木徳神糧は、1882(明治15)年の木村徳兵衛商店開業以来コメとともにあゆみ続け、日本の食生活を支えるリーディングカンパニーとして2012年に創業130周年を迎えます。
本コンテンツでは、これまでの130年のあゆみをご紹介します。木徳神糧をもっと身近に感じるとともに、ご理解をさらに深めていただけたら幸いです。
> 連載第1回 社名の由来 | |
> 連載第2回 木徳神糧の歴史 創業期(明治) | |
> 連載第3回 木徳神糧の歴史 興隆期(大正) | |
> 連載第4回 木徳神糧の歴史 復興期(昭和) | |
> 連載最終回 木徳神糧の歴史 発展期(平成) |
1886年(明治19年)に深川区佐賀町に開設された東京廻米問屋市場は、それから正米取引の中心となったため、 2代目木村徳兵衛は1894年(明治27年)に本店を同町内に新築・移転しました。その後50数年間にわたり、本店所在地として歴史を刻んでいきます。
本店を移転し商売も益々順調に進むかに思われましたが、この年7月の日清戦争の勃発で、農業労働力が戦争に駆り出されたため、翌年から米の生産量が急速に減少していきます。これにともない、米の相場も大きく変動します。さらに1897年(明治30年)は大凶作となり、この年を契機に米の需給調整が輸入米で行われるようになります。
翌年の1898年(明治31年)は逆に気象条件が良く豊作の見通しとなったため、8月以降の正米相場は急速に下がっていきました。 2代目木村徳兵衛は米の収穫期を迎えた秋に、米穀問屋仲間と共同で商米の買い付けを行いましたが、その後も下落が止まらず、正米取引で大損失を出してしまう結果となりました。しかし念のため、自分の持ち分について清算取引※で売りつないでいたため、正米の損失分を補った上、さらに利益が残る結果となりました。
この時、 2代目木村徳兵衛は、米のような相場変動の激しい商品の場合、いかに経験と知識があっても、投機的な取引をすると一瞬にして大損失を招くという危険性があるので、わずかであっても利鞘を取る商売に徹することが真の商売であると悟りました。
この経験から、「商売は安全で堅実であることが第一で、投機的な商売をしてはならない」ということが店是となりました。
その後、商売はさらに発展し、明治42年(1909年)には、東京廻米問屋組合の幹部である行事に就任、業界の発展にも力を注いでいくことになります。
米の現物を売買する正米取引に対して、現物を伴わない取引として清算取引がある。清算取引で売買の対象となる米を、一定期日に清算することから、正米に対し「定期米」または「期米」という。清算取引を行いたい人は、米穀取引所を相手に定期米の売買を行った。