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できごと
【西論】建国の物語さえ知らぬ高校生98%…わが国を素直に愛したい 大阪正論室長・河村直哉
淵源にはGHQ
以下は橿原神宮についていうのでなく、筆者なりの日本の戦後についての理解である。戦後、日本人は戦争にかかわったものを封印し、遠ざけた。あるいはそれらを一方的に罪悪視し、連続した歴史を持つべき国家をリセットしようとした。冒頭、建国の歴史について知っている高校生がわずか2人というのも、この断絶による。こうした消極的な忘却だけではない。積極的に建国の日に反対する集会が、いまだに開かれたりする。
アンケートで日本を建国したのはマッカーサーと答えた者がいたのは、冗談としても笑えないが、日本の戦後史の事実を期せずして語ってもいる。
昭和20(1945)年12月、GHQは国家神道を禁じたいわゆる神道指令を出した。表記を読みやすくして引くと、指令の目的は「再教育によって国民生活を更新し」「新日本建設を実現せしむる計画に対して日本国民を援助する」など。リセットである。神道に関する「あらゆる祭式、慣例、儀式、礼式、信仰、教え、神話、伝説、哲学、神社、物的象徴」が対象となった。いろんな場で、神々は遠ざけられていった。
昭和23年にできた祝日法で祝日の宗教色は薄められ、例えば11月23日の新嘗祭(にいなめさい)は勤労感謝の日となった。2月11日の紀元節も日本は祝日として残したい意向だったが、GHQは認めず、法から除かれた。
GHQだけが否定的だったのではない。日本が独立を回復してから建国記念の日を祝日に加えることが議論され再三、法改正案も出されたが、成立しなかった。反対の世論は根強かった。建国記念の日が祝日となるのは、ようやく昭和41年のこと。そのころ出された「紀元節問題」という冊子を見ると、「紀元節復活をかちとった右翼」「悪夢再現の日」などの文言がおどろおどろしく躍る。日本人自身によって、日本という国家は批判され否定されてきたといってよい。
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