小泉純一郎元首相(左)は大雪に見舞われた8日の選挙戦最終日も街頭演説に立ち、細川護煕氏とともに聴衆に手を振った =東京都新宿区(小野淳一撮影)

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小泉純一郎元首相(左)は大雪に見舞われた8日の選挙戦最終日も街頭演説に立ち、細川護煕氏とともに聴衆に手を振った =東京都新宿区(小野淳一撮影)

 「原発ゼロ」は是か非か−。

 細川護煕元首相を支えた小泉純一郎元首相が二者択一で都民に判断を迫る戦法は不発に終わり、「小泉劇場」は幕を下ろした。(高木桂一、中尾治生)

 小泉氏は9日夜、細川氏落選が伝えられた後、陣営事務所に姿を見せることなく直筆の談話を発表した。

 「残念な結果だが、細川氏に敬意を表する。これからも『原発ゼロ』の国造り目指して微力ですが、努力を続けてまいります」

 小泉氏は1月23日の告示日直前に「原発ゼロで日本は発展できると考えるグループと、原発なしでは発展できないと考えるグループの争いだ」と宣言した。首相時代の平成17年、郵政民営化の是非を争点に衆院解散・総選挙に踏み切り、大勝した手法を持ち込んだ。

 舛添要一元厚生労働相を支援する自民、公明両党などを「抵抗勢力」に仕立てるかのような狙いも透けて見えた。「私はいつ死んでもいい」「老人だって大志を抱いていい」…。街頭では、首相時代さながらのワンフレーズも健在だった。

 しかし産経新聞社が2月1、2両日実施した世論調査では有権者が重視する争点は「景気と雇用」と「少子高齢化や福祉」に集中し「原発・エネルギー問題」は約1割にとどまった。

 焦ったのが当の細川氏だ。告示日の第一声で街頭演説の8割を「脱原発」に費やしたが、2月2日は約2割に激減させ福祉など別のテーマに軸足を移した。

 小泉氏は選挙戦終盤に「若い人に細川さんを薦めてほしい」などと若年層を意識した演説に微妙に修正したが、原発の是非の争点化に固執した。「細川氏苦戦」の報道には「街頭の反応と全く違う」と強弁し、土壇場まで「勝てる」と周囲に語っていた。

 だが「原発ゼロ」は都民の信任を得られなかった。「ケンカ上手」という小泉神話は崩れ、「もう過去の人」(自民党幹部)との印象も拭えなくなった。それでも小泉氏にとって都知事選は“宣戦布告”にすぎず、今秋予定される福島県知事選や来春の統一地方選が「本丸」との見方も強い。来秋の自民党総裁選で反原発派の擁立を促し支援する構想もささやかれる。

 「人生の本舞台は常に将来に在り」。小泉氏は講演で「憲政の神様」と呼ばれる政治家、尾崎行雄の言葉を好んで用いてきたが、その思いはついえないようだ。

 むろん、都知事選で仕掛けた「原発ゼロ」ムーブメントのトーンダウンは避けられそうにない。昔日の人気と勢いは望むべくもない小泉氏の「将来」は限りなくおぼろげだ。