特定秘密保護法と「社会的なるもの」

積み残された問題点

 

特定秘密保護法は完成された法律だと言えるのだろうか。これまで述べてきた通り、国会内での修正を経て問題が改善された部分も多いのだが、残念ながら十分に良くできた制度にはなっていないというのが正直な評価だろう。

 

それは、制度として構築された通りに現実が動作しているかを検証し、必要であれば修正するシステムが欠けているからである。言い換えれば、設計図としてはまあ一応は成立しているのだが、建築施工がその通りにされているかがよくわからない、誰がそれを保証するのかが十分に考慮されていないという問題である。

 

この点も国会内で修正が加えられた部分であり、一定の仕組みが盛り込まれてはいる(第6章)。すなわち特定秘密の指定・解除や適性評価については政府により統一的な基準が定められるし、その基準を定める際には有識者からの意見を踏まえて閣議決定が行なわれる(18条1・2項)。また総理大臣は毎年この制度の運用状況について当該有識者に報告して意見を求め、問題があるときは責任者として改善を指示することになっている(同3・4項)。国会に対しても、有識者からの意見を含めた運用状況の報告が毎年行なわれ、その内容は公表される(19条)。

 

だが前述の通り特定秘密保護法が第一義的には行政機関の職員を縛るための制度であるところ、総理大臣というのは本来その行政組織の親玉なのであり、それが責任をもって制度を適切に運営するというのは(安倍総理自身はそのような趣旨の答弁を国会でも繰り返していたけれども)いわば「泥棒に縄をなわせる」ものにほかならないと指摘されるだろう。

 

特定秘密に指定される件数が(衛星写真などが個別にカウントされることもあって膨れ上がっているにせよ)30万件台になるだろうと予測されている状況で、多忙極まる総理大臣に個別の指定・解除の適切性を評価・判断する余裕があるとも思えない。

 

とくに秘密保護制度については、その指定から解除に至るまでが国民の目から隠されている(そのための制度である)。利害関係のある国民やNGOなどの有志による監視・問題の指摘・訴訟提起による救済の要求といったメカニズムの働きに期待することができない以上、構築された制度が意図の通りに動作しているかを《秘密保護制度の枠内において》検証することは必須の要件だと言ってよい。

 

法案審議において政府は、情報保全諮問会議・保全監視委員会の設置といった対応を取ることでこの問題を施行前に解決すると明言しているが、本来はそれらの対策を含めた制度の是非を一体として議論することができるよう当初から提案されるべきものだったと言うことはできるだろう。

 

だがこの問題の解決がそれなりに困難なことも間違いない。そもそも秘密保護法制自体が、「秘密」として国民の目から隠すという判断が適切であることを・最終的には国民の判断によって正当化しなくてはならないという矛盾を背負っている。

 

もちろん行政当局の判断をそのまま「正しいもの」として納得するようなことができるわけはないが、(1)日本の憲法体制では国会・裁判所に属さない組織はすべて「行政」なので(独立性が特別に規定されている会計検査院を除く)、審議会や独立行政委員会を構成しても所詮は行政内部の判断と言うことは可能であろうし、もちろん人選などに行政当局の意図が働き得ることも否定できない。

 

(2)国会ならどうかというと、日本では審議過程が原則として公開されているので秘密をめぐる判断に向かないという点に加え、議院内閣制では行政府の支配者(与党)と国会の多数派が一致しているのが当たり前なので、行政に対する独立性・中立性が高いとは必ずしも言えない。

 

この点は、厳格な三権分立を採用し・行政府の長(大統領)と立法府を構成する議員がまったく独立の選挙を通じて選ばれるアメリカとは根本的に事情が異なっている。またアメリカの議会は委員会審議が基本的に非公開であり、秘密情報に触れる議員スタッフ・議会職員に対する適性評価などが議会自身によって行なわれている点にも注意する必要があろう。

 

(3)もちろん司法府(裁判所)はこの独立性・中立性という問題をかなりのレベルでクリアできるが、やはり公開が原則であるという問題点に加え、意外かもしれないが現状ですでに負担過剰であり・このような任務を負わせるなら相当の補強が必要になる(が有資格者は限られているのでそう簡単ではない)という点が問題として指摘できる。

 

(4)日本のこれまでの制度を離れて、という議論をすればおそらく有望なのはオンブズマン制度であり、国民の選んだ独立の代表者にすべてを見せて判断してもらう代わりに守秘義務を厳守させるというシステムだろう。問題点としてはまだ我が国では馴染みのない制度になるという点に加え、保守革新や与野党の対立を超えて「この人の判断なら黙って従おう」と国民が納得するような代表者を選ぶことができるかという点にあるように思われる。

 

要するに結論的には「狼男を倒す銀の銃弾はない」ということであって、独立行政委員会をベースにして人事における国会同意を組み込むとか、最終的には裁判上の救済を制度的に保障するなど、複数の考え方の積み重ねで納得できるレベルまで持っていくしかないということになるだろう。この点に関する制度的手当てが待たれるところである。

 

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