広い中庭をアーチ形の回廊が囲む優雅な構造で知られ、ここ二十年ほどは現代アートの展示などでも親しまれていた江東区佐賀一丁目の「食糧ビルディング」が、間もなく七十五年の歴史に幕を閉じる。すでに六月に都内のマンション開発業者に売却されており、十月末までに大半の入居者が退去。来春には取り壊され、二〇〇四年秋には十四階建てのマンションに生まれ変わる計画だ。
同ビルは、明治時代の深川正米市場を起源とする。もとの建物は木造平屋建てで一九二三年に関東大震災で焼失したが、二七年に鉄筋三階建てのビルとして復興。五一年からは江東食糧販売協同組合が所有、最盛期には食糧関連の会社十数社が入居し、米穀類の取引の拠点としていた。
八三年には、かつて講堂だった空間に「佐賀町エキジビット・スペース」が開設され、二〇〇〇年に閉鎖されるまで、森村泰昌ら当初はまだ評価の定まっていなかった若手アーティストを中心に延べ四百人以上に表現の場を提供した。併せて複数のギャラリーが入居。さらに、建物の重厚な雰囲気が好まれ、テレビドラマやCMなどのロケ地としても頻繁に使われるようになり、同ビルは芸術文化を育み発信する拠点という新たな役割を演じるようになった。“米文化と芸術文化の融合期”だ。
しかし、やがて終幕が訪れる。タイル張りの外壁や上部が半円形の大きな窓――枚挙にいとまがない昭和初期のモダン建築の粋。だが、老朽化などのためその維持管理はもはや限界に達していた。同組合の大島順一理事長は、「組合のシンボルを手放すことは断腸の思い。しかし時代の流れでやむを得なかった」と話す。同組合は十一月からは墨田区文花二丁目に事務所を移し、「今後は米一本で地域社会への貢献を目指す」(大島理事長)。
十一月には同ビルにかかわった画廊主らが美術展を開催、また、十二月には地元の佐賀町会が“街のシンボル”へのお別れイベントを開くことにしている。
|