特定秘密保護法のあまり問題ではない点
さて、ではこのような枠組を持つ特定秘密法案にはどのような問題があるのだろうか。
まず特定秘密となり得る情報の範囲については、修正案によって「安全保障」の定義(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障すること)や列挙部分の規定が明確化されたこともあり、過度に広かったり曖昧だったりする懸念はあまりないと評価することができるだろう。
秘密の保護期間についても修正案によって限定が強まり、確かに要保護性が高いと思われる6項目以外については内閣の承認を得ても上限60年、それ以外では30年とされており、内容的には理解可能である。
ただし、「前各号に掲げる事項に関する情報に準ずるもので政令で定める重要な情報」(4条4項7号)というかたちで特例の範囲が拡大する可能性が残されている点、保護期間内の特定秘密が廃棄される可能性があり、期間終了後の公文書管理制度への移行と公開が絶対的な保障となっていない点については、なお問題としなくてはならないだろう。
特定秘密取扱者に対する適性評価について問題にする声もあるが、おそらくは従来から非公然の範囲で行なわれてきただろうものを明示的に制度化し、一定の制約を加えたものと整理するほうが妥当だろうと思われる。その際、調査対象者の同意を義務付けている点(12条3項)、調査する事項を限定列挙している点(12条2項)、また苦情の申出という救済制度を導入した点(14条)は肯定的に評価することができる。
一方、同意の任意性が本当に確保できるか(現実には、評価自体を拒否したものも特定秘密関連の業務からは排除されるため、キャリアには相当のマイナス効果が及ぶであろう)、調査事項は適当か(とくに「飲酒についての節度」や配偶者など家族の生年月日・国籍を含む点)、単に評価者に対して「誠実に処理し、処理の結果を苦情の申出をした者に通知する」こと(14条2項)のみを義務付ける制度が救済として機能するか、といった点については一定の疑問が呈されるだろう。
罰則について見ると、特定秘密取扱者による漏洩(23条)については前述の通り第一義的には行政職員と適合事業者従業員を対象にするものであり、要件も明確であって妥当と評価すべきだろう。ただし、最高刑を10年以下の懲役とした点については従来の制度(職務上知り得た秘密につき1年以下、防衛秘密につき5年以下、特別防衛秘密につき10年以下)と比較して議論があり得ると思われる。
いわゆるスパイ行為(24条)については、やはり修正案によって要件の明確化が図られた部分である。成立した条文では、(1)目的について、(a)外国の利益を図る、(b)自己の利益を図る、(c)我が国の安全を害すべき用途に供する、(d)国民の生命・身体を害すべき用途に供する、という4類型のいずれかに属し、(2)手段について(a)人を欺く・暴行を加える・脅迫する、(b)財物の窃取・損壊、(c)施設への侵入、(d)有線電気通信の傍受・不正アクセス行為、(e)その他の特定秘密保有者の管理を害する行為、という5類型のいずれかに該当した上で、特定秘密を取得したものが処罰されることとなっている。
手段面を見るといずれも基本的に他の法律によってすでに処罰対象となっている違法行為であり、そのような行為に関係のない一般人が本条に抵触するような事態は想定しがたい。目的面についても絞り込みが十分に行なわれていると評価することができよう(ただし(2)(e)について解釈により拡大し得る余地があることには注意する必要があるが、それ以外がすべて犯罪行為であるという規定ぶり自体がこの項目の解釈にあたっても基準として作用するものと考えられる)。
漏洩・スパイ行為を共謀・教唆・煽動したものに対する処罰(25条)については、なにが特定秘密に属するかということが前述の通り特定秘密取扱者に対しては明示されている(それ以外に対しては周知されない)点に注意する必要がある。
ある情報が特定秘密に属するということを知らずに行政職員に漏洩を教唆した一般人やジャーナリストが処罰の対象になってしまうのではないかという問題であるが、スパイ行為についてはそもそもその手段が基本的に犯罪であり、従ってそれを教唆・煽動した場合に対象の性質を十分に知らなくとも処罰対象にすることは不自然でない。漏洩についても、行政職員が職務上知り得た秘密を漏らすことはそもそも犯罪であるという点に注意する必要がある。
言い換えれば、当初から犯罪である行為を教唆・煽動したところ対象が特定秘密であったことが判明し・事後的に処罰が強化されるというケースは考え得るが、犯罪行為への意図がないにもかかわらず処罰対象になることは基本的にない。そもそも本条自体が自衛隊法122条など防衛秘密に関する既存の条文の引き写しに近いものであり、そちらでこれまで問題が起きていないにもかかわらず本条のみを問題にすることはバランスを逸している。
とくに「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為」については「専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限り」正当な業務上の行為として刑法上不可罰とする(刑法35条)旨の解釈基準が設けられていることから(22条2項)、西山事件(1971年)のように当初から情報を得る目的で女性行政職員を酒に酔わせて情交関係を強いたとか、得た情報を報道するのではなく政権攻撃の材料として野党議員に提供したなどといった場合であればともかく、正当なジャーナリズムの範囲に留まる限り《ジャーナリストの側において》恐れる必要はさほどないものと言うことができよう。
それでもなお萎縮する可能性はあるという指摘も事実ではあるが、それが法律の側の問題なのか、ジャーナリストを称する人々の職業意識の問題なのかについては議論が必要だろう。むしろ、行政職員等に対して明確な規制が敷かれることにより、正当な目的・手段による取材に対しても対応しにくくなる、従来より口が重くなる、迷惑な取材を追い返す口実として利用されやすくなるといった「取材される側」の萎縮効果のほうが問題であろうと思われる。