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カスタマーレビュー

111 人中、78人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 【ネタバレ】 悲しいことが書かれている本。【ネタバレ】, 2013/7/9
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レビュー対象商品: 浄土真宗は仏教なのか? (単行本)
【ネタバレ】

 著者は浄土真宗本願寺派の寺院に育ったが、真宗の教えでは救われない日々を歩んでいた。

 その後、縁あってテーラワーダの教えに出会った著者は、テーラワーダこそが唯一で真実の本当の仏教であったことを知り、以後、アルボムッレ・スマナサーラ師に師事するなどして、今は幸せな日々を送っている。

 著者の立場からすれば、浄土真宗には救いの要素がなかったということであり、また、テーラワーダこそが、著者が救われる唯一の教えであったということなので、それはそれで良いのだと思う。しかし一方で、著者には理解も納得もできなかったし、もちろん聞くことも今のところ出来ていないようだが、浄土真宗は浄土真宗できちんと仏教なので著者のように心配してくれなくてよい。心配しているとか憂えているとか言いつつ「誹謗正法」をされるのは、かえって迷惑である。

 著者はこの本で終始一貫して、釈尊の直説以外は真実の経ではない、偽経である、という立場を取り、また、そこから、すべての大乗経典を「偽経」であると主張しているが、これはかなり特異な論である。従来、偽経とは「中国成立の経」をさす仏教用語である。釈尊の直説でなければ真実の経ではないということならば、最初期に成立した『阿含経』にさえ後代の影響が皆無ではないのだから、そしてなにより釈尊の「直説」をもとに編集された経はあっても(従来の「偽経」以外のすべての経がそうだが)「直説」そのものの経は現存しないのだから、すべての経が著者の文脈では「偽経」であることになってしまう。これでは著者の論は自家撞着を起こしている。

 また、仏教は釈尊の教説を元にした、仏による、人が仏に成る人のための教えであって、「釈尊の説いた教」だけで成立しているわけではないので、大乗仏教のすべてが仏教ではないとする著者の主張もあたらない。もちろん、大乗経典群やそれ以降の各論釈の中から、現在のテーラワーダから正しいと認定される教説だけを取り出してお墨付きを与えようとする行為にもはっきり言って何の意味もない。また、釈尊が仏陀たり得ているのは釈尊みずからの名乗りもさることながら、他仏との相互の想念が事実であることにもよるし、また、ジャータカが、著者が大乗を蔑んで言う「物語」、真実の物語であるからにほかならないことにもよる。

 本の後半では、著者は自分の真宗理解を示し、これではだめだ! 的に言う。もちろん著者の理解しているような真宗ではアルティメットにだめである。そんな真宗に意味はないし、存在価値もないだろう。しかし著者はまったく真宗を理解しておらず、真宗でないものを真宗だと言ってダメだししているに過ぎない。理解していないものを非難してもそれは無意味であるし、それがテーラワーダによる無理解の真宗非難であるなら完全無欠のカテゴリエラでもある。なぜそんな単純なことに著者は気づかないのか。とても不思議である。ひょっとして知っていてやっているのか。いやそんなことはないと思うのだが。

 ただ、浄土の真宗を生きる者として、反省せねばならないのは、他のレビュアの方も言及していたが、そしてこのレビューの冒頭にも書いたが、真宗の僧侶が、自分は真宗で救われない(と勘違いしている)という現実がままあるということである。著者もその一人であるが、これは「よくあること」なのである。真宗としては猛省を迫られているところである、それも、もうずっとしばらくは前から。これは真宗のなにも僧侶に限らない問題である。

 真宗と関係ない(と思っていた)ところで育った人が真宗に魅力を感じて真宗者になる場合もある一方で、真宗と関係の深いはずの人が、育つにつれ、真宗と疎遠になるという悲しいことも、結構起こっているのである。真宗はここを反省しなければならないだろう。これは、著者が非難している安心論題等のいわゆる「伝統教学」の面白さ、奥深さ、現実の自分と直結するすごさなどがまったくその外に広がっていかないのが問題の一つであると思うし、逆に、社会的な「不善」や「差別」などに立ち向かおうとする少なくない僧侶が伝統教学をどちらかというと軽んじている傾向にあるのもその一因であろうと、僭越ながら、勝手にそのように思っている。

 わたし自身、かつては自分自身が、真宗には真実がないように誤解し、そのような真宗寺院を後継していくことに忸怩たる思いをしていた時期があったので、真宗の真実を理解していない・理解しようともしない著者の現状は他人事ではないと思う(※わたしの場合はその誤解は払拭されている。著者も悩んでいる「信心」がやはり、難しいというか、自分で得手勝手に「理解」しようとすると、そのまま聞けなくなる。なお、わたしは浄土真宗本願寺派の僧侶である)。正直なんとかしたいと勝手に思ったりもする。

 しかし、一方で、わたしは、自分が仏に成る真実の道だけが真実の道であり、他の仏道は真実の道ではない、ということでは ない と知っているので、今の著者がテーラワーダで幸せならば、それで良いのかなと思うことで、折り合いをつけようとすることにした。(>_<。)

 仏に成るための唯一の真実の道というのは、かならず「わたしにとっての」という言葉が自覚的に実存的に冠されなければ無意味であるし、仏をおとしめることになってしまう。とかく「真実」と「善意」と「正義」が世界を苦しめるのである。それに対し、『七仏通誡偈』にも「自浄其意(自調伏其意)」とあるように、自身が絶対だと思うことと対極の自分として歩めとすすめるのが仏教である。(書いていてヒィィィと思う。わたしはそのように歩めているのか……?)

 本当にもったいないと思う。著者にも阿弥陀仏の救いは届いている。
 藤本さん、真宗を、知ってください。仏教を、知ってください。

 泣いたり、怒ったりしながら読了した。また、怒ったり、泣いたりしながらレビューも完了する。
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このトピックの全投稿18件中1件から10件までを表示
最初の投稿: 2013/07/17 7:13:23:JST
門徒さんのコメント:
南無阿弥陀仏

前の投稿への返答(返答日時: 2013/08/02 22:16:32:JST )
ちひさんのコメント:
なんまんだぶ。

投稿日: 2013/08/13 22:19:49:JST
毎日さんのコメント:
大乗の心と言う物を心底体得しえないままテーラワーダの表面的な分かりやすさに堕してしまっただけです。そもそも原始仏教に立ち返るなら、論争など仏の教えとは無縁なり!
泣かれるのは無意味です。

前の投稿への返答(返答日時: 2013/08/14 17:51:28:JST )
ちひさんのコメント:
ありがとうございます。
大乗を馬鹿にしているのみならず大乗を大乗の文脈では理解もしようとなさっていないので、もちろん真宗を真宗の文脈で理解しようともなさっていないので、かつ、それで良いと開き直っていらっしゃるようなので、もう、どうにもならないなあと思います。
おそらくはテーラワーダも、わたしには不可能ですがわたしの知る限りではこの本の著者のような路線の主張が到底出てくるものではないはずの素晴らしい教えなので、著者はきちんと理解しているとはひょっとすると言いがたいのではないかと思ったり思わなかったりの今日このごろです。
しかし何より、仏教はお釈迦さまの直説でなければ駄目だと主張するならご自身の主張の主要な部分がぜんぶ崩壊していくのにそんなこともわからないというのには心底びっくりしました。スタート地点と方向性を誤った勉強だったらせんほうがましなんじゃないかとさえ思いました。いや、でも人生『ダンデライオン』みたいなもんだから、無意味な勉強はないのかもしれません。よくわかりません。ただこの本には無駄が結実しているというのは厳然たる事実。

泣けたのはしかし、無意味でもなんでも本当に泣けてしまったので、仕方ないのです。

なんまんだぶ。

前の投稿への返答(返答日時: 2013/08/16 15:18:09:JST )
毎日さんのコメント:
私は真宗門徒として生まれながら、今は先祖が供養された禅宗の在家なのですが、大乗の心とは仏の慈悲なかりせば祖師の西来無し、と言う道元禅師の言葉で達観しました。
上座部をもてはやす論が多い近頃ですが、上座部が根本分裂の原因を作ったのをさておいてはならないと思います。テーラワーダはまさに上座部、と言う意味ですが、彼らは阿羅漢で悟りは終わり、だと言って仏陀崇拝を作った元凶であり、大乗はそうではない、人は皆道に生きるべきであると言うゴータマのそもそもの教えを追求したのです。

それが空の教えであり、中観となって北伝仏教に結実しました。全ての仏教にはゴータマの教えが内在しています。ゴータマを仏陀として崇める事よりゴータマが死の時まで諭した「努め励め」と言う言葉こそ仏教の真髄であり、悟りを終点とするのはヒンドゥー的な自己満足でしかありません。

大乗は慈悲の教えです。他よりも己を大事とする者には理解も救いも無いでしょう。慈悲深きチヴィさんに幸いあれ…

前の投稿への返答(返答日時: 2013/08/16 21:10:08:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2013/08/16 21:13:43:JST)
ちひさんのコメント:
ありがとうございます。
ただ、上座部が分裂のきっかけを作ってくださったので、それで今の仏教がひらかれ、大乗がひらかれ、阿弥陀さまの救いの真実をわたしが知ることができたわけなので、そんなに悪くだけ言うことは、わたしには出来ないかなとも思います。
しかし、お釈迦さまの時代のお釈迦さまの直説がまっったくそのまま、仏教の他の方面や他の分野の発展の影響をまっったく受けずに残ってきたものが仏教だ! それ以外は仏教じゃない! と考える藤本さんの、根本から間違った考え方、これは、どうにかならんのでしょうかね。

ぶつぶつ。なまんだぶつぶつ。

投稿日: 2013/08/21 20:42:43:JST
諸行無常さんのコメント:
決まったフレーズをオウム返しするだけで事足りる真宗教学。
それだけを学び、それしか持っていないので、それだけが真実だと信じていないと自分を支えられない人々。
でも、ウソで自分の耳をふさぐのはもうやめよう。真実から目をそむけるのはもうやめよう
「ちひ」氏たちは、目を閉じ耳を塞いで悪口を言うだけではなく、この本の内容を読んで、それが正しいかどうか調べてはどうか。
これまで知らなかった世界を知ろう。
無知の井戸から、大きな世界に出てみよう。
「ちひ」氏たちに例題を出します。他力とはなんですか?
「他力とは如来の本願力なり」では「ま、そりゃそうでしょう」で終わり。それは「私」にとって何の関係もない。
他力が、私にどう関わるのですか?
藤本氏は、他力とは無我力である、と言っている。それが正しいかどうか、判断できるかな?
悪口を言いながら目を逸らすより、素直に問題に取り組む方が、自分が成長できますよ。

前の投稿への返答(返答日時: 2013/08/21 21:20:06:JST )
ちひさんのコメント:
[多くのお客様がこの投稿は参考にならなかったと投票しています。 投稿を表示する. 参考にならない投稿をすべて表示する.]

投稿日: 2013/08/22 7:10:05:JST
諸行無常さんのコメント:
出ました、真宗名物、問い返し。
「他力って、どういうものですか?」と信者に問われたら、
にっこり笑って、「あなたはどう思いますか?」と
まず相手の反応を探る。
「いやあ、よく分からなくて」と相手は意表を突かれて困る。
「そうですよね。他力は難しいですよね。でも、そんな他力があなたにも届いているのですよ」と、煙に巻いて終わり。
私は最初にコメントした通り、この本の内容を理解し、支持している。
真宗を知らない、仏教を知らないとコメントできるほどの「ちひ」氏の真宗理解が知りたいだけ。
「ちひ」さんにとって、他力とはなんですか?
「無我力」をどう理解しますか?

前の投稿への返答(返答日時: 2013/08/22 18:08:44:JST )
投稿者により編集済み(最終編集日時:2013/08/22 18:16:19:JST)
ちひさんのコメント:
> 決まったフレーズをオウム返しするだけで事足りる真宗教学。

真宗の学びは、「決まったフレーズをオウム返しするだけで事足りる」ものでは全然ありません。真宗をきちんと学ばない方にはそのような誤解も多いです。かく言うわたしも以前はそのように誤解しておりました。恥ずかしいです。

興味がおありでしたら諸行無常さんも一緒に学んでみませんか? テーラワーダとはまったく違う、それでいてしっかりした仏教です。もちろんテーラワーダの文脈では理解できません。それはテーラワーダが真宗の文脈では理解も実践も出来ないのと似ていると思います。テーラワーダはテーラワーダの文脈で理解する限りでは、素晴らしい仏教ですね。

> それだけを学び、それしか持っていないので、それだけが真実だと信じていないと自分を支えられない人々。

うーん。

藤本さんもそうでしたが、諸行無常さんも、わたしが真宗の僧侶というだけで、かつ、藤本さんのこの本を残念で悲しい本と読んだというだけで、なぜ真宗の教義教学や宗学、大乗仏教以外は、宗教や世界や仏教について何も知らないし知ろうともしていないと決定してしまうのでしょう。

藤本さんは、わたしとWeb上で接する中でわたしがそういう感じではないことも知られたと思います。それなのに、なぜ、第一印象が間違っていることがわかったのに、それを更新しようとしないのか、とても不思議です。

でも、そもそも藤本さんの真宗に対する第一印象が真宗の事実を理解したものでは全然ありませんし、本にもありましたが、その機会はあったのに、それを更新しようともなさっていないので、さもありなんという感じではあります。しかし何度も申しますが、非常に残念です。

> でも、ウソで自分の耳をふさぐのはもうやめよう。真実から目をそむけるのはもうやめよう

ウソとはなんですか? この本には事実と異なる真宗理解が示されているのは再三指摘している通りです。藤本さんはこの本で大乗を「嘘」「偽物」「偽作」「パクリ」「騙り」「盗品」と決めつけていますが、その決めつけの内容は事実と異なります。

> 「ちひ」氏たちは、目を閉じ耳を塞いで悪口を言うだけではなく、この本の内容を読んで、それが正しいかどうか調べてはどうか。

同じ本を読んで自分と同じ見解にならない人を「目を閉じ耳を塞いで悪口を言う」と表現したくなる気持ちはわからないでもありませんが、それも事実とは異なります。藤本さんのこの本の真宗理解と仏教理解は間違っているとわたしはレビューで書いております。

わたしはこの本をちょっとだけ(まえがき&あとがき、そして素読)読み、ひどく残念な本だと思い、その感想もどきをブログに書いたところ、藤本さんご本人と思われる、「著者」を名乗る方から、ブログに何度かコメントをいただいて、それをご縁として、最初から最後まで、精読をさせていただくこととなりました。そうしましたら、第一印象に違わない、まったく残念な本のままでとうとう終わってしまいました。なお付録は読んでいません。

その後、藤本さんは、Twitter上では、わたしのブログの各レスポンスをまったく読まないような、読んだのだとしても理解していらっしゃらないような、一方的で、繰り言に過ぎないメンションを寄せられました。わたしが答えた内容を受け取らずに同じ質問をなさる。その質問も、質問の体裁の持説のゴリ押しでした。それではまったく対話になりません。というか、自分の言いたいことだけを何度も言うだけ言って対話になると考えるのは間違っています。そんな感じなので、その後の会話はかなり不調となっております。

> これまで知らなかった世界を知ろう。

残念ながら、この本は、わたしが今まで知らなかった世界を知らせてくれる本ではありませんでした。面白い部分もありました。第四章。『浄土三部経』諸本を(たぶん)網羅的に参照しつつ論じ浄土往生の方法を探ってくださっています。ただテーラワーダ的にはまったく無駄な考究なので、変だなあと思っています。藤本さんは真宗をこじらせることがご縁となってテーラワーダに出遇われたのでしょうね。

「大乗非仏説」も目新しい論ではありません。岩波のジュニア新書にも出て来ますし、バウッダにも出て来ます。かつ、それらには、藤本さんの主張が主張に過ぎないことが明らかにされています。また、明治から言われたのではなく江戸時代からであることにも触れられています。(岩波の方はバウッダを参照しているのかもしれませんね。)

> 無知の井戸から、大きな世界に出てみよう。

諸行無常さんはわたしを無知だと決めていらっしゃるのですね。たしかにわたしは無智であり、無明の中におりますが、諸行無常さんがわたしを無知だと決める、その根拠をうかがってもよろしいでしょうか。

> 「ちひ」氏たちに例題を出します。他力とはなんですか?

例題ですか。答えさせていただきますね。(^o^)
っていうか何んか笑ってしまいました。スミマセン。
他力は諸行無常さんもご存知のようにまさに如来の本願力です。仏力です。

> 「他力とは如来の本願力なり」では「ま、そりゃそうでしょう」で終わり。それは「私」にとって何の関係もない。

そこにある「「私」」というのは、いったい誰のことですか?

仏教は自分の問題です。

ちひには関係があります。

諸行無常さんには関係がないのですか?

それはつまり、他力と関係ない仏教を生きていらっしゃるということなのでしょうか。
でしたら、それは仕方のないことだと思います。

> 他力が、私にどう関わるのですか?

その「私」は諸行無常さんのことでしょうか。でしたら、さきほどご自身で「関係ない」と明言されていらっしゃいます。関係ないとご本人がおっしゃるなら、関係ないのでしょう。わたしとしては、そうとしか答えようがありません。

仏教は自身の問題です。わたしには他力が密接に関わっています。諸行無常さんには関わっていない。それで終わりだと思います。

> 藤本氏は、他力とは無我力である、と言っている。それが正しいかどうか、判断できるかな?

(語尾がなぜ「かな?」なのでしょう。わたしは先ほど無知認定され、今度はどうも子ども扱いされているのですね。ひょっとしてわたしのことを馬鹿にしていますか?)

藤本さんのおっしゃる「無我力」は諸行無常さんにどう関わっているのですか?

これ ↑ が前回の一言返信です。

わたしがなぜ問い返したのかというと、自分と関わるのが仏教だからです。

すべてそうだと個人的には思っていますが、宗教は、自身の世界理解と、世界への自身の位置づけです。自分がないままで問いを発することはできません。逆に、自身と関係のない問いは本当に関係のない問いになります。

諸行無常さんにとっては「無我力」という言葉が重要であるようなので、ではその言葉と自身との関係はどうなっているのかを問うたのです。自身がどこにあるのかをはっきりさせずに問う人は宗教をただの知識だと思っている場合が多いように思います。しかし宗教は全人格的な関わりを余儀なくされる知識と実践の体系の総称です。自分を棚上げにして宗教と関われるものではありません。

諸行無常さんのテーラワーダ的な世界では「無我力」とご自身との間にはどのような関係や意味があるのですか。

> 悪口を言いながら目を逸らすより、素直に問題に取り組む方が、自分が成長できますよ。

わたしはいつ悪口(わるぐち)を言いましたか。
わたしは何から目をそらしたのですか。
そして
諸行無常さんがおっしゃる「問題」とは何ですか?
また
テーラワーダから真宗を理解することが無理であることを知らないで書かれた本を読んでも成長はしません。

以上、最初のコメントへのレスです。
以下、
「藤本さんのおっしゃる「無我力」は諸行無常さんにどう関わっているのですか?」
に対するレスへのレスです。

> 出ました、真宗名物、問い返し。

問い返しはわたしのクセです。なぜ「真宗名物」とおっしゃるのですか?
諸行無常さんは真宗や真宗の僧侶とどのくらい接していますか?

> 「他力って、どういうものですか?」と信者に問われたら、
> にっこり笑って、「あなたはどう思いますか?」と
> まず相手の反応を探る。
> 「いやあ、よく分からなくて」と相手は意表を突かれて困る。

真宗では信者とはあまり言いません、ご門徒と言います。
ご門徒から「他力ってどういうものですか?」と問われたら、たしかに「如来の本願力ですよ」と答えるでしょう。でもそれではわかりにくいと思うので、その後は、

> 「そうですよね。他力は難しいですよね。でも、そんな他力があなたにも届いているのですよ」と、

たしかに、そう答えるかもしれません。
届いているのは事実です。すばらしい回答だと思います。
まずはそのように答えるのが良いかもしれません。

しかし、

> 煙に巻いて終わり。

煙には巻きません。諸行無常さんのように自分の答を完全に用意して義を立てて聞いてくるのでなければ、なるべくわかるように説明させていただいています。

ご門徒さまは案外こういう話が好きみたいで、わたしは嬉しいです。仏さまの話をするのは楽しいです。しかしご存知のように真実を言葉で説明し切るのは不可能です。

藤本さんも冗談めかしておっしゃってますが、真宗とテーラワーダは「同じ仏教なのか?」と思うほど異なった教えです。ですから、わたしは、テーラワーダの文脈で真宗を理解することは不可能であると再三申しております。

藤本さんがなさろうとしているのは、野球好きな人がサッカーを見てあれこれ注文をつけているのに似ていると思います。同じ球技ですが、まったく違う。そんなことがわからないのは何故なのか。理解に苦しんでいます。ああ、本は理解してます。しかし、地の文が間違ってる本を「理解」しても無駄である。そのように思っております。実際、ほとんどまったく無駄でした。

> 私は最初にコメントした通り、この本の内容を理解し、支持している。

そうですか。わたしは理解したうえで、支持していません。理解すれば必ず支持することになる本ばかりではありません。それはご理解いただけると思います。

> 真宗を知らない、仏教を知らないとコメントできるほどの「ちひ」氏の真宗理解が知りたいだけ。

諸行無常さんの仏教理解と真宗理解の文脈では、わたしは真宗を知らない・仏教を知らないのかもしれません。それならそれで全然良いです。

> 「ちひ」さんにとって、他力とはなんですか?

阿弥陀如来の本願力です。

わたしを往生させるためにはたらく力です。

そういえば。『他力本願のすすめ』というひどい本があります。そのレビューに、わたしの他力理解は示しました。よかったら読んでみてください。

http://www.amazon.co.jp/review/R3UM72TX8UL8X8/ref=cm_cr_rdp_perm

> 「無我力」をどう理解しますか?

テーラワーダの文脈で阿弥陀如来の本願力を理解することはできません。藤本さんの真宗理解は誤っています。藤本さんが藤本さんの文脈で用いる言葉をどのように理解しても真宗の他力を理解することは不可能です。そのような悲しい文脈で語られた言葉として理解しています。

以上です。

なんでもおっしゃってください。

※ 投稿直後に、改行がひとつ足りなかったのと、「関係」を「兼継」と誤字していたのに気づき、修正しました。
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