報活動の「見返り」に、日本の高級将校の後援で、千畝がビザ発給したとあるが、これは事実か?

A3   諜報活動の「見返り」としてポーランド亡命政府の将校と家族に発給されたのは「15名」分(『ポロニカ』p.30)であり、ユダヤ難民への大量ビザ発給は、「余分なこと」であった。 レビンが挙げている将軍の内、小野寺信少将のストックホルム着任は、いわゆる「命のビザ」発給の翌年であり、樋口季一郎少将とは、戦後も含めて一面識もない。
日本語の読めないレビンの著作は、杜撰きわまりないものであり、翻訳にも各所に小細工が施され、問題多いものである。
類書との相違は、枚挙されるインタビューだが、このインタビューには実際に行われたものでないものがあり、その中には杉原夫人のものまで含まれている。

参考文献

  • 渡辺勝正 『真相 杉原ビザ』 (大正出版、2000年)
  • 松浦寛 「捏造される杉原千畝像」 (『世界』 岩波書店、2000年9月号)

Q4   千畝以外の日本外交官にも、ナチスに追われたユダヤ難民にビザを発給した者がいるという主張があるが、これは本当か?

A4   本当である。しかし、この場合は、難民たちが、身分証明書・相応の所持金携帯(旅費など)・入国ビザの取得など発給条件を満たしていた。 こうした発給条件を無視して、自己の生命と進退を賭して、ビザ発給を決断した日本外交官は、杉原領事だけである。
リトアニアに逃げ込んだ難民たちは、ナチスに追われ、着の身着のままで、戦時下預金閉鎖ため貯金を引き出すこともできなかった。 ここで千畝がユダヤ人社会の実状に通じていたことが幸いした。 千畝には、難民たちが日本に着くまでに、「ジョイント」委員会など難民救済のためのユダヤ組織が滞在費や旅費を調達し、受け入れ国を手配することが、あらかじめ予測できたのである。
問題はもう一つあり、ソ連に併合され、名目上「ソ連市民」になったユダヤ人の出国は、反ソ的行為と見なされるおそれがあった。しかしこれも、千畝の抜群のロシア語能力と卓越した外交手腕で切り抜けることができた。
ウラジオストク領事に、ハルビン学院の同窓生、根井三郎が存在したのも僥倖だった。根井は、「杉原ビサ」の紛失者に再発行したり、条件不備のユダヤ難民への渡日乗船のための検印押捺を禁止する、本省からの厳命に対して、杉原領事が一度発行したトランジットの無効を宣言することは、「帝國在外公館査証ノ威信ヨリ見ルモ面白カラス」と、これを斥け、独自の判断で難民たちを乗船させた。

参考文献

  • 中日新聞社会部編 『自由への逃走--杉原ビザとユダヤ人』 (1995年)
Q5   ドイツからの移民希望者を乗せた「セント・ルイス号」の着岸を拒否したアメリカに比べ、ナチスのようにユダヤ人を迫害せず助けた日本は、アメリカなどより立派だったとの小林よしのり氏らの主張があるが、これは妥当か?

A5   これは、移民対応に関する日米現代史に関する無知からくる、誤った主張である。
日本政府の名で発行されたのは、「通過」ビザに過ぎず、このビザは居住権を前提としていない。移民法改訂によって大幅に割り当て人数を削減したとはいえ、1931年から1945年までの間に、256,538名(モーリス・カープの調査結果)のユダヤ系「合法移民」を受け入れている米国と日本の対応は、そもそも比較にならない。

参考文献

  • 綾部恒雄編 『アメリカの民族集団』 (日本放送出版協会、1978年)
Q6   1998年、ロサンゼルスのホロコースト記念館に、「在カウナス(リトアニア)領事代理時代の杉原氏の執務中の肖像写真」(5月7日付『産経新聞』)が贈呈されたとの報道があった。贈呈者の藤原宣夫氏らは、千畝の「行為が『日本政府に反抗して』と誤って伝えられたことがいけなかった」(日本会議機関誌『日本の息吹』1999年9月号)とし、政府後援説を「日本の誇り」などとしているが、この主張は正しいか?

A6   まったくの誤りである。千畝の行為に、繰り返し本省が反対したことは、外務省外交史料館に保存されている往復電信文にある通りで、政府後援説が誤りであることは、同館職員の白石仁章氏が確言している通りである(Q1の参考文献参照)。外交官の「訓命違反」が国策であったなどというデタラメな議論は、「子供だまし」にもならない。
また、藤原氏らの持ち込んだ肖像写真は、左上にある難民の写真で、もともとその下にあった満州国を含む中国地図を隠した偽造写真である。
ホロコースト記念館のエイブラハム・クーパー氏が、731部隊関係の情報開示を目的とした「ファインスタイン法」の支持者であることを考えれば、「満州時代のもの」を「カウナスのもの」などと同氏を欺瞞し、歴史を偽造した藤原氏らの行為は、悪質である。
日本の国際的信用に取り返しのつかないダメージを与え恥じることのない藤原氏が、「日本の誇り」を云々するのは笑止であり、たとえ遺族でなくとも怒りを禁じ得まい。また、本来原版が杉原家に所蔵されている件の写真は、杉原夫人にさえ許可無く転載されたものであるという。

参考文献

  • 渡辺勝正、前掲書


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